学位論文要旨



No 212510
著者(漢字) 永岑,三千輝
著者(英字)
著者(カナ) ナガミネ,ミチテル
標題(和) ドイツ第三帝国のソ連占領政策と民衆 1941-1942
標題(洋)
報告番号 212510
報告番号 乙12510
学位授与日 1995.10.25
学位種別 論文博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 第12510号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 廣田,功
 東京大学 教授 原,朗
 東京大学 教授 奥田,央
 東京大学 助教授 大澤,眞理
 東京大学 助教授 馬場,哲
内容要旨

 米ソ冷戦体制は崩壊し、東西ドイツの統一は平和的に行われた。しかし他方で、世界の各地ではふたたび民族主義的潮流が台頭し、世界の不安定要因の一つとなっている。まさに現在、20世紀をどう総括するかが問われているともいえよう。20世紀末の世界的現実の意味を理解するために、そしてそこでの日本の位置を理解するために、米ソ冷戦体制発生の前提条件と意味内容を解明する課題が、われわれの歴史研究に課せられた重大課題の一つになっていることは間違いないであろう。

 ところが、冷戦体制の一方の極をなすソ連の大国化・覇権化を規定した第二次世界大戦期のドイツ第三帝国との争闘のダイナミズムに関しては、まったくといっていいほど歴史学的研究がなされていない。ドイツ史研究において、戦時期の研究の欠如で戦前と戦後の歴史がつながらないと指摘されたのは、すでにかなり以前のことである。この未開拓の問題に関して、一次史料をもとに、できるだけ一次史料でもって歴史を再構成し、現在の世界の到達点とその意味を確認しようとするのが、本論文の目的とするところである。

 旧ユーゴなど若干の地域を別として、世界の主要諸国が、地球上の多数の諸民族や諸国家とともに、民族排外主義的潮流の跳梁を許していないというのが、現在の世界と人類の到達点の概括であろう。それは、二つの世界大戦の現実、20世紀前半の世界の支配的潮流を考えるとき、決して見逃すことのできない中心的事実である。この事実をふまえて、それを可能にした諸条件を解明する作業の一つとして、ナチズム・第三帝国の歴史と行動を19世紀末から20世紀前半の世界の支配的潮流の中に適切に位置づけること、これが本論文の基本的見地である。

 この見地に立つとき、世界で流布している「ユダヤ人問題」の把握の仕方、ホロコーストの理解の仕方は、根底的に批判されなければならない。そこでは、ナチズムの問題が反ユダヤ主義の問題、ユダヤ人大量虐殺の問題に一面化されているからである。西ドイツを初めとする歴史学会に浸透している史観、その本質においてユダヤ民族主義的・シオニスト的ともいうべき史観を、「ユダヤ人問題」の展開を戦争の総体的連関性の中で実証することによって批判することが、本論文の主要目的の一つである。

 そして、戦争末期のドイツ人民衆の「麻痺」を成り立たせる条件の一つは民族主義的な論理であり、そこでの「ユダヤ人問題」の取り上げ方であり、その処理の仕方である。この「麻痺」の構造の解明は、ドイツ史が経験した戦争からの脱却の別の可能性としての「兵士の反乱」(十一月革命)との内的連関性を問うことでもある。

 民衆の「麻痺」も構造的連関性において解明されなければならない。「麻痺」の構造性とダイナミズムをそのいくつかの要因で解明し、その方法的必要性を指摘する。すなわちこの点からすればあらたな問題提起が、本論文の意図するもう一つの主要点てある。

 まず1章では、ナチズム、ヒトラー把握における「近代化」論的解釈などについて、研究史の批判的総括を行い、問題視角を限定し、上記の課題を設定した。ついで2章では、ドイツ第三帝国の東方政策全体の中にポーランド占領政策とソ連占領政策とを適切に位置づけるべきことを指摘した。そもそも戦時期の実態、占領政策の実態が未解明であることもあって、ポーランドの問題とソ連の問題とが切り離されて理解されている。

 しかし、事実を直視すれば明らかなように、また本章で解明したように、ドイツの領土拡大、民族主義的膨張の論理、ドイツ民族至上主義の基軸論理は、戦局の展開ごとにポーランドとソ連地域とを分け隔てることなく貫徹し、先鋭化する。

 1章におけるヒトラーの論理、2章におけるヒムラーの論理の解明から明らかなように、基軸論理をなすドイツ民族至上主義を把握してはじめて、彼ら、そして第三帝国のユダヤ人迫害政策の展開の意味が理解できる。ドイツ民族を頂点におき、ユダヤ民族を最底辺においてその中間に諸民族を位置づける階層秩序的論理こそは、戦局の展開、とりわけ電撃戦戦略の挫折以後の、すなわち実質的総力戦化の段階でのユダヤ人大量虐殺を必然化するものであったことがわかる。

 しかし、このヒトラーやヒムラーの観念世界に凝結した思想の核心は、第一次世界大戦の煉獄とその帰結から、ドイツ民族主義が導き出したものであること、その世界大戦の総体的連関性との関係を明確にしておかなければならない。彼らの思想は、通常の単純な反ユダヤ主義とはその構造が違うからであり、たんなる伝統的な反ユダヤ主義の継承ではないからである。

 3章は、ほとんど顧みられたことのないドイツ第三帝国のソ連占領政策の基本的内容を、重要なドキュメント(多くはニュルンベルク裁判のために集められた第三帝国の国家・党軍の極秘文書)をもとに、再構成した。そこからは、第三帝国の本質と目的が、たんなる反ユダヤ主義などではないことが歴然とする。そして、あらためて、20世紀前半の世界を支配していた列強(イギリス、フランス、アメリカ、ドイツ、日本、イタリア、そして後にはソ連)の領土膨張・帝国主義・覇権主義の相互連関性の深刻さを明らかにする。

 第三帝国のソ連分割政策は、ヒトラーと第三帝国の首脳にとって、またそれを支持するドイツ人の民衆にとって、時代の当然の要請となっていたからである。こうしたドイツ人の民衆の意識において、ドイツ第三帝国の膨張的あり方への批判はみられないのである。日本の対米英戦、東南アジア侵略の開始は、ドイツ人民衆の驚嘆の的ですらあった。

 4章は、「ユダヤ人」虐殺が占領権力確立の一手段であったことを解明する。ソ連占領開始から半年間に、ソ連地域で行われた数十万人以上のユダヤ人の虐殺が、反ユダヤ主義の自己目的的展開ではなかったことを、特別出動部隊の報告書をもとに追跡した。また、電撃戦戦略の挫折が食糧調達、住宅確保、占領地治安秩序の確立、占領地民衆の統合において提起した諸困難と「ユダヤ人」虐殺との関連性を実証した。

 5章は、総力戦化が民衆の「麻痺」の一転機となることをライヒ保安本部第III局の秘密民情報告をもとに解明し、ドイツ人民衆、占領地一般民衆の統合のための抜本的措置を第三帝国指導部に突きつけたことを明らかにする。

 ドイツ人民衆が不安感にみたされながらも非統合状態にいたらず、占領下のポーランド人やロシア人の一般民衆の苦境が一挙に深刻化しないための隠された食糧供給源、治安維持要因として、「ユダヤ人問題最終解決」への道があったことをみる。また、それは、対ソ前線への新たな大攻勢のために、死活的重要性を持つ前線への交通の結節点であり重要拠点だった総督府の治安秩序を維持することと内的に関連していたことを明らかにする。

 しかし、そのような1942年の全面的な総攻撃のための努力も、ソ連軍の反撃によって、とりわけスターリングラードの敗北に象徴される軍事的敗北によって、無に帰した。その窮地においては、支配下民衆全体の統合の武器とした反ユダヤ主義とユダヤ人虐殺では済まなくなった。支配下民衆のもっと広範な層を犠牲にせざるを得なくなってくる。

 6章は、ドイツ民族至上主義の論理と行動が、この段階において仮借なく一般のポーランド人、一般のロシア人の虐殺へと進む事態を解明する。ナチズムの問題をユダヤ人問題に一面化する議論の問題性は、ここからも歴然となる。

 ソ連赤軍による第三帝国の占領からの解放は、ウクライナ、白ロシア、バルト諸国、そしてポーランドの人々にとって、第三帝国の苛烈な危機転嫁策から解放されることを意味した。しかし、その解放がソ連赤軍の武力によってしかなし得なかったこと、あるいはそれが解放の主たる要因であったことは、あらたな負担を大戦終結後にもたらすこととなった。

 平和の半世紀と主要列強の帝国主義的覇権主義の克服の総体的過程とが、ソ連の東欧支配を形骸化し、ソ連体制の崩壊をもたらした。塹壕の社会化、社会の塹壕化としてのソ連体制、前線社会主義の全社会化としてのソ連社会主義は、世界大戦の危機の希釈化、世界の主要列強における反帝国主義の潮流の民衆的レベルにいたる強靭化なくしては、根底からは形骸化し得なかった。このことが、第二次大戦の占領政策の分析、その悲惨の連鎖の解明を通して、間接的ながら、浮かび上がってくる結論である。

 ところで、本論文の主たる実証範囲は1942年までであり、1943年以降1945年にいたる占領政策の展開とそこでの民族主義的論理の展開は、未解明のままである。この段階におけるドイツ人民衆の意識状況、末期にいたるにしたがって反抗的な雰囲気と反ドイツ的行動の諸形態が広がる外国人労働者の状態、それらと、末期段階においてもなお総力戦遂行にかけるドイツ第三帝国機関の必死の戦争努力とのダイナミズムの解明は、今後の課題である。そこでは、戦後を見通した経済界や「7月20日」のヒトラー暗殺計画に結集したような潮流の戦後構想も、解明されなければならない。本論文は、これら次の課題への問題提起をも意味する。

審査要旨

 1.本論文は、治安警察「民情報告」を中心としたドイツ第三帝国の国家・党・軍関係の膨大な一次史料に依拠して、独ソ戦期のソ連占領政策の策定と展開を、ドイツならびに被占領国の民衆意識の変遷と関連づけながら跡付けたものである。論文の構成と概要は以下のとおりである。

 まず第1章「問題の視角と限定」では、第二次大戦期を、第一次大戦まで遡る「戦前期」と第二次大戦後の「戦後期」との関連のなかでとらえる視点が提示される。第1節では、ヒトラーが第一次大戦の反省から「世界強国ドイツ」の建設を基本戦略として導きだしたこと、第2節では、「ドイツ革命」に帰結した第一次大戦の反省から、「内部崩壊」を避けるためにワイマール体制の経済社会的達成を踏まえた国民生活への配慮を余儀なくされたことが指摘される。第3節は第二次大戦末期のドイツ民衆の意識状態を「麻痺状態」と規定し、そこにドイツの「戦後改革」を方向付けた主体的条件を確認している。

 第2章「ポーランド占領政策の展開と独ソ戦」ではポーランド占領政策を検討し、ソ連占領政策との関連を明らかにするなかで、[ユダヤ人迫害をポーランド人、ソ連人の運命から切り離して不当に一面的に評価するユダヤ民族主義的・シオニスト的歴史解釈」を批判するという、著者のユダヤ人問題に対する基本的立場が提示される。第1節は占領政策の基本的発想について検討し、ポーランド占領政策がドイツ民族を頂点におきユダヤ民族を最底辺におく諸民族の階層的序列化を意図していたことを明らかにし、そこに戦局の展開によってユダヤ人大量虐殺が必然化される根本的理由を指摘している。第2節はポーランド人のライヒへの移住と強制労働の実態を検討し、第3節は占領から独ソ戦開始までのポーランド民衆の意識状態を取り上げ、戦局の展開とともに抵抗、諦観、順応の間を複雑に揺れ動く彼らの意識状態を具体的に描いている。

 第3章「ソ連占領の基本構想と諸目標」は、独ソ戦開戦前後におけるソ連占領政策の内容と目標ならびに開戦直後の民衆意識を検討している。第1節は、西部戦線における電撃戦の勝利の実績、ソ連の軍事力に対する過小評価、国際関係に対する情勢判断などから、ヒトラーの対ソ攻撃秘密指令(「バルバロッサ指令」)が出された背景を指摘している。第2節は、開戦直前特点のソ連占領構想と占領地での行動指針を検討し、オストラント、ウクライナ、コーカサス、ロシアの四地域への分割統治の構想、これら各地域の位置付けと役割、ドイツとその支配圏のための食糧確保の構想、民族的対立を利用した占領統治の方針などに言及しながら、開戦前の「楽観的」構想を詳細に描いている。第3節は、開戦一ヵ月後における占領方針と占領体制の準備状況を検討し、ソ連側の抵抗に直面して武力弾圧が決定され、領土の広さと人材不足から占領地資源の利用が重要物資に限定されていく過程を描いている。第4節では、開戦直後の民衆意識の状態が検討され、ドイツ民衆の「驚きから落ち着きと未来への確信」、支配地域民衆の反ドイツ的感情とさまざまな不安と恐怖の交錯が指摘される。

 第4章「電撃戦戦略の挫折と開戦後半年間の占領実態」では、電撃戦の戦略が破綻する開戦半年後までの時期の占領実態を明らかにしながら、占領政策の困難に対応してユダヤ人虐殺が発生する過程が跡付けられる。第1節は、ドイツ軍に対する占領地住民のテロルにドイツ軍が報復政策をとる陛にユダヤ人が標的となり、占領地における民族的対立を利用しながら占領権力確立の一手段としてユダヤ人虐殺が行なわれたことを明らかにしている。第2節は、戦力損失、労働力・原料・食糧の不足が現実化するにつれて、ドイツ国民のために食糧を確保する必要から占領地に対する「飢餓政策」が必然化し、その結果占領地住民への食糧配給が切り下げられ、貧窮化した占領地住民がユダヤ人掃討を歓迎する状況が生まれていく過程を跡付ける。第3節は、41年末からの「冬の危機」におけるドイツ民衆の意識を検村し、東部戦線膠着に対する失望、兵士の食糧・装備に対する不安、国防軍戦況報告の疑問視の形を取りながら次第に民衆のなかに不安と悲観論が強まっていく過程を跡付け、こうした意識状態のなかにユダヤ人虐殺が展開される基盤を見いだしている。

 第5章「総力戦体制化と占領政策」は、ドイツ軍の一部撤退を契機とする戦局の悪化と長期化にともなう民衆意識の変化、総力戦化に向かう新たな大攻勢構築の努力とその矛盾を検討している。まず第1節では、民衆がさまざまな回路を通じて困難な戦局を察知し、次第に楽観論が弱まって不満がつのり、窮迫化につれてユダヤ人の排除を求めるにいたる過程が描かれる。第2節では、1942年春の新たな大攻勢とそれに対応する占領政策の展開を検討し、軍需品増産の必要に対応してとられた「東方圏経済開発」への動員体制を分析する。第3節は占領地における食糧調達問題を取り上げる。食糧増産をめざして実施された集団農場の解体と農民の協同組合への組織化の試みが成功せず、その結果、パルチザン闘争の温床を生み出しながら占領地からの食糧調達が強化されたことを明らかにしている。

 第6章「総力戦遂行・民衆統合と弱小民族の段階的抹殺」では、総力戦遂行に対応した民衆統合の問題と危機の進化にともなうユダヤ人、ポーランド人など「弱小」民族の抹殺にいたる過程が跡付けられる。まず第1節は、総力戦下の42年2月〜4月段階の民衆意識を検討し、電気・ガスの供給不足や食糧配給の削減にともなって民衆が悲観的となり不満をつのらせながらも、「敗北すれば終わりだ」との心情から総力戦を覚悟したことを明らかにしている。第2節は、東部戦線の膠着、ヨーロッパ全域におけるレジスタンス運動の拡大、民衆の不満や生活苦の広がりに示される危機の進化に対する対抗措置として反ユダヤ主義政策の螺旋的高進が生み出されたことを指摘し、スターリングラード攻撃の準備体制の一環として秩序政策と食糧政策の二重の観点から絶滅収容所の建設とアウシュビッツの虐殺が行なわれた背景を指摘する。また第3節は、同じくドイツ民族至上主義の名において、ロシア人酷使と衰弱死の正当化が行なわれたことを指摘している。

 最後の「むすびにかえて」は、1942年が戦争末期段階の民衆の「麻痺状態」への転換点となったことを指摘し、このような民衆意識が連合国の政策とともに分割統治という戦後ドイツの出発点を規定したことを指摘して戦後史との関連を指摘している。

 2.本論文の最大の功績は、内外のナチス研究においてこれまで研究が手薄であった戦時期を取り上げ、膨大な一次史料の渉猟に基づいて初めて本格的な実証分析を試みたことにある。ナチス台頭の歴史的背景を主たる関心として開始されたわが国のナチス研究は、ナチス体制期の研究に徐々に視野を広げてきたとはいえ、本論文の登場までは戦時期に関する本格的研究は皆無の状態であった。その意味でナチスについて運動の段階から体制の成立と崩壊の全過程についての把握を可能にしたものとして、圧倒的な史実の迫力を軸に生き生きとした歴史の再構成を試みた独自の方法とあわせて、わが国のナチス研究を一段階飛躍させた本論文の意義はきわめて大きいものがある。

 また本論文が占領政策の展開過程の分析と民衆意識の変遷の分析を接合するという新しい試みを中心におき、さらにナチ指導部とドイツ民衆、政治と経済、占領当局と被占領地民衆、占領地間の相互関連など、戦時体制を規定したさまざまな要因の間の相互関連を視野に入れた重層的動態分析をめざしたことも高く評価することができる。本書のこうした方法は、一面では、ナチ体制の指導者層や体制の構造分析に重点をおいた研究方法に対する批判から生まれた「下からの歴史」を標榜する「日常史」研究の問題関心を受けとめながら、他面では、主観的世界の一面的重視や理論化・概念化の軽視といった、この方法が陥りやすい欠陥を避けつつ、新しい方法的可能性を開いたものと評価できる。これまでは指導部の理念、体制の構造、政策に関する研究と民衆の生活・意識に関する研究はともすれば分離する傾向にあったが、本論文はこの二つの領域を意識的に関連づけて一種の方法的「総合」を試み、とりわけ占領地研究を民衆意識のレベルにまで掘り下げたことは特筆すべきであろう。

 さらに以上の独自な方法論に基づいて、食糧問題との関連を軸にしながら、占領政策の展開のなかでドイツ民族優位の階層的民族秩序や民衆意識の変化と有機的に関連づけて、「ユダヤ人問題」を戦争の総体的連関のなかで構造的、重層的に把握する見解を提示し、ナチズムの問題を反ユダヤ主義一般に還元する傾向に対して実証的な批判を展開しえている点も、本書の功績の一つである。

 3.しかし本論文にはいくつかの問題点があることも指摘しなければならない。本論文は「戦時期」を「戦前期」と「戦後期」との関連においてとらえる視点を打ち出しながら、本論の実証部分の叙述と分析をふまえてなされるべき総括ないし結論の部分が欠落しているという編別構成の問題もあって、この視点が生かしきれていない。研究史の整理や本論文の研究史上における位置付けについての説明も十分とはいえず、とくにナチズムと「近代化」問題との関連をめぐる論点については、著者が強調する「戦前期」・「戦後期」との関連をめぐる大きなテーマであるだけに、より立ち入った言及がなされるべきであろうまた本論文の「史実をもって語らしめる」叙述方法の有効性は十分に認められるとしても 著者が指摘する戦争の諸側面・諸要因の相互関連についてのより分析的な総括がなされていない点や、戦時期研究が全体としてのナチス理解にいかなる新たな知見をもたらしたかが積極的に提示されていない点などに、物足りなさが感じられる。

 本論文はとくに戦後ドイツ再建の主体形成の特質を意識して、民衆意識の「麻痺状態」をキーワードとして提示しているが、それについての規定は必ずしも明確ではなく、外国人労働者にまで適用されるなど混乱がみられる。1941〜1942年を対象とした本論文の実証分析を通して浮かび上がる民衆意識は、少なくとも「麻痺状態」と規定される状態とは思われず、この重要な概念が本論文の枠内では十分に論証されてはいない。「麻痺状態」についての説明不足は、民衆意識の把握に際して本論文が依拠した治安警察「民情報告」について、その史料的な限界への配慮が不足していることとあわせて、おおいに問題であると言わねばならない。

 この他若干の問題を指摘すれば、ソ連占領が主題でありながらコルホーズ解体過程の分析やロシア民衆の把握が十分でないことも問題であろう。また本論文はこの時期の「ユダヤ人問題」を「伝統的」反ユダヤ主義の現れとみなす立場を批判しているが、戦争の総体的関連のなかでユダヤ人問題を把握する立場の正当性は納得できるとしても、イデオロギーのレベルでこの時期の反ユダヤ主義と「伝統的」反ユダヤ主義はどのように関連するかが不明瞭である。

 4.以上のような問題点があるとはいえ、本論文は占領政策と民衆意識の結合という新しい方法論に基づいて、ドイツ第三帝国の戦時期に関してきわめて実証密度の高い解明をおこなった先駆的業績として研究史に大きく寄与するものであり、審査委員会は全員一致で本論文の著者が博士(経済学)を授与されるに値するとの結論に達した。

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