学位論文要旨



No 212550
著者(漢字) 柴田,道夫
著者(英字)
著者(カナ) シバタ,ミチオ
標題(和) 夏秋ギク型スプレーギクの温度・日長反応と育種に関する研究
標題(洋)
報告番号 212550
報告番号 乙12550
学位授与日 1995.11.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第12550号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 崎山,亮三
 東京大学 教授 井手,久登
 東京大学 教授 秋田,重誠
 東京大学 教授 長戸,康郎
 東京大学 助教授 杉山,信男
内容要旨

 1974年,欧米において周年省力生産用に品種改良されたスプレーギク(Dendranthema grandiflorum(Ramat.)Kitamura)がわが国に導入されたが,わが国の夏季の高温がスプレーギクに著しい開花遅延と切り花品質の低下をもたらしたために,わが国における周年生産は困難なものとなった.キクは開花に関して短日性であり,光周性の発見以降,日長を調節することによって周年にわたって開花させる技術がアメリカで開発され,今日に至っている.欧米では秋に自然開花する秋ギクが切り花生産に利用されてきたが,わが国では温度や日長に対して秋ギクとは異なる開花反応を示すさまざまな生態型のキクが栽培されてきた.その中で,開花に関して限界日長を有することから,電照による開花抑制が可能で,秋ギクよりも開花に関して長い限界日長をもつ夏秋ギクは,日長調節の上でわが国の夏季生産に適することが既に明らかにされていたが,高温に対する適応性も一部で指摘されていた.そこで,夏秋ギク型の生態を利用することによって,スプレーギクの夏季の高温が原因となる生産上の問題を解決できる可能性が考えられた.本研究は,夏秋ギク型スプレーギクの温度および日長に対する開花反応性を総合的に解析し,わが国における施設周年生産に適した夏秋ギク型スプレーギクの育種選抜のための基礎的な資料を得ることを目的として行ったものである.

 1982年,民間の育種業者である小井戸微笑園で育成された夏秋ギク型スプレーギク系統を高温条件下でシェード栽培した結果,夏秋ギク型スプレーギクは高温による開花遅延をほとんど示さず正常に開花することが明らかとなった.そこで,夏秋ギク型スプレーギクと秋ギク型スプレーギクとの交雑を行い,1983年に交雑系統について高温条件下における開花特性を調べた結果,夏秋ギク型スプレーギクのもつ高温開花性がかなり高率に交雑後代に遺伝することが明らかになり,交雑育種による高温開花性の導入が可能であることが示された.1986年には環境調節条件下で,温度が,夏秋ギク型スプレーギクの花芽の分化,発達および開花の各ステージに及ぼす影響を調べ,高温開花性について解析した.その結果,花芽の分化,発達および開花のいずれのステージにおいても,夏秋ギク型スプレーギクが秋ギク型スプレーギクと比較して,明らかに高温開花性を有することが確認できた.

 1984年および1985年には,自動短日処理装置を用いて,夏秋ギク型スプレーギクの日長に対する開花反応を調べた.その結果,夏秋ギク型スプレーギクは秋ギク型に比較して,開花に関する限界日長が長いことが明らかになった.但し,夏秋ギク型スプレーギクの12時間日長下での到花日数と14時間日長下での到花日数との間に相関はなく,長い日長条件下で到花日数の短いものを育成するためには,長い日長条件で選抜する必要があることがわかった.また,1984年7月1日短日開始の栽培で夏秋ギク型スプレーギクに必要な短日処理期間について調べた結果,ほとんどの交雑系統の開花は4週間短日処理を行えば,それ以上の期間処理をした場合と比べてほとんど開花が遅れず,夏秋ギク型スプレーギクは秋ギクの場合と比較して短日処理の短縮が可能であることが明らかになった.

 高温条件と長い日長条件はキクの栄養生長を促す点で共通性があることから,1988年には夏秋ギク型スプレーギクの有する高温開花性と限界日長との間の関係を調べた.環境調節下における昼/夜温が30℃/25℃(高温)と20℃/15℃(適温)の両処理区の到花日数の差を高温開花性の指標とし,14時間日長と12時間日長の両処理区の到花日数の差を限界日長の指標として品種・系統間差を調べた結果,高温開花性と夏および秋の限界日長との間に,ともに高い相関が認められ,限界日長の長い夏秋ギク型スプレーギクは高温条件下においても開花遅延しにくい傾向があることが明らかとなった.実際育種においては温度条件の設定が困難であることから,これにより,長い日長条件における選抜によって,ある程度高温開花性の選抜も可能であることが示された.

 周年生産を行う上では栽培期間が短い品種が望まれるが,秋ギクでは自然開花期が早いほど短日処理を開始してから開花するまでに要する期間が短いことが知られている.1985年に夏秋ギク型スプレーギクの周年にわたる到花日数を調べた結果,ほとんどの品種・系統が秋ギク型で最も早生品種である’Gem’よりも短い到花日数を示し,夏秋ギク型スプレーギクは早生性の点でも優れていることが明らかとなった.一方,花色の退色は高温条件下における切り花品質の低下の点で大きな問題であるが,同じく1985年に夏秋ギク型スプレーギクの季節的な花色の変異を調べた結果,秋ギク型スプレーギクと同様,高温によってアントシアニンによる花色が淡色化することが明らかとなった.しかし,夏秋ギク型スプレーギクは高温条件下でも花弁が正常に展開することから,適温条件下でもともと花色が濃い系統については,高温条件下で淡色化しても十分なピンク色を呈することが明らかとなり,実用性が高いことが判明した.

 1987年および1988年には夏秋ギク型スプレーギクの周年栽培適性について調べた.その結果,周年にわたり到花日数が短く,秋ギク型とほぼ同様に低温期も栽培可能なものがあることが明らかとなった.しかし,夏秋ギク型でも高温条件下で開花遅延するものや時期によっては夜間4時間の暗期中断によっても花芽分化してしまうものが認められた.前者は自然開花期が9〜10月,後者は6〜7月と,夏秋ギクではあっても,それぞれ秋ギクおよび夏ギクに近い生態型を有するものと考えられ,夏秋ギク型スプレーギクの生態型はかなり多様であることが明らかになった.一方,夏秋ギク型の一部には,冬季の最低温度を15℃とした加温条件下でもロゼット化したり,一旦低温遭遇した後の栽培において開花遅延を示すなど,周年生産上好ましくない特性を有するものがあることが判明した.

 夏秋ギク型スプレーギクの一部で初夏に起こる開花遅延について1987年に調べた結果.開花遅延は花芽分化節位の増加と花房の形状の乱れやすさとが密接に関係しており,いわゆる幼若性程度と関連が深いこと,夏秋ギク型スプレーギクの幼若性程度の品種・系統間差はかなり大きいことが明らかとなった.幼若相の通過には最低温度15℃に加温した長日条件下における栽培が有効であり,挿し芽により低温遭遇した親株から植物体を切り離すことも併せて幼若性の通過に有効であることが明らかとなった.さらに,1988年に幼若相への移行について調べた結果,幼若相への移行はロゼット相への移行と同時ではなく,4〜6週以上の長期間の低温遭遇によって起こるものと推定された.

 1988〜1989年には夏秋ギク型スプレーギクの育種選抜のためのいくつかの生態的特性に関する交雑検定を,夏秋ギク型スプレーギク同士および夏秋ギク型と秋ギク型との交雑後代について行った.その結果,限界日長については,夏秋ギク型同士と夏秋ギク型と秋ギク型との交雑の間に大きな差異は認められなかったものの,交雑組合せによる比較的大きな差が認められた.ロゼット性については,交雑組合せによる実生のロゼット率に顕著な差が認められ,しかもロゼット率は100%,約80%および約50%の3段階であった.ロゼット性についての遺伝は比較的単純な遺伝様式によるものと推定された.幼若性程度については,幼若性程度の弱い品種・系統同士の交雑の方が,平均花芽分化節位が少ない傾向が認められた.

 一連の育種研究と並行して,夏季生産用スプレーギクとして品種’サマークイン’を1983年’SP202’×’Gem’の交雑組合せの実生より育成し,1988年5月’サマークイン’(きく農林7号)と命名,農林登録した.花色は紫ピンク(RHSカラーチャート75C),一重咲きで花弁数は約30枚,花径は8cm程度である.花盤の色は黄緑で,花弁のピンクとの対比が美しい.盛夏を除いた10〜7月開花の作型では,短日処理開始後の到花日数が50日内外で,優れた早生性を示す.さらに,盛夏期においても到花日数は長くなるが,従来のスプレーギク品種に比べて高温による開花遅延の程度が小さく,正常に開花する特性を有する.開花についての限界日長が15時間以上で,従来の秋ギク型スプレーギク品種とは全く異なる日長反応を示し,シェードの期間並びに時間の短縮が可能である.

 以上のように,夏秋ギク型スプレーギクは高温開花性,開花に関する限界日長が長い特性.到花日数が短い特性などの秋ギク型にはない有用特性をもち,夏季生産用のみならず,周年生産用としても育種上,大変有用であることが明らかとなった.また,品種’サマークイン’の育成により,実際に夏秋ギク型の生態を利用した品種育成が可能であることが示された.さらに,夏秋ギク型スプレーギクの温度と日長に対する開花反応との間には密接な関係があり,育種上,両者の選抜を同時に進めることが可能であることが示された.一方,夏秋ギク型スプレーギクの生態型は多様で,夏ギクに近いものから秋ギクに近いものまであることが判明した.ロゼット性や幼若性程度の強いものは生産上好ましくないが,これらも育種によって淘汰できる可能性が示された.

審査要旨

 キク(Dendranthema grandiflorum(Ramat.)Kitamura)は開花に関して短日性であり、日長調節によって周年開花させることができる。欧米では、秋に自然開花する秋ギク型キクのみを用い、日長調節により周年的切り花生産を行っている。それに対し、わが国では、秋ギク型のほか、温度や日長に関してそれとは異なる開花反応を示すいくつかの生態型のキクを組み合わせて周年栽培している。1974年、欧米において品種改良されたスプレーギクがわが国に導入された。しかし、その導入品種は夏季の高温のため、著しい開花遅延と切り花の品質低下を生じたので、高冷地のごく一部を除くと、欧米では可能な周年生産をわが国で行うことは困難であった。わが国で栽培されている夏秋ギク型キクは、秋ギク型キクよりも開花に関して長い限界日長を有するので、日長調節の上でわが国の夏季生産に適しており、また高温下で生産できることが示唆されていた。

 本研究は、夏秋ギク型スプレーギクの温度および日長に対する開花反応特性を解析し、わが国における施設周年生産に適した品種の育種にとって基礎的な知見を得ることを目的として行ったものである。

 1.花芽の分化、発達および開花のいずれのステージにおいても、夏秋ギク型スプレーギクが秋ギク型スプレーギクと比較して、明瞭な高温開花性を有することを示し、夏秋ギク型×秋ギク型スプレーギクの交雑から、夏秋ギク型スプレーギクの高温開花性が遺伝することを明らかにした。

 2.夏秋ギク型スプレーギクは秋ギク型スプレーギクに比較して、開花に関する限界日長が長いことを明らかにした。夏至の頃に短日処理を開始する栽培では、夏秋ギク型スプレーギクの開花に必要な処理期間は、ほとんどの交雑系統で4週間であり、秋ギク型スプレーギクの場合と比較して短日処理期間が短かかった。

 3.高温と長日の両条件が夏秋ギク型スプレーギクの開花反応に及ぼす影響を比較検討した。昼/夜温が30/25℃と20/15℃の両処理区の到花日数の差を高温開花性の指標とし、14時間日長と12時間日長の両処理区の到花日数の差を日長反応性の指標とし、品種・系統間差を調べた。その結果、夏および秋の栽培で、高温開花性は日長反応性と高い相関を有し、長い日長条件の下で開花する個体を選抜することによって、高温開花性の選抜もできることを示唆した。

 4.夏秋ギク型スプレーギクの到花日数は、秋ギク型スプレーギクの中で最も早生品種である’Gem’よりも短く、夏秋ギク型スプレーギクが早生性の点で擾れていることを示した。

 5.夏秋ギク型スプレーギクの初夏にみられる開花遅延現象の原因は、この時期に花芽分化節位が上昇するためであることを示した。花芽分化節位は幼若性程度と関連し、幼若相の通過には最低温度15℃と長日の条件が有効であった。また、幼若相への移行はロゼット相への移行と同時ではなく、4〜6週以上の長期間の低温遭遇が必要と推測された。

 6.夏秋ギク型スプレーギク同士および夏秋ギク型と秋ギク型を交雑し、後代検定を行った。その結果、限界日長については,交雑組合せによる差が比較的大きく、ロゼット率については、100%,約80%および約50%の3群に分けられた。

 なお、夏季生産用スプレーギクとして品種’サマークイン’を1983年’SP202’×’Gem’の交雑組合せの実生より育成し、1988年5月’サマークイン’(きく農林7号)と命名、農林登録した。

 以上、本研究は、欧米で改良されたスプレーギクをわが国に導入し、周年生産するに当って生じた夏季高温による障害を解決するために、わが国に成立している夏秋ギク型スプレーギクの特性を利用することを考え、既存の夏秋型スプレーギク並びに交雑後代のスプレーギクについて、花芽分化及び栄養生長の日長、温度反応を調査し、その遺伝性を推測し、周年栽培できる夏秋型スプレーギクの育種・選抜法を示すとともに、新たに品種を開発したものである。これらの知見は学術上、応用上貢献するところ少なくないと判断される。よって、審査員一同は論文提出者に対して、博士(農学)の学位を授与して然るべきものと認めた次第である。

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