学位論文要旨



No 212563
著者(漢字) 玉井,真理子
著者(英字)
著者(カナ) タマイ,マリコ
標題(和) ダウン症候群の告知をめぐる現状と課題に関する社会医学的研究
標題(洋)
報告番号 212563
報告番号 乙12563
学位授与日 1995.11.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 第12563号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 栗田,廣
 東京大学 教授 川田,智恵子
 東京大学 教授 武谷,雄二
 東京大学 教授 柳沢,正義
 東京大学 教授 徳永,勝士
内容要旨

 ダウン症の告知のあり方は、親の障害受容や精神的安定・養育意欲に直接影響し、ひいては当該児の成長発達にも間接的に影響を及ぼし得るものとして、きわめて重要な意味を持っている。しかし、告知の重要性は認識されていながら、本邦におけるダウン症の告知のあり方に関しては、その現状、さらには検討されなければならない課題等、必ずしも明らかにはなってはいない。専門家の間でも、告知のあり方についてのコンセンサスが得られているとは言い難く、また、十分な議論もなされてはいない。「告知される側」である親を対象にした調査研究がこれまでにいくつかあるが、いずれも限定された地域での小規模なものであり、報告年代も決して新しくはない。一方、「告知する側」である医師を対象にした調査研究は、国内外を問わず未だほとんどない。

 以上のような背景をふまえ、本研究は、本邦におけるダウン症の告知をめぐる現状を把握し、同時に課題を明らかにすることを目的とした。方法としては、郵送による質問紙調査法を用いた。対象となったのは、「告知される側」であるダウン症児の親1,215人(発送1,728に対し、回収率70.3%)と、「告知する側」である産科・小児科を中心とする新生児科領域の医師318名(発送580に対し、回収率54.8%)であり、調査は1993年から1994年にかけて全国規模で行われた。

 その結果、明らかになった主要な知見は以下の通りである。

 1.告知の時期は、明らかに早期化していた。この早期化は1980年代までに達成されており、特に1990年代においては、6割以上(総合病院等においては5割強)が1週間以内に告知されていた。医師を対象とした調査結果との対照によっても、総合病院等においては5割強が1週間以内に告知することを原則としており、告知する側・される側双方の視座から本邦における告知の早期化傾向を示す実証的データが示された。

 2.親によって回想的に希望された告知の時期は、児の出生年代に従って早期化しており、全体としては「生後1週間以内」までの時期が過半数を占め、1980年代以降は約6割を占めていた。しかし、この希望された告知の時期は実際の告知時期によって左右されており、具体的には、生後1カ月以内までに告知された場合において、実際の告知時期を比較的肯定的に評価する傾向が認められた。また、このような実際の告知時期を肯定的にとらえる傾向は、告知に対する「満足度」が高いほど顕著であった。なお、出生直後(おおむね生後24時間以内)の告知を支持する親の意向は、最近の傾向としても依然低く、1990年代に出生した児の親においても2割に満たなかった。この点は、欧米の諸研究の中にみられる親の態度とは対照的であり、社会・文化的背景の相違によるものであろうと推測された。

 3.告知の際の「父母同席」は、親の側の回答からすると約4割にとどまっており、児の出生年代による統計的有意差は認められなかった。これに対し、8割以上の親が最初から「父母同席」のもとで告知されることを望んでいた。一方、医師の側の回答からすると、約6割は「父母同席」のもとで告知していると回答されており、相違がみられた。これは、何をもって告知とするかに関しての両者の認識の相違を背景としていると考えられた。したがって、医療者が告知ととらえていないものを、患者家族が告知ととらえている可能性が示唆され、よりいっそうの慎重な対応な必要であることが示された。

 4.告知に対する親の「満足度」に最も影響を及ぼすのは、告知の際の説明内容の豊富さであることが明らかになった。また、これまで「いつ告知すべきか」という点がしばしば論じられてきたが、告知の時期そのものは告知に対する親の「満足度」には影響しないことが明らかになった。さらに、説明内容の豊富さとは独立にこの満足度に影響する要因としては、「被告知者(誰が最初に告知されたか)」・「親の(ダウン症に関する)知識既有度」が確認され、「父母同席」で告知される場合のほうがそうでない場合に比して、また、「親の(ダウン症に関する)知識既有度」が相対的に高いほうが低いほうに比して、告知に対する「満足度」が高いことが明らかになった。このことは、告知というきわめてストレスに満ちた場面で医療者とコミュニケーションする契機を得やすいか否かによる影響と考えられた。

 5.従来から強調されてきた親子間の愛着関係、特に母子関係に関しては、次のような知見が得られた。医師の側には、親子(母子)関係が未成立の段階での早期告知に関して慎重な態度が一部にみられたが、親の側においては、そうした傾向は確認されなかった。むしろ、日齢不相応の曖昧なかたちでの母子接触しかもたないままで告知された場合、実際よりも早期の告知が望まれていた。このことは、親子(母子)間の愛着関係の重要性を否定するものではなく、むしろ告知前の配慮として早期からの積極的な母子接触が重要であることが示唆するものであると考えられた。

 6.告知に対する医師の態度はおおむね積極的であったが、医師の専門性との関連が深く、小児科医のほうが告知することに対してはより積極的であるが、告知の時期は産科医のほうが早いなどの特徴が確認された。このことから、周産期および新生児の領域における産科と小児科の連携のあり方に関する課題のひとつが確認された。

 7.告知する側である医師が伝えたいと考える情報と親が知りたいと考える情報の間にはいくつかの相違点がみられた。特に、「親の会」や「相談機関」に関する情報の重要性に関しては、親にとっての重要性に比して、医師にとってのそれは相対的に低いことが明らかになり、告知の際の説明内容が再検討されなければならない必要性が示唆された。

 以上のように、本研究において、本邦ではじめて、ダウン症の告知をめぐる現状に関しての基礎的資料が提供されるとともに、包括的な課題が明らかになった。

 また、親の障害受容を促し積極的な育児姿勢への転換の契機となり得るようなかたちでダウン症の告知を行おうとする際に、原則として必要とされる条件は以下の通りであることが示唆された。

 1.告知の時期に関しては、親の「知る権利」および児の「適切な教育を受ける権利」の尊重に鑑みれば原則はあくまでも「できるだけ早く」であると言うこともできるが、現実には専門職として社会的な認知を受けている医療者の裁量の範囲である。よって、意図的な秘匿期間をおく場合は、その理由について告知の際に説明し、理解を求めることが必要である。また、次子妊娠・出産についての親の自己決定権を尊重するという立場からは、特別な事由がない限り遅くとも児の出生後1カ月以内までには臨床診断の内容が告知されることが望ましい。

 2.告知は、父母同席のもとに行われることが望ましい。どちらか一方に先に告知せざるを得ない状況の場合には、医療者から直接もう一方にも告知するなど、事後の対応が可及的すみやかになされなければならず、「間接告知(親の一方が医帥から伝えられたことをもう一方に伝えること)」のみで済ませることは避けなければならない。

 3.告知の際には、医学的情報だけでなく、社会・教育的情報、特に親の会や相談機関に関する情報が同時に提供されることが望ましい。しかも、これらの情報が親にとって理解可能なかたちで提供されるためには、頻回面談の機会、親の会を含めた他機関との連携等、継続的支援が不可欠である。

 以上のように、ダウン症をはじめとする先天異常の告知に関しては、患者家族の個別性のみにとらわれるのではなく、あくまでも原則はどうあるべきかを認識したうえで、患者家族の個別性に応じたきめこまかな対応を時宜を得て行っていくことが提言される。

審査要旨

 本研究は、本邦におけるダウン症の告知の現状を把握し、同時に課題を明らかにすることを目的とした、調査研究である。告知する側である医師、および告知される側である患児の親を対象とし、質問紙法を用いて行われた全国規模の調査であり、以下の結果を得ている。

 1.告知の時期は、明らかに早期化していた。この早期化は1980年代までに達成されており、特に1990年代においては6割以上が1週間以内に告知されていた。医師を対象にした調査結果との対照によっても、この早期化は裏付けられた。

 2.親によって回想的に希望された告知の時期も早期化しており、全体としては「生後1週間以内」までの時期が過半数を占めていた。希望された告知の時期は、実際の告知の時期によって左右されており、生後1ヶ月以内までの時期に告知された場合において、実際の告知の時期を肯定する傾向が認められた。また、この傾向は告知に対する満足度が高いほど顕著であった。

 3.告知の際の「父母同席」は、親の側の回答からすると約4割にとどまっており、児の出生年代による差は認められなかった。これに対し、8割以上の親が最初から「父母同席」のもとに告知されることを望んでいた。

 4.告知に対する親の「満足度」に最も影響を及ぼすのは、告知の際の説明内容の豊富さであることが明らかとなった。また、これまで「いつ告知すべきか」という点がしばしば論じられてきたが、告知の時期そのものは告知に対する「満足度」に大きく影響してはいなかった。さらに、説明内容の豊富さとは独立に、「被告知者(誰が最初に告知されたか)」・「親の(ダウン症に関する)既有知識」が、親の「満足度」に影響を及ぼしていた。

 5.医師の側には、親子、特に母子関係が未成立と考えられる時期の告知に対して一部に慎重な態度が見られたが、親の側にはそのような傾向は確認されなかった。むしろ、日齢不相応の曖昧な形での母子接触しか持たないままで告知された場合に、実際よりも早期の告知が望まれており、告知前の配慮として早期からの積極的な母子接触が重要であることが示唆された。

 6.告知に対する医師の態度はおおむね積極的であったものの、専門性との関連が見られた。小児科医の方が告知することそのものに対しては積極的であったが、告知の時期に関しては産婦人科医の方が早いなどの特徴が確認され、周産期医療における両者の連携の課題が示された。

 7.告知する側である医師が伝えたい情報と、告知される側である親が知りたい情報の間にはいくつかの相違が見られた。親にとっての「親の会」・「相談機関」に関する情報の重要性に比して、医師にとってのそれは相対的に低く、告知の際の説明内容は再検討される必要性があると考えられた。

 以上、本論文は、これまで明らかにされてこなかったダウン症の告知をめぐる現状に関して、基礎資料を提供するとともに、包括的な課題も明らかにしている。本研究は、先天異常児とその家族に対するケアの質の向上にとって重要な貢献をなすものであり、学位の授与に値するものと考えられる。

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