学位論文要旨



No 212496
著者(漢字) 福元,宏明
著者(英字)
著者(カナ) フクモト,ヒロアキ
標題(和) 神経成長因子(NGF)誘導機構の研究 : 非カテコール骨格新規化合物TDN345による新たなNGF誘導機構
標題(洋)
報告番号 212496
報告番号 乙12496
学位授与日 1995.10.11
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第12496号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 名取,俊二
 東京大学 教授 井上,圭三
 東京大学 教授 齋藤,洋
 東京大学 教授 杉山,雄一
 東京大学 客員助教授 岩坪,威
内容要旨

 アルツハイマー型痴呆症は、老齢化社会に伴い急増しつつある老人性痴呆症の一つである。その病因については種々の説があるが、解明されてはおらず、有効な治療法がない難治性疾患である。本疾病においては、前脳基底部(中隔野、ブローカー対角体、及びマイネルト基底核)のコリン作動性神経細胞の変性・脱落が起こり、脳内アセチルコリン(Ach)、Ach合成酵素の顕著な低下が起こる。このことが、本疾病にみられる学習・記憶障害を惹起する一つの原因と考えられている。神経成長因子(NGF;Nerve growth factor)は、末梢の感覚神経や交感神経に作用するのみならず、中枢神経系においてコリン作動性神経細胞に作用し、その分化、生存・維持作用さらには、学習・記憶改善作用を有することが明らかにされている。従って、NGFはアルツハイマー病にみられるコリン作動性神経細胞の変性・脱落の進行、さらにはそれに伴う学習・記憶障害に対して改善薬となることが期待され、臨床応用の試みがなされている。しかし、NGFはタンパク質であり現在の技術では末梢投与により血液脳関門を通過させることは困難である。そこで、NGFは脳内産生細胞から合成分泌、されることがわかっているので、末梢から投与して間接的に脳内のNGF産生を高める低分子薬剤(NGF誘導剤)がアルツハイマー病治療薬になる可能性が考えられる。しかし、脳内におけるNGF産生制御のメカニズムは十分に解明されてはいないのが現状である。

 中枢神経系のNGF産生細胞として、アストログリア細胞、神経細胞、ミクログリア細胞などの報告がこれまでなされているが、再現性に問題があり、その産生機構は未だ明らかにされているとは言い難い。私は、実験の再現性や簡便性を考慮し、中枢由来の株化された細胞を用いてNGF産生の制御機構を明らかにしようと試みた。その結果、エピネフリン高感受性細胞C6グリオーマ細胞亜株(C6-10A細胞)を単離し、その性状解析を行い、受容体を介したcAMPをセカンドメッセンジャーとするNGF誘導機構があることを確認した。また、この細胞を用いて、非カテコール骨格新規化合物TDN-345がエピネフリンと同様の強力なNGF合成・分泌誘導作用を有することを見い出した。さらに、TDN-345を用いて、従来のcAMPをセカンドメッセンジャーとするGs蛋白共役型受容体を介した情報伝達機構とは異なる、新たな情報伝達機構によりNGF遺伝子が活性化される可能性を示唆した。

1.エピネフリン高感受性細胞C6-10Aグリオーマ細胞の単離と性状解析

 ラット脳由来C6細胞にカテコールアミンを添加すると、NGF産生誘導が起きることが知られていたので、酵素免疫測定法を用いてNGFを定量し、再現性を調べたところ全く誘導がみられなかった。そこで、親株から無血清培養耐性条件下クローニングを行い、エピネフリンに高い感受性を示してNGF誘導がおきる亜株(C6-10Aグリオーマ細胞)を得た。本細胞は、形態的に線維状で、0.5%低血清継代培養が可能であった。また、グリア細胞のマーカーであるS-100蛋白やGFAPに陽性であり、親株の免疫化学的形質を保持していた。本細胞を10%血清で継代培養すると、その継代数に伴ってエピネフリン感受性が消失するが、0.5%低血清で継代培養した場合にはエピネフリン高感受性を2年以上にわたり維持できることがわかった。

 本細胞ではエピネフリンの添加時間および濃度に依存した細胞内/外のNGF量の増加がみられた。また、ノザンブロット解析の結果、NGFmRNAはエピネフリン濃度に依存的して増加するが、アクチンmRNA量は変化がないことがわかり、エピネフリンの作用はNGF遺伝子に特異的と考えられた。また、エピネフリンのNGF誘導作用は、(1)フェントラミンによって影響を受けず、プロプラノロールにより選択的に遮断される。(2)イソプロテレノール、エピネフリン、ノルエピネフリン、ドパミンのいずれもNGF誘導を惹起する。(3)アデニレートシクラーゼ系を活性化し、cAMP量を増加させる種々薬物(フォルスコリン、コレラトキシン、ジブチリルcAMP、及びフォスフォジエステラーゼインヒビターIBMX)によってNGFの誘導がおきる。等の事実から、cAMPをセカンドメッセンジャーとするGs蛋白共役型の従来の受容体を介した情報伝達経路をとることが確認された。

 親株とC6-10A細胞のエピネフリン感受性の相違を検討したところ、親株では、cAMP産生量がC6-10A細胞の約1/16に低下していた。また、両細胞の受容体の結合親和性には差はないものの(Kd=0.2nM)、親株では受容体数が約1/16に低下していることがわかった。従って、親株の受容体数の低下がエピネフリンへの感受性低下の原因であると考えられた。

 本細胞を用いて、細胞密度および血清の影響等を調べたところ、無血清でかつ高密度という細胞の増殖の停止した静止期に誘導が顕著になること、さらに、血清存在下では全く誘導が起きないこともわかった。

2.TDN-345による新しいNGF誘導機構

 次に、本細胞を用いて、NGF誘導作用を有する化合物を検索した結果、TDN-345と命名する新規非カテコール骨格化合物を見出した。本化合物は、エピネフリンと同程度の、0.1Mのオーダーより濃度依存的にNGFを誘導した。TDN-345の添加時間に依存して細胞内・外のNGF量は増加し、6時間後に最大となった。NGF蛋白量の増加に先行し、NGFmRNA量が添加2-3時間後に一過的に増加し、以後対照レベルへ戻った。TDN-345をエピネフリンと比較検討した結果、TDN-345のNGF誘導作用は、ブロッカー(フェントラミン)では影響を受けず、ブロッカー(プロプラノロール)により特異的に遮断された。他の特異的1および2ブロッカー(アテノロール、ICI-118551)のいずれもTDN-345の作用を遮断した。従って、TDN-345の作用はエピネフリンと同様受容体を介するものと推察された。これは、受容体リガンド(3H-CGP-12177)を用いた受容体結合実験の結果からも支持された。しかし、一方でエピネフリンと異なり、TDN-345はcAMP量を上昇させず、c-fosの一時的な活性化も引きおこさなかった。更に、3H-ノルエピネフリンの細胞膜に対する結合をTDN-345が競合的に阻害することもなかった。

 以上の事実は、TDN-345は受容体と何らかの形で関係をもつものの、従来のcAMPをセカンドメッセンジャーとするGs蛋白共役型の情報伝達系を介するのではなく、新しい情報伝達系を活性化する可能性を強く示唆している。事実、Gs蛋白に共役した受容体へのアゴニストの結合を阻害するGpp(NH)pは、TDN-345の細胞膜への結合には影響を与えなかった。この新しい情報伝達経路の解析は今後の問題である。

結論

 本研究では、中枢神経系におけるNGFの合成・分泌の制御機構の解明を目的とし、ラット中枢由来のC6グリオーマ細胞をモデル系にして、NGF誘導機構の解析を行った。その結果、新たに確立したエピネフリン高感受性細胞(C6-10A細胞)を用い、エピネフリンは受容体を介するGs蛋白共役型の経路で、NGF遺伝子の特異的な活性化を引き起こすことを確認した。一方、新しい骨格を持つNGF誘導物質TDN-345を見い出し、この物質によるNGF誘導機構を解析した。その結果、この物質は受容体と何らかの形で関係をもつものの、その情報伝達機構はエピネフリンとは異なる新しい機構を介することを示唆した。

審査要旨

 アルツハイマー型痴呆症は、老齢化社会に伴い急増しつつある老人性痴呆症の一つである。この疾病の病因は未だに定かではないが、前脳基底部のコリン作動性神経細胞の変性・脱落が起こり、脳内アセチルコリン(Ach)合成酵素の顕著な低下が起きることが知られている。神経成長因子(NGF)は、中枢神経系においてコリン作動性神経細胞に作用し、その生存維持に働き、学習記憶改善作用を有することが示されている。この研究はこのようなNGFの特性に着目し、抹消から投与して脳内のNGF産生を高める、NGF誘導剤の開発を最終目標として、NGF産生機構を解析したものである。

 第一部では、エピネフェリン高感受性細胞C6-10Aグリオーマ細胞の単離について述べている。この細胞はラット脳由来のC6細胞から単離したもので、10%血清存在下で継代すると、数代でエピネフェリン高感受性が消失するが、0.5%血清存在下では2年以上継代してもエピネフェリン高感受性が維持されることが分かった。この細胞を用いて,種々NGFのmRNAの産生機構について解析した結果、無血清でかつ高密度という細胞の増殖の停止した静止期に誘導が顕著になること、また血清存在下には全く誘導が起きないことなどが明らかになった。

 第二部ではTDN-345と命名した、NGF誘導作用を有する新規非カテコール骨格化合物について記載している。この物質のNGF誘導作用はブロッカー(フェントラミン)では影響を受けず、ブロッカー(プロプラノロール)により特異的に遮断されることから、エピネフェリン同様受容体を介するものと推察された。しかし、エピネフェリンと異なりcAMP量の上昇は起こらず、c-fosの一時的な活性化も認められなかった。この事実は、TDN-345は受容体と何等かの形で関係を持つものの、従来のcAMPをセカンドメッセンジャーとするGs蛋白共役系型の情報伝達系を介するのではなく、新しい情報伝達系を活性化する可能性を示唆している。

 以上、この研究は安定したNGF誘導が見られる脳細胞株の樹立に成功し、この株を用いて新しいNGF誘導剤TDN-345のシグナル伝達機構を解析し、受容体とカップルした未知の情報伝達系の存在を示唆したもので、薬理学および神経生理学の進展に寄与するものであり、博士(薬学)の学位に相当するものと判断した。

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