学位論文要旨



No 212564
著者(漢字) 田村,誠
著者(英字)
著者(カナ) タムラ,マコト
標題(和) 保健・医療資源のミクロ的配分(Microallocation)の選好に関する実証研究
標題(洋)
報告番号 212564
報告番号 乙12564
学位授与日 1995.11.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 第12564号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 郡司,篤晃
 東京大学 教授 梅内,拓生
 東京大学 教授 丸井,英二
 東京大学 助教授 甲斐,一郎
 東京大学 講師 斉藤,正彦
内容要旨 I.

 保健・医療資源の配分はマクロ的配分とミクロ的配分の2つのレベルに分けられる。マクロ的配分とは、社会がどれだけの資源を保健・医療領域に資源配分するか、あるいは、保健・医療領域の中で各々の分野にどのように資源配分するかを決めるものであり、ミクロ的配分とは、資源が稀少である場合に実際に誰(どの患者)がその資源を使うかを決めるものである。近年、欧米における効率を追求する経済的評価の進展に対し、ミクロ的配分の「公正さ」が失われるという指摘が頻繁になされてきた。わが国における経済的評価を行う動きは未だ端緒についたばかりで、ミクロ的配分の公正さにまで議論は及んではいないが、今後、欧米同様、経済的評価の推進過程でミクロ的配分の公正さの問題がクローズアップされる可能性は高い。また、今後臓器移植が普及すれば、それが一つの契機となり、どのような優先順位で誰が治療を受けるかといったミクロ的配分そのものが社会的に深刻に議論されるようになることも想定される。

 そこで本研究では、保健・医療資源配分のミクロ的配分について既存理論(倫理学、経済学等)の検討を行った上、ミクロ的配分の公正感に関する選好調査を行うこととした。

II.既存理論の検討

 既存理論・研究によると、ミクロ的配分の具体的な原則・考え方としては、大きく分けて、(1)必要性に応じた配分、(2)平等な配分、(3)社会貢献・実績に応じた配分、(4)最も恵まれない人に恩恵があるような配分、(5)自由経済原則に基づく配分、の5つがある。

 各々についての検討の結果、それぞれ長所・利点もあるが、(1)については必要性の客観的な判定方法・基準、(2)には平等な配分を普遍化できる範囲(地域等)、(3)は(1)と同様、社会貢献・実績の客観的な判定方法・基準および弱者切り捨て的側面、(4)は社会全体の効率を低める可能性、(5)は疾病と貧困の悪循環を惹起する可能性、等の理論的問題があり、現時点では決め手となる理論・原則はないと結論づけられた。

III.ミクロ的配分に対する選好調査1.対象と方法

 医療の受け手として一般住民、医療の提供側として医師、看護婦等の医療従事者の2群を調査対象とした。

 調査は自記式調査票により行った。一般住民は、郵送法により、医療従事者は、院内の協力者経由で配付し、回収を依頼した。

 主な調査内容は次の通りである。ミクロ的配分に対する公正感について、「配分方法」「配分基準」「配分割合」の3つの角度から、対象者の選好を凋査した。「配分方法」とは、稀少な保健・医療サービス(生死に直接かかわる医療、かかわらない医療、健康教育等)を分配するとき、抽選方式、自由経済方式、社会貢献方式のどれが最も公正かを尋ねた。「配分基準」とは稀少な医療資源を割り当てられるのは、年齢や、社会的役割、保健行動等の異なる2者のどちらが優先されるべきかを調査した。「配分割合」は、医療資源を3者に割り当てるときに、「社会的効率」と「社会的公平」のどちらを優先した割合にすべきかを調査した。

 さらに、この3つを目的変数としたときの説明変数として、「一般事物の配分に対する公正感」「個人の生活価値観・人生観」「性、年齢等の社会経済的状況」等を調査した。

 分析方法はまず、本調査の目的変数である「配分方法」「配分基準」「配分割合」の3つについて、対象者別にクロス集計し、カイ2乗検定により独立性の検定を行う。次に、一般配分公正感と生活価値観について因子分析を行い、因子得点を計算し、その上で、目的変数である「配分方法」「配分基準」「配分割合」の3つと、説明変数である一般配分公正感、生活価値観、社会経済状況および健康観との関連を、一元配置の分散分析等により、分析した。

2.結果ア.ミクロ的配分の「配分方法」に関する選好(表1)

 一般住民では、8つの保健・医療サービスのうち、6つで「抽選方式」が最も高い選好をみせた。残りの2つのサービス(美容外科の手術、禁煙指導のカウンセリング)では、いずれも「自由経済方式」が最も高い選好をみせた。一方、医療従事者では、「抽選方式」が最も高い選好をみせたのは、生死に関わる2つのサービス(エイズの特効薬、ガンの特殊治療法)のみであった。その他の多くのサービスでは、「自由経済方式」を選択した人が最も多かった。一般住民でも医療従事者でも、生死に関わる2つのサービス(エイズの特効薬、ガンの特殊治療法)では、「社会貢献方式」が30%程度の比較的高い支持を得た。

表1.保健-医療資源の「配分方法」に関する選好(Q1)
イ.ミクロ的配分の「配分基準」に関する選好(表2)

 一般住民で、「配分基準」に関して最も明確な選好がみられたのは、「扶養家族あり(vs単身者)」で、続いて「安全ドライバー(vsスピード違反ばかりのドライバー)」「寝たきりの親の介護者(vs親は健康で、別居)」であった。年齢別の比較では、結局全ての組み合わせで「若い人」の方が選択された。医療従事者で、「配分基準」に関して最も明確な選好がみられたのは、「5歳(vs60)」で、次が「20歳(vs80)」であった。「決められない」を最も多くの人が選択した項目は11にものぼり、一般住民の5つを大きく上回る。

表2.保健・医療資源の「配分基準」に関する選好(Q2)
ウ.ミクロ的配分の「配分割合」に関する選好(表3)

 一般住民で、3者(A氏、B氏、C氏)の「病状」に差がある場合に(以下ケース1)生存期間に大きな差をつける方(以下「傾斜結果」配分)が公正であるとした人は、生存期間に大きな差をつけない方(以下「平等結果」配分)が公正であるとした人を若干上回った。一方、3者の「年齢」に差がある場合に(以下ケース2)「傾斜結果」配分が公正であるとした人は、「平等結果」配分が公正であるとした人を大きく上回った。医療従事者では、ケース1で「平等結果」配分の方が公正であるとした人が、「傾斜結果」配分を選択した人を若干上回った。ケース2では、「傾斜結果」配分が公正であるとした人は、「平等結果」配分が公正であるとした人を大きく上回った。

表3.保健・医療資源の「配分割合」に関する選好(Q3)

 説明変数と目的変数の関係の分析では、一般事物の配分に対する公正感が、ミクロ的配分の方法等への選好と関係があることや、医療従事者の中でも医師が自由経済方式に対する選好が強く、看護婦等の他の職種と異なる傾向があること等が明らかになった。

IV.考察

 まず、ミクロ的配分の「方法」であるが、一般住民では抽選方式が高い支持を集め、平等配分の傾向が強くみられた。この結果は、わが国の現行の医療(保険)制度と符合し、現状追認的な結果であったと言える。医療従事者では、自由経済方式への選好が強く、様相を異にする。しかし、この自由経済方式への選好は「医師」に特異的にみられる傾向であり、わが国全体を考えたときに、受容性が高いとは言い難い。

 一般住民でも医療従事者でも、「生死に関係のある医療(エイズの特効薬、ガンの特殊治療法)」で「社会貢献方式」が相対的に高い選好をみせた。これは一般に「生死に関係のある医療」こそ平等性が強く求められるという説と異なる。「生死に関係のある医療」は、生死に関係あり、簡単には決められないからこそ抽選方式を回避し、社会貢献方式を選択する傾向があるものと解され、功利主義的考え方の関与がみられた。

 次に、ミクロ的配分の「基準」では、一般住民で年齢および家庭内責任に対して比較的高い選好が生じ、一般配分公正感に関し「貢献主義」の人が多かったことからも、「功利主義的」考え方が関与しているものとみられる。

 ミクロ的配分の「割合」であるが、ケース1の場合、一般住民でも医療従事者でもほぼ回答が拮抗しており、どちらが高い選好があるとは言えない。一方、ケース2の場合は、一転して、社会的平等よりも社会全体の効率が優先された結果となっている。この2つは一見矛盾した結果のようにもみえるが、マクシミン原理を適用すると双方とも矛盾なく説明が可能となる。ケース1では最も病状の重い人が最も不幸な人であると言える。一方、ケース2では、もし3人共同時に死亡したとすれば最も若い人が最も不幸であると言える(これまでの生存時間が短かったという意味で)。このように解釈すると、マクシミン原理通り、双方のケースで「最も不幸な人」を優先する結果となっている。

 調査結果全体より、既存理論を見直してみると、理論的検討で得た結論と同様、決め手となる原則・考え方はなく、さまざまな理論が場面に応じて拮抗していることが明らかになった。ミクロ的配分の決定に際しては、医療サービスの種類、配分対象者の特質等に応じて、適用すべき考え方・原則を決定するのが望ましいと考えられた。

審査要旨

 本研究は、保健医療資源の配分に際し、常に問題となる「効率性」と「公正さ」のバランスをとる方法・考え方について検討したものである。昨今、資源配分の効率性についての言及が多数なされる中、複眼的な視点で行われた研究であり、今後の保健医療資源の配分にあたって示唆するところは大きい。

 広範な文献研究を行ない理論的分析を加えた上で、一般住民と医療従事者に質問紙により調査を行い、実証データを得ていることが本研究の大きな特徴である。

 研究結果は以下のとおりである。

 1.初めに、保健・医療資源のミクロ的配分に関して、既存研究の文献レビューにより、理論的検討を行ったところ、ミクロ的配分の具体的な原則・考え方としては大きく分けて、(1)必要性に応じた配分、(2)平等な配分、(3)社会貢献・実績に応じた配分、(4)最も恵まれない人に恩恵があるような配分、(5)自由経済原則に基づく配分、の5つが選択肢として考えられたが、いずれも理論的な問題点を有することを明らかにした。

 2.同配分に関し、一般住民と医療従事者に社会調査を行ったところ、一般住民に受容される、稀少な保健・医療サービスの配分方法(抽選方式、自由経済方式、社会貢献方式)は、平等を含意すると解される抽選方式が大半であり、いわば現状追認的な結果であった。一方、医療従事者のうち、医師では自由経済方式への選好が高く、現行の配分方法を否定する傾向がみられた。一般住民と医療従事者の双方の共通の特徴として、生死に直接関係する医療(エイズの特効薬等)では、生死に関係のない医療に比べて、最も選好の高い抽選方式に続き、社会貢献方式に対する選好が高く、功利主義的考え方の関与が示唆された。

 4.稀少な保健・医療サービスの配分基準(性、年齢、家族状況、職業、等)としては、一般住民では「年齢」「家庭内責任」[保健行動」に高い選好があり、ここでも功利主義的考え方がみられた。医療従事者では、年齢以外には高い選好がみられなかった。

 5.稀少な保健・医療サービスの配分割合としては、双方の対象者とも、病気の程度が異なる人々に資源配分する際には、全体の効率が下がっても、結果としては平等となる配分への選好が高かった。年齢が異なる人々に資源配分する際には、若い人を結果として長く生存できるようになる配分への選好が高く、それぞれの結果をマクシミン原理により説明することができた。

 以上、理論的検討で得た結論と同様、ミクロ的配分については、全てのケースに適用しうる決め手となる原則・考え方はなく、さまざまな理論が拮抗していることが実証研究より明らかになった。ミクロ的配分の決定に際しては、医療サービスの種類、配分対象者の特質等に応じて、適用すべき原則・考え方を決定するのが望ましいことを明らかにした。本研究はこれまで、実証的に明らかにされることのなかった、保健医療資源のミクロ的配分のあり方の解明に重要な貢献をなすと同時に、今後の保健医療資源のよりよき配分に貢献すると考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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