学位論文要旨



No 212549
著者(漢字) 舟木,淳子
著者(英字)
著者(カナ) フナキ,ジュンコ
標題(和) プロテアーゼおよびプロテアーゼインヒビターに関する調理工学的研究
標題(洋)
報告番号 212549
報告番号 乙12549
学位授与日 1995.11.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第12549号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 荒井,綜一
 東京大学 教授 児玉,徹
 東京大学 教授 中村,厚三
 東京大学 教授 上野川,修一
 東京大学 助教授 清水,誠
内容要旨

 食品加工において酵素は広い範囲で利用されている。とりわけ伝統食品の調理加工における酵素の活用は興味深く、これを調理工学の見方から研究する意義は大きい。

 福岡地方には豆腐味噌漬けという非常に優れた食品があるが、これまでまったく研究が行われてこなかった。本研究ではこの豆腐味噌漬けを研究対象にしてプロテアーゼの調理工学的活用の実態を例示することを目的とした。また、プロテアーゼを添加して食品の品質の改善をはかるときに、その反応が制御できず、新たな欠点が生じる場合や、食品内に存在するプロテアーゼが加工の際に障害になる場合がある。本研究ではプロテアーゼインヒビターの活用例を提示し、これらの問題を解決することをも併せて試みた。

1 プロテアーゼ1-1 福岡地方の豆腐味噌漬け熟成中の変化

 福岡地方の豆腐味噌漬けは、豆腐を味噌漬け専用の味噌に4〜14日40℃で浸漬することにより作製される。独特のソフトチーズ様の風味とテクスチャーを持つ大変ユニークで嗜好的に優れた食品である。豆腐味噌漬けは漬け込む日数が長いほどチーズ様の味が増し、柔らかくなることが官能検査によりわかった。硬さはレオメーターによる咀嚼試験によっても、漬け込み期間にともなって減少し、味やテクスチャーの変化は、SDS-PAGEにより観察した豆腐タンパク質-特に76kd、72kd、53kd、37kd-の分解と相関性が高かった。このことから豆腐味噌漬けの独特の風味とテクスチャーの生成の一要因は味噌原料の麹由来のプロテアーゼによる豆腐タンパク質の低分子化によるものであった。

1-2 福岡地方の豆腐味噌漬けの熟成の原因となるプロテアーゼの精製

 味噌原料の麹から豆腐タンパク質を分解し、独特の風味とテクスチャーを付与するプロテアーゼを精製し、その性質を調べた。酵素は味噌原料麹から抽出し、DE52クロマトグラフィー、セファクリル-300によるゲルろ過、モノQクロマトグラフィー、スーパーローズ12ゲルクロマトグラフィーにより精製した。活性はカゼインを基質として測定したものを指標にし、酵素液浸漬豆腐を作製し、豆腐のタンパク質を分解した画分のみを活性画分として精製を進めた。その結果、スーパーローズ12活性画分は分子量約23kdのバンドのみで、精製されたことが確認され、この活性画分を用いて諸性質を検討した。酵素浸漬豆腐は豆腐味噌漬け同様の風味とテクスチャーを持ち、浸漬時間の経過とともに豆腐味噌漬け同様の分解様式で76kd、72kd、53kd、37kdのタンパク質の分解がみられた。このことから、豆腐味噌漬けの風味の成因となっているのはこの酵素であることが確認された。本酵素のN末端からのアミノ酸配列はTEVTDXKGDAでありデータベースから類似性を検索したところ、Aspergillus oryzaeの中性プロテアーゼIIと一致した。本酵素の至適pHはカゼインを基質としたときは6、豆腐を基質としたときは3-4であった。阻害剤の影響を検討したところ、EDTAで強く阻害され、金属プロテアーゼであった。30%NaClを添加しても全く活性の低下が見られなかった。また90%で10分間または沸騰水中で20分間加熱しても活性の低下が見られず、耐熱性であることが判明した。A.oryzaeの中性プロテアーゼIIは、金属プロテアーゼであり、至適pHは5.5-6、90℃で10分間の加熱で70%以上活性を保持し、18%食塩を添加で50%失活するとしており、食塩の影響以外は本酵素の性質とほぼ一致している。おそらく本酵素はA.oryzaeの中性プロテアーゼIIと同一あるいは近縁のものであろうと考えられる。

1-3 麹由来のプロテアーゼを応用した新しい食品の開発

 本酵素液に浸漬した豆腐は豆腐の味噌漬けに類似した風味とテクスチャーを持ち植物性チーズとして利用することも可能であると考えらる。これと同様にしてタンパク質含量の高い食品に本酵素を作用させ、もとの食品とは異なった風味やテクスチャーをもつ食品を試作した。酵素液に浸漬した食品のうち煮熱大豆は変化がなかったが、加熱して凝固させた卵白、かまぼこ、チーズは、酵素液に浸漬したもののほうが明らかに柔らかく、嗜好性の高い食品になっていた。また豆乳に酵素液を添加し50℃で保温すると、2時間後にはソフトゲル状に凝固していた。いずれの食品の場合も対照として緩衝液を使用したさいにはまったく変化が認められないことから、本酵素によるタンパク質の分解がこれらの食品の変化の成因であると考えられ、本酵素を用いた新しい食品を開発する可能性を示すことができた。

2 プロテアーゼインヒビター2-1 コメ種子のシステインプロテイナーゼインヒビター(オリザシスタチン)を利用した食肉の熟成

 食肉の熟成は風味の向上と軟化において重要な工程である。パパインは熟成促進剤として食肉の熟成に広く用いられているが、しばしば過熟の問題を起こす。本研究では米種子中に存在する食用可能なシステインプロテイナーゼインヒビターであるオリザシスタチンを用いてパパインによる食肉の熟成を制御し、過熟の問題を解決することを試みた。屠殺後3日間経過した牛外もも肉を用いて実験を行ったところ、2%パパイン溶液に2時間浸漬した場合、最も好ましい状態になった。2%パパインに2時間浸漬した肉は、24時間浸漬した肉の様な軟化しすぎがみられず、表面のざらつきもほとんど感じられなかった。そこで2時間でパパイン反応を止めた。パパイン溶液に2時間浸漬後、オリザシスタチン処理し、その後22時間経過した肉を、オリザシスタチン処理しないで同様に22時間置いた肉と比較すると、オリザシスタチン処理した肉は過軟化が抑えられており、表面のざらつきも少なく、全体的な評価で好まれた。

 パパイン溶液に2時間浸漬後、オリザシスタチン処理し2時間置いた肉の筋原繊維タンパク質のSDS-PAGEパターンは、2時間パパイン溶液に浸漬した肉の筋原繊維タンパク質のSDS-PAGEパターンと同じであった。またパパイン処理しない肉から抽出した筋原繊維タンパク質にパパインを反応をさせ、その後オリザシスタチンを添加すると、添加した時点でミオシン重鎖、トポロミオシン、ミオシン軽鎖などの筋原繊維タンパク質の分解が止まった。

 これらのことから、オリザシスタチンはパパインによる筋原繊維タンパク質の分解を制御することができ、このためオリザシスタチンを用いてパパインによる食肉の過熟が制御できた。

2-2 ゼラチンゼリー凝固に及ぼすキウイフルーツプロテイナーゼ(アクチニジン)とそのインヒビンター(オリザシスタチン)の影響

 キウイフルーツはシステインプロテイナーゼであるアクチニジンを含んでいるため、ゼラチンを用いたデザート菓子に生の果肉を加えるとゼラチンが凝固しなくなる。あらかじめ加熱処理すればゼラチンは凝固するが、新鮮な風味や美しい色が失われてしまい好ましくない。そこで加熱しないキウイフルーツを用いたゼラチンゼリーを調整した。アクチニジンによりゼラチンの主要なバンドである130kdおよび118kdのバンドが消失し低分子のバンドが現われることがSDS-PAGEによりわかった。しかしアクチニジンを不活性化するのに十分な量のオリザシスタチン存在下では130kd及び118kdのバンドは消失しなかった。オリザシスタチンがアクチニジンによるゼラチンの分解を制御することができたため、さらにオリザシスタチンを実際のゼラチンゼリー作成に適用した。ゼラチンの130kdおよび118kdのタンパク質を完全に分解させる量のアクチニジンを含むキウイフルーツホモジネートを加えるとゼラチン液は凝固しなかったが、このときオリザシスタチンを適量-キウイフルーツの中のアクチニジンを阻害しゼラチンタンパク質の分解を止める量-を添加するとゼラチン液は完全に凝固した。また、キウイーフルーツの果肉を加えてもオリザシスタチンを添加することによりゼラチン液を凝固させることができた。これらのことによりオリザシスタチンによりゼラチンの130kdおよび118kdのタンパク質のアクチニジン分解が制御され、キウイーフルーツを用いたゼラチンゼリーを凝固させることができた。

審査要旨

 食品加工において酵素は広い範囲で利用されており、とりわけ伝統食品の調理加工における酵素の活用は興味深く、工業的応用を指向した新しい調理学である調理工学の視点からこれを研究する意義は大きい。本論文はプロテアーゼおよびプロテアーゼインヒビターの調理工学的研究について述べたもので、4章からなっている。

 第1章で研究の背景と意義について概説した後、第2章ではプロテアーゼの活用について福岡地方の豆腐味噌漬けを研究対象として述べている。福岡地方の豆腐味噌漬けは、豆腐を味噌漬け専用の味噌に4〜14日、4℃で浸漬することにより作製されるもので、独特のソフトチーズ様の風味とテクスチャーを持つ大変ユニークで嗜好的に優れた食品である。豆腐味噌漬けの特徴の生成要因の1つは味噌原料の麹に由来するプロテアーゼによる豆腐タンパク質の低分子化であることが判明した。そこで、この麹から、豆腐タンパク質を分解し独特の風味とテクスチャーを付与するプロテアーゼを精製し、その性質を調べた。酵素は、抽出後、DE52クロマトグラフィー、セファクリルS-300によるゲルろ過、モノQクロマトグラフィー、スーパーローズ12ゲルクロマトグラフィーにより精製した。その結果、スーパーローズ12活性画分は分子量約23kDaの単一バンドを示し、精製が確認された。この活性画分に浸漬した豆腐は豆腐味噌漬け同様の風味とテクスチャーを持ち、浸漬時間の経過とともに同様の分解様式でタンパク質の分解がみられたことから、豆腐味噌漬けの風味とテクスチャーの成因となっているのはこの23kDa酵素であることが確認された。本酵素の至適pHはカゼインを基質としたときは6、豆腐を基質としたときは3-4であり、阻害剤の影響から金属プロテアーゼであると考えられ、耐塩性、耐熱性であることが判明した。N末端からのアミノ酸配列を解析したところ、本酵素はAspergillus oryzaeの中性プロテアーゼIIと同一あるいは類縁のものであろうと考えられた。さらにこの酵素を他の食品に応用することを試みた。酵素液に浸漬した食品のうち、加熱して凝固させた卵白、かまぼこ、チーズは、酵素液に浸漬したもののほうが明らかに柔らかく、嗜好性の高い食品になることから、本酵素を用いた新しい食品を開発する可能性が示唆された。

 第3章ではプロテアーゼインヒビターの活用について、米種子中に存在する食用可能なシステインプロテイナーゼインヒビター(オリザシスタチン)を取り上げて述べている。食肉の熟成は風味の向上と軟化において重要な工程である。パパインは熟成促進剤として食肉の熟成に広く用いられているが、しばしば過熟の問題を起こす。本論文ではオリザシスタチンを用いてパパインによる食肉の熟成を制御し、過熟の問題を解決することを試みた。屠殺後3日間経過した牛の外もも肉を用いて実験を行ったところ、2%パパイン溶液に2時間浸漬した場合、最も好ましい状態になったが、この時点でオリザシスタチン処理すると筋原繊維タンパク質の分解を制御することができ、このため食肉の過熟を抑制することができた。また、ゼラチンゼリー凝固に及ぼすキウイフルーツプロテイナーゼ(アクチニジン)とインヒビター(オリザシスタチン)の影響についても検討した。キウイフルーツはシステインプロテイナーゼであるアクチニジンを含んでいるため、ゼラチンを用いたデザート菓子に生の果肉を加えるとゼラチンが分解し、凝固しなくなる。あらかじめ加熱処理してアクチニジンを失活させればゼラチンは凝固するが、新鮮な風味や美しい色が加熱によって失われてしまう。そこでオリザシスタチンを用いて、生のキウイフルーツを用いたゼラチンゼリーを調製したところ、ゼラチンの分解を抑止し、凝固させることができた。この方法は、生鮮果実の使用によって生じる食品加工上の大きな問題の1つを解決するものとして、応用範囲が広いと考えられる。

 以上本論文は、福岡地方の豆腐味噌漬けの風味とテクスチャーの成因となるプロテアーゼを特定、精製し、このプロテアーゼの酵素学的性質を明らかにした上で、さらに高タンパク質食品への応用により新規食品の開発の可能性があることを示した。また酵素を用いた食品加工のインヒビターによる制御という新しい概念を導入したものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)論文として価値あるものとして認めた。

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