学位論文要旨



No 212560
著者(漢字) 渡辺,すみ子
著者(英字)
著者(カナ) ワタナベ,スミコ
標題(和) ヒトGM-CSFレセプターによるシグナル伝達機構の研究
標題(洋) Mechanism of signal transduction of human GM-CSF receptor
報告番号 212560
報告番号 乙12560
学位授与日 1995.11.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第12560号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渋谷,正史
 東京大学 教授 清水,孝雄
 東京大学 教授 山本,雅
 東京大学 教授 中畑,龍俊
 東京大学 助教授 平井,久丸
内容要旨

 サイトカインは血球細胞やリンパ球の増殖、分化、機能を制御する液性因子である。IL-3は活性化T細胞や肥満細胞から産生され、多能性血液幹細胞や分化した種々の血球細胞に作用する。GM-CSFはさらに線維芽細胞からも産生されるが、その生物活性はIL-3と極めて類似している。IL-3とGM-CSFのアミノ酸配列はヒト、マウスの間でそれぞれ29%および50%保存されており、その作用は種特異的である。IL-3/GM-CSF/IL-5レセプターはそれぞれに特異的な鎖と全てに共有される鎖より構成されている。両者とも細胞外部分の4つのシステイン残基とWSXWSモチーフにより特徴づけられるサイトカインレセプタースーパーファミリーに属している。鎖の細胞内部分は881アミノ酸残基からなり、他のサイトカインレセプターにも見い出されるBOX1,BOX2配列を持つ。GM-CSFやIL-3刺激により種々の細胞内蛋白質のチロシン残基がリン酸化されるが、そのレセプターの鎖、鎖にはキナーゼやSH2,SH3様配列は存在しない。これらの事実はチロシンキナーゼドメインをもつ増殖因子型レセプターとは異なるサイトカインレセプターに特有のシグナル伝達機構の存在を示唆するものである。またGM-CSFやIL-3はc-fosやc-mycの初期応答遺伝子の活性化とDNA合成を誘導するがその機構は不明である。これらの諸問題を解明するために本研究は次の手法を用いることを指針として出発した。1)ヒトGM-CSFレセプター(hGMR)の種特異性を利用して、マウス線維芽細胞やpro B細胞に一遇性または安定的に再構成しそのシグナル伝達能について検討する。2)c-fosやc-myc等の初期応答遺伝子の活性化とDNA合成の誘導など種々のシグナル伝達に関与するレセプター領域を同定する。3)hGM-CSFに応答するc-fosやc-myc等の標的遺伝子やレプリコンDNAのシス領域を同定する。4)レセプターの機能領域と相互作用するシグナル伝達分子あるいはDNAのシス領域と相互作用するDNA結合蛋白質を同定し、レセプターから核に至るシグナル伝達経路を解析する。さらにこの過程において転写や複製に至るGMRシグナルを解析するために、一過性遺伝子発現系に基づく迅速かつ精度の高い種々の活性測定法を開発することを試みた。従来の安定遺伝子発現系によるシグナル伝達の解析法は、1)安定発現株を得るために時間がかかり、その過程で特定の選択圧がかかる可能性がある事、2)組み込み型ベクターでは導入遺伝子の染色体への挿入箇所により、細胞株間の相違がありうる事、3)細胞の増殖能の制御に関する遺伝子では安定発現株を得られない場合がある事などの制約があった。主な研究結果を以下に要約する。

(1)マウス線維芽細胞におけるhGMRの再構成とシグナル伝達能の解析

 GM-CSFは一部の内皮細胞にも作用するがその主な標的細胞は血球細胞であり、GMRの発現も主として血球系に限局している。hGMR鎖をCOS7細胞に発現することにより高親和性レセプターが再構成されうるが、そのシグナル伝達能については不明である。そこでまずGM-CSFのシグナル伝達における血球細胞特異的な因子の関与について検討するため線維芽細胞でhGMRを再構成した。マウスNIH3T3細胞に発現したhGMRはhGM-CSFの刺激に応答してc-fos/c-jun/c-mycなどの初期応答遺伝子の転写を促進し、DNA合成を誘導した。またhGM-CSFにより誘導された細胞内蛋白質のチロシンリン酸化パターンは血球系細胞とほぼ同様であった。hGM-CSF刺激により細胞数は増加するが軟寒天培地においてコロニーを形成しない。これらの事実はhGMRが線維芽細胞でも機能的であることを示すものである。以上の結果から1)hGM-CSFのシグナル伝達には血球細胞特異的因子は必須ではないこと、2)hGMRは多くの細胞に共通するシグナル伝達分子に連結して機能しうる事が結論された。

(2)初期応答遺伝子と増殖の活性化に関与するhGMR鎖細胞内領域の解析

 次にBA/F3とNIH3T3細胞を用いてc-fos、c-jun、c-mycなどの遺伝子活性化と増殖促進に関与するhGMR鎖細胞内領域についてC末端側からの段階的欠失変異体を用いて検討した。その結果、[3H]thymidineの取り込みを指標とするDNA合成とc-myc遺伝子の誘導には細胞膜直下の部分(アミノ酸残基の位置455-544)が必要であるのに対し、c-fosとc-jun遺伝子の転写活性化にはよりC末端側領域(アミノ酸残基の位置544-589)が必要であることが明らかとなった。またチロシンキナーゼの関与についてその阻害剤であるgenisteinやherbimycinを用いて解析した。genisteinとherbimycinは共にhGM-CSFによる増殖とc-mycの誘導を完全に阻害したが、c-jun mRNAの誘導を阻害せず、c-fos mRNAの誘導はgenisteinにより増強された。以上の結果はhGMRのシグナル伝達には鎖の異なる細胞内領域に依存し、かつチロシンキナーゼ阻害剤に対する感受性が異なる2つの経路が関与することを示すものである(図1)。

図1
(3)GM-CSFによるc-myc遺伝子活性化機構の解析

 GM-CSFは増殖因子型レセプターと同様にras、raf、MAPK、PI3Kなどのシグナル伝達分子を活性化する。これらの分子は主としてc-fos遺伝子の誘導に関与していることが示唆されており、c-myc遺伝子の活性化とDNA合成の誘導に関与するシグナルについては不明の点が多い。本研究ではGM-CSF刺激に依存するc-mycプロモーターの活性化とポリオーマレプリフンの複製系を確立しこれらのシグナルについて解析した。c-mycプロモーターはc-fosプロモーターに比べて活性が弱いためこれまで充分なシグナルを観察することが困難であった。そこでまずBA/F3細胞のトランスフェクションの条件について再検討し遺伝子導入効率を改善した結果、GM-CSFに依存してc-mycプロモーターの活性を測定することが可能となった。この系を用いてc-myc遺伝子のP2プロモーターがGM-CSFシグナルに応答することが明かとなったがこの領域にはE2F認識配列が存在する。最近、E2F認識配列を介してE2F/DP1複合体が転写活性を促進するのに対しE2F/p107またはE2F/Rb複合体は抑制する事が示された。GM-CSF刺激はP2プロモーターのE2F認識配列上のE2F/p107複合体を減少させ、E2F/DP-1複合体を増加させる。これにはhGMR鎖の膜貫通部位直下の領域を介したシグナルが必須であるが、rasを介するよりC末端側部分のシグナルも促進活性をもつ事が明らかになった。(図2)

(4)GM-CSFによるポリオーマレブリコンの複製機構の解析

 サイトカインや増殖因子は細胞周期のG1期からS期への移行を制御するが、この過程は多段階の反応により構成されている。増殖因子による細胞周期の進行と増殖の解析に用いられてきた[3H]thymidineの取り込み、細胞数の増加、あるいはMTT活性などの測定法はDNA複製の開始を直接に測定するものではない。また染色体の複製起点をはじめ哺乳動物細胞のDNA合成には不明の点が多い。そこで本研究ではT抗原以外は全て宿主蛋白質に依存して複製が開始するポリオーマレプリフンを用いて血球系でhGM-CSFに依存するDNA複製系を確立した。血球細胞におけるポリオーマ複製起点を含むプラスミドの複製と転写は共発現されたLarge T抗原とGM-CSF刺激によりポリオーマエンハンサーのEts認識配列に依存して活性化されることが観察された。さらに細胞内欠失変異体を用いて関与するhGMR鎖の領域について検討した結果、ポリオーマの転写活性化にはc-fos/c-jun遺伝子の活性化に関与する領域が必要であるが、複製開始には膜貫通部位直下の領域が必要であることが明らかになった。これらの結果はポリオーマのエンハンサーが転写の活性化と複製開始においてそれぞれ異なった役割を果すことを示唆するものである(図3)。

図表図2 / 図3

 以上のように本研究によりGM-CSF応答するc-fosやc-mycプロモーターの転写活性化、ポリオーマの複製の解析法を一過性発現系を用いて確立することができた。この系を用いて本申請者は1)hGMRは種々の細胞に共通するシグナル伝達分子に連結して機能し得ること、2)hGMR鎖の細胞内部分はc-fos/c-jun遺伝子の活性化に関与する領域とc-myc遺伝子/DNA合成活性化に関与する2つの機能領域に区分し得ること、3)c-mycプロモーターのE2F認識配列やポリオーマエンハンサーなどのシス配列がhGMRシグナルに応答することなどの新たな知見が得られた。これらは従来、増殖因子レセプター系でも不明の点が多かった初期応答遺伝子の活性化とDNA合成の誘導に関するシグナル伝達経路の研究に新たな視点を導入するものである。今後、これらbGMRの機能領域と相互作用するシグナル伝達分子からc-myc遺伝子のE2F認識配列あるいポリオーマエンハンサーの活性化に至るシグナル伝達経路について解析することが課題となる。そのためにGM-CSF刺激に依存するc-mycプロモーターの転写やポリオーマ複製の試験管内系を開発し、c-myc、CDK、サイクリンなど細胞周期や増殖の制御に関与する分子の役割を生化学的に解析する予定である。

審査要旨

 本研究は様々な血球系細胞の増殖と分化に重要な役割を果たしているGM-CSFのレセプターのシグナル伝達の機構を検討するために、血球系および非血球系の培養細胞株に野生型または変異体のヒトGM-CSFレセプターを再構成し種々のシグナル伝達について検討を加えたものである。この研究によって得られた主な結果は以下のようなものである。

 1.GM-CSFレセプターは、チロシンキナーゼレセプターやホルモン型レセプターなどこれまで知られたレセプターとは構造を異にするサイトカインレセプターファミリーに属し、そのシグナル伝達は血球系に特異的である可能性が指摘されていた。本研究により線維芽細胞に再構成されたGM-CSFレセプターがDNA合成、初期応答遺伝子の転写活性化などのシグナルを伝えうることが示され、血球系以外の細胞でもシグナル伝達が可能であることが明らかになった。また、c-fosプロモーターを用いた一過性発現の系によるレセプターシグナル伝達の評価が可能になり、レセプターシグナル伝達の研究がより迅速に正確に行なうことが可能になった。

 2.前述のようにGM-CSFはレセプター自身、細胞内蛋白質のチロシン残基のリン酸化に加えて、増殖、c-fos、c-jun、c-mycなどの初期応答遺伝子の活性化を血球糸細胞、非血球系細胞でおこすが、これらの活性化にかかわるシグナル伝達分子、チロシンキナーゼの関与について不明の点が多かった。GM-CSFレセプター鎖の段階的欠失変異体、チロシンキナーゼインヒビターを用いて、これらの活性を制御するシグナル伝達経路が大きく2つの経路に大別されることを明らかにした。第1の経路はc-mycの活性化、増殖に至るもので、チロシンキナーゼインヒビター、ゲニステインによって完全に阻害され、ヒトGM-CSFレセプター鎖の膜貫通領域直下部分のみを必要とする。第2の経路はc-fos、c-junの活性化に至りヒトGM-CSFレセプター鎖膜貫通直下部分に加えてよりC末端部分も必要とする。またこの経路はゲニスタインによって全く阻害されないばかりか、c-fosの活性化はより増強されることが明らかになった。これらの結果によりチロシンキナーゼが実際にGM-CSFのシグナル伝達に関与していること、またレセプター変異体の利用により特定のシグナル経路のみを活性化または不活性化することができるようになり、レセプターシグナルの解析に新しい展開を与えた。

 3.c-fos、c-junの活性化に至るシグナル伝達経路がMAPKカスケードの経路の関与などチロシンキナーゼ型レセプターの研究を通じて明らかであるのに対して、c-mycの活性化、増殖の活性化に至るシグナル伝達は未知の部分が多い。この点を解明するためまずGM-CSFによるc-mycの転写活性化機構を明らかにする目的でc-mycプロモーターを用いた増殖因子依存性の一過性発現の系を血球系細胞において確立した。c-mycプロモーターは転写活性が弱くこれまで増殖因子に依存したプロモーター活性の評価系は確立していなかったのでこの解析系が、比較的遺伝子導入効率が悪いとされている血球系細胞で確立されたことは意義が深い。本研究では種々のc-mycプロモーターフラグメントをCAT遺伝子につなぎGM-CSFによる転写活性化に必要な領域を決定し、さらにc-mycプロモーターフラグメントDNAを用いたゲルシフト解析による転写因子の結合状態の解析によりGM-CSFは主にc-mycプロモーターのP2転写開始部分を使っていること、E2F部位を介して正、負の調節を行なっていることなどが明らかになった。これらの事実が明らかになったことにより、さらにGM-CSFにより活性化を受けるE2Fの同定、その制御シグナルの解析へと発展させることが可能になり、これまで未知であったc-myc活性化の機構の解析の解明への道が開けた。

 4.さらに細胞増殖の制御機構について明らかにするためにDNA合成の開始機構を解析するためポリオーマウイルスの複製オリジンをもちいたDNA合成開始の解析を開発した。従来、DNA合成、細胞増殖の解析は細胞数の増加、MTT解析、[3H]Thymidineのとりこみなどが用いられているが、これらは細胞の活性を総合して評価しているものであったり、DNA合成の開始、修復、延長反応の総和であるなど特定の反応の解析ではないのでシグナル伝達機構の解析には不向きであった。哺乳細胞ではDNA合成の開始点は同定されておらず、複製装置をへリカーゼ以外全てホストの細胞によっているポリオーマウイルスはよいモデルになると考えられる。本研究で使われたポリオーマウイルスレプリコンは種々のエンハンサーに加えてCAT遺伝子を組み込んであるので転写と複製両者について開始機構の解析が可能である。この系の確立によってGM-CSFが異なるシグナル伝達経路を介してポリオーマウイルスレブリコンの転写と複製を活性化すること、その際エンハンサーが異なる機構で転写と複製に寄与する可能性が示唆された。

 以上、本論文はGM-CSFレセプターのシグナル伝達の機構を明らかにし、サイトカインレセプターシグナル伝達全般の解明にも重要な貢献をもたらすと考えらる。さらには未知の部分が多い哺乳細胞でのDNA合成開始の機構解析の格好のモデル系としての有用性も示され、学位の授与に値するものと考えられる。

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