学位論文要旨



No 212505
著者(漢字) 吉田,明由
著者(英字)
著者(カナ) ヨシダ,アキヨシ
標題(和) エチレンチオウレアおよび亜硝酸ナトリウムの同時経口投与によるマウスの子宮発癌に関する実験病理学的研究
標題(洋)
報告番号 212505
報告番号 乙12505
学位授与日 1995.10.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第12505号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 土井,邦雄
 東京大学 教授 小野,憲一郎
 東京大学 教授 佐々木,伸雄
 東京大学 助教授 中山,裕之
 東京大学 助教授 板垣,慎一
内容要旨

 生活環境下に存在する多数のアミン・アミド類は、環境下あるいは胃内で亜硝酸と反応することにより、ヒトへの発癌リスクを有するニトロソ化合物を生成する可能性がある。我々はジネブやマネブなどのジチオカーバメート系殺菌剤の代謝・分解産物であるエチレンチオウレア(ETU)がアミド類に包含されることに着目し、ETUと亜硝酸ナトリウムをマウスに同時経口投与することによって生成されるニトロソ化合物(N-ニトロソETU)の発癌性の有無およびその標的臓器を検索した。さらに、ヒトの子宮内膜癌のモデルとなる子宮内膜腺癌の誘発に成功したので、その性状を種々の視点から検索した。

1.ETUおよび亜硝酸ナトリウムの同時経口投与によるマウスにおける発癌性の検討

 胃内で生成されたN-ニトロソETUの発癌性およびその標的臓器を検索するために、雌雄のICR系マウスにETUと亜硝酸ナトリウムを0対0、100対0、0対70、25対17.5、50対35、および100対70(ETU対亜硝酸ナトリウム、mg/kg b.w./week)の用量で10週間強制経口投与し、その後無処置のまま18カ月まで飼育した。その結果、ETUと亜硝酸ナトリウムを同時に投与した動物ではリンパ系組織、肺、前胃、ハーダー腺および子宮に用量相関性を示す発生頻度で腫瘍性病変が誘発された。ETUあるいは亜硝酸ナトリウムの単独投与群の動物には腫瘍性病変は誘発されなかった。これらの成績から、マウスの胃内に投与したETUは、亜硝酸のニトロソ化反応によってマウスに腫瘍性病変を誘発しうる量のN-ニトロソETUを生成することが明らかとなった。また、これらの腫瘍性病変の中に、化学物質の経口投与法では誘発し難い子宮内膜腺癌を見出した。

2.子宮内膜腺癌の発癌過程に関する病理学的検討

 子宮内膜腺癌の発癌過程を詳細に観察するために、ETU(100mg/kg b.w.)と亜硝酸ナトリウム(70mg/kg b.w.)の混合液を毎週1回、6カ月間にわたってICR系雌マウスに強制経口投与し、その後6カ月間無処置のまま飼育した。その結果、6カ月時から前癌病変である内膜腺異型性過形成が発現し、12カ月時生存動物の42%に分化型の子宮内膜腺癌が観察された。プロモデオキシウリジンの瞬間標識率は、内膜腺癌細胞では性周期に関係なく平均20%以上であり、正常な内膜腺細胞の標識率(各性周期の平均値の最高は発情前期の9.4%)より明らかに高かった。また、p53遺伝子の変異によって出現する核内p53蛋白質は、正常あるいは異型性過形成の内膜腺細胞がいずれも陰性であったのに対し、8例の腺癌のうち3例が免疫組織学的に陽性と判定された。卵巣ホルモン環境についての検索では、処置群の動物で血漿プロゲステロンが著しく低下したが、膣スメア像および血漿17-estradiol値に異常はなかった。

3.子宮内膜腺癌の発癌過程に及ぼす卵巣ホルモン投与の影響

 ETUと亜硝酸ナトリウムの同時経口投与によってマウスに誘発される子宮内膜腺癌の卵巣ホルモンに対する応答性を観察するために、ETU(100mg/kg b.w.)と亜硝酸ナトリウム(70mg/kg b.w.)の混合液を毎週1回、6カ月間にわたってICR系雌マウスに経口投与し、その後子宮内膜癌の発現時期と考えられる45週時に両群の動物の背部皮下にプロゲステロンを充填したシリコンチューブあるいは17-estradiolを充填したポリエチレンチューブを埋設した。実験はチューブ埋設8週間後(実験開始後52週時)に終了した。その結果、プロゲステロンを8週間埋設した動物では、卵巣ホルモン非埋設群と比較して、内膜腺癌の発生頻度に有意な変動はなかったが、内膜腺異型性過形成の発生頻度が有意に減少した。17-estradiol埋設群のマウスにおける内膜腺癌および内膜腺異型性過形成の発生頻度は、卵巣ホルモン非埋設群と同様であった。内膜腺細胞の核内エストロゲンレセプターの染色性を観察するために、実験終了時の生存動物の子宮についてパラフィン薄切標本による免疫組織学的染色を実施したところ、内膜腺癌の核はおおむね陰性を示し、陽性を示す場合でも弱陽性部分と陰性部分とが混在した不均一な染色性を示した。一方、内膜腺異型性過形成ではすべてが陽性と判定されたが、正常内膜腺と比較してしばしば染色性が低下した。

4.子宮内膜腺癌の発生率および腫瘍の性状に及ぼす宿主動物の月齢の影響

 ETUと亜硝酸ナトリウムの同時経口投与によって誘発されるマウス子宮内膜腺癌に対する投与動物の月齢の影響を観察するため、1、6および12カ月齢のICR系雌マウスにETU(100mg/kg b.w.)および亜硝酸ナトリウム(70mg/kg b.w.)の混合液を毎週1回、6カ月間にわたって強制経口投与し、その後3カ月間無処置のまま飼育した。その結果、子宮内膜腺癌の発生頻度は6カ月齢投与開始群において最も高く(8/20)、以下12カ月齢投与開始群(4/20)、1カ月齢投与開始群(1/20)の順であった。内膜腺癌の前駆病変である内膜腺異型性過形成の発生頻度についても、6カ月齢投与開始群が最も高い発生頻度を示した。子宮内膜腺癌の組織形態学的特徴はいずれの月齢に発生したものも同様で、核内エストロゲンレセプターに対する免疫組織学的染色性も宿主動物の月齢に関係なく著しく減衰あるいは欠失した。しかしながら、子宮内膜腺癌のBrdU瞬間標識率は、1あるいは6カ月齢投与開始群と比較し、12カ月齢投与開始群で増加した。対照群の動物を用いて実施した生殖器の老化に関する検討では、最も早期の形態学的変化として6カ月齢の動物で卵巣嚢胞が観察され、また、同月齢の動物では血漿17-estradiolの増加も認めた。

 以上、本研究の結果、(1)マウスの胃内にETUと亜硝酸ナトリウムを同時反復投与することにより、リンパ系組織、肺、前胃、ハーダー腺および子宮に腫瘍を誘発しうる量のN-ニトロソETUが生成される。(2)子宮に誘発された腫瘍は分化型の内膜腺癌であり、卵巣ホルモンに対する非応答性、核内エストロゲンレセプターの欠失、変異型p53遺伝子の発現などの点で、ヒトの悪性型子宮内膜癌と類似する。(3)子宮内膜腺癌の発癌時期に血漿プロゲステロンの著しい低下が認められ、ヒトのエストロゲン非依存性の子宮内膜癌との類似性がある。(4)子宮内膜腺癌の誘発には、卵巣の加齢性病変(嚢胞)が発現する6カ月齢頃からの投与が最も効果的であり、N-ニトロソETUの子宮内膜腺癌の発癌機序および性状に宿主動物の月齢が影響を及ぼしていることが明らかとなった。このように本研究では、亜硝酸ナトリウムの存在下でETUの発癌性が増強することを明らかにするとともに、誘発された腫瘍の一つである子宮内膜腺癌がヒトのエストロゲン非依存性の悪性型子宮内膜腺癌の極めて有用な疾患モデルとなることを明らかにした。

審査要旨

 生活環境下に存在する多数のアミン・アミド類は,環境下あるいは胃内で亜硝酸と反応することにより,ヒトへの発癌リスクを有するニトロソ化合物を生成する可能性がある。本研究は,ジチオカーバメイト系殺菌剤の代謝・分解産物であるエチレンチオウレア(ETU)がアミド類に包含されることに着目し,ETUと亜硝酸ナトリウムをマウスに同時経口投与することによって生成されると考えられるニトロン化合物(N-ニトロンETU)の発癌性について検索するとともに,ヒト子宮内膜腺癌のモデル病変の開発を試みたものである。得られた成績は下記の通りである。

1)ETUおよび亜硝酸ナトリウムの同時経口投与によるマウスにおける発癌性の検討

 マウスにETUと亜硝酸ナトリウムを0:0,100:0,0:70,25:17.5,50:35及び100:70(ETU対亜硝酸ナトリウム,mg/kg)の用量で10週間強制経口投与し,さらに18ケ月間観察を続けた。その結果,ETU(100mg/kg)と亜硝酸ナトリウム(70mg/kg)を同時反復投与することにより,リンパ系組織,肺,前胃,ハーダー腺および子宮に腫瘍を誘発しうる量のN-ニトロソETUが生成されることが明らかになった。また,これまで種々の化学発癌物質について経口投与では惹起できなかった子宮内膜腺癌の誘発に成功した。なお,ETUあるいは亜硝酸ナトリウムの単独投与ではいずれも発癌性を示さなかった。

2)子宮内膜腺癌の発癌過程に関する病理学的検討

 子宮内膜腺癌の発癌過程を病理学的に詳細に検索するために,マウスにETU(100mg/kg)と亜硝酸ナトリウム(70mg/kg)の混合液を6ケ月間にわたって経口投与し,その後さらに6ケ月間観察した。その結果,6ケ月時から前癌病変である内膜腺異型性過形成が観察され,12ケ月時の生存動物の42%に分化型の子宮内膜腺癌が認められた。同時に,血漿プロゲステロンの顕著な減少が観察された。この癌は,病理組織学的性状に加え,卵巣ホルモン非応答性,核エストロゲン受容体欠失,変異型p53遺伝子の発現等の点でもヒトの悪性子宮内膜癌と良く類似していた。

3)子宮内膜腺癌の発癌過程に及ぼす宿主動物の月齢の影響

 子宮内膜腺癌の発癌過程に及ぼす宿主動物の月齢の影響を検索するため,種々な月齢から上記2)の用量で投与を始めたところ,子宮内膜腺癌の誘発には,卵巣の加齢性変化である卵巣嚢胞が発現する6ケ月からの投与が最も効果的であることが明らかになった。また,発癌過程に及ぼす卵巣ホルモンの影響をみるため,プロゲステロンおよび17-エストラジオールをそれぞれ充填したチューブを長期間背部皮下に埋設して検索した結果,いずれも発癌過程に影響を及ぼすことはなかった。

 上述したように,本研究では,亜硝酸ナトリウムの存在下でエチレンチオウレアの発癌性が増強することを明らかにするとともに,誘発された腫瘍の一つである子宮内膜癌がヒトのエストロゲン非依存型の悪性子宮内膜癌の有用な病態モデルとなることを明らかにしたもので,化学発癌に関する基礎および応用上極めて価値があり,審査委員一同博士(獣医学)の学位に値するものと判断した。

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