学位論文要旨



No 212553
著者(漢字) 秋下,雅弘
著者(英字)
著者(カナ) アキシタ,マサヒロ
標題(和) エストロゲンの抗動脈硬化作用とその機序に関する研究
標題(洋)
報告番号 212553
報告番号 乙12553
学位授与日 1995.11.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第12553号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 熊田,衛
 東京大学 教授 武谷,雄二
 東京大学 教授 藤田,敏郎
 東京大学 助教授 山田,信博
 東京大学 講師 山沖,和秀
内容要旨 目的

 エストロゲン(Est)の抗動脈硬化作用および作用機序、特に血管壁に対する作用を明らかにする目的で研究を行った。本研究では、Estの作用として(a)ラット動脈内膜肥厚に対する効果、(b)血管平滑筋細胞(VSMCs)の遊走ならびに増殖に対する影響、(c)endothelin-1(ET-1)の産生調節、(d)c-fosの血管壁における発現に対する作用について検討した。

方法

 (a)ラット大腿動脈内膜肥厚に対する効果:8週齢Wistar系雌ラットをsham手術群(Sham)、卵巣摘除群(OVX)、卵巣摘除にEstを補充する群(OVX+E)の3群に分け、更に同週齢の雄ラット(Male)を加えた。左大腿動脈をポリエチレンカフで非閉塞性に被覆し、2週後大腿動脈を摘出し内膜肥厚度を計測した。

 (b)VSMCsの遊走および増殖に対する作用:ラット大動脈由来VSMCs、ラット胎児大動脈由来平滑筋細胞株A10、ヒト乳癌由来細胞株MCF-7を用いた。

 遊走;Boyden’s chamber変法により検討した。

 増殖は、DNA合成の指標として[3H]-thymidine(TdR)取り込みと細胞数の算定により検討した。

 [3H]-TdR取り込み;増殖停止させた細胞を用い、検討する試薬と同時に[3H]-TdRを添加し24hr培養、取り込まれたtrichloroacetic acid不溶性の放射活性を計測した。

 細胞数算定;増殖停止させた細胞を用い、5%FBSに17-estradiol(E2)またはethanolを添加、24-48hr培養し細胞数をカウントした。

 細胞障害性;細胞に[3H]2-Deoxy-D-glucoseを取り込ませ洗浄した後、vehicle(ethanol)、E2(1nM,100nM)もしくは0.2%Triton X-100を含む培地に置き換え2hr培養。培養上清とcell lysateの放射活性を測定し、[3H]2-DOGの遊離率を計算した。

 (c)ET-1の産生調節作用:内皮細胞(ECs)でのET-1産生;ウシ頚動脈由来ECsに、E2(10nM)もしくはethanolを添加し24hr培養。TGF-1 2.0ng/mlもしくはvehicleを添加し、4hr後にRNAを抽出してET-1のノーザンブロット解析を行った。次に、ECsにE2(10nM)もしくはethanolを添加し24hr培養。TGF-1(0-2.0ng/ml)を添加し更に24hr培養、上清中のET-1濃度をELISAで測定した。

 血中ET-1とmetabolic clearance rate(MCR);Sham、OVX、OVX+E、Maleの4群のラットから、覚醒下に動脈採血し、血中ET-1濃度をELISAで測定した。次に血中ET-1濃度の差が産生に由来するかどうかを検討した。ET-10.2ng/kg/min、0.6ng/kg/minの静脈内投与によるET-1の代謝率をMCRとして測定した。

 VSMCsでのET-1発現;雌の3群のラットの胸部大動脈抽出液中のET-1濃度をELISAで測定し組織タンパク量で補正した。次に、雌の3群の大動脈をET-1に対するモノクローナル抗体を用いて免疫染色を施行。

 (d)o-fosの血管壁における発現に対する作用:雌の3群のラットから胸部大動脈および子宮を摘出、c-fosのノーザンブロット解析を施行。更に、ShamにET-1の静脈内投与(0.2ng/kg/min)を行い、経時的に胸部大動脈を摘出、o-fosのノーザンブロット解析を行った。

 (e)動脈組織でのDNA合成:雌の3群のラットから胸部大動脈および左大腿動脈を摘出、長さ2-3mmの切片を作成。[3H]-TdR 1 Ci/mlを添加し48hr培養。取り込まれた放射活性を測定し、タンパク量で補正した。

結果(a)ラット大腿動脈内膜肥厚に対する効果

 内膜肥厚度(中膜の面積に対する内膜の面積の比)は、MaleおよびOVXでSham、OVX+Eに比して有意に高値を示した(Sham;0.17±0.04,OVX;0.41±0.07,OVX+E;0.18±0.04,Male;0.38±0.08,各n=7,p<0.05)。収縮期血圧、血清脂質を同時に測定したが、4群間に差は認められなかった。

(b)VSMCsの遊走および増殖に対する作用

 E2は濃度依存性に10%FBS刺激による雄ラット由来VSMCsの遊走を抑制した。濃度としては、1nM以上で有意であった。またE2は5%FBS刺激による雄ラット由来VSMCsのDNA合成を濃度依存性に抑制した(0.1nM以上で有意)。次に3種類のVSMCsすなわち雄および雌ラット由来細胞、A10細胞に加えて、MCF-7を用いて、DNA合成に対するE2の作用を比較した。3種類のVSMCsいずれについてもE2は抑制作用を示したが、MCF-7については抑制作用はみられなかった。17-estradiolと異なり、progesterone、testosterone、17-estradiolにはDNA合成に対する作用はみられなかった。細胞数の増加もE2の添加により濃度依存性に抑制された。5% FBSの他にPDGF-BB、bFGF、ET-1を増殖刺激として用いたが、E2(1nM)はいずれの増殖刺激に対しても約50%の抑制作用を示した。しかし、0.2% BSAのみの場合にはE2の効果はみられなかった。PGI2、NOの関与についても検討したが、indomethacin、NG-monomethyl-L-arginine、methylene blueいずれの同時添加でもE2(1 nM)による抑制作用は影響を受けなかった。細胞障害についての検討では、E2 1nMおよび100nMでは対照群と比較して、取り込まれた[3H]2-DOGの遊離率に有意な差を認めなかった。

(c)ET-1の産生調節作用

 ECsでのET-1産生;ET-1 mRNAの発現およびET-1の分泌はE2の前処置にて抑制された。

 血中ET-1とmetabolic clearance rate(MCR);血中ET-1濃度は、OVXおよびMaleでShamおよびOVX+Eに比べて有意に高値であった(Sham;0.68±0.14,OVX;1.32±0.14,0VX+E;0.85±0.12,Male;1.49±0.31 pg/ml,p<0.05)。またET-1のMCRには、4群間で有意な差はみられなかった。

 VSMCsでのET-1発現;大動脈抽出液中のET-1量は、OVXでは、ShamおよびOVX+Eに比べて有意に高値であった(Sham;0.63±0.05,OVX;0.92±0.03,OVX+E;0.54±0.08 ng/mg protein,p<0.01)。またOVXの大動脈中膜でのみ、強くET-1を発現する細胞が観察された。

(d)c-fosの血管壁における発現に対する作用

 子宮ではOVX+Eで、大動脈ではOVXでc-fos mRNAの発現が亢進していた。またET-1の静脈内投与により、大動脈におけるc-fos mRNAの発現亢進が30minをピークとして一過性にみられた。

(e)動脈組織でのDNA合成

 大動脈におけるDNA合成はOVXでshamに比べて有意に(Sham;0.39±0.19,OVX;1.06±0.18,OVX+E;0.65±0.11 dpm/mg protein×10-5,p<0.05)、また大腿動脈におけるDNA合成はOVXでShamおよびOVX+Eに比べて有意に上昇していた(Sham;1.27±0.71,OVX;2.95±0.52,OVX+E;1.01±0.24 dpm/mg protein×10-5,p<0.05)。

考察

 本研究ではまずEstの実験的内膜肥厚に対する抑制効果を示したが、血圧・血清脂質に群間で差はみられないことから、Estが直接血管壁に作用した結果、内膜肥厚を抑制した可能性があると考えられる。

 次に、Estの作用機序について検討した。内膜肥厚の主体は、中膜平滑筋細胞の遊走および増殖であるとされる。そこでVSMCsの遊走、増殖に対する影響を検討したところ、E2は遊走、増殖共に抑制した。E2によるVSMCsの遊走抑制作用についてはこれまで報告がない。またE2によるVSMCs増殖抑制作用については報告があるが、従来の報告ではE2の濃度が高く、細胞毒性の可能性が否定できないことが問題であった。本研究では、生理的濃度で抑制作用を示し、細胞障害実験でも毒性は無いと考えられた。更に、E2による増殖抑制作用の機序について検討した。まず、種々の増殖因子による刺激について検討したが、E2はいずれの刺激に対しても抑制を示した。EstがVSMCsの増殖抑制因子であるPGI2、NOの産生を刺激するという報告もみられるが、これらを阻害した場合にもE2の増殖抑制作用は影響を受けなかった。これらの結果および増殖刺激が弱い場合にはE2による抑制はみられなかったことから、E2は増殖刺激を非特異的に抑えることで作用を発揮する可能性が考えられる。

 本研究では更にET-1の産生に対するEstの抑制作用を示した。ET-1は血管収縮作用に加えてVSMCsの増殖作用を有することが知られ、また動脈硬化性疾患での血中ET濃度上昇、動脈硬化病変でET-1の発現亢進、ET拮抗剤の投与による内膜肥厚抑制などから、動脈硬化の発症・進展に関与していることが考えられる。EstがECsおよびVSMCsでのET-1の産生を調節していることを示した報告は初めてである。これまでに、血中ET-1濃度は男性で女性より高値を示すこと、また性ホルモンの投与により影響を受けることが報告されている。本研究でも、Estが血中ET-1濃度を低下させる作用を有すると考えられ、更にET-1のMCRに有意な差は無かったことから、血中ET-1濃度の差はET-1の産生の差に由来すると考えられた。

 本研究では、c-fos mRNAの発現に対するEstの効果も検討した。大動脈におけるc-fos mRNAの発現は、卵巣摘除で亢進し、Est補充で対照レベルに戻った。大動脈におけるc-fos mRNAの発現がEstにより抑制された機序については明らかではないが、発現調節に関与しうる物質としてET-1が考えられる。ET-1は、培養VSMCsにおけるc-fos mRNAの発現を刺激することが報告され、本研究でも、ET-1の静脈内投与で大動脈におけるc-fos mRNAの発現が誘導された。これらの結果から、卵巣摘除ラットにおけるET-1の発現上昇がc-fos mRNAの発現に関与している可能性が示唆される。

 動脈の組織培養実験により、DNA合成は卵巣摘除で増加することを示した。本研究でも示したようにEstはVSMCsの増殖を抑制するが、この実験では培養液中にEstの添加は行っていない。従って、Estによる直接の増殖抑制作用の関与は否定的である。上述したように卵巣摘除ラットの動脈ではET-1およびc-fos mRNAの発現が亢進しており、これらがDNA合成に影響した可能性がある。

 以上、Estは(a)血清脂質、血圧に影響することなくラット動脈内膜肥厚を抑制した。その作用機序として、Estによる(b)VSMCsの遊走および増殖抑制作用、(c)ECsおよびVSMCsにおけるET-1の産生抑制作用、(d)c-fosの血管壁における発現抑制作用が関与していることが示唆された。

審査要旨

 本研究は女性ホルモンであるエストロゲンの抗動脈硬化作用および作用機序、特に血管壁に対する作用を明らかにする目的で、ラットを用いた動物実験および培養細胞を用いた検討を行ったものであり、下記の結果を得ている。

 1.ラットの左大腿動脈をポリエチレンカフで非閉塞性に被覆することにより作成した内膜肥厚の程度が、雌より雄で高度であり、また雌に対する卵巣摘除により増強することおよびそれに対するエストロゲン補充により抑制されることが示された。この際、血圧・血清脂質には差が無く、エストロゲンが直接血管壁に作用した結果、内膜肥厚を抑制した可能性があると考えられた。

 2.エストロゲンの作用機序として、血管平滑筋細胞(VSMCs)の遊走・増殖に対する作用を検討した。Boyden’s chamber変法により遊走を、[3H]-thymidine取り込みと細胞数算定により増殖を検討したところ、17-estradiol(E2)はラットVSMCsの遊走、増殖ともに濃度依存性に抑制した。またE2による増殖抑制作用には、PGI2およびnitric oxideの関与は否定的であり、細胞障害の可能性も低いことが示された。

 3.ウシ頚動脈由来内皮細胞を用いて、E2によりendothelin-1(ET-1)mRNAおよびET-1タンパクの発現が抑制されることが示された。さらに、ラットにおける血中ET-1濃度とその代謝率を測定することにより、ET-1の血中への分泌がエストロゲンにより抑制されることが示された。また、免疫染色と大動脈抽出液中のET-1量測定により、ラット大動脈中膜平滑筋細胞におけるET-1の発現がエストロゲンにより抑制されることが示された。

 4.増殖に関連したプロトオンコジーンであるc-fosの発現に対するエストロゲンの影響をラットを用いて検討したところ、子宮ではエストロゲン補充により発現亢進を認めたのに対して、大動脈では卵巣摘除により発現が亢進しエストロゲン補充により抑制されていた。また大動脈の器官培養による検討では、DNA合成はc-fosの発現と同様の変化を示し、エストロゲンが血管壁細胞の増殖性に影響する可能性が示された。

 以上、本論文はエストロゲンがラット動脈内膜肥厚を抑制し、その作用機序としてVSMCsの遊走および増殖抑制作用、ET-1の産生抑制作用、c-fosの血管壁における発現抑制作用が考えられることを明らかにした。本研究は閉経後女性にとって重要な問題であるエストロゲンの抗動脈硬化作用、特に血管壁に対する作用について新たな知見を加えるものであり、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50964