内容要旨 | | 本研究は,建物火災時の避難安全に関する規定について,世界各国の建築法規などの現状を比較するとともに,各国における歴史的な変遷とその背景に注目し,各規定の目的や達成すべき性能,基準の根拠等を明らかにしたものである。現在,避難安全に関する規定の多くは仕様として記述されているために,目標とする性能が明示されず,多様な建築計画を制限する場合が少なくない。仕様に代えて工学的手法に基づく性能的な避難基準を作成するために,従来の規定が果たしてきた役割を正しく理解することが重要である。本研究では,特に,避難経路の容量,及び避難経路の数と配置に関する規定に注目し,米国,英国,日本の3ヶ国における避難安全規定の変遷を明らかにした。 オーストラリア,フランス,英国,米国,日本における現行の避難安全に関する法律や基準などの規定には,以下の特徴がある。 避難経路の数は,原則として在館者人数に基づいて2以上が要求される。各国とも概ね収容人数が50人以下の範囲では単一の避難経路が認められる。 避難経路の配置に関する規定の基本は,任意の地点から保護された避難経路の部分までの歩行距離の制限である。歩行距離の測定方法には,居室の任意の地点からexitまでと,居室のドアからexitまでの2通りがある。最大歩行距離は,建物用途,階数,2方向避難の有無,スプリンクラー設備の有無など,各国で様々な要因を考慮して定めており,明確な法則は存在しない。2方向避難の確保のために行われる重複歩行距離の制限は,各国とも,概ね最大歩行距離の1/2である。また,exit間の距離を直接制限している規定もある。行止り通路の長さは,重複歩行距離以下に制限されている。 避難経路の幅は,日本を除き,在館者人数に基づいて要求されることが原則である。主な用途毎の在館者密度は規定の中に与えられている。避難経路の幅は,一定の人数以内毎に単位幅で増加させる場合と,一人当たりの必要幅で要求される場合がある。また,逐次避難を前提に階の在館者人数に基づく場合と,全館避難を想定して全館人数に基づく場合がある。逐次避難の場合,避難者一人当たりに要求される階段幅は0.8〜1.2cmの範囲にある。 米国では,死者147人をだした工場火災(1911年)以降,火災時の避難安全が問題となり,全米防火協会に設置された生命安全委員会が避難安全規定の検討を開始した。まず,在館者全員を区画された階段内に収容することを避難の基本とした。人間が移動するのに必要な幅をユニット幅とし,階段幅のユニット数に基づいて各階の在館者人数を制限する方法が提案された。しかし,在館者全員を収容するためには著しく広い階段幅が必要となるため,様々な防災対策を考慮することにより,許容在館者人数の緩和が行われた。建物の構造と階数,スプリンクラー設備,竪穴区画の保護,収容物の危険度,水平exitの有無と許容在館者人数との関係は一覧表として示されたが,複雑であるため後に数式化された。 許容在館者人数の制限は,避難時間の制限という側面もある。流動係数45人/unit/分を用いて,始めは全館避難時間が3〜5分に制限されていた。しかし,建物が高層化は全館避難を困難にした。その結果,各階では階段室までの避難すれば完了とする考え方に転換した。建物の階数は,階段幅に影響を与えなくなった。1ユニット当たりの許容在館者人数は,1930年頃の実態調査に基づく値である。現在はユニット幅を採用していないが,許容在館者人数と階段幅との関係は当時の割合を引き継いでいる。 避難経路の数は,2以上とすることが原則である。しかし,劇場などの不特定多数の人が集中する用途では,混乱を避けるために3以上が必要とされた。一方,単一の避難経路が許容される条件は,重複歩行距離の制限と同時期に検討が開始されている。 歩行距離の制限は,避難経路となる階段をできるだけ離すために要求された。用途毎に異なる歩行距離の制限は,建物規模の拡大に合わせて徐々に長く認められた。2方向避難の確保には,歩行距離の制限だけでは不十分なことは理解されていたが,有効な方法が発見されなかった。重複歩行距離を制限しても,2つの階段を近くに配置することを制限できないことから,近年は避難施設間の離隔距離を直接規定する方法が採用されている。 ロンドン大火以後,市街地大火を根絶した英国では,出火防止と建物間の延焼防止が対策の中心であった。初めての避難安全に関する規定が登場するのは,1879年の劇場など集会施設に対するものである。19世紀中頃より西欧では劇場火災が頻発していたため,各国では劇場の火災安全対策を進めた。 在館者人数に基づいて階段幅の規定は,米国より早く制定されている。但し,人数と幅との関係は経験的な数値である。1934年には劇場の防火安全の要件をまとめた手引書が発行される。米国の基準を多く参照し,同じユニット幅を採用し,同じ形の許容在館者人数の計算式が提案されている。しかし,英国は避難時間の制限を第一に考えている。1911年の劇場火災において,約3000人の避難が約2分半で成功した事例に基づき,避難時間が2分半以内になるように在館者人数と階段幅との関係を定めている。 1952年に発行された戦後建築研究は,避難安全に限らず,現在の英国の防火に関する考え方の基礎になっている。避難経路となる階段幅は,全館同時避難における必要階段幅として検討された。各階から階段へ群集が合流する状況を考慮し,在館者が階段室内に進入できるまでの時間を制限することを提案した。火災により使えなくなる階段の推定に多少の違いはあるが,現在の階段幅の基準と基本的には同じ考え方である。 英国では単一階段が認められる条件について,早くから検討が行われた。在館者人数が多い集会施設や,自力での避難が困難な病院などの用途では,単一階段を認めない。また,外部からの救助を可能とするため,当時のはしごの長さから建物の最高高さが制限された。構造形式と床面積は,在館者人数から制限されている。 歩行距離の制限も,単一階段の条件として与えられたのが始まりである。戦後建築研究では,通常の最大歩行距離とは別に,行止まり状の部分からの歩行距離の制限を提案している。避難経路の数に基づく歩行距離の制限は,現在の基準にも受け継がれている考え方である。 日本では,東京市市区改正委員会で検討された建築条例案には,避難安全を意識した条文があるものの具体的な数値などは示されていない。しかし,参考とした外国の法令の中には,避難経路の最小幅や人数と幅の関係を定めているものの存在している。 明治中期には,実際の建築規制は警視庁令により行われていた。例えば,演劇取締規則(1900年)では在館者人数と階段幅との関係が規定されている。幅と人数との比率から,英国の劇場の基準(1879年)を参考にしたと考えられる。その後,寄席取締規則(1901年),活動写真興行取締規則(1917年)と続き,1921年には興行場及興行取締規則として一本化された。新しい規則は当時の米国ニューヨークの基準を参考に,従来より約4倍も広い階段幅が要求されている。東京都の建築安全条例は,この取締規則を引き継いでいる。 避難経路の数は,勧工場取締規則(1892年)に初めて規定がある。同年の神田大火の際に,勧工場で避難経路を失い18人もの犠牲者を出したことから,床面積に基づいて数多くの階段が要求されている。しかし,同様に商品を陳列して販売する百貨店に対しては,この規則が適用されなかった。 大正から昭和初期にかけて,近代的な高層建築が次々建てられたが防火・避難対策は遅れていた。白木屋百貨店の火災は,日本におけるその後の避難安全規定の基礎を築いたといえる。火災後,警視庁技師北沢五郎が提案した避難階段の構造や,在館者人数と階段幅の基準の考え方は,百貨店建築規則(1933年)としてまとめられ,その後特殊建築物規則(1936年)へと受け継がれた。北沢の提案は,全館避難時間の予測計算に基づいた在館者人数と階段幅との関係であり,当時の米国や英国の考え方と比較しても遜色がない。しかし,実際には,適切な避難時間を設定するというより,当時の百貨店の実態に合わせたものとなっている。 また,百貨店規則では,防火区画の制限,防火区画を通る水平避難,階段までの歩行距離の制限,通路の最小幅などを初めて規定している点で注目される。避難経路の数は,各防火区画毎に2以上を基本とし,階段までの歩行距離を制限することで,バランスのとれた避難施設の配置を規制しようとしていた。しかし,重複歩行距離の制限というような2方向避難の確保に関しては,1969年の建築基準法の改正まで制限が行われなかった。 1960年に制定された建築基準法及び同施行令は,特殊建築物規則をもとに規定がつくられていることは明らかである。特殊建築物規則では百貨店だけに要求された最大歩行距離の制限が全ての用途に適用される例はあるが,新たな規定が追加されている様子はない。しかし,当時,避難安全に関する項目が充実していた劇場などに関する規定は,建築基準法には見つけることができない。同じ警視庁令でありながら,何故取り入れられなかったのか。集会施設と百貨店という,どちらも多人数が利用する階段幅に関する基準が,それぞれ独立に作成され,両者の間に共通の考え方が見られないことが疑問として残される。 |