食品加工において酵素は広い範囲で利用されており、とりわけ伝統食品の調理加工における酵素の活用は興味深く、工業的応用を指向した新しい調理学である調理工学の視点からこれを研究する意義は大きい。本論文はプロテアーゼおよびプロテアーゼインヒビターの調理工学的研究について述べたもので、4章からなっている。 第1章で研究の背景と意義について概説した後、第2章ではプロテアーゼの活用について福岡地方の豆腐味噌漬けを研究対象として述べている。福岡地方の豆腐味噌漬けは、豆腐を味噌漬け専用の味噌に4〜14日、4℃で浸漬することにより作製されるもので、独特のソフトチーズ様の風味とテクスチャーを持つ大変ユニークで嗜好的に優れた食品である。豆腐味噌漬けの特徴の生成要因の1つは味噌原料の麹に由来するプロテアーゼによる豆腐タンパク質の低分子化であることが判明した。そこで、この麹から、豆腐タンパク質を分解し独特の風味とテクスチャーを付与するプロテアーゼを精製し、その性質を調べた。酵素は、抽出後、DE52クロマトグラフィー、セファクリルS-300によるゲルろ過、モノQクロマトグラフィー、スーパーローズ12ゲルクロマトグラフィーにより精製した。その結果、スーパーローズ12活性画分は分子量約23kDaの単一バンドを示し、精製が確認された。この活性画分に浸漬した豆腐は豆腐味噌漬け同様の風味とテクスチャーを持ち、浸漬時間の経過とともに同様の分解様式でタンパク質の分解がみられたことから、豆腐味噌漬けの風味とテクスチャーの成因となっているのはこの23kDa酵素であることが確認された。本酵素の至適pHはカゼインを基質としたときは6、豆腐を基質としたときは3-4であり、阻害剤の影響から金属プロテアーゼであると考えられ、耐塩性、耐熱性であることが判明した。N末端からのアミノ酸配列を解析したところ、本酵素はAspergillus oryzaeの中性プロテアーゼIIと同一あるいは類縁のものであろうと考えられた。さらにこの酵素を他の食品に応用することを試みた。酵素液に浸漬した食品のうち、加熱して凝固させた卵白、かまぼこ、チーズは、酵素液に浸漬したもののほうが明らかに柔らかく、嗜好性の高い食品になることから、本酵素を用いた新しい食品を開発する可能性が示唆された。 第3章ではプロテアーゼインヒビターの活用について、米種子中に存在する食用可能なシステインプロテイナーゼインヒビター(オリザシスタチン)を取り上げて述べている。食肉の熟成は風味の向上と軟化において重要な工程である。パパインは熟成促進剤として食肉の熟成に広く用いられているが、しばしば過熟の問題を起こす。本論文ではオリザシスタチンを用いてパパインによる食肉の熟成を制御し、過熟の問題を解決することを試みた。屠殺後3日間経過した牛の外もも肉を用いて実験を行ったところ、2%パパイン溶液に2時間浸漬した場合、最も好ましい状態になったが、この時点でオリザシスタチン処理すると筋原繊維タンパク質の分解を制御することができ、このため食肉の過熟を抑制することができた。また、ゼラチンゼリー凝固に及ぼすキウイフルーツプロテイナーゼ(アクチニジン)とインヒビター(オリザシスタチン)の影響についても検討した。キウイフルーツはシステインプロテイナーゼであるアクチニジンを含んでいるため、ゼラチンを用いたデザート菓子に生の果肉を加えるとゼラチンが分解し、凝固しなくなる。あらかじめ加熱処理してアクチニジンを失活させればゼラチンは凝固するが、新鮮な風味や美しい色が加熱によって失われてしまう。そこでオリザシスタチンを用いて、生のキウイフルーツを用いたゼラチンゼリーを調製したところ、ゼラチンの分解を抑止し、凝固させることができた。この方法は、生鮮果実の使用によって生じる食品加工上の大きな問題の1つを解決するものとして、応用範囲が広いと考えられる。 以上本論文は、福岡地方の豆腐味噌漬けの風味とテクスチャーの成因となるプロテアーゼを特定、精製し、このプロテアーゼの酵素学的性質を明らかにした上で、さらに高タンパク質食品への応用により新規食品の開発の可能性があることを示した。また酵素を用いた食品加工のインヒビターによる制御という新しい概念を導入したものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)論文として価値あるものとして認めた。 |