学位論文要旨



No 212546
著者(漢字) 中川,智
著者(英字)
著者(カナ) ナカカワ,サトシ
標題(和) 大腸菌を利用した各種有用物質の工業的生産方法に関する研究
標題(洋)
報告番号 212546
報告番号 乙12546
学位授与日 1995.11.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第12546号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 児玉,徹
 東京大学 教授 魚住,武司
 東京大学 教授 高橋,秀夫
 東京大学 教授 堀之内,末治
 東京大学 助教授 五十嵐,泰夫
内容要旨 【第1章】序論

 微生物利用技術を工業的に実用化するために、様々な観点から研究を行うことが必要である。初期の検討項目としては、例えば有用物質や有用酵素の生産菌を広く検索することなどが挙げられる。しかし、その微生物を用いたプロセスがそのまま工業化されることは少なく、経済性という観点からさらに検討を加える必要がある。すなわち、より高機能を有する微生物の単離、変異処理や遺伝子組換え技術を利用した菌株改良、微生物の培養方法、酵素反応を利用したプロセスではその反応方法、生産物の精製方法、など、様々な段階で、高生産性や高効率性などの経済性を考慮した生産プロセスの開発のための検討が必要である。

 我々は、微生物利用技術を工業的レベルで実用化させるための研究を行う過程で、工業的な観点における高効率性や高生産性を達成すること目的として、一連の検討とともに、従来とは異なる新たな視点からの検討を行い、高効率生産法を構築し実用生産に結びつけてきた。

 大腸菌を宿主とした物質生産における研究では、遺伝子工学的な手法を用いた外来遺伝子の高発現化の検討が主体であるが、第2章前半では、Corynebacterium ammoniagenesのFAD合成酵素遺伝子の高発現化について述べる。

 工業化という観点からは、効率的な目的物質の回収も必要である。第2章後半ではFADの副生を防ぎFMNの効率的な生産系の開発について検討した結果について述べた。また第3章では、カタラーゼ活性の無いウリカーゼを効率的に生産するために、カタラーゼ欠損大腸菌を造成し、ウリカーゼ生産に適用した結果について述べる。

 また第4、5章では、培養の観点からの効率化を目指した。第4章では、高密度培養と高発現培養について検討した結果について述べる。最後に第5章では、遺伝子組換えの宿主大腸菌の改良による有用物質の高効率生産法について検討した結果を述べる。

【第2章】フラボキナーゼ/FAD合成酵素の解析と高発現化

 Corynebacterium ammoniagenesのFAD合成酵素は、FAD合成酵素活性とともにフラボキナーゼ活性をも有する2機能酵素であり、リボフラビンからFMN、FADへの変換に関与する。C.ammoniagenesのFAD合成酵素遺伝子はC.ammoniagenesの宿主ベクター系での発現に成功しているが、その活性は酵素反応を利用した工業的プロセスの開発には不十分なものであった。そこで、大腸菌の宿主ベクター系を利用してさらなる高発現化を目指した。

 まずFAD合成酵素遺伝子の塩基配列を解析した結果、開始コドンがGTGであったことから、大腸菌での翻訳効率を高めるためATGへ変更した。また、発現プロモーターについては、trc,lac,trp,trpタンデムなどの各種プロモーターを用いた結果、trpタンデムプロモーターの下流に接続することで高発現が可能になり、C.ammoniagenes野生株の約2000倍の比活性を有する組換え大腸菌の造成に成功した。

 また相同性解析から、C.ammoniagenesのFAD合成酵素は、大腸菌の機能未知のproteinX(北辻、手柴らによりフラボキナーゼ/FAD合成酵素であることが判明)やPseudomonas fluorescensのprotein Xと相同性が認められた。また、Enterobacter aerogenesにもproteinXと相同性の高い領域が存在することから、これらのprotein XがFAD合成酵素であることが示唆された。

 また、リボフラビンからFMNへのリン酸化反応は、生体内ではリン酸供与体としてATPが用いられる反応であるが、工業的な観点から安価なリン酸供与体について検索した。その結果、メタリン酸をリン酸供与体とした時に、リボフラビンからFMNへの変換が認められた。また、FMNからFADへの変換にはATPのアデニル基が必要であることから、ATPを用いた時にはFMNへの変換とともに、FAD副生が問題となるが、メタリン酸をリン酸供与体とした時には、FMNで反応は停止し、効率的なFMN製造法が期待された。

【第3章】カタラーゼ欠損大腸菌宿主の開発とウリカーゼ生産

 有用酵素生産プロセスでは高発現化や効率的な精製方法の検討も必要であるが、第3章では大腸菌宿主の改変による工業的プロセスの開発ついて述べる。

 ウリカーゼは、血中や尿中の尿酸濃度の測定とともに、近年染毛への利用が検討されている。Cellulomonas flavigenaのウリカーゼ遺伝子は大腸菌での高発現化が達成されている。染毛におけるウリカーゼの役割は、尿酸の分解により生成する過酸化水素が色素と反応し染毛を生じる。しかしウリカーゼ製品中にカタラーゼが残存すると、過酸化水素を分解し染毛効果が弱まる。そこで宿主大腸菌のカタラーゼ活性を除去することによる効率的なウリカーゼ生産プロセスの構築を目的として研究を行った。

 大腸菌の2種類のカタラーゼ遺伝子をPCR法により取得し、in vitroで破壊した後、P1ファージ形質導入法により宿主大腸菌(MM294株、MC1000株)の染色体カタラーゼ遺伝子を破壊した。カタラーゼ遺伝子の破壊は大腸菌の生育には影響しないと報告されていたが、ジャーファーメンターによる培養で、MM294株由来のカタラーゼ欠損株の生育とウリカーゼ生産性は、親株より低下した。一方、MC1000株由来のカタラーゼ欠損株の生育とウリカーゼ生産性は親株と同等であった。本菌からはカタラーゼ活性は検出されず、精製工程の簡略化が可能であり、親株から精製した場合と比較して、高収率のウリカーゼ回収が可能となった。

 本方法は、ウリカーゼのみならず、広くオキシダーゼ類の生産に利用できるものである。

【第4章】組換え大腸菌の高密度培養

 組換え大腸菌による物質生産は、遺伝子操作による高発現化とともに、高密度で大腸菌を培養することにより効率化がはかられる。大腸菌の高密度培養に関しては、乾燥菌体重量で100gDCW/1以上が報告されているが、その中には、培養中の溶存酸素濃度を維持するために加圧培養を行ったり、培養中に副生する生育阻害物質である酢酸を透析により除去し培養を行うなど、特殊な装置を用いる方法も含まれており、それらは工業的規模での培養には適したものではないと考えられる。また、蛋白質の生産という観点からみると、組換え大腸菌の培養に関しては、高密度で培養することと同時に高発現を達成することも重要であるが、十分な検討はなされていない。我々は工業的スケールで可能なプロセスの開発を想定したことから、Fed-batch培養法による高密度培養と高発現培養を達成することを目的として研究を行った。

 ウリカーゼ生産性組換え大腸菌を材料に、ジャー培養における培地組成とフィード培地組成、フィード方法、溶存酸素濃度などを検討した結果、検討前の培養方法と比較して、乾燥菌体重量が約2.5倍(77.4gDCW/1)の高密度培養を達成した。また、高密度培養化に伴い遺伝子の発現量が低下することが多数報告されているが、ウリカーゼ活性も従来法の約3倍の活性(1113.3U/ml)を示し、我々は高密度培養と同時に高発現培養も達成した。特に、Fed-batch培養においては、DO-stat法による基質添加よりも、連続的に基質を投入することで高発現が達成された。

【第5章】酢酸耐性変異株を利用した物質生産

 上述したように、効率的な物質生産には、遺伝子操作による高発現化研究や培養法の検討が必要であるが、さらなる効率化のために、高密度培養に適した宿主の開発を目的とした。

 培養中に生成する酢酸は大腸菌の生育を阻害することから、一般には、酢酸蓄積量を低下させるような培養条件を設定し高密度培養を行う。しかし、生育至適条件と外来遺伝子の高発現化のための条件は同一でないことが多数報告されている。そこで、我々は新たな観点として酢酸耐性変異株の取得を行い、高密度培養への応用を試みた。

 得られた酢酸耐性株は、低通気条件下では野生株と同等の酢酸を生産したが、組換えブラスミドを導入させ外来遺伝子を発現させることにより酢酸生成量が低下した。酢酸生成量が低いことは高密度培養において有利であり、野生株が酢酸を蓄積し生育や遺伝子発現量が低下する高糖濃度条件下でも、ウリカーゼ発現プラスミドを導入した酢酸耐性株(MM294株由来)では高密度培養と高発現培養が可能であった。

 また、外来遺伝子の発現量に関しては、酢酸耐性株ではウリカーゼ活性が親株よりも1.4倍増大した。この高発現化の一般性を検討するため、MC1000株から酢酸耐性株を取得した結果、ウリカーゼ生産性は2倍に増大した。また、NY49株由来酢酸耐性株/G-CSF誘導体、MM294株由来酢酸耐性株/モチリン誘導体などでも遺伝子発現量はそれぞれ1.8倍、1.6倍に増大しており、可溶性の蛋白質生産のみならず、顆粒を形成する蛋白質の生産にも適用することが可能であった。すわなち、大腸菌に酢酸耐性変異を付与することにより、遺伝子の発現量を1.5〜2倍程度、増大させることが可能であった。

 以上の結果から、宿主に酢酸耐性能を付与することで、外来遺伝子の高発現化による高生産プロセスが開発できるだけではなく、糖濃度の影響を受けない安定した培養プロセスの構築も可能であると考えられた。

【第6章】まとめ

 組換え大腸菌による工業的な有用物質の生産プロセスにおいて、少しでもその効率を高めるために、発現系の構築、宿主の改良、培養方法の改良などの多くの観点から検討を行い、効率的な物質生産法を確立した。これらのうち、FAD合成酵素を高発現した組換え大腸菌やカタラーゼ欠損大腸菌によるウリカーゼ生産方法は、工業的に利用されている。

 さらに、カタラーゼ欠損株によるオキシダーゼ類の生産、酢酸耐性株による高発現化、高密度培養などは、今回検討した範囲以外にも、広く微生物利用技術の工業化に応用することが可能である。

審査要旨

 微生物利用技術を工業的に実用化するためには,様々な観点から研究を行うことが必要であり,有用生産菌の検索にはじまり,高機能を有する改良菌株の取得,培養および反応方法,生産物の精製方法など各段階でのプロセスの検討が必要である。本研究は,そのようないろいろな観点から研究を行い,そのいくつかにおいては工業的製造法の確立にまで至ったもので6章よりなっている。

 まず第1章で,微生物利用技術を工業的に実用化するためには,多くの段階で経済性を考慮した生産プロセスを構築することが必要であることを述べたうえで,第2章では,各種発現ベクターを構築し,Corynebacterium ammoniagenesのFAD合成酵素を大量発現させたことについで述べている。まず,塩基配列を解析し,プロモーター配列,ATP結合配列,オベロン構造などについて考察するとともに,相同性解析を行い,大腸菌やPseudomonas fluorescensのプロテインXと相同性があることを見い出している。また,各種発現ベクターの構築と翻訳開始コドンの改変により,大腸菌での大量発現を達成している。また,C.ammoniagenesからメタリン酸なリン酸供与体として利用できるフラボキナーゼ活性を見い出し,FADの副生のないリボフラビンからの効率的なFMN製造法が可能であることを示している。

 第3章では,大腸菌宿主の改良による効率的なタンパク質製造法の確立について述べている。過酸化水素を継続的に生成するのでワリカーゼを染毛反応に利用することが望まれるが,その際にはカタラーゼの完全な除去が必要であるため,効率的なワリカーゼ生産プロセスの構築を目指して研究を行っている。まず大腸菌の2種類のカタラーゼ遺伝子を取得しin vitroで破壊した後,P1ファージ形質導入法により宿主大腸菌の染色体カタラーゼ遺伝子を破壊し,ワリカーゼ発現プラスミドを導入した。その結果,MC1000株由来のカタラーゼ欠損株の生育とウリカーゼ生産性は親株と同等であり,かつ欠損株からはカタラーゼ活性は検出されず精製工程の簡略化が可能となり,高収率のウリカーゼ回収が可能となったことを示している。

 第4章では,高密度培養による効率的な物質生産法について述べている。ウリカーゼ生産性の組換え大腸菌を材料に,ジャー培養における培地組成とフィード培地組成,フィード方法,溶存酸素濃度などを検討した結果,乾燥菌体重量で77.4g DCW/1の高密度培養に成功,ウリカーゼ活性も1113.3 U/mlとなり,高密度培養と同時に高発現培養も達成している。なお,その際の基質の添加方法に関しては,DO-stat法よりも連続的に基質を投入することが重要であることを示している。

 第5章では,高密度培養に適した宿主の開発について述べている。大腸菌宿主から取得した酢酸耐性変異株は,低通気条件下では野生株と同等の酢酸を生産したが,組換えプラスミドを導入し,外来遺伝子を発現させることによって酢酸生成量が低下し,野生株において酢酸を蓄積して生育や遺伝子発現量が低下するような高糖濃度条件下でも,ウリカーゼ発現プラスミドを導入した酢酸耐性株では高密度培養と高発現培養が可能であることを示した。また,酢酸耐性株ではウリカーゼ活性が親株よりも1.4倍増大した。この高発現化の一般性を検討するため,MC1000株からも酢酸耐性株を取得した結果,同様にウリカーゼ生産性が増大することが示された。また,NY49株由来酢酸耐性株/G-CSF誘導体,MM294株由来酢酸耐性株/モチリン誘導体など複数の酢酸耐性株を造成し,いずれの株においても遺伝子発現量が増大していることから,大腸菌に酢酸耐性変異を付与することで遺伝子発現量を1.5〜2倍程度増大させることができることな見い出している。さらに,宿主に酢酸耐性能を付与することで,糖濃度の影響を受けない安定した培養プロセスの構築も可能であることを示している。

 以上要するに,本研究は組換え大腸菌による工業的プロセスを構築するにあたり,発現系の構築,宿主の改良,培養方法の改良などの多くの観点から検討を行い,効率的な物質生産法の確立に成功したもので,これらのうちFAD合成酵素を高発現することに成功した組換え大腸菌やカタラーゼ欠損大腸菌によるウリカーゼ生産方法は工業的に利用されており,その他,本研究で得られた諸成果は,広く微生物利用技術の工業化に応用することが可能であり,学術上,応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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