学位論文要旨



No 212558
著者(漢字) 國武,剛
著者(英字)
著者(カナ) クニタケ,ツヨシ
標題(和) JCウイルスの伝播様式の解析
標題(洋)
報告番号 212558
報告番号 乙12558
学位授与日 1995.11.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第12558号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山口,宣生
 東京大学 教授 永井,美之
 東京大学 教授 川名,尚
 東京大学 教授 野本,明男
 東京大学 教授 吉倉,廣
内容要旨

 JCウイルス(JCV)は、PML(進行性多巣性白質脳症)の原因ウイルスである。1971年Padgettらが、PML患者の大脳から始めてこのウイルスを分離した。一方で血清抗体の研究から、大部分のヒトは子供の頃にJCVに不顕性感染していることが明かとなった。感染後、JCVは何らかの経路で腎組織に到達し、そこに寄生する。免疫能低下などの条件下で、このJCVが変異を起こし、PMLを発症させる。PML患者のみならず、不顕性感染者の尿中にもJCVが排泄されることが知られている。

 PMLは従来希な疾患であったが、近年ではAIDS患者の罹患例が増加しており、多くの患者がこの疾患のために死亡している。しかしJCVに関して多くの研究がなされたにもかかわらず、その伝播様式に関してはほとんど明らかにされていない。本研究の目的は、尿中に排泄されるJCVを利用して、JCVの伝播様式を解明することである。

 尿中のJCVは感染したウイルスそのものでなく、体内で何世代も経たウイルスである。しかし、JCVはDNAウイルスなので、一人のヒトの中で増殖を重ねた程度では、その遺伝子塩基配列はほとんど変化しないとみなせる。また、ある個体の脳や腎組織および尿から分離されるJCVは、多数のクローンを調べても単一の株のみである。すなわち、JCVは重複感染しないことが知られている。したがって、尿から分離したJCV株の比較により、伝播を証明することが可能である。

 過去には、不顕性感染者の尿からは、ほとんどJCVが検出されていなかった。しかし、Southern法などの検出感度が高い方法が用いられるようになってから、健常人や一般患者の尿中にもJCVが排泄されていることが明らかとなった。私は、さらに感度の高い検出法を用いれば、感染者の大半の尿からJCVが分離可能であると考えた。

 今回の研究では、検出感度を高めるために、尿からJCV・DNAを検出する方法にPCR法を採用した。まず初めに、PCR法によって、多くの不顕性感染者の尿からJCVが分離できることを証明した。

 対象には、一般泌尿器科患者または健常人315名を用いた。これらの尿提供者は、10歳刻みの年齢群9群(各群35名)に分かれた。免疫能の低下のある患者は含まれていない。尿からウイルスDNAを抽出し、PCR法によりJCV・DNAの転写調節領域を増幅した。PCR産物を泳動後、Southern法で増幅断片がJCV由来であることを確認し、JCVの陽性を判定した。

 図(1)に、各年齢群ごとの尿のJCV陽性率を示す。尿のJCV陽性率は、0-9歳群と10-19歳群では(8.6%、17.1%)と低値であるが、20-29歳群で急激に上昇した(45.7%)。その後は加齢とともにゆるやかに増加し、30歳を過ぎるとプラトー(60%前後)に達した。全年齢群の平均では48.3%であった。

図(1) 尿のJCV陽性率と年齢との関係各年齢群n=35(全体n=315)。*P<0.05。

 血清抗体の保有率は、6歳で約50%、20歳で70%に達し、以後は70-80%で推移することが報告されている。今回の結果と対比して考えると、成人の感染者のほとんどが尿にJCVを排泄していることが明らかである。増幅したJCV・DNA断片は、伝播様式の解析に用いることが可能である。

 次に、PCR法で分離したJCV・DNA断片を用いて、実際にJCVの伝播様式の解析を試みた。JCVの家族内伝播の存在は、証明されていない。しかし、多数のヒトの尿を検査したところ、複数の家族構成員が尿中にJCVを排泄している家族が比較的多いことが判った。私は、JCVが家族内で伝播する可能性があると考え検討を行った。

 対象には、子供と親の両方が尿中にJCVを排泄している7家族を選んだ。7家族の構成員は37名であったが、このうち27名からJCVが検出されていた。今までのところ、今回の研究の対象となるような、狭い範囲から分離された株を識別する方法は報告されていない。本研究では、塩基置換に富む領域とされている、V-T遺伝子間領域(IG領域)の全塩基配列を比較する方法を採用した。

 尿から抽出したウイルスDNAから、610塩基からなるIG領域をPCR法で増幅し分離した。この増幅断片をクローニングし、各クローンの塩基配列を自動シークエンサーで決定した。JCVが重複感染しないことが明らかにされており、各個人には一つのJCV株が寄生すると考えてよい。各人から2回採尿を行い、別個に得た複数のクローンを比較して、塩基配列のコンセンサスを得た。このIG領域の全塩基配列を、各人から分離したJCVごとに比較した。

 全塩基配列が一致したものを同一株とみなして、27名から検出されたJCVは18株に識別可能であった。18株は、6つの塩基の相違から2つの群に分類されたので、株名を1-N、2-Nとした。従来のCY-MY亜型分類と比較すると、1-N群はMY亜型、2-N群はCY亜型に一致し、この6塩基がCY-MY亜型分類の指標となることが発見された。今回の株識別法では、同一亜型の株同士でも塩基の違いによって区別可能である。

 家族内でのJCV株の分布を図(2)に示した。大部分の家族において"共通株"と"特異株"が検出された。ここでの"共通株"とは子供と親の両方にみられた株であり、"特異株"とは子供のみにみられた株である。"共通株"はJCV陽性の子供(18名)のうち半数(9名)から検出され、"特異株"は残りの半数(9名)から検出された。

図(2) JCV株の家族内での分布。正方形が男性、円が女性。右肩に年齢、下に株名を示す。複数の人に共通にみられた株には下線を引いた。

 ある個体が尿に排泄するJCV株を長期間追跡した結果、環境によらず常に同一の株が分離されることが明らかとなっている。また、ほとんどのヒトが子供の頃にJCVに感染する。このため、初感染したJCV株のみが持続して寄生していると考えられている。大部分の人が子供の頃にJCVに感染するから、"共通株"はJCVが親から子供へ伝播することを示唆している。半数の子供が、この経路からJCVに感染したと思われる。

 一方、"特異株"の検出は、JCVが親兄弟以外からも伝播することを示唆している。やはり半数の子供が、この経路からJCVに感染したと思われる。

 母親との"共通株"の存在からは、これが垂直感染であることも考えられる。しかし、過去の多くの研究から、JCVの垂直感染は完全に否定されている。

 2家族では複数の子供に"共通株"が検出され、子供から子供への伝播も考えられるが、子供がJCVを排泄することは少なく、これはJCVの伝播経路の一部に過ぎないと思われる。

 最後に、本研究において私が明らかにしたことをまとめる。成人期以後のJCV感染者の大部分が尿中にJCVを排泄している。JCVの伝播は、しばしば親から子供へ水平感染で起こる。一方、同程度の割合で、JCVは親以外からも子供へ伝播する。

 これらのことから、私は次のように考えた。おそらく、子供に感染が成立するためには、子供はJCVを排泄している大人に繰返し接触することが必要である。子供が最も頻繁に接触する大人は親であるから、JCVが親から子供へ伝播する率が高くなる。しかし、親以外てもJCVを排泄している大人は無数にいるから、親以外から伝播する可能性も同程度にある。

審査要旨

 本研究はPML(進行性多巣性白質脳症)の原因ウイルスであるJCウイルスの伝播様式を明らかにするため、不顕性感染者の尿中に排泄されるJCウイルスDNAをPCR法で分離し、その塩基配列の解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

 1.315名の一般外来患者と健常者の尿からPCR法を用いてJCウイルスDNAを検出した結果、尿のJCウイルス陽性率は48.3%であり従来報告されていた陽性率よりもはるかに高いことが示された。また、0から19歳の年齢では尿のJCウイルス陽性率は低いが、20歳以上で急激に増加し、30歳以後は60%前後の値をとっていた。すなわち、成人の不顕性感染者の大半が尿中にJCウイルスを排泄していることが示された。

 2.8家族37名の尿からPCR法によりJCウイルスのV-T遺伝子間領域の分離を試みた結果、37名中27名の尿から同領域のDNA断片が分離された。同領域の塩基配列を決定し比較した結果、27名の尿から分離されたJCウイルスは18株に識別されることが示された。この8家族におけるJCウイルス株の分布を検討した結果、感染した子供の50%は親と同一の株であり、他の50%は親兄弟とは異なる株であった。すなわち、JCウイルスの伝播のうち半数は親から子供への伝播であることが示唆された。

 以上、本論文は尿中JCウイルスの塩基配列の解析から、JCウイルスにおける親から子供への伝播の存在を明らかにした。本研究はこれまで未知に等しかった、JCウイルスの伝播様式の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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