ノヴァーリス研究は、歴史批判版全集の出版(1965年から)により、新たな段階に達した。哲学や自然科学の研究ノートの成立の文脈が明らかになり、ノヴァーリスの思考過程をたどることができるようになった。ノヴァーリスの理論的著作の研究成果をもとに、文学作品も解釈しなおされている。 この全集に基づいて、1970年代から、新しい研究が次々に公刊され、旧来の「青い花」の詩人のイメージは塗り替えられ、ノヴァーリスが、「モダン」や「ポスト・モダン」の美学の先駆者である面が発見されている。1990年代には、歴史批判版全集に基づくノヴァーリス研究がある程度概観できるようになり、包括的なノヴァーリス受容・研究史も出版された(ユアリングス)。 本研究は、そのような研究状況をふまえ、ノヴァーリスの理論的著作を中心的に取り上げ、ノヴァーリスの自然思想を、18世紀末のドイツという時代の関連のなかで、次の二つの視点から考察する。第一の視点は、ノヴァーリスの自然思想を、ルネサンス以来のヨーロッパの「自然神秘思想」の伝統の受容として検討するものである。第二の視点は、ノヴァーリスの思想における「自然」を、体系的に捉えるものである。とくに、自然科学や自然哲学をふまえた「自然学」が、なぜ、いかにして、「詩学」になるのかを検討する。 「自然神秘思想」は、ルネサンスに再発見された、新プラトン主義やヘルメス学(占星術や錬金術などとも関わる自然哲学・自然学)やユダヤ教神秘思想(カバラ)が、中世以来のキリスト教神秘思想と結合したところに成立した、宗教的な背景をもつ自然思想である。具体的な思想家としては、ルネサンスのパラケルスス、17世紀のバロックの時代のベーメやヘルモントなどの名が挙げられる。内容的には、新プラトン主義的な世界像、創造と転落と回復のパターンで歴史を捉えるキリスト教的な歴史観、ヘルメス思想に基づく自然学などが、自然神秘思想の特徴となっている。 「自然神秘思想」は、17世紀以降、近代の自然科学の進展とともに、古い自然観として、思想史の表舞台から退くのであるが、近代に対する反省と批判が強まる18世紀の終わりに、再び注目されている。「自然神秘思想」は、ドイツでは、「敬虔主義」という名のもとに概括されるプロテスタント思想、正統的な立場から「汎神論的」として非難される思想、「フリー・メーソン」や「黄金薔薇十字団」のような「秘密結社」の思想などのなかに入り込んで、いわゆる「ゲーテ時代」の時代思潮を形成する重要な要素となっている。 本研究は、三つの部分からなる。第一部(第一章〜第三章)では、ノヴァーリスにおける「超越」と「自然」の関わりを考察する。第一章においては、「熱狂」という言葉をキーワードに、時代思潮としての自然神秘思想との関わりを論じ、つづいて、ノヴァーリスの愛や死をめぐる体験と哲学研究との関係を検討する。ノヴァーリスのフィヒテ哲学批判には、自然神秘思想の背景がある。 第二章では、「超越」と「自然」の構造を考察する。ノヴァーリスにおける「超越」は、それ自体として語られるものではないが、自然や世界の中に現れてくるものである。ノヴァーリスは、「世界はガイストの顕現である」という命題を、フィヒテ哲学と新プラトン主義の世界像を重ね合わせて、理解している。ノヴァーリスは、フィヒテに代表される同時代哲学と、自然神秘思想とを調和させることができると考えている。 第三章は、歴史観の問題を扱う。ノヴァーリスは、人間と自然の関係を、歴史の流れのなかで理解している。「世界の意味の喪失」の事態は、『キリスト教世界、あるいはヨーロッパ』において、近世の知の問題として、近世の「科学革命」とも関わる問題として認識されている。ノヴァーリスは、「世界の意味」の回復されるべき時代を「黄金時代」として描くが、そこにおいては、人間と自然の新たな関係に基づく「新たな自然学」の構築が課題となる。ノヴァーリスは、自然神秘思想の伝統を、「新たな自然学」の一つのモデルとして捉え、そのような伝統的思想と、18世紀末の先端的な自然科学を結び付けるという構想を抱いている。 第二部(第四章〜第七章)は、自然学を取り上げる。ノヴァーリスは、フライベルクの鉱山アカデミーで専門的に自然科学を学びはじめたとき、同時に、自然哲学と自然科学史の研究を始めている。自然に対する、自然科学のアプローチと哲学のアプローチと宗教のアプローチを、独自の「百科全書」のモデルのなかで、総合することが、フライベルク時代のノヴァーリスの課題となっている。ノヴァーリスはまた、どのようにしたら、一方では、近代的な自然観を否定することなく、他方では、近代以前の自然観を生かしていくことができるのかを考察している。そこに、ノヴァーリスの「新たな自然学」の構想が生まれる。 ノヴァーリスの「新たな自然学」は、自然神秘思想の自然学を、18世紀末の自然哲学や自然科学と重ね合わせたところに成り立つ。第二部の各章では、「マクロ・コスモスとミクロ・コスモス」(第四章)、「魔術」(第五章)、「共感(シンパシー)」(第六章)、「しるし(シグナトゥール)」(第七章)などの自然神秘思想の基本的観念に則して、自然神秘思想の自然学と近世の哲学・自然科学がどのように対応するのかを検討する。 たとえば、万物のあいだに働く「共感」についての自然神秘思想の観念は、18世紀末の電気学や磁気学、化学、医学と重ね合わせられている。またパラケルススやベーメにみられる「しるし(シグナトゥール)」の観念は、近世の記号学と結びつけられている。ノヴァーリスは、ランベルトの記号学を研究し、哲学や自然科学や言語を「記号」による構築としてとらえる観点をもっていた。そして、近世の記号学を、自然神秘思想の「シグナトゥールの学」と結びつける視点をもっていたゆえに、近世の記号学の限界をも見ていた。近世の記号学として捉えた、哲学や自然科学や言語学には、自然神秘思想の「しるし(シグナトゥール)」には存在していた、超越を指示する機能、つまり記号の垂直的な意味が欠けている。その点に、哲学や自然科学を含む「自然学」が、ノヴァーリスにおいて、「ポエジー」という芸術的活動、芸術的表現になる必然性がある。ノヴァーリスにとって、「超越」を指し示す記号の機能は、かつての自然神秘思想におけるように本来的に存在しているのではなく、これから新たに創造していくべきものである。その創造において、「言葉」という記号は特別な位置をもっている。 第三部(第八章〜第十一章)では、ノヴァーリスの詩学を扱う。第八章では、ベーメに由来する「心情」という用語との関連で、「ポエジー」のあり方をみる。第九章では、「高次の自然学」としての「ポエジー」について検討する。ノヴァーリスは、同時代のゲーテの自然学や、バーダーやシェリングなどの自然哲学に大きな影響を受けているが、同時代のだれにもまして明確に、「新たな、高次の自然学」が、自然科学や哲学ではなく、「ポエジー」、すなわち芸術的創造活動、表現活動となることを認識していた。 「ポエジー」は、ノヴァーリスにおいては、多様な意味をもつが、狭い意味では「文学」をさす。第十章では、文学の理論としての詩学を論じ、とくに、「自然の模倣」という美学的問題を検討する。ノヴァーリスは、自然の外面をなぞる「徴候の模倣」としての「自然の模倣」は否定するが、自然を生成としてとらえる、「生成の模倣」としての「自然の模倣」は重視している。ノヴァーリスの詩学においては、自然に学ぶということが放棄されることはなく、その新たなあり方が探求されているのである。 第十一章においては、ノヴァーリスの文学理論を、「象徴」の問題を中心に、検討する。ノヴァーリスは、自然神秘思想の「シグナトゥール」論と、近代の「記号学」をふまえて、ロマン主義的な象徴理論を構想している。18世紀末には、「象徴」に関わる用語として、「シンボル」と「アレゴリー」が競合している。ノヴァーリスの象徴は、啓蒙主義的な「アレゴリー」とは区別されるものの、バロック時代の、たとえばベーメ、アンドレーエ、ヘルモントらの「アレゴリー」とは共通するところがある。 ノヴァーリスは、「シンクレティズム」を「総合」として肯定的にとらえ、自然神秘思想の伝統的な諸観念と、近代の哲学や自然科学を、芸術において調和させることができると考えていた。自然神秘思想を芸術創造の基礎理論に結びつけた点に、自然神秘思想受容史におけるノヴァーリスの新しさがある。伝統的な自然神秘思想においては、主として認識の理論であったものが、ノヴァーリスにおいては、表現の理論となっている。自然神秘思想の伝統との関わりに注目するならば、ノヴァーリスの自然思想や芸術思想には、19世紀中葉以降現代にいたるまでの時代につながる面と、18世紀以前のバロックやルネサンス時代につながる面がある。そのような近代前期と後期のあいだの位置に、ノヴァーリスの場所がある。 |