学位論文要旨



No 212520
著者(漢字) ジアウル,ハッサン
著者(英字)
著者(カナ) ジアウル,ハッサン
標題(和) 競合的PCR法による神経芽腫がん遺伝子N-mycのコピーの数の定量
標題(洋) Competitive Polymerase Chain Reaction for the Quantification of N-myc Gene Copy Number in Neuroblastoma.
報告番号 212520
報告番号 乙12520
学位授与日 1995.10.25
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第12520号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岡山,博人
 東京大学 助教授 別所,文雄
 東京大学 助教授 貫名,信行
 東京大学 講師 平井,久丸
 東京大学 講師 吉川,裕之
内容要旨 研究の目的

 神経芽腫は小児腫瘍の中では、白血病、脳腫瘍に次いで頻度が高く、かつ、至って予後が不良である。これまでの研究から、いくつかの予後判定因子が明らかにされているが、それらの中でがん遺伝子N-mycの増幅の有無が患者の予後と最も深い相関関係にあることが知られている。したがって、Southern hybridization法を用いて腫瘍組織中のN-myc oncogeneの増幅度を定量することは、患者の予後判定上きわめて重要である。しかしながら、Southern hybridization法は遺伝子の定量法としては優れているものの、比較的多量の腫瘍組織と時間、費用を要すること、あるいは手順が繁雑であること等の欠点をもっている。このためより微量の検体からN-myc遺伝子のコピー数を迅速かつ正確に測定する方法の開発が望まれてきた。

 そこで、より簡便で信頼性の高いN-myc増幅度定量法確立を目的として、ポリメラーゼ連鎖反応法(PCR法)に基づいた新たな定量法(競合的PCR法、competitive PCR)の開発を行なった。

研究の内容

 PCRはSaikiらによって開発されたin vitroでの遺伝子増幅法であり、少量の検体量ですみ、かつ短時間で結果が得られるという利便性があるが、定量性には乏しい。Becker-AndreとHahlbrockはPCRの長所を生かしたまま、定量性を持たせた競合的PCR法を考案した。競合的PCRの原理は、定量しようとする鋳型DNAと既知量の類似DNA(競合DNA)とを同一試験管に入れ、1種類のプライマーセットを用いて、増幅反応を行ない、産物DNAの量比から元の鋳型DNA、即ち、定量しようとする鋳型DNAの量を知ろうとする方法である。

1.競合DNAの作成

 このことを可能にするためには類似DNA(競合DNA)と被検DNAとが識別可能であることが必要である。そこで本研究では、N-myc第2エキソンを含む232塩基対領域をPCR領域として設定し、この領域内にある制限酵素Mlu l切断箇所を削除した競合DNAを作製することを企図した。

 ヒトN-myc第2エキソンを含むブラスミドpTNB2をMlu l消化し、生じた一本鎖部分を削った上でセルフライゲーションしたプラスミッドpZH2を作製し、Eco RIで消化して得た直鎖状pZH2をもって競合DNAとした。

 本実験では、試験管に鋳型DNA、200 M dNTP、5 pmolの20-merのセンスおよびアンチセンスブライマー、1.25ユニットTaq DNA polymerase、50 mM KCl、1.5 mM MgCl2、10 mM Tris HCL,pH8.3を混合して総液量を100Lとし、競合的PCRを熱変性96℃ 1分間、プライマーのアニーリング68℃ 1分間、伸長反応72℃ 1分間に設定し、30回の反応を行った。そのうち、初めの1回目の熱変性は4分間に、最後の伸長反応は10分間に設定した。

 競合DNA由来PCR産物は228塩基対であり、ゲノムDNAに由来するPCR産物(232塩基対)に比べ4塩基対短く、またMlu lで切断されない。これに対して、40検体の健常人白血球由来PCR産物は232塩基対で、Mlu lで切断される。以上を予備実験にて確認することが出来たので、当初の計画どおり、pZH2を競合DNAとした競合的PCRが実施可能であると結論した。

2.健常人白血球由来DNAを用いた競合的PCR

 健常人白血球DNA(ゲノム DNA)の希釈列を作成し、一定量の競合DNAを混合して同一試験管内でPCRを行い、各産物DNAをMlu l消化した後、ポリアクリルアミド電気泳動し、エチジウムブロマイド染色した。その結果、用いたゲノムDNA量を増やした場合は124塩基対、および、108塩基対のバンドが強く、逆に、ゲノムDNA量を減らした場合は228塩基対のバンドが強く観察された。さらに、放射性ヌクレオチド(|-32P|dCTP)を加えてPCRを行ったときの反応産物をMlu l消化し、各バンドに含まれる放射活性をBio-Imaging Analyzer(富士 BAS-2000、東京)で測定し、PCR産物の量比(g/c)を求めた。その結果、反応に用いたゲノムDNA量と、PCR産物の量比(g/c)は直線関係にあることが明らかとなり、産物量比(g/c)から反応に参加したN-myc遺伝子コピー数が算定可能であることが明らかとなった。

3.神経芽腫DNAを用いた競合的PCR、および、Southern hybridization法との比較

 計47検体(腫瘍組織34検体、ヌードマウス移植腫瘍6検体、細胞株7検体)について、各200ng用いて当モルの競合DNA(427fg)とともに競合的PCRを行った。PCR産物の一部をMlu l消化し、ボリアクリルアミド電気泳動し、エチジウムブロマイド染色を行なった結果、N-myc増幅陽性腫瘍では、明らかに124塩基対バンドと108塩基対バンドが強く染色された。さらに、2で求めてあった検量線からコピー数を求めることを目的として、[-32P]dCTPを加えたPCRを行い、産物の量比(g/c)から正確なコピー数を求めた。このようにして求めたコピー数と、Southern hybridization法で得られたコビー数とを比較した結果、両者はよく一致し、その相関係数は0.85であった。以上より、本競合的PCR法はSouthern hybridization法に代替可能な、簡便、迅速な方法として、有用であることが示された。また、少量の検体DNA(200ng)で実施可能であることも同時に示された。

考察とまとめ

 競合的PCR法は従来法であるSouthern hybridization法と比べて、試料が少量で済み、迅速であり、また、操作手順が少ないという利点があり、かつその原理に鑑みて正確度も高いと考えられる。現在のところ、まず、エチジウムブロマイド染色法により増幅の有無の判定をし、増幅の認められた検体については放射活性標識ヌクレオチドを用いた方法でより正確なコピー数を求めるという手順で行うのが最も合理的であると思われる。エチジウムブロマイド染色法による判定は、DNAの調製も含めて2日間で済み、また、ラジオアイソトーブを用いた最終判定までを行っても4日間で正確な増幅度が得られる。本法は、今後、針生検材料や内視鏡下生検術で得られる材料など、検体量が極めて限られた症例での応用が特に期待される。

 神経芽腫においてN-myc遺伝子の増幅度や発現の程度を知ることは、予後判定に重要な情報を与えてくれる。増幅度の測定には従來Southern hybridization法が用いられてきたが、近年、PCRの普及に伴い、PCR法に定量性を持たせる試みが多くの研究室で行われるようになった。N-myc遺伝子増幅度測定にPCR法を応用した例としては、differential PCRがあるが、この方法では大まかなコピー数しか求められない。

 以上の背景に基づき、今回、正確なコピー数を知るための競合的PCR法を確立した。本法は競合DNAの調製が必要であることやPCR産物量の数値化が要求されることなどその確立までに若干の煩雑さを伴うものの、その得られた値の信頼度は従来法(Southern hybridization法)と同様に比べきわめて高いと思われる。

 神経芽腫から摘出した47検体(腫瘍組織、ヌードマウス移植株、株化細胞)について得られたコピー数はSouthern hyhridization法による値とよく一致し、本法がSouthern hybridization法にかわる迅速、簡便なN-mycがん遺伝子増幅定量法として有用あることが示された。

審査要旨

 本研究においては、神経芽腫におけるN-myc遺伝子増幅の迅速且つ正確な定量法として競合的PCR法(competitive PCR、略称 cPCR)が新たに開発され、下記の結果が得られている。

 1.癌遺伝子であるN-myc遺伝子増幅の有無は、神経芽腫において患者の予後と最も深い相関関係にあることが知られている。

 2.しかしながら、Southern hybridization法は、遺伝子の定量法としては優れているものの、多くの時間、多量の材料を要すること、あるいは手順が繁雑であること等の欠点を持っている。この為、より微量の検体からN-myc遺伝子のコピー数を迅速且つ正確に判定する方法の開発が望まれてきた。

 3.Becker-AndreとHahlbrockは、PCRの長所を生かしたまま定量性を持つ競合的PCRの手法を考案した。

 4.競合的PCR法とは、定量しようとする鋳型DNAと既知量の類似DNAを同じ反応試験管に入れ、1種類のプライマーセットを用いて、増幅反応を行い、産物DNAの量比から元の鋳型DNAの量を知ろうとする方法である。このことを可能にするためには、類似DNA(競合DNA)と被検DNAとが区別可能であることが必要である。

 5.本研究では、N-myc第2エキソンを含む232塩基対領域をPCR領域として設定し、この領域内にある制限酵素Mlu l切断箇所を削除することにより競合DNAを作成することとした。

 6.このようにして作成した競合DNAを用いて、N-mycに対する競合PCRの手法を完成させた。

 7.次いで、神経芽腫症例のDNAを材料として用い、競合的PCRによるN-mycの値と従来のSouthern hybridizationによる値とを比較した。

 以上のごとく、この競合PCRを用いた実験的研究によりN-mycの増幅度の迅速かつ正確な定量が可能である事が示された。本研究は、これまで神経芽腫において何人も開発していなかった定量法を新たに樹立したものであり、学位の授与に値するものと考えられる。

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