学位論文要旨



No 212541
著者(漢字) 竹迫,紘
著者(英字)
著者(カナ) タケサコ,ヒロシ
標題(和) 武蔵野台地における黒ボク土壌の生成環境とその農業化学的性質
標題(洋)
報告番号 212541
報告番号 乙12541
学位授与日 1995.11.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第12541号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松本,聰
 東京大学 教授 茅野,充男
 東京大学 教授 山崎,素直
 東京大学 教授 八木,久義
 東京大学 助教授 小柳津,広志
内容要旨

 多摩川流域には武蔵野台地と総称される段丘地形が発達し、これらの台地には富士・箱根火山を噴出源とする「関東ローム層」が堆積し、地表には黒ボク土壌が生成・分布している。武蔵野台地の土壌は「野土」とよばれ、生産力が低く、また、水に乏しかったために、近世まで放牧地や株場として利用されるにすぎなっかたが、1654年、玉川上水の開鑿以降、雑木林を造成し、落葉堆肥により、生産力を向上させ「新田開発」された。この台地は高度経済成長期以降、農業形態や景観を大きく変貌させながら現在に至っている。今でも10%を越える耕地率があり、この地域の黒ボク土壌は軟弱野菜の生産地としての役割のほか、400万人の生活空間の緑地として、防災やアメニティーなど公益的役割を持っており、土壌資源としての価値は高い。

 本研究では、第1に、この台地に生成する黒ボク土壌の基本層序と編年(第1図)を明らかにし、各種土壌類型の断面形態、理化学性等、土壌学的手法により、本地域の黒ボク土壌の生成環境を明らかにした。第2に集約的野菜栽培における本地域黒ボク土壌の農業化学的性質を、塩基類の土壌溶液組成濃度-野菜による吸収量-土壌中含量の関係で検討し、その特徴を明らかにした。

第1図 本地域の基本層序と編年

 断面調査、富士山噴出テフラの連続性、スコリア形態、14C年代、考古学層序により、本地域における、更新世後期から完新世までの約3万年の基本層序を明らかにした。立川ローム層中の4層の埋没腐植層、更新世と完新世の境界に位置する青柳ロームおよび特徴的赤色スコリア、完新世の富士黒土層が鍵層として広域対比と環境解析を可能にした。

 更新世と完新世に生成した層位の腐植含量には際だった差異が見られた。更新世では埋没腐植層位でも3%以下であったが、完新世土壌では最大15%の腐植が集積していた。この差異は、植生状態を規制する気候環境により生じており、土壌層位の腐植含量により、気候環境の変遷を解析できると判断された。この手法により、本地域では、約2.1万年前、姶良丹沢(AT)火山灰の降下により、植生が貧弱になったことや、約1万年の青柳ローム形成期も植生が貧弱となる環境であったことが明らかになった。また、立川ローム層中の埋没腐植層で最も明瞭な第2暗色帯でも3%以下であり、これが生成した約2.7万年前のボイドルフ間氷期は、現在より寒冷な気候であったものと考察された。

 完新世の始まり、1万年前以降は腐植含量は増大し、縄文海進期に相当する6690±130y.B.Pを示す富士黒土中層で約15%の最大値を示した。完新世土壌の腐植含量の垂直分布は、過去の気温変化ときわめて関連性が強く、また本地域の考古学資料による人口の推移と関連が深く、腐植含量で本地域の食糧採取量を規制する自然環境の変遷を解析できることが明かになった(第2図)。

第2図 完新世土壌の腐植含量と気候・考古学出土品量の関係

 3万年前からの土壌層位の風化程度を解析すると、約1万年前に生成した腐植含量の少ない青柳ローム層が、全Ca,Na,Siの減少、Feの結晶化の進行などから、これよりも生成年代の古い層位を含め、最も風化が進んでいた。青柳ローム層は寒冷期に生成した土層であり、気候的には風化が強く進行する環境にはないが、その後に生成した富士黒土層準のB層に位置し、高温期の縄文海進期にこの層位まで風化が強く及んだことが原因と考察された。また、この層準の三相分布は、現在においても最も湿潤と乾燥が大きく変動する層位であり、この繰り返しが風化を促進させる要因になるものと考えられた。(第3図)

第3図 元素および三相分布の垂直分布

 陰イオン種の異なる肥料を施用し、キャベツを栽培した試験区の土壌溶液濃度と交換性含量から、Ca,Mg,Kの選択係数をKerrとGaponの交換平衡式により算出すると、吸着順序はK>Ca>Mgとなり、Kが最も選択性が強く、土壌固相から土壌溶液へ放出されにくいイオンであり、従来の知見と異なる結果が得られた(第1表)。

第1表 本地域黒ボク土壌におけるCa,Mg,Kの交換平衡

 本地域の黒ボク土壌のカリウム供給能はCa,Mgのそれに比較すると極めて弱いことが明らかになったが、その原因は、本地域の黒ボク土壌が、全量、難溶性、交換性などの容量因子としてのカリウム含量が極めて少ないためであることが判明した(第2表)。

第2表 全量・熱硝酸可溶・交換態・土壌溶液中のCa,Mg,K含有量

 通常の施肥体系において、キャベツ等の野菜類はカリウム吸収量が施肥量よりも多く、これが本地域の黒ボク土壌のカリウム供給能をさらに低下させる要因であることが明らかになった(第4図)。

第4図 キャベツの収量と塩基類の吸収量
審査要旨

 多摩川流域には武蔵野台地と総称される段丘地形が発達し,これらの台地には富士・箱根火山を噴出源とする「関東ローム層」が堆積し,地表には黒ボク土壌が生成・分布している。武蔵野台地の土壌は「野土」と呼ばれ,生産力が低く,また,水に乏しかったために,近世まで放牧地や採草地として利用されるにすぎなかった。しかし,1654年,玉川上水の開鑿(かいさく)以降,雑木林を造成し,落葉堆肥により,生産力を向上させ,「新田開発」された。この台地はその後,高度経済成長期以降,農業形態や景観を大きく変貌させながら現在に至っているが,現在でも10%を越える耕地率が確保されており,首都東京への生鮮野菜の供給地としての役割のほか,400万人を越える人々の生活空間の緑地帯として,防災やアメニティーなど公益的な役割をもっており,土壌資源としての価値は高い。

 本論文は武蔵野台地の黒ボク土壌の生成環境と農業化学的性質を明らかにし,その土壌資源的意義を検討したもので,大きく2部より構成され,第1部は武蔵野台地に生成する黒ボク土壌の基本層序と編年を明らかにし,各種土壌類型の断面形態,理化学性など,土壌学的手法により,本地域の黒ボク土壌の生成環境を明らかにすることに,第2部では集約的野菜栽培における本地域の黒ボク土壌の農業化学的性質を,塩基類の土壌溶液組成濃度-野菜による吸収量-土壌溶液中含量の関係で検討し,その特徴を明らかにすることにそれぞれ充てられている。

 第1部では,土壌断面調査,富士山噴出テフラの連続性,スコリア形態,14Cによる年代測定,考古学層序により,武蔵野台地における,更新世後期から完新世までの約3万年の基本層序を明らかにした。また,立川ローム層中の4層の埋没腐植層,更新世と完新世の境界に位置する青柳ロームおよび特徴的赤色スコリア,完新世の富士黒土層が鍵層として広域対比と環境解析を可能にした。

 更新世と完新世に生成した層位の腐植含量には際だった差異が見られ,完新世では埋没腐植層位でも3%以下であったのに対して,完新世土壌では最大15%の腐植が集積していた。この差異は,植生状態を規制する気候環境により生じており,土壌層位の腐植含量により,気候環境の変遷を解析できる手法を開発した。この手法により,本地域では,約2.1万年前,姶良丹沢(AT)火山灰の降下により,植生が弱くなったことや,約1万年前の青柳ローム形成期も植生が貧弱となる環境であったことが明らかになった。また,立川ローム層中の埋没腐植層でもっとも明瞭な第2暗色帯でも3%以下であり,これが生成した約2.7万年前のボイドルフ間氷期は,現在よりも寒冷な気候下にあったものと推定された。3万年前からの土壌層位の風化程度を解析すると,約1万年前に生成した腐植含量の少ない青柳ローム層のCa,Na,Si量はこれよりも年代の古い層に比べて少なく,また,Fe結晶化の程度が進行している事実から,青柳ローム層はもっとも風化の進行した土層と推定した。

 第2部では,第1部の武蔵野台地黒ボク土壌の生成環境の考察を受けて,本地域黒ボク土壌の農業生産性の改善策を提案している。陰イオン種の異なる肥料を施用し,キャベツを栽培した試験区の土壌溶液濃度と交換性含量からCa,Mg,Kの選択係数を,KerrとGapponの交換平衡式により算出すると,吸着順序はK>Ca>Mgとなり,Kが最も選択性が強く,土壌固相から土壌溶液へ放出されにくいイオンであり,従来の知見とは異なる結果が得られた。実際,本地域の黒ボク土壌のカリクム供給能けCa,Mgに比べると格段に弱いことが明らかになり,上記の結果が支持されるとともに,その原因として,本地域の黒ボク土壌が,全量,難溶性,交換性などの容量因子としてのカリウム含量がきわめて少ないことによることを明らかにした。また,通常の施肥体系において,キャベツ等の野菜類はカリウム吸収量が施肥量よりも多く,このことが本地域の黒ボク土壌のカリウム供給能をさらに低下させる原因になることを明らかにした。この事実を基に枸溶性(くようせい)の珪酸カリ肥料が本黒ボク土壌のカリウム供給能を高める上で重要な資材であることを示し,珪酸カリウム施用によりキャベツをはじめとする野菜の安定・多収穫の道を拓いた。

 以上を要するに本論文は武蔵野台地における黒ボク土壌の生成環境を明らかにし,その上で,本地域の黒ボク土壌の安定・多収穫を期する農業生産の方策を示したもので,学術上,応用上寄与するところが少なくない。よって,審査委員一同は,申請者に博士(農学)の学位を授与して然るべきものと判断した。

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