好アルカリ性BacillusはpH7.5〜11で良好な生育を示し、その生育にNa+イオンを要求する。また、運動性やアミノ酸などの物質の取込みにもNa+イオンを必要とすることを特徴としている。好アルカリ性Bacillusの菌体内pHはアルカリ環境下においてもほぼ中性であると考えられるため、このpH差の維持には細胞表層、特に細胞膜が重要な役割を果たしていることが考えられた。そこで本論文においては、細胞表層における諸機能の解明を通じて好アルカリ性Bacillusのアルカリ環境適応機構を解明するため、分子生物学的アプローチを試みた。 第一章では、好アルカリ性細菌についての概論と本研究の目的、更に本論文の概要について述べた。 第二章では,好アルカリ性Bacillusの標準菌株として好アルカリ性Bacillus sp.C-125株(以下C-125株)を選定し,その生理学的性質について述べた。 C-125株は典型的な好アルカリ性Bacillusであると共に、枯草菌に近縁であること、最小培地で生育できること、形質転換系が確立されたことから、本菌を好アルカリ性Bacillusの標準菌株として選定し、解析を進めた。 第三章では、アルカリ感受性変異株の取得について述べた。 C-125(Trp-,Ura-)株を親株としてニトロソグアニジン処理し、約7万の変異処理株の中からアルカリ感受性変異株21株を得た。得られた変異株について生育pHを調べたところ、pH8.5でも生育できなくなった株が6株あった。この6株のうち5株は分裂異常を起しフィラメント状の形態を有しており、残り1株は菌体内pH調節能を欠損していた。これらの中から、生育が安定しており、リバータントの出現率も低かったNo.18224株と、菌体内pH調節能を欠損していたNo.38154株を以後の検討に用いることとした。 第四章では、"好アルカリ性"を付与する遺伝子のクローニングとその解析について述べた。 C-125株染色体DNAを制限酵素を用いて分解し、得られたDNA断片をpHW1プラスミドに連結した。それを第三章で得たアルカリ感受性変異株に導入し、"好アルカリ性"を回復させる遺伝子のクローニングを行なった。その結果、No.18224株を宿主とし同株にアルカリで生育できる能力を付与するプラスミドpALK1を得た。また同様に、No.38154株を宿主としpALK2を得た。このpALK2を導入した形質転換株No.38154(pALK2)株は、"好アルカリ性"の回復と同時に菌体内pH調節能も回復していた。次に、クローニングされた遺伝子を解析した結果、それぞれ約2kbpの親株由来染色体DNA断片を含み、約1.6kbpの共通DNA領域を有していた。この結果は、この領域に"好アルカリ性"を支配する遺伝子群が存在していることを示唆するものであった。 第五章では、pALK2上流遺伝子のクローニングと、pALK遺伝子群の解析について述べた。 pALK遺伝子群の全貌を明らかにする目的で、大腸菌を用いたコロニーハイブリダイゼーション法により、pALK2挿入DNA断片の5’上流領域のクローニングを行なった。その結果、約2.9kbpのEcoR1-Sph1断片を含むプラスミドpALK4119を得ることができた。続いて、pALK4119の挿入DNA断片をpHW1プラスミドに繋ぎ換え、一旦Bacillus subtilis No.1012(res-)に導入した後、C-125株に導入することにより、pALK4を取得することができた。クローニングされたpALKプラスミド全ての挿入DNA断片について全塩基配列を決定し解析した結果、全長約3.7kbpで、3つの完全なORFと1つのC末が欠けたORFが、僅かずつの重なりあいを持ちながらクラスターをなして存在していることがわかった。これら4つのORFの開始コドンの上流には、典型的なShine-Dalgarno(SD)配列が認められた。また、いずれのORFがコードする蛋白質も疎水性が高く、膜蛋白質である可能性が示唆された。 第六章では、アルカリ感受性変異株No.18224株の解析について述べた。 No.18224株にアルカリで生育できる能力を付与するpALK1をサブクローニングした結果、PvuI-Nla IVの0.4kbpのDNA領域で相補できることがわかった。この領域は122アミノ酸をコードするORF3に対応した。データベースを用いてORF3と相同性を有する遺伝子の検索を行なったが、有意な相同性を示す遺伝子は検出されなかった。次に、No.18224株の変異点を明らかにするため、No.18224株染色体DNA上のORF3に相当する領域のクローニングを行ない、その塩基配列を決定した。その結果、ORF3がコードする蛋白質の第82番目のアミノ酸は、親株ではGGGがコードするグリシンであったものが、No.18224株ではGAGがコードするグルタミン酸に変化していることが確認された。 第七章では、アルカリ感受性変異株No.38154株の遺伝生化学的解析について述べた。 No.38154株にアルカリで生育できる能力を付与するpALK2をサブクローニングした結果、Bcl1-Acc1の248bpのDNA領域で相補できることがわかった。この領域は804アミノ酸をコードするORF1の一部に対応した。次に、No.38154株の変異点を明らかにするため、No.38154株染色体DNA上のBcl1-Acc1領域のダイレクトシークエンシングを行なった結果、ORF1がコードする蛋白質の第393番目のアミノ酸は、親株ではグリシンをコードするGGAであったものが、No.38154株ではアルギニンをコードするAGAに変化していることが確認された。さらに、No.38154株に"好アルカリ性"を付与するプラスミドを導入した形質転換株では、染色体DNAとプラスミドDNAとの間で遺伝子置換が起こることにより変異点が修復され、"好アルカリ性"が回復することが確認された。データベースを用いてORF1と相同性を持つ遺伝子の検索を行なった結果、NADH-ユビキノンーオキシドリダクターゼchain5とORF1のN末領域とが相同性を有することが判った。また、同酵素の一次構造において高い保存性が認められる3つのドメインについてORF1との相同性を見たとき、特に高い相同性が認められた。以上のことから、ORF1がコードする遺伝子産物と同酵素とが、一部同じ機能を有している可能性が高いと考えられた。また,Krulwichらが、好アルカリ性細菌Bacillus firmus OF4株よりクローニングした、大腸菌の補助的なNa+/H+アンチポーターの変異(nhaA)を相補する遺伝子とORF1とを比較したところ、ORF1のC末端領域308アミノ酸残基中21.8%の相同性を有していた。 第八章では,アルカリ感受性変異株No.38154株の生理学的解析について述べた。 これまでに得られた結果から、ORF1のコードする蛋白質は、直接もしくは間接的に菌体内pH調節能に関与するものであろうと考えられた。そこで、この菌体内pH調節能について、RSO膜小胞を用いてより詳細に生理学的解析を行なった。その結果、膜小胞内へのH+の流入およびNa+の排出は依存性、すなわち膜内の電位をマイナスにすると起こることが確認された。また、No.38154株はその依存性Na+/H+アンチポート活性が欠失したため、アルカリ環境下において菌体内pH調節ができなくなり、"アルカリ感受性"となったものと考えられた。さらに、pALK遺伝子の導入により好アルカリ性の回復した形質転換株は、この依存性Na+/H+アンチポート活性も回復していることが判った。また、この依存性Na+/H+アンチポーターは、アルカリ環境下で誘導されてくることも判った。 以上得られた結果から、ORF1のコードする遺伝子産物は依存性Na+/H+アンチポーターそのものであると考えられた。さらに、ホモロジー検索の結果から1つの可能性として、ORF1のコードする蛋白質のN末部分は、電子伝達系と直接または間接的に連絡していることも考えられた。そこで、C-125株の依存性Na+/H+アンチポーター系として、電子伝達系とカップリングしたモデルを提案した。好アルカリ性細菌において、電子伝達系により排出されたプロトンの効率的な利用を考えたとき、このモデルの可能性は非常に意味のあるものである。今後このような観点から、再構成系を用いて研究を進めていく必要があると考えられる。 第九章では、C-125株の染色体地図の作成について述べた。 C-125株のアルカリ環境適応機構についてより詳細に遺伝学的解析を進めていくためには、染色体地図の作成が不可欠である。そこでまず、C-125株のゲノムサイズを検討したところ、全長約3.7Mbであり、B.subtilis(4.2Mb)やB.cereus(5.7Mb)のゲノムに比べかなり小さなサイズであった。次にAsc1で切断したフラグメントについて解析を行ない、染色体地図の作成を行なった。構築されたC-125株の染色体地図をB.subtilisのものと比較してみると、クローニングされているほとんどの遺伝子はほぼ同じ位置に存在し、Bacillus属全体でよく保存されている可能性が示唆された。今後、染色体上の遺伝子の位置と対応させながら、"好アルカリ性"に関与する遺伝子の解析を進めていくことにより、進化論的立場からの研究も含め、より総合的に好アルカリ性Bacillusの"好アルカリ性"に関する研究が進展することが期待される。 |