学位論文要旨



No 212503
著者(漢字) 帆秋,利洋
著者(英字)
著者(カナ) ホアキ,トシヒロ
標題(和) 小宝島付近の浅海底熱水湧出域における超好熱性硫黄依存従属栄養性古細菌の生理・生態に関する研究 : 棲息環境と生理的性質の関係
標題(洋) Physiological and ecological studies on hyperthermophilic sulfur-dependent heterotrophic archaea in submarine hydrothermal field near Kodakara-Jima Island : Relationship between habitat and physiological properties
報告番号 212503
報告番号 乙12503
学位授与日 1995.10.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第12503号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大和田,紘一
 東京大学 教授 若林,久嗣
 東京大学 教授 児玉,徹
 東京大学 教授 長沢,寛道
 東京大学 助教授 木暮,一啓
内容要旨

 100℃前後の高熱下で増殖できる超好熱性細菌の存在は、1980年代初期に明らかにされた。これらは主として、深海底や浅海底の熱水湧出域から単離されているが、その多くは硫黄依存従属栄養性古細菌(Hyperthermophilic Sulfur-Dependent Archaea,以後HSDAと略す)である。大部分のHSDAは、酵母エキスやペプトンのような複合有機物を炭素源・エネルギー源として利用し、多くの従属栄養真正細菌が利用する糖類、有機酸類やアルコール類のような組成の明らかな有機物を単一炭素源・エネルギー源として増殖することができないと報告されている。本研究は、HSDAが利用できうる炭素源・エネルギー源を解明し、それが代表的なHSDAに共通した性質であることを示すことを目的とした。また、浅海底熱水湧出域における超好熱性細菌の分布や栄養源をはじめとした環境因子についてのフィールド調査を行って、熱水環境下におけるHSDAの生活様式を栄養獲得ならびに物質循環の観点から考察した。本研究で得られた知見を以下のようにまとめた。

(1)HSDAの炭素源・エネルギー源の解明

 酵母エキスの中でHSDAの利用できる成分を特定する目的で、限外濾過膜を用いて分子量分画した各成分を基質としてその消費の経時変化とHSDAの増殖の関係を調べた。その結果、0.5kDa以下の低分子画分、0.5〜l.0kDa,1.0〜5.0kDaならびに5.0kDa以上の全ての画分で同様の増殖パターンが認められた。また、すべての画分で遊離アミノ酸とペプチドの両方が消費されることも認められた。そこで次に、カゼインをはじめとした蛋白質を炭素源・エネルギー源とした場合、Desulfurococcus SY株は増殖できるが、Pyrococcus GB-D株は増殖できないこと、またカザミノ酸では両者ともに増殖できないことに着目した。すなわち、カザミノ酸はカゼインの酸加水分解物であることから、酸加水分解過程で消失するTrpの影響について検討した。その結果、カザミノ酸にTrpを加えた場合、ならびにTrpを含む20種のアミノ酸混合物を炭素源・エネルギー源とした場合にも、両者とも増殖することが確認された。本結果より、Trpが必須栄養素のひとつであることが明かとなった。他のアミノ酸についても同様の検討を行った結果、Thr,Leu,Ile,Val,Met,Phe,Tyr,Trp,His,Lys,Argの11種のアミノ酸が必須栄養素となっていることが明かとなった。蛋白質を基質とした場合の栄養獲得能の両株における違いは、プロテアーゼ生産能に依存しており、蛋白質を単一基質とした場合に、D.SY株は自己の生産するプロテアーゼによって低分子化した後に利用することが明かとなった。なお、粗抽出液中のプロテアーゼ活性はD.SY株が生育する高温条件下、すなわち105℃において最大活性を示した。本結果より、蛋白質のような高分子基質の栄養獲得において、プロテアーゼの生理学的な役割が大きいことが明らかとなった。

(2)HSDAの炭素源・エネルギー源としてのアミノ酸要求

 これまでHSDAは、各アミノ酸を添加した合成培地で増殖できないと言われてきた。そこで、鹿児島県小宝島の浅海底熱水湧出域より3種のHSDAを単離・同定するとともに、Pyrococcus furiosus(DSM3638)とThermococcus celer(DSM2476)のHSDA、ならびに真正細菌のThermotoga neapolitana(DSM4359)を入手し、それらのアミノ酸要求性について比較検討を行った。その結果、アミノ酸要求はこれらのHSDAに広く共通した性質であり、とくにIle,ValはHSDAに共通の必須アミノ酸であることが認められた。なお、小宝島から単離された3株のHSDAについて、形態、増殖特性、種々の基質での増殖能、抗生物質感受性、生体膜の脂質組成、および16SrRNAの塩基配列などを調べた結果、これらの3株はいずれもThermococcus属に分類学上当てはまることが明かとなった。これら3株と、同じ属のThermococcus celerの必須アミノ酸要求のあいだには高い共通性がみられたが、Pyrococcus furiosusとPyrococcusGB-D株の必須アミノ酸の共通性は低かった。以上の結果から、必須アミノ酸要求の特徴は菌の分類学的性質というよりはむしろ、棲息環境に存在するアミノ酸組成と濃度に関連していることが推察された。

(3)浅海底熱水湧出域における超好熱性細菌の分布ならびに栄養源-各種環境因子との関連

 前項の結果から、HSDAのアミノ酸要求性は棲息環境に関連していることが示唆された。そこで、熱水環境下における微生物相、ならびにHSDAの生育に欠くことのできないアミノ酸をはじめとした各種環境因子の垂直分布の面から、この生態系について検討を行った。水深3mの調査地点は、火山性ガス(CO282.2%,H29.0%,CH42.6%,H2S1.1%)を伴った熱水が流量27.33ml/minで湧出していた。堆積物の地熱温度は、表層で80℃、堆積物10cm層で88℃、同30cm層で104℃であった。この堆積物中の全菌数(AODC)は、1x107〜6xl08cells/gで、地熱温度の上昇と比例して深度とともに増加傾向が認められた。その微生物相についてはMPN法を用いて調べた結果、90℃以上で生育可能なHSDAの占める割合が最も多く、続いて超好熱性硫黄依存独立栄養細菌が検出された。超好熱性のメタン菌は検出されなかった。栄養塩類(T-N,NH4-N,NO3-N,NO2-N,T-P,PO4-P)ならびに有機性炭素(POC,DOC)は、いずれも堆積物表層で濃度が高く(POC:180.8mg/l,DOC:59.3mg/l)であったが、深度とともに減少傾向を示した。本生態系で優占するHSDAの増殖に必須なアミノ酸・ペプチドも深度とともに減少する傾向がみられ、特に遊離アミノ酸ではその傾向が顕著であった。30cm層においては、その堆積物中から単離されたThermococcus spp.が生育のために必須とするアミノ酸(Thr,Leu,Ile,Val,Met,Phe,Tyr,His,Lys,Arg)は、遊離の形としては全く検出されなかった。なお、堆積物中の加水分解物を含む総アミノ酸濃度は単離菌株が回分培養における増殖のために要求する濃度の1/25〜1/80であった。熱水が湧出する周辺の堆積物表層(27℃)は、硫黄の酸化によってエネルギー獲得を行う化学合成独立栄養のBeggiatoa様細菌で構成されたバクテリアマットで被覆されているとともに、高い濃度のクロロフィル-aも検出された。これらの結果から、本生態系においてはHSDAが高密度かつ優占種として棲息しており、これらの増殖に必須のアミノ酸は本生態系周辺での第一次生産者と考えられる化学合成細菌ならびに光合成微細藻から由来しているものと推測された。

(4)浅海底熱水湧出域における超好熱性硫黄依存従属栄養細菌群の増殖ならびに栄養供給源の推定

 前項の研究結果から、HSDAが優占的に棲息する生態系は貧栄養であり、ここでバイオマスを5x107cells/g-sedimentレベルに維持するためには、常に一定量のアミノ酸ないしペプチドが供給される必要があることが示唆された。この栄養の供給源を堆積物表層を被覆したBeggiatoa様化学合成独立栄養細菌群もしくは超好熱性独立栄養古細菌のPyrodictium brockii(DSM2708)であると想定し、これらの凍結乾燥試料を単一炭素原・エネルギー源とした際のHSDA集積培養群集の増殖挙動とアミノ酸消費について検討を行った。また,0.02〜2g/lの20種のアミノ酸混合物を炭素源として供した際の増殖とアミノ酸消費についても併せて検討した。前項と同じ熱水堆積物サンプルを採取し、これより集積培養したものを現場のHSDA群集と仮定した。対照として(2)項で単離されたThermococcus KS-1株を用いて、HSDA群集と単離菌株との挙動の相異について比較実験を行った。Beggiatoa様細菌群ならびにPyrodictium brockiiの乾燥試料を栄養源として供した場合,HSDA群集は,接種菌数の5000倍(7x108cells/ml)まで増殖したが,単離菌KS-1株の場合は,10倍程度(3x107cells/ml)であった。20種のアミノ酸を供した場合HSDA群集は0.02g/lのような低濃度においてもアミノ酸の消費を伴った増殖が確認され,その増殖は添加したアミノ酸の濃度に依存することが認められた。この際、HSDA群集の増殖に伴って大部分のアミノ酸は消費されたが、(3)項の結果より得られたHSDAが必須としないSer,Gly,Proなどのアミノ酸は培養過程で一時的に増加した。一方,KS-1株の場合、低濃度のアミノ酸では増殖が認められなかった。以上の結果は,小宝島の熱水環境下では、0.02g/l程度のアミノ酸が存在すれば高密度HSDA群集の維持が可能であり、このときHSDA群集では異種間の死滅細胞由来のアミノ酸も再利用されているものと推察された。

(5)海洋環境における超好熱性硫黄依存従属栄養細菌の生存能

 HSDAは世界中の海底熱水環境に棲息することが知られているが、これらは海洋中を漂流してスポット間の移動が行われているためと考えられている。しかしながら、これらの細菌は高温環境下でのみ生育すること、偏性嫌気性菌であること、ならびに(3)項の生態研究結果より、熱水湧出堆積物の10cm上の海水中におけるこれらの菌濃度は10cells/ml以下であることが明かとされていることから、これらの細菌が大海を漂流移動するという説明は困難であると考えられる。そこで、(3)項と同じ熱水堆積物サンプルを採取し、その底泥中に棲息するHSDA群集を90℃好気および嫌気、25℃好気および嫌気、さらに4℃好気の5条件に設定し、そこでのHSDA群集の生存能についてMPN法を用いて検討した。その結果、90℃好気条件下では1日後に大部分が、また1週間ですべてが死滅した。一方、棲息条件である90℃嫌気条件下では生菌数はいったんは急激に減少し、その後は徐々に減少する2段階の死滅曲線を示したが、最終的には約2ヶ月間にわたって生存した。25℃好気条件では、HSDA群集の生存日数は約2週間であった。また、25℃嫌気ならびに4℃好気条件下では、生存能は長期にわたって持続した。対照として、単離菌KS-1株について同一条件で検討したところ、90℃下では嫌気・好気条件ともに底泥中のHSDA群集よりも短時間で死滅した。低温条件下(25,4℃)では、底泥中のHSDA群集と類似の生存挙動を示した。以上の結果から、海洋中に漂った超好熱性細菌は、嫌気的条件が確保されない限り長期間の生存は難しいため、スポット間の漂流移動は困難であると推測された。これらについては、海底地殼表層の浸入海水の地熱との接触によって生じる熱水循環層内を移動するという新たな可能性が考えられる。

審査要旨

 100℃前後の高熱下で増殖できる超好熱性細菌は主として、深海底や浅海底の熱水湧出域から単離されているが、その多くは硫黄依存従属栄養性古細菌(Hyperthermophilic Sulfur-Dependent Archaea,以後HSDAと略す)である。本研究ではHSDAに関し、利用できうる炭素源・エネルギー源を解明すると同時に、フィールド調査をつうじて熱水環境下における栄養獲得ならびに物質循環の面で調べた成果について述べたものである。

(1)HSDAの炭素源・エネルギー源の解明

 分子量分画した酵母エキスでは、全ての画分で同様に増殖し、また遊離アミノ酸とペプチドの両方が消費されることも認められた。次ぎに、カゼインなど蛋白質を炭素源・エネルギー源とした場合、Desulfurococcus SY株は増殖できるが、Pyrococcus GB-D株は増殖できないこと、またカザミノ酸では両者ともに増殖できないことに着目し、実験を行った。その結果、Trpが必須栄養素のひとつであること、また他にThr,Leu,Ile,Val,Met,Phe,Tyr,Trp,His,Lys,Argの11種のアミノ酸が必須であることも分かった。蛋白質を基質とした場合の両株における違いは、D.SY株はプロテアーゼを産生し、低分子化した後に利用することが明かとなった。粗抽出液中のプロテアーゼは105℃において最大活性を示した。

(2)HSDAの炭素源・エネルギー源としてのアミノ酸要求

 鹿児島県小宝島の浅海底熱水湧出域より3種のHSDAを単離し,それらのアミノ酸要求性について検討を行った。その結果、アミノ酸要求はこれらのHSDAに広く共通した性質であり、とくにIle,ValはHSDAに共通の必須アミノ酸であることが認められた。なお、形態、増殖特性、種々の基質での増殖能、抗生物質感受性、生体膜の脂質組成、および16SrRNAの塩基配列などを調べた結果、3株とも分類学上はThermococcus属に当てはまることが明かとなった。

(3)浅海底熱水湧出域における超好熱性細菌の分布ならびに環境因子との関連

 水深3mの調査地点は、火山性ガス(CO282.2%,H29.0%,CH4 2.6%,H2Sl.1%)を伴った熱水が流量27.33ml/minで湧出していた。堆積物の地熱温度は、表層で80℃、堆積物10cm層で88℃、同30cm層で104℃であった。全菌数(AODC)は、1x107〜6x108 cells/gで、地熱温度の上昇と比例して深度とともに増加傾向が認められた。微生物相をMPN法を用いて調べた結果、90℃以上で生育可能なHSDAの占める割合が最も多く、続いて超好熱性硫黄依存独立栄養細菌が検出された。超好熱性のメタン菌は検出されなかった。栄養塩類、有機性炭素は、いずれも堆積物表層で濃度が高く(POC:180.8mg/l,DOC:59.3mg/l)、深度とともに減少傾向を示した。本生態系で優占するHSDAの増殖に必須なアミノ酸・ペプチドも深度とともに減少する傾向がみられ、特に遊離アミノ酸ではその傾向が顕著であった。熱水が湧出する周辺の堆積物表層(27℃)は、硫黄の酸化によってエネルギー獲得を行う化学合成独立栄養のBeggiatoa様細菌によるバクテリアマットで被覆されていた。これらの結果から、本生態系はHSDAが高密度に優占種として棲息しており、増殖に必須のアミノ酸は周辺の第一次生産者と考えられる化学合成細菌ならびに光合成微細藻から由来しているものと推測された。

(4)浅海底熱水湧出域におけるHSDAの増殖ならびに栄養供給源の推定

 前項の研究結果から、バイオマスを5x107cells/gレベルに維持するためには、常に一定量のアミノ酸ないしペプチドが供給される必要があり、この栄養の供給源を堆積物表層を被覆したBeggiatoa様化学合成独立栄養細菌群もしくは超好熱性独立栄養古細菌と想定した。これらの凍結乾燥試料を単一炭素原・エネルギー源とした場合と20種のアミノ酸混合物を炭素源として供した場合のHSDA群集の増殖とアミノ酸消費についても併せて検討した。両者ではHSDA群集は7x108cells/mlまで増殖したが,対照とした単離菌KS-1株は3x107cells/mlであった。20種のアミノ酸については、0.02g/lのような低濃度においても消費を伴った増殖が確認され,その増殖は添加したアミノ酸の濃度に依存することが認められた。この際、増殖に伴って大部分のアミノ酸は消費されたが、必須としないSer,Gly,Proなどのアミノ酸は培養過程で一時的に増加した。一方,KS-1株では低濃度のアミノ酸では増殖が認められなかった。以上の結果は,小宝島の熱水環境下では、0.02g/l程度のアミノ酸が存在すればHSDA群集を高密度に維持することができ、また死滅細胞由来のアミノ酸も再利用されているものと推察された。

 以上の結果は、HSDAの生理的性質ならびにその生息環境について新しい知見をもたらしたもので、学術上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位を授与する価値があると認めた。

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