学位論文要旨



No 212551
著者(漢字) 平山,和宏
著者(英字)
著者(カナ) ヒラヤマ,カズヒロ
標題(和) ノトバイオート技術を用いた異種動物フローラマウスの作出
標題(洋)
報告番号 212551
報告番号 乙12551
学位授与日 1995.11.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第12551号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,英司
 東京大学 教授 長谷川,篤彦
 東京大学 教授 見上,彪
 東京大学 教授 土井,邦雄
 東京大学 助教授 伊藤,喜久治
内容要旨

 無菌(GF)マウスにヒトやブタの糞便を投与することにより、ヒトやブタ由来の腸内菌叢を保有するマウスを作出する事ができる。このようにして作出されたヒトフローラ(HFA)マウスやブタフローラ(PFA)マウスは、臨床分野、食餌成分の腸内菌叢に与える影響に関する研究などにおいて有用なモデル動物となると考えられている。しかし、GFマウスに投与された異種動物の菌叢がマウス腸内に形成される経過や、その安定性、代謝活性などについては十分に検討されていない。本研究の目的は、HFAマウスやPFAマウスの特性を詳細に検討し、そのモデル動物としての有用性ならびに外挿への限界を明らかにすることである。

 まず第1章では、2検体の健康成人の糞便希釈液をGFのBALB/cマウスに経口投与してHFAマウスを作出し、その糞便菌叢の形成を経時的に検索した。HFAマウスのenterobacteriaceaeの菌数は投与直後の2日間は投与した糞便に比べて高かったが、3日目以降減少し、低い菌数で安定した。一方、偏性嫌気性菌群は投与後1日目には低い菌数で検出されたが、その後急速に増加して、投与した糞便の菌叢と同様にHFAマウスにおいても最優勢菌叢を形成し、糞便投与後ほぼ4〜8週間で投与ヒト糞便と同様の菌叢が構成された。ただし、2群のHFAマウスのうち1群ではbifidobacteriaが次第に減少の傾向を示し、糞便投与2〜8週後には他の優勢菌群が安定した菌数を示していたにも関わらずbifidobacteriaは検出されなくなった。この様なHFAマウスにおけるbifidobacteriaの排除は、投与した糞便の菌叢構成によると考えられた。これらの結果から、糞便の希釈液をGFマウスに投与することによってヒトの糞便菌叢をマウスの腸内に再現することが可能であるが、一部の菌群では変動が起こることがあることが示された。また、bifidobacteriaの定着していないHFAマウスは、bifidobacteriaのヒトの健康における役割を研究するための有用なモデル動物となると考えられた。

 次に第2章では、このようにして作出したHFAマウスの腸内菌叢を、繁殖あるいは同居により、安定してマウス腸内に継代できるかを検討した。HFAマウスを繁殖し、その新生仔の腸内菌叢の形成過程を経時的に検索して普通(CV)マウスのそれと比較したところ、通性嫌気性菌群はHFAマウス、CVマウスいずれにおいても生後1日目から検出されたが、嫌気性菌群ははじめの1週間は検出されなかった。嫌気性菌群は生後2週目にはいると急速にその菌数が増加し、新生仔腸内で最優勢菌となった。HFAマウス、CVマウスの腸内菌叢の主な菌群は生後3週間のうちにそれぞれの仔の腸内に定着し、HFAマウスの腸内に形成されたヒトの糞便菌叢はアイソレータ内で維持していることで、その仔に継代することができることが示された。ただし、HFAマウス新生仔の腸内菌叢の形成過程はCVマウスのそれと類似しており、文献に見られるヒトの新生児のそれとは異なっていた。また、GFマウスをHFAマウスと同一ケージで飼育することにより、HFAマウスと同様の腸内菌叢をGFマウスに移植することができた。以上の結果より、HFAマウス腸内に形成されたヒトの糞便菌叢は長期にわたり安定してマウス腸内で維持することが可能であり、同居や繁殖によって容易に多くのHFAマウスを作出できることが明らかとなった。しかし、HFAマウスの新生仔はヒトの新生児の腸内菌叢の形成過程のモデルとはならないことが示唆された。

 続いて第3章では、HFAマウスの有用性の検討のため、食餌成分が腸内菌叢の構成にどのような影響を与えるかを、HFAマウスに高牛肉(HM)飼料と高フスマ(HB)飼料あるいはフラクトオリゴ糖(FOS)を給与し、その変化を検索した。HM飼料を給与されたHFAマウスでは、enterobacteriaceaeの菌数は有意に増加し、HB飼料によって基礎飼料給与時の菌数に戻った。bacteroidaceaeおよびclostridia、streptococciの菌数はHB飼料の給与によって減少する傾向を示し、逆にHB飼料給与時のbifidobacteriaの菌数はHM飼料給与時に比べ有意に増加した。また、FOSの投与により、有意な差はみられなかったが、bifidobacteria菌数の総菌数に対する比率が増加し、bacteroidaceaeとenterobacteriaceaeの菌数は減少する傾向が見られた。以上の結果より、食餌成分の変化がヒトの腸内菌叢に及ぼす影響を、HFAマウスを用いることによってより明確に観察することができることが示された。

 さらにHFAマウスのモデル動物としての特性を明確にするため、第4章では、6検体の異なるヒト糞便希釈液を投与したHFAマウスを作出し、糞便菌叢の構成に加えて腸内菌の発ガン関連酵素活性、腸内腐敗産物や短鎖脂肪酸(SCFAs)の代謝活性を、投与ヒト糞便とHFAマウス糞便で比較した。また、作出されたHFAマウスを繁殖し、HFAマウス腸内におけるヒト糞便菌叢の各性状の安定性についても検討した。投与したヒト糞便の主な菌叢構成は、いずれのHFAマウス群の腸内にも再構築することができたが、一部のHFAマウス群では第1章と同様にbifidobacteriaが検出されなくなった。HFAマウスの糞便中の-glucuronidase活性はCVマウスよりもヒトに近く、nitororeductaseの活性はヒトとCVマウスの中間の値を示したが、-glucosidaseは各群ともばらつきが大きく、nitratereductaseは、ヒト糞便ともCVマウス糞便とも異なる活性を示した。HFAマウス糞便中のSCFAsと糞便腐敗産物の濃度はヒト糞便に比べて有意に低く、CVマウス糞便に近かったが、SCFAsの組成はCVマウス糞便よりヒト糞便に類似していた。各酵素活性や代謝産物の生成量はHFAマウス群間では投与糞便間の差に比べて小さく、投与した糞便にみられた個体差は作出された各HFAマウスの糞便には反映されなかった。また、HFAマウスの糞便菌叢の構成や代謝活性は、繁殖によってその仔に安定に伝えられた。これらの結果より、HFAマウスはヒトの糞便菌叢の生態や代謝の研究のための有用で安定したモデル動物となることが明らかとなったが、研究対象とする性状によってはモデルとして適さない場合もあることも同時に示された。

 第5章では、ヒト以外の腸内菌叢を保有するモデル動物としてブタフローラ(PFA)マウスを作出し、HFAマウスでの腸内環境と比較した。ブタの糞便菌叢を経時的に検索したところ、菌叢の構成は離乳の前後で変動し、離乳後は離乳前に比べ強い嫌気度を要求する嫌気性菌を含む偏性嫌気性菌群の菌数が減少し、総菌数も減少することが示されたことから、日齢の異なるブタの糞便を投与したPFAマウスを作出し、その菌叢の構成と代謝活性を検索した。20日齢のブタ糞便希釈液を投与したPFAマウスでは宿主特異性が高いと言われるlactobacilliを含め、ブタ糞便菌叢の主要菌群がマウス腸内に定着することができ、菌叢構成は投与ブタ糞便の菌叢と類似したものとなった。60日齢のブタ糞便希釈液を投与した場合もブタ糞便菌叢の主要菌群はPFAマウス腸内に定着することができたが、20日齢の糞便を投与したPFAマウスの菌叢構成と比較すると、嫌気性菌群の菌数はいずれの群でも安定して高い菌数で定着したが、通性嫌気性菌群は60日齢群では菌群に関わらず同様の菌数で定着したのに対し、20日齢群では菌群によって菌数に大きな差がみられた。これは、60日齢のブタの糞便菌叢がすでに安定した均衡状態にあることによると考えられた。一方、PFAマウス腸内でもブタ由来の菌叢の働きによりSCFAsが産生されていたが、その組成の一部には差がみられた。また、PFAマウス盲腸内容物からは腸内腐敗産物が検出されず、マウス腸内にブタ糞便菌叢の代謝活性を再現することはできなかった。以上の結果から、PFAマウス腸内にはブタ糞便菌叢の主要菌群が定着することができ、菌叢構成も投与したブタ糞便菌叢の構成を反映したものとなることが明らかとなったが、菌叢の代謝活性はマウス腸内では再現することができなかった。

 以上のように、本研究により、GFマウスにヒトやブタの糞便を投与することによって、一部の菌群を除き投与したヒトやブタの糞便と類似した構成の腸内菌叢を持つ動物を作り出すことができることが明かとなった。さらに、マウス腸内に定着した異種動物の菌叢は、繁殖や同居によって安定して長期に維持することが可能であったことから、HFAマウスやPFAマウスはヒトやブタにおける腸内菌叢の生態や働きを研究するための有用なモデルとなると考えられた。ただし、菌叢の代謝活性はマウス腸内には十分に再現されないものもあり、研究の目的や内容によってはその特性を十分に検討したうえで応用することが重要であることも明かとなった。

審査要旨

 無菌(GF)マウスにヒトやブタの糞便を投与して作出したヒトフローラ(HFA)マウスやブタフローラ(PFA)マウスは、有用なモデル動物となると考えられているが、GFマウスに投与された菌叢がマウス腸内に形成される経過や、その安定性、代謝活性などについては十分に検討されていない。本研究の目的は、HFAマウスやPFAマウスの特性を明らかにし、その有用性と外挿への限界を検討することである。

 第1章では、2検体のヒト糞便希釈液を用いてHFAマウスを作出し、その糞便菌叢を経時的に検索した。投与直後は好気性菌群の菌数が高かったが、やがて嫌気性菌群が急速に増加して最優勢菌叢を形成し、ヒト糞便と同様の菌叢がHFAマウス腸内に構成された。ただし、1群のHFAマウスではbifidobacteriaが検出されなくなり、排除は投与した糞便の菌叢構成によると考えられた。

 第2章では、作出したHFAマウスと普通(CV)マウスの新生仔で腸内菌叢の形成過程を比較した。好気性菌群はいずれにおいても出生直後から検出されたが、嫌気性菌群は2週目から出現し、その後急速に菌数が増加して最優勢菌となった。菌叢は生後3週間で安定し、HFAマウスの腸内菌叢はその仔に継代できることが示された。HFAマウスの腸内菌叢の形成過程はCVマウスと類似しており、HFAマウス新生仔はヒトの腸内菌叢形成過程のモデルとはならないことが示唆された。また、GFマウスをHFAマウスと同居させることにより、HFAマウスの腸内菌叢をGFマウスに移植することができ、HFAマウス腸内に形成されたヒトの糞便菌叢は長期にわたり安定してマウス腸内で維持できることが明らかとなった。

 第3章では、食餌成分が腸内菌叢の構成に与える影響を検索した。高牛肉飼料を給与されたHFAマウスでは、enterobacteriaceaeの菌数が有意に増加した。一方、高フスマ飼料の給与によりbacteroidaceae、clostridia、streptococciの菌数は減少する傾向を示し、bifidobacteriaの菌数は高牛肉飼料給与時に比べ有意に増加した。また、フラクトオリゴ糖の投与により、bifidobacteriaの比率が増加し、bacteroidaceaeとenterobacteriaceaeの菌数は減少する傾向が見られ、食餌成分の変化がヒトの腸内菌叢に及ぼす影響はHFAマウスを用いることによって、明確に観察することができた。

 第4章では、6群のHFAマウスを作出し、糞便菌叢構成、腸内菌の発ガン関連酵素活性、糞便中の腸内腐敗産物や短鎖脂肪酸(SCFAs)の濃度を検索した。ヒト糞便菌叢はいずれのHFAマウス群の腸内にも再構成することができたが、bifidobacteriaが検出されなくなった群もあった。HFAマウスの糞便中-glucuronidase活性はヒトに近く、nitororeductaseの活性はヒトとCVマウスの中間であったが、-glucosidaseは各群ともばらつきが大きく、nitratereductaseはどちらとも異なる活性を示した。HFAマウスの糞便中SCFAs濃度はヒトに比べて有意に低かったが、組成はヒトに類似していた。糞便腐敗産物濃度はHFAマウスでは極めて低かった。投与糞便の個体差は各HFAマウス群には反映されなかった。また、HFAマウスの糞便菌叢の構成や代謝活性は、繁殖によってその仔に安定に伝えられた。

 第5章では、離乳の前後の20日齢と60日齢のブタ糞便を投与したPFAマウスを作出し、菌叢構成と代謝活性を検索した。いずれの場合もブタ糞便菌叢の主要菌群がマウス腸内に定着することができ、菌叢構成は投与したブタ糞便菌叢の構成を反映したものとなったが、通性嫌気性菌群は60日齢群では菌群に関わらず同様の菌数で定着したのに対し、20日齢群では菌群によって菌数に大きな差がみられた。これは、60日齢のブタの糞便菌叢がすでに安定した均衡状態にあることによると考えられた。一方、マウス腸内にブタ糞便菌叢の代謝活性を十分に再現することはできなかった。

 本研究はGFマウスにヒトやブタの糞便を投与することによって、ヒトやブタと類似した腸内菌叢を持つHFAマウスやPFAマウスを作り出せることを明らかにし、これらのマウスはヒトやブタにおける腸内菌叢の生態や働きを研究するための有用なモデルとなることを示したもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50963