学位論文要旨



No 212552
著者(漢字) 柏,淳
著者(英字)
著者(カナ) カシワ,アツシ
標題(和) 精神分裂病様症状惹起薬物のラット前頭葉および線条体細胞外ドーパミン放出に与える影響について
標題(洋)
報告番号 212552
報告番号 乙12552
学位授与日 1995.11.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第12552号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 栗田,廣
 東京大学 教授 芳賀,達也
 東京大学 教授 三品,昌美
 東京大学 教授 金澤,一郎
 東京大学 講師 サーフェン,デビッド
内容要旨

 アンフェタミン、メトアンフェタミン(methamphetamine:MAP)、コカインなどの中枢刺激薬や、フェンサイクリジン(phencyclidine:PCP)、ケタミンなどの解離性麻酔薬は、ヒトに精神分裂病(以下分裂病と略す)様の症状を引き起こすことが知られ、分裂病症状の発現機序の研究に応用されている。このうち中枢刺激薬は、幻覚・妄想をはじめとする陽性症状を中心とした分裂病様症状を引き起こす。これに対して、解離性麻酔薬による分裂病様状態では、陽性症状ばかりでなく、感情鈍麻、意欲減退、引きこもりなどの陰性症状も出現することが報告されている。分裂病治療薬(抗精神病薬)に対する反応性も分裂病患者の場合と類似しており、陽性症状はよく改善されるが陰性症状は抵抗性である。抗精神病薬の治療効果は強力なドーパミン(DA)受容体遮断作用によって発揮されると考えられていることから、双方の薬物が誘起する過剰な脳内DA伝達が陽性症状の原因のひとつと推測される。さらに、両群の薬物による精神病状態の全体像に明らかな相違がみられる点は、このようなDA伝達の亢進が出現する機序も、それぞれの薬物群によって異なる可能性を示唆している。しかし、中枢刺激薬がDAトランスポーターに作用してDAの伝達を増強することを示す所見が蓄積されてきたのに対して、PCPがDA伝達を促進する機序については詳しく調べられていない。

 PCPは、NMDA型興奮性アミノ酸受容体の強力な非競合性遮断薬であることや、大脳皮質や大脳辺縁系のDA代謝を選択的に変化させることが知られていることから、われわれはこれらの脳部位において、興奮性アミノ酸ニューロンがDA放出に及ぼす影響を調べることにした。そのため、ラット前頭葉および線条体において、NMDA受容体の競合性アンタゴニストであるCGS19755を灌流したときの細胞外DAおよびその代謝物の経時変化を、脳内透祈法(brain dialysis)を用いて検討した。また、PCP、同じくNMDA型興奮性アミノ酸受容体の非競合性遮断薬であるMK-801、およびMAPの前頭葉皮質および線条体における細胞外へのDA放出に対する効果も、同法を用いて比較検討した。

 実験にはWistar系雄性ラットを用い、in vivo brain dialysisを行った。DAおよびその代謝産物である3.4-dihydroxyphenylaceticacid(DOPAC).homovanillic acid(HVA)のピークが同定され、このDAはtetrodotoxin(TTX)の持続注入、alpha-methyl-para-tyrosine(-MT)の腹腔内投与、灌流液中のCa++を除く、といった条件下で著明な減少を示すことから、その大部分は各脳部位に投射するDAニューロンの神経活動によりシナプス間へ放出されたものと考えられた。以下、各NMDA受容体遮断薬およびMAP投与後の検討を行った。

(1)前頭葉皮質および線条体におけるCGS19755のDA代謝に与える効果

 CGS19755を前頭葉皮質、線条体において灌流プローブを通じて局所投与した。前頭葉皮質では細胞外DA.DOPAC.HVAはいずれも用量依存性の増大を示した(図1)。このDAの増大はTTXでほぼ完全に抑制される(図2)ことから、前頭葉皮質に投射するDAニューロンの神経インパルスの増強によるものであることがわかった。また線条体では、増大の割合が前頭葉の場合と比してきわめて小さかった。CGS19755がNMDA受容体の選択的かつ競合性アンタゴニストであることから、この前頭葉皮質優位のDA代謝の亢進はNMDA受容体に対する直接作用によるものと考えられた。すなわち、前頭葉皮質において興奮姓アミノ酸ニューロンがDAニューロンに対して持続的・抑制的制御を行っている可能性が示唆された。

図表図1(左) CGS19755局所投与の前頭葉皮質DAに対する経時的影響。薬物投与前3回の平均に対する百分率で表示。平均値±標準誤差を表示。n=6-8,生理的食塩水投与群に対して*:p<0.05,*:p<0.01 / 図2(右) TTX灌流のCGS19755(10-3M)灌流による前頭葉DA,DOPAC,HVAの経時的変化に与える影響。
(2)非競合性NMDA受容体アンタゴニストの前頭葉皮質および線条体DA代謝に与える効果の比較

 PCP.MK-801の腹腔内投与により、前頭葉皮質細胞外DA.DOPAC.HVAはTTX感受性、用量依存性の増大を示した(図3左)。PCP腹腔内投与により線条体では細胞外DAは前頭葉皮質の場合よりは小さいが用量依存性、TTX感受性の増大を、DOPACは逆に減少を示した(図3右)。これは、線条体でPCPは、主としてDAニューロンの基礎活動により放出されるDAの再取り込み阻害作用により細胞外DAを増大させ、そのため神経終末内のDA.代謝産物のDOPACが減少することによるものと考察された。

図3 PCP腹腔内投与の前頭葉皮質(左)および線条体(右)DOPACに対する経時的影響。薬物投与前3回の平均に対する百分率で表示。平均値±標準誤差を表示。n=6-7,生理的食塩水投与群に対して*:P<0.05,*p<0.01
(3)MAPとの作用の比較

 MAP(4.8mg/kg)の腹腔内投与により、前頭葉、線条体いずれにおいてもほぼ同程度かつTTX非感受性のDA増大を、DOPAC.HVAは不変または減少傾向を認めた(図4)。これは、MAPがこの両部位において、主としてDA神経終末細胞膜でのDAトランスポーターによるMAP.DAの相互能動輸送により細胞外DAを増大させ、そのため神経終末内のDA、代謝産物のDOPACが減少することによるものと考察された。このようにMAPの作用は神経終末自体に対する作用であるため部位特異性を持たないのに対し、NMDA受容体アンタゴニストの作用はそれによって活性化される神経回路が脳部位によって異なるため、上述のような部位差を生じるものと考えられた。

図4 TTX灌流下でのMAP腹腔内投与の前頭葉皮質および線条体DA,DOPAC,HVAに対する経時的影響。薬物投与前3回の平均に対する百分率で表示。平均値±標準誤差を表示。前頭葉皮質:n=7,線条体:n=3

 以上の結果より、前頭葉皮質においては、NMDA受容体がDAニューロンに対する持続的な抑制性調節に関与していることが示唆された。PCPをはじめとするNMDA受容体アンタゴニストは、このNMDA受容体を介する興奮性アミノ酸伝達を阻害することにより、DAニューロンの脱抑制をもたらし、陽性症状のような抗精神病薬に反応性の症状を引き起こすと考えられる。精神分裂病においても、NMDA受容体を介する興奮性アミノ酸伝達の低下に基づくDAニューロンの機能亢進が陽性症状の発現に関与している可能性が想定される。

審査要旨

 本研究は、N-methyl-D-aspartate(NMDA)型興奮性アミノ酸受容体アンタゴニストが脳内ドーパミン伝達を促進し、その結果精神分裂病様の症状を惹起する機序を明らかにするため、脳内透析法(in vivo brain dialysis)を用いてラット前頭葉および線条体におけるドーパミンおよびその代謝物の変化を直接解析したもので、下記の結果を得ている。

 1.NMDA受容体の競合性アンタゴニストであるCGS19755をラット前頭葉および線条体に局所投与したところ、前頭葉優位にtetrodotoxin感受性の細胞外ドーパミンおよびその代謝物の用量依存性の増大を認めた。このことから、前頭葉皮質において興奮性アミノ酸ニューロンがドーパミンニューロンに対して持続的・抑制的調節を行っている可能性が示された。

 2.NMDA受容体の非競合性アンタゴニストであるphencvclidine.MK801の全身投与により、前頭葉細胞外ドーパミンおよびその代謝物の用量依存性の増大を認めたが、線条体においては逆に細胞外ドーパミンの減少を認めた。

 3.中枢刺激薬であるmethamphetamineの全身投与により、前頭葉、線条体の両部位において同程度の、tetrodotoxin非感受性の細胞外ドーパミンの増大およびその代謝物の減少を認めた。これは中枢刺激薬の作用部位が神経終末細胞膜であることから、NMDA受容体アンタゴニストと異なり部位特異性を持たないものと考察された。

 以上、本論文はラット前頭葉および線条体細胞外ドーパミン濃度の直接測定により、NMDA受容体アンタゴニストが前頭葉において部位特異的にドーパミン放出を促進することを明らかにし、NMDA受容体が前頭葉においてドーパミンニューロンに対して持続的・抑制的な調節に関与していることをはじめて示した。本研究はNMDA受容体アンタゴニストによる精神症状の発症機序の解明、さらには精神分裂病の病態機序の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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