主として人間関係のストレスが原因となって発症する心身症患者の研究から、その行動特性が、自己の欲求や主張を抑え、他者に利益をもたらすような利他性であることが明らかとなった。また、これらの患者の血中テストステロン値が健常者と比べ、有意に低いことも認められた。一方、人間以外の霊長類においては順位関係が存在する。劣位は、異性や食物の接近において優先権を優位に譲る。また、劣位、あるいは攻撃性の低いものでは、血中テストステロン値が低いと言われている。以上の点を踏まえたうえで、心身症患者のコミュニケーションにおける生理的反応を解明する研究の第一歩として、二匹の赤毛ザルのオスを遭遇させ、その際の内分泌反応(下垂体-副腎皮質系の反応)を調べることにした。 方法 実験動物として、四匹の赤毛ザルのオスを用いた。いずれも、実験開始まで異なるグループに属し、屋外の飼育場で生活していた。実験開始の少なくとも1ヵ月前に屋内のケージ(0.9m×0.9m×0.7m)に移した。優劣の判定は、二匹を同じケージに入れ、イモの一片を与えたとき、優先的にイモを食べるものを優位とすることで行った、上肢あるいは下肢の静脈からの採血後、ACTH、コルチゾール、アンドロジェンの測定を行った。統計解析は、ウィルコクソンの符号順位検定を用いた。 実験1 同居時のACTH、コルチゾールの分泌反応と優劣 二匹のサルを2時間同居させ。同居中と同居終了後に採血を行い、血中ACTHとコルナゾールの変化を調べた(以下、同居実験と称す)。一部については、始めての同居の前に、互いに接触できない距離での2時間の対面をさせて、同様の測定を行った。また、一部については、一日一度の同居実験を二日にわたり繰り返し行い、変化を調べた。 実験2 長期同居後の分離に伴うACTHの分泌反応 優劣が明らかな三組について、6日間の同居の後の分離に伴うACTHの変化を調べた。 実験3 血中アンドロジェン値と優劣関係 一組のサル(A.B)について、一年半にわたり、血中アンドロジェン値、優劣の判定、同居実験を繰り返し調べた。また、他の二匹(A、B)に対して劣位である一匹(C)に、testosterone enanthateを12.5mg/week(筋注)繰り返し投与しつつ、A,Bとの同居実験と優劣の判定を行い、その変化を調べた。 実験4 副腎皮質刺激ホルモン放出ホルモン(CRH)負荷テストによるACTH,コルチゾールの分泌 一匹のサルに9ヵ月の間に5回、CRH負荷テスト(25 gせて静注)を繰り返し、ACTH,コルチゾールの変化を調べた。また、三組のサルについて、単独時と同居時にCRH負荷テストを行い、優劣の関係をみた。 結果 実験1 始めての同居実験を行った五組のうち、四組においてACTHの分泌動態に明らかな差が認められた。優劣の判定を行ったところ、ACTHの分泌に一過性の上昇のあるものが優位であった。五組すべてに関し、優劣のグループに分けて、ACTHとコルチゾールの平均値をとると、優位グループは劣位グループに比べて、ACTH、コルチゾールともに、分泌が有意に上昇した。なお、同居中、二匹の間に攻撃行動はほとんどみられなかった。 繰り返し、同居実験を行ったベアーでも、ACTHの一過性の高分泌を示すものが優位であった。また、接触できない距離で始めて対面した際のACTHは、優劣関係に対応した反応をすでに示しており、その後の同居時の反応と同じ傾向を示した。二日続けての同居実験では、優位に特徴的な反応は消失し、優劣に反応の差は認められなくなった。 実験2 六日間の同居後の分離では、優位は劣位と比べ、有意にACTHの分泌の上昇を示した。 実験3 実験期間中、血中アンドロジェン値は季節性の変化を示したが、常にBのほうが高値であった。一方、AとBの優劣関係は時期により変化し、これは二匹の血中アンドロジェン値の比B(T)/A(T)と関係していることが分かった。すなわち、B(T)/A(T)の低値とAの優位、高値とBの優位が対応している。 一方、優劣の変化とともに、同居実験の結果も変動した。すなわち、劣位に比べ、優位でACTHの分泌が上昇した。テストステロン製剤を劣位Cに投与した結果、優位のA,Bとの同居実験で、ACTHの分泌傾向が逆転し、劣位の分泌が優位での分泌の特徴を持つようになった。しかしながら、優劣の判定では明らかな逆転は認められなかった。 実験4 CRH負荷テストを1〜3ヵ月の間隔で繰り返し行ったところ、ACTHの反応は大きく変化したが、コルチゾールの反応は、比較的一定であった単独時と同居時のCRH負荷テストの結果では、優劣が明らかであるペアーでは、単独時には優劣で差はみられないが、同居時には、優位と此べ、劣位ではACTHの分泌が低下した。 考察 本研究で明らかになったことは、二匹の赤毛ザルのオスを同一ケージに入れるというストレス状況下において、二匹の間に、たびたびHPA系(視床下部-下垂体-副腎皮質系)の反応に質的差が認められたが、この差が優劣の順位関係に特徴的であったことである。すなわち、ACTHの一過性の上昇が生じるものが優位で、生じないものが劣位であった。 一方、動物を用いた既存研究の多くでは、攻撃的な遭遇においては、劣位の血中コルチコステロイドの上昇が優位に勝るという結果が示され、優位と比べて、劣位におけるHPA系のより強い活性化が指摘されてきた。このような、本研究との相違の原因としては、既存研究の多くが、一対一の同居によるものでないこと、観察している内分泌的変化が長時間(日の単位)にわたっていること、また、HPA系の指標としてACTHを用いていないことなどがあげられる。しかしながら、最も重要な相違点としては、既存研究が攻撃的出会いを扱っているのに対し、本研究では、二匹の遭遇に際し、攻撃的行動がほとんどみられなかったところが挙げらるだろう。 テストステロンが優劣や攻撃性と関連があるとは以前から言われているが、本研究では、必ずしも血中アンドロジェン値の大小が優劣を決めるのではなく、アンドロジェン値の比の大小とともに、他の因子(例えば、遺伝的、経験的因子)も関わっていることが示唆された。 CRH負荷テストによれば、ACTHの反応とコルチゾールの反応が平行せず、HPA系の活性ほACTHの反応にTL接的に表現されることが示唆された。また、同居時のCRH負荷テストから、劣位のサルでは、優位に比べACTHの反応が抑制されており、劣位のHPA系の不活性の一部が、ACTHの抑制である可能性が考えられる。 ところで、最近の報告によれば、苦痛な状況、あるいは、コントロールが不可能な状況に伴って、HPA系が活性化するという。その意味では、同居時に優位ザルでHPA系が活性化されることは理解できる。一方、長期同居後の優位サルでの活性化も、ストレスからの解放による快ストレスに対する反応として理解できるかもしれない(ドーバミンの反応にその例がある)。しかし、劣位サルにおいて、同居時にHPA系が活性化しないことは理解しがたい。が、このように、ストレスに対しHPA系が活性化しない例としては、子供の死に直画した母親たち、心的外傷後ストレス障害、および、心身症患者に特徴的な失感情症などがある。これらの例は、本研究とは異なり、慢性ストレス下における反応であるので、本研究の結果と直接に結びつけることはできないが、示唆的なものであると考えられる。また、HPA系に関わるCRH、あるいは、ACTHなどが注意力を高めるなど、覚醒状態を促す物質であること、そして、人間での敵意に結びついてHPA系が活性化することなども、優劣での生理的反応の違いの意味を探る鍵になるかもしれない。 本研究は、人間におけるコミュニケーションのストレス研究の第一歩として、人間に最も近いと考えられる社会的動物、サルを用いて行った。本研究の結果のひとつである、劣位サルにおけるHPA系の不活性は、優劣のコミュニケーションにとり適応的なものであると考えられる。今後は、優劣のストレス反応の差に関するメカニズムを探りつつ、人間関係を維持していく際のストレス反応と、その結果としての心身症との結びつきを追及していくつもりである。 |