学位論文要旨



No 212565
著者(漢字) 鷺谷,威
著者(英字)
著者(カナ) サギヤ,タケシ
標題(和) 四国における地殻変動サイクルとプレート間カップリング
標題(洋) Crustal Deformation Cycle and Interplate Coupling in Shikoku,Southwest Japan
報告番号 212565
報告番号 乙12565
学位授与日 1995.11.27
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第12565号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 岩崎,貴哉
 東京大学 教授 松浦,充宏
 東京大学 教授 石井,紘
 東京大学 教授 嶋本,利彦
 東京大学 助教授 加藤,照之
内容要旨

 過去約100年間にわたって蓄積された三角測量、三辺測量、水準測量、験潮など測地測量のデータを基にして、西南日本、四国地方における地殻の時間的空間的な変動の様子を明らかにした。四国はフィリピン海プレートがユーラシアプレートの下へと沈み込んでいる南海トラフに沿って位置しており、プレートの沈み込みによって引き起こされる海溝型巨大地震の繰り返しに関連した地殻変動が観測される典型的な地域の一つである。日本においては明治時代に測地測量が開始されて以来今日まで膨大なデータが蓄積されている。特に南海トラフ沿いの地域は、地震の繰り返し周期に匹敵する長期間にわたって測量データが存在するという点において、世界的に見ても稀な地域である。巨大地震の発生に関連する地殻変動を研究する上では、四国は最も有利な条件が備わっていると言える。

 この地域で起きた最近の巨大地震は1946年の南海道地震(M8.1)であり、この地震発生との前後関係から、過去約100年間にわたる測地測量データを1)地震前、2)地震時、3)地震後、4)地震間1、5)地震間2と合計5つの時期に区分して整理した。測地測量が行われた時間間隔は一定でないので、主として各時期区分における地殻変動速度の形で測地測量データのまとめを行った。その結果明らかになった四国の地殻変動の主な特徴は以下の点に集約される。

 1)四国における地殻変動パターンは地震時、地震後、地震間の3つに分けることができる。本研究で扱ったデータに関しては、地震前と地震間との間に有意な差は見られなかった。

 2)室戸岬は地震間に年間約5mmの速度で定常的に沈降し、地震時に約1m隆起する。

 3)土佐湾北岸部および西岸部は地震時に数十cm沈降し、地震発生後、指数関数的に隆起する。隆起速度は年間数mmから1cmを越える場合もある。

 4)四国北部および東部の瀬戸内海沿岸では地震時の変動は小さいが、地震後に最大数十cmに及ぶ沈降が起きる。

 2)、3)、4)の3種類の地殻変動のうち、2)および3)は大きな周期的変動に比較的小さな永年的変動が足し合わされた形で表現されるが、4)については、最近の地震発生1サイクルを見る限りでは沈降が一方的に進行しており、不可逆的な地殻変動であると考えられる。

 こうして求められた地殻変動パターンは、沈み込むフィリピン海プレートとユーラシアプレートとの間で相互作用が働く事により生じている。こうしたプレート間の相互作用をカップリングと呼ぶ。プレート間のカップリングを表現する一つの手段として、プレート境界面上に仮想的な変位の食い違い分布を考えるバックスリップモデルがある。本研究では、地震発生の1サイクルを上述のごとく5つに時期区分し、各時期の地殻変動データに対して「バックスリップ・インヴァージョン」法を用いることにより、プレート境界面上における変位の食い違い分布を推定した。「バックスリップ・インヴァージョン」法ではABIC(赤池のベイズ型情報量基準)を用いることにより、最適なパラメトリックモデルを選択することができる。

 推定されたバックスリップの分布から、非地震時におけるプレート間のカップリングや地震時におけるすべりはプレート境界面上の深さ30kmよりも浅い部分に限られることがわかった。このような深さ方向に対するカンプリングの強さの不均質は、地下深部の高温による岩石の物性の変化、すなわち脆性-延性遷移に対応している。一方、地震の発生直後には、深さ30km付近を中心としたプレート境界面の深い部分で余効的なすべりが生じていたことが明らかになった。この余効的なすべりは地震後に発生した瀬戸内海沿岸における急激な沈降現象の有力な原因の一つである。非地震時のバックスリップ・ベクトルは年間5〜6cmの大きさでほぼ北西方向を向いており、ユーラシアプレートに対するフィリピン海プレートの相対運動ベクトルとほぼ一致する。

 また、地震発生の1サイクルにわたって推定したバックスリップの分布をプレート境界面上の相対変位に変換して積算することにより、地震サイクルの進行に伴ってプレート境界面上における相対変位が増大していく様子を再現した(図1)。ここではユーラシアプレートに対するフィリピン海プレートの定常的な相対運動として年間5cm、N50を仮定している。こうしたプレート境界面上の相対変位分布から、地震発生の1サイクルの中で、プレート境界面上における歪みが蓄積・解放されている様子を把握することができる。バックスリップの分布は陸上の地殻変動データに基づいて推定されたため、室戸岬よりも海側では解像度が悪い。一方、信頼性の高い室戸岬よりも陸側については、プレート境界面の深さ30km付近を境として、それより浅い部分では主として地震時のすべりによって、それより深い部分では地震後の余効的なすべりと非地震時の定常的なすべりによってプレート間の相対運動による歪みが解消されている。ほぼ南海トラフの地震再来周期に相当する過去約100年の間に、プレート境界面上では、結果の信頼性が高い部分のほぼ全面にわたって合計で約6mの相対変位が進行している。このことは、プレート境界面上の歪みの状態が測地測量が開始された19世紀末の状態に近いことを示しており、南海トラフの次の巨大地震が発生するまでになお40年程度はかかるのではないかと考えられる。

図1 (上)地殻変動データからバックスリップ・インヴァージョン法により推定した、南海トラフと直交する方向(N25)に沿ったプレート境界面上における相対変位の進行状況。曲線ではさまれた各部分の面積が各時期区分中に生じた変位量を表す。PRE:地震前(1886/96-1929/37)、CO:地震時(1929/37-1947)、POST:地震後(1947-1968/71)、INTER-1:地震間1(1968/71-1981/82)、INTER-2:地震間2(1981/82-1990/94)。年代は地殻変動データのもととなる水準測量が行われた時期である。(下)プレート境界面の深さ分布。M(室戸岬)、A(安芸市)、K(観音寺市)は地上のおよその位置を表している。

 テクトニックな応力の増大に伴って進行するプレート境界面上の相対変位については、これまでにも様々な物理的モデルが提出されているが、本研究では地殻変動データのインヴァージョン解析を通じて、実際にプレート境界で生じている相対変位の様子を明らかにした。最新のGPS連続観測網による精密な地殻変動観測および地震発生に関する理論の両面から研究を進めることにより、プレート境界面上のカップリング分布の正確なモニタリング、およびその応用として海溝型巨大地震の発生予測を行える可能性が示された。

審査要旨

 プレート沈み込みに伴うプレート境界型の巨大地震は,その発生が数百年毎に繰り返されることが知られている.西南日本,特に四国地方は,そのような巨大地震が発生する典型的な場所といえる.このような周期的な巨大地震の発生のメカニズム(地震サイクル)を解明することは,地球物理学的に大変意義があることと考える. 本論文は,過去100年間の地殻変動データ(三角測量,三辺測量,水準測量,検潮)の詳細な整理,再解析をもとに,地震サイクルの各段階における地殻変動現象の特徴を抽出し,その現象をプレート間のカップリングとして統一的な解釈を与え,地震サイクル全体にわたる歪蓄積過程を明らかにしたものである.

 本論文は,6章から構成される.第1章では,プレート境界地震,地震サイクルに関する簡潔な説明とともに,四国地方の地震活動その他の地球物理学的背景が述べられている.さらに,四国地方の地殻変動現象を扱った過去の研究を俯瞰し,地震サイクルに伴う変動現象の原因としてのプレート間カップリングの重要性,即ち本論文の位置づけが述べられている.

 第2章は,過去100年間にわたって蓄積されてきた三角測量,三辺測量,水準測量,験潮など測地測量のデータをもとにして,西南日本,四国地方における地殻の時間的空間的な変動の様子を明らかにしている.この地方は,ほぼ地震サイクル全体の地殻変動データが残されている世界でも希な地域と言ってよい.本論文の大きな成果は,地震サイクルにおける歪み蓄積過程を明らかにしたことのみならず,過去100年にわたる膨大な測地データを,現在の最先端の解析に耐えうるようなデータとして,統一的な手法で再編成したことである.この成果は,今後の地殻変動研究に大きく貢献するものであり,本論文第2章の位置づけは極めて重要である.

 第3章では,第2章で得られたデータから,プレート間カップリングを定量的に求める手法について述べられている.即ち,プレートの運動を,定常的な沈み込み及びプレート境界での部分的な(プレート運動と)逆方向運動,即ちバックスリップの重ね合わせとして表し,プレート間カップリングをバックスリップ速度として定量的に表そうとするものである.本論文では,地震発生サイクルを5つに時期区分し,各時期の地殻変動データに対して「バックスリップ・インヴァージョン」法を用いることにより,プレート境界面上におけるバックスリップ速度の分布を推定した.この「バックスリップ・インヴァージョン」法は,ABIC(赤池のベイズ型情報量基準)を用いることにより,最適なパラメトリックモデルを選択することができる優れた方法である.

 第4章は,インヴァージョンの結果を示し,第5章ではその結果に対する地球物理的考察を与えている.推定されたバックスリップの分布によれば,非地震時におけるプレート間のカップリングや地震時におけるすべりはプレート境界面上の深さ30kmよりも浅い部分に限られている.このような深さ方向に対するカップリングの強さの不均質は,地下深部の高温による岩石の物性の変化,すなわち脆性-延性遷移に対応するものと思われ,地震発生の場を知る上で興味深い.一方,地震の発生直後には,深さ30km付近を中心としたプレート境界面の深い部分で余効的なすべりが生じていたことが明らかになった.得られたバックスリップ量の分布から,地震発生サイクルの中でプレート境界面上における歪みがどのように蓄積・解放されているかを把握することができる.特に,解析の信頼性の高い室戸岬よりも陸側については,プレート境界面の深さ30km付近を境として,それより浅い部分では主として地震時のすべりによって,それより深い部分では地震後の余効的なすべりと非地震時の定常的なすべりによってプレート間の相対運動による歪みが解消されていることが,明らかになった.

 テクトニックな応力の増大に伴って進行するプレート境界面上の相対変位については,これまでにも様々な物理的モデルが提出されている.本論文では地殻変動データのインヴァージョン解析を通じて,実際にプレート境界で生じている相対変位からプレート間のカップリングを定量的に評価し,ほぼ地震サイクル全体にわたっての歪の蓄積・解放過程を明らかにした.この点で,本論文の地球物理学的意義は大変大きい.また,この研究のもとになった測地データの再解析結果は,プレート運動を研究する上で極めて重要な成果である.さらに,本研究では,最新のGPS連続観測網による精密な地殻変動観測および地震発生に関する理論の両面からのアプローチにより,プレート境界面上のカップリング分布の正確なモニタリング,およびその応用として海溝型巨大地震の発生予測を行える可能性が示された.

 以上述べた点から判断して,本論文は学位論文として十分な内容を持つものと判断し,博士(理学)を授与できると認める.

 尚,本論文第2章は,建設省国土地理院多田尭氏との共著であるが,論文提出者が主体となってデータの再解析を行ったものであり,論文提出者の寄与するところが大きいと判断したことを付記する.

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/53929