学位論文要旨



No 212507
著者(漢字) 川上,泰雄
著者(英字)
著者(カナ) カワカミ,ヤスオ
標題(和) 人間の骨格筋の形状と筋活動能力
標題(洋)
報告番号 212507
報告番号 乙12507
学位授与日 1995.10.18
学位種別 論文博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 第12507号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮下,充正
 東京大学 教授 武藤,芳照
 東京大学 助教授 金子,元久
 東京大学 助教授 佐々木,正人
 東京大学 教授 福永,哲夫
内容要旨

 われわれが行う身体運動は、重力や摩擦抵抗などに抗して、身体が能動的な力を発揮することを通じて行われる。能動的な力は骨格筋の収縮によるが、筋収縮が身体運動として表出されるまでには、筋線維の発揮した力が腱を介して生み出す関節の力が身体外部の受動的な力に抗するという過程を経る。身体外部から観察される関節の動きの分析や力の測定は比較的容易であるものの、人間の生体で筋の特性を調べることは難しく、これまでは動物の摘出筋の収縮特性を基に身体運動を考察するという方法が一般的に行われてきた。しかし、筋線維の発揮した力が身体運動というかたちで受動的な外力に対して作用するまでには、筋形状をはじめとする様々な人体固有の因子が存在する。これらの因子の相互関係が明らかにされなければ筋線維に関する知見を人間の身体運動の理解のために役立てることはできない。筋活動能力にあらわれる個人差は、筋の質的特性よりもむしろ筋形状の個人差を反映したものである場合が多いからである。

 本研究は人間の骨格筋を直視し、筋の形状と筋活動能力の相互関係や適応性について明らかにしようとしたものである。最新の手法である超音波断層法およびMRI法を用いて、人間の筋形状を測定し、筋形状と筋活動能力との関連性について明らかにするとともに、筋形状や筋活動能力の個人差、成長やトレーニング、さらには不活動の影響について調べ、人間の筋の特性を筋線維、筋、関節のレベルから総合的に検討した。

筋形状と筋活動能力の相互関係1.筋厚と羽状角

 Bモード超音波断層法を用いて上腕三頭筋の筋厚と羽状角を測定した(第2章第1節)。筋厚は皮下脂肪層と筋層の境界面と筋層と骨の境界面の間の距離とし、羽状角は長頭および内側頭における深部腱膜と筋束とのなす角度とした。この方法と死体の筋での実測値とを比較したところ、両測定値は実測値と一致していた。生体での測定の被験者は32名で、一般人からボディビルダーまでを含んでいたが、筋厚は28〜61mm、羽状角は長頭が15〜53°、内側頭が9〜26°という広い範囲にわたっていた。筋厚と羽状角の間には有意な正の相関関係が認められ、肥大筋は筋厚、羽状角ともに大きいことが明らかになった。筋肥大による生理学的筋横断面積の増加の程度は解剖学的横断面積の増加以上になることがわかり、高い力発揮ポテンシャルの獲得につながることが示された。

2.筋束長

 Bモード超音波断層法を用いて上腕三頭筋、外側広筋、腓腹筋内側頭について筋厚および羽状角を測定し、それぞれの筋束長を推定した(第2章第2節)。被験者は53名の男女であった。全ての筋において筋厚と羽状角の間に正の相関関係が認められた。筋束長は上腕三頭筋、外側広筋、腓腹筋内側頭それぞれ10.0±1.8cm、8.4±1.2cm、6.2±0.9cmとなり、死体を用いた先行研究の報告値と類似していた。上腕三頭筋の場合、肥大した筋において筋厚の増加の頭打ち傾向が認められ、筋形状によって規定される筋肥大の上限の存在が示唆された。また、筋内における筋束の3次元的な配列を調べたところ、筋厚や羽状角は場所によって異なっていたが、筋束長は一定であった(第2章第4節)。

 さらに、外側広筋の筋束長と膝関節角度との関係について検討した(第2章第2節)。被験者は7名の男性であった。完全伸展位から110°屈曲位まで10°毎に膝関節角度を固定し、筋束長を求めた。被験者が安静にする条件と、最大筋力の10%の等尺性筋活動を行う条件を設定した。完全伸展位から屈曲位までの間に筋束長は変化したが、その程度は条件によって異なり、安静状態で3.2cm、緊張状態で4.6cmの変化であった。これは、安静状態における筋の弛みの影響と考えられた。

3.生理学的筋横断面積

 筋線維の横断面積の総和として定義される生理学的筋横断面積を肘関節屈筋群・伸筋群について求めた(第2章第3節)。肘関節屈筋群は紡錘状筋、伸筋群は羽状筋に分類される。4名の被験者について、上肢の組織横断面像をMRI法によって測定し、これより筋体積と筋長を求めた。筋体積を筋線維長で除して生理学的筋横断面積を計算した。筋線維長は先行研究の筋線維長/筋長比に筋長を乗じて求めた。肘関節屈筋群のなかでは上腕筋が最大の生理学的筋横断面積を有し、次いで上腕二頭筋、腕橈骨筋の順となった。上腕三頭筋は屈筋群の生理学的筋横断面積の総和に匹敵する生理学的筋横断面積をもっていた。解剖学的筋横断面積の1.7倍に達する上腕三頭筋の生理学的筋横断面積は羽状筋という筋形態によるものと考えられた。羽状筋は紡錘状筋に比べると筋線維長が短いが、その反面生理学的筋横断面積を大きくすることができる形態であることが示された。

4.筋のモーメントアーム

 肘関節屈筋群・仲筋群のモーメントアームをMRI法によって求めた(第2章第5節)。肘関節角度を90°に保った状態で撮像した連続組織縦断面像において、上腕骨滑車の中心と各筋の最大縦断面の中心線との距離をモーメントアームとした。4名の被験者は第2章第2節と同一であった。被験者によるモーメントアームの変動は少なく、また、先行研究の死体の測定値と類似していた。モーメントアームと生理学的筋横断面積より、肘関節屈曲トルクに対する各屈筋の貢献度を計算したところ、上腕筋が最も高く47%、次いで上腕二頭筋の34%、腕橈骨筋の19%となった。筋のモーメントアームがわかれば、関節トルクから筋張力を、関節角速度から筋速度を求めることができる(第3章第1節)ので、関節の動きの分析から筋の長さ-張力関係や速度-張力関係を求めることが可能であることが示された。

5.筋形状と筋活動能力の関係

 単位生理学的筋横断面積あたりの腱張力を本論文では固有筋張力とし、生体における固有筋張力の測定を行った(第3章第1節)。等速性筋力計を用いて測定した関節トルクと筋のモーメントアームから腱張力を求めた。また、動的筋活動(短縮性・伸張性)時の関節角速度とモーメントアームから腱速度を、腱速度と羽状角から筋線維速度を推定し、固有筋張力との関係について検討した。関節トルクでは肘関節伸展動作が肘関節屈曲を大きく上回っていたにもかかわらず、固有筋張力は屈筋群・伸筋群とも類似しており、筋張力発揮ポテンシャルそのものには筋による違いはないことが示唆されたが、高速度の短縮性筋活動での固有筋張力は屈筋群の方が大きく、これは紡錘状筋という屈筋群の筋形態を反映したものであった。

 羽状筋において、筋線維の発揮した力が腱に伝わる際に起こり得る力のロスは外側広筋や腓腹筋では少ない一方で、羽状筋という構造で解剖学的筋横断面積の2〜3倍の生理学的筋横断面積を得ることによって見込まれるカポテンシャルの増加の方が大きいことが明らかになった。また、固有筋張力は類似しているにもかかわらず、関節トルクが部位によって異なるのは、モーメントアームの差に起因するものと考えられた。身体運動において受動的な外力に抗する能動的な力は筋線維組成のような筋線維固有の特性によって決定されるだけではなく、筋形状によって合目的的に調整されていることが示された(第3章第2節)。

筋形状と筋活動能力の可塑性1.成長の影響

 9歳から17歳までの男女62名を対象として、1年の間隔をおいて2回の測定を行った(第4章第1節)。測定項目はBモード超音波断層法を用いた上腕三頭筋、外側広筋、誹腹筋内側頭の筋厚および羽状角であった。筋厚と羽状背の間には正の相関関係が認められた。また、1年を経て筋厚、羽状角の双方が増加したことから、成長にともなって筋は相似形に変化せず、形状を変えながら大きくなることが明らかになった。筋形状の変化率が最も高いのは11〜13歳の間であり、変化率に男女の違いは認められないことが示された。

2.不活動の影響

 20日間のベッドレストが筋形状に及ぼす影響について検討した(第4章第2節)。被験者は健常な男女8名であった。Bモード超音波断層法を用いて上腕三頭筋、外側広筋、腓腹筋内側頭の筋厚および羽状角をベッドレスト前、中、直後、回復10週後に測定した。ベッドレストによって腓腹筋の筋厚および羽状角が減少したが、他の2筋では有意な変化がみられなかった。立位と臥位の変化に違いが認められ、これは長期の臥位姿勢による筋緊張の変化に起因する筋の変形による見かけ上の厚さ変化によるものではないかと考えられた。

3.レジスタンストレーニングの影響

 5名の健常男性が16週間の肘関節伸展動作のレジスタンストレーニングを行ったときの筋形状と筋活動能力の変化について検討した(第4章第3節)。Bモード超音波断層法を用いて上腕三頭筋の筋厚および羽状角を測定し、筋束長を求めた。MRI法によって求めた上腕三頭筋の連続解剖学的筋横断面積から筋体積を求め、筋束長で除して生理学的筋横断面積を計算した。等速性筋力計を用いて肘関節伸展筋力を様々な速度で測定し、固有筋張力を求めた。トレーニングによって筋束長以外の筋形状要素は有意に増加し、増加率に要素間の差はみられなかった。肘関節伸展トルクはトレーニング後増加したが、固有筋張力は逆に減少する速度もみられ、筋肥大にともなう羽状角の増加による筋線維から腱への力伝達効率の低下が示唆され、過度の適応は逆に筋の活動能力を低下させる場合もあることが示された。

 本論文を通じて、筋厚、羽状角、生理学的筋横断面積、モーメントアームといった筋形状の要素は相互に関連をもち、筋活動能力に大きな影響を及ぼしていることが示された。また、筋形状は適応性に富み、成長や加齢、トレーニングによって変化することが明らかになった。

審査要旨

 人間の運動は、筋の活動によって生じる。しかし、筋の活動は、その力がおよぼされる骨格の動きとしてしか、外部から観察できない。したがって、これまで筋の形状と発揮される力との関係は、死体を対象とした静的な観察、あるいは、実験動物を対象とした観察から説明されてきた。それらの説明によれば、一般に大きな力の発揮が求められる筋は羽状型であり、大きな動きが求められる筋は紡錘型である。

 本論文は、新しく開発された超音波断層法と核磁気共鳴画像法とによって、人間を対象として、経皮的に筋の形状と発揮される力との関係を明らかにしようとしたものである。

 まず、羽状筋である上腕三頭筋について筋厚と羽状角を、筋力に大きな違いのある32名の対象者を選んで測定し、筋厚と羽状角との間には正の相関があり、トレーニングによる筋の肥大が筋の生理学的横断面積の増加となることを明らかにした。さらに、53名を対象として外側広筋、腓腹筋などについて同様の測定を行い、羽状筋においては、筋厚と羽状角との間に正の相関があることを報告している。

 次に、肘関節の伸筋(羽状筋)と屈筋(紡錘筋)とについて、4名を対象として生理学的横断面積を比較し、羽状筋は紡錘筋に対し筋線維長は短いが、生理学的横断面積当たりのトルクには、羽状筋と紡錘筋との間に差のないことを明らかにした。

 以上の観察を、成長期の人間62名を対象として1年間の間隔をおいて、筋厚と羽状角を測定し、筋はかならずしも相似形には変化せず、形状を変えながら大きくなることを明らかにした。また、8名を対象として20日間の非活動(ベッドレスト)状態の前後で、上腕三頭筋、外側広筋、腓腹筋の筋厚と羽状角を比較したところ、腓腹筋においてのみ筋厚と羽状角が減少し、長期間の臥位姿勢の影響が選択的に現れたと説明している。さらに、5名を対象として、10週間のレジスタンストレーニング前後において、上腕三頭筋の筋厚と羽状筋および発揮筋力を測定し、形状は増大したが生埋学的横断面積当たりの筋力は変化しないか、減少する傾向が見られたと報告している。

 以上のように、これまで困難であった人間の生体での筋の形状と活動能力との関係を、新しい技術を応用して直接明らかにしたことは、今後の体育科学の発展に大いに寄与するものであり、博士(教育学)の学位論文として、優れたものであると判断した。

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