糖尿病患者の死亡原因のうち現在増加しているのは、虚血性心疾患・脳血管障害を中心とする粥状動脈硬化症性血管障害である。この粥状動脈硬化症の発症・進展は、糖尿病の罹病期間や重症度、血糖コントロールの状態との間に、細小血管症ほどには相関がみられないことが明らかになりつつあり、血中インスリン値が糖尿病性粥状動脈硬化症の危険因子のひとつである可能性が指摘されている。 内因性高インスリン血症者は、糖尿病患者のうち肥満や軽度耐糖能障害を示すnon-insulin dependent diabetes mellitus(以下 NIDDM)患者・NIDDM発症前のimpaired glucose tolerance(以下IGT)者・肥満者の中に多くみとめられる。そしてこれら患者の一部に、"SyndoromeX"や"Deadly Quartet"と呼ばれる症候群の、粥状動脈硬化症を招来し易い病態がみられると考えられる。 一方インスリン製剤により治療中のinsulin dependent diabetes mellitus(以下IDDM)患者やNIDDM患者の多くに、外因性末梢性高インスリン血症のみられることが指摘されている。またIDDMにおける最良の治療方法として最近海外では定着しつつある膵臓移植は、術後患者に移植片静脈血の体循環系潅流に伴う末梢性高インスリン血症がみとめられ、移植後後期合併症との関連が注目されている。 今回われわれは、末梢性高インスリン血症が糖・脂質代謝及び大動脈壁に及ぼす影響について検討する目的で、正常ラットに移植片静脈血が体循環系に潅流する方法で正常膵を移植し、分泌に調節性を有する内因性・末梢性高インスリン血症モデルを作成した。このモデルでは末梢性高インスリン血症の大動脈壁に及ぼす影響を、粥状動脈硬化症の他の危険因子による影響を除外して検討できると考えられる。また今回Wistar系ラット(WSラット)を用いる(移植群:P群、対照群:C群)と同時に、血管内皮への攻撃因子として高血圧症を有する自然発症高血圧ラット(SHRラット)を用いて同様のモデルを作成した(移植群:PS群、対照群:CS群)。このように膵臓移植を用いた高インスリン血症モデルの作成・検討は、これまで報告されたことはない。 本研究では、まずモデルの確立を目的として移植後経時的に随時・空腹時・静注ブドウ糖負荷試験時の血中immunoreactive insulin(以下IRI)値の測定を行い、このモデルのインスリン分泌の特徴を明らかにした。これによると正常膵2個を有する移植群は、随時血中IRI値が対照群に比して2倍前後の高値となる高インスリン血症がみられた。インスリン感受性の指標であるIVGTTにおける Glu/ IRI(t=0〜180)は、移植9ヶ月後の移植群が対照群のそれぞれ65%(P群)、44%(PS群)であり、インスリン感受性は低下していた(図1)。血糖値とその変動に関しては、移植群と対照群で著変なかった。 図1.WS移植後6ヶ月のIVGTTにおける|R|,血糖の変化. この高インスリン血症モデルを通常飼料で自由摂食させ、体重を経時的に測定したところ、移植群は対照群に比して各時期に有意差をもって増量がみられた。また血清脂質を経時的に測定したところ、移植群の血清総コレステロール値とトリグリセライド値は対照群に比して高値である傾向がみられず、血清脂質への高インスリン血症の影響は明らかではなかった。 移植後9ヶ月間を経過したところで、末梢性高インスリン血症が大動脈壁に及ぼす影響について検討した。粥状動脈硬化症初期病変で主に内膜に沈着するとされるcholesterol ester(以下CE)量を大動脈において測定したところ、SHRラットを用いた移植群は、対照群に比して有意差をもって高値であった(PS群:3.69±1.40mg/g,CS群1.70±1.27mg/g,p=0.0317)。上行大動脈・下行大動脈の光顕所見では、病理学的に明かな粥状硬化病変はみとめなかった。 また粥状動脈硬化症の独立した危険因子である血清total cholesterol(以下TC)値1mg/mlあたりの血管壁中のCE量は、SHRラット(PS群:7.32±2.77mg/g,CS群:2.96±2.16mg/g,p=0.0317)と同様にWSラット(P群:5.68±3.77mg/g,C群:1.95±1.03mg/g,p=0.0426)においても移植群が対照群に比して有意に高値であった。各個体の大動脈壁中のCE値と随時末梢血IRI平均値の相関を示すと、相関係数はR=0.610(p<0.002)であった。また血清TC値1 mg/mlあたりの大動脈壁CE値について同様に求めると、R=0.717(p<0.0001)であった。したがって大動脈壁中のコレステロールエステル値は随時末梢血IRI平均値と強い相関関係がみとめられた(図2)。これは大動脈壁中のCE値が血中インスリンの値によって規定されることを強く示唆するものである。 図表SHR移植後9ヶ月のIVGTTにおける|R|,血糖の変化. / 図2 大動脈壁含有コレステロールエステル量(mg/g dry weight.または mg/g dry weight/TC)と随時血中|R|平均値(pmol/ml)との相関を示す回帰直線.○:WS正常対照群(C) ●:WS全膵十二指腸移植群(P).△:SHR正常対照群(CS)、▲:SHR全膵十二指腸移植群(CS) 次に全身代謝系を介さないインスリンの動脈壁への直接作用を検討する目的で、ウサギ培養平滑筋細胞にインスリンを添加したところ、細胞内CE量を規定する酵素のひとつであるneutral cholesterol ester hydrolase(以下NCEH)を濃度依存的に抑制した。 したがってラット膵臓移植による高インスリン血症は、脂肪細胞においてhormone sensitive lipase(:HSL)活性を抑制して体重を増加させる一方、大動脈壁平滑筋細胞に直接作用してNCEH活性を抑制し、粥状動脈硬化症初期病変に特徴的であるCEの壁内沈着を引き起こしうることが示唆された。 以上、膵臓移植による末梢性高インスリン血症モデルの作成・検討の結果、高インスリン血症は糖・脂質代謝に影響することなく、粥状動脈硬化症の発症・進展に影響を及ぼすことが明かとなった。 |