学位論文要旨



No 212585
著者(漢字) 入口,紀男
著者(英字)
著者(カナ) イリグチ,ノリオ
標題(和) 生体組織の多核種磁気共鳴映像法ならびに分光法の検出感度に関する研究
標題(洋)
報告番号 212585
報告番号 乙12585
学位授与日 1995.12.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第12585号
研究科 工学系研究科
専攻 電子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上野,照剛
 東京大学 教授 水町,守志
 東京大学 教授 高木,幹雄
 東京大学 教授 羽島,光俊
 東京大学 教授 岡部,洋一
 東京大学 教授 原島,博
内容要旨

 核磁気共鳴(NMR,nuclear magnetic resonance)現象は、ハーバード大学のE.Purcellら、およびスタンフォード大学のF.Blochらによって、1946年に発表された。NMRはその後、分光法(スペクトロスコピー)による化学分析の手段、及び映像法(イメージング)による臨床診断の手段としてめざましい発展を遂げている。本研究は、磁気共鳴イメージング(MRl,magnetic resonance imaging)装置を開発する過程で、生体組織の磁気共鳴映像法および分光法の検出感度を主題として、プロトン(1H)、フッ素(19F)、燐(31P)、炭素(13C)等の核種について、信号強度の由来と雑音強度の由来を検討して検出感度を理論的に導出し、実験的に検証したものである。これにより、これまで困難と考えられていた人体の31Pと13Cのイメージングを実現した。

 従来、様々な原子核がどの程度の検出感度を有するかは、正確には知られていなかった。プロトンの信号強度に対する相対値として、物理学、化学、医学、工学等の分野で磁気共鳴に関するある相対検出感度表が利用されていたにすぎない。磁気共鳴に関する殆どのテキストや便覧は、その相対値表を掲載していた。たとえば、31Pと13Cは、従来の相対検出感度表の値から、1Hに対して相対検出感度がそれぞれ約1/15、約1/64と極めて低く、人体の中で31Pと13Cは存在量がそれぞれ1Hの約1/300、約1/1000と極めて少ないことから、人体の31Pと13Cのイメージングは、従来の常識では極めて困難であると予測されていた。

 またこれまで、一つの磁気共鳴装置が与えられたとき、その検出感度は、その装置を用いて実際にデータを取得して見ない限り予測することは困難であった。静磁場強度が検出感度を左右する重要な要因の一つであることは知られていたが、それも、静磁場強度が高ければそれだけ検出感度も高いという、漠然とした経験則が信じられていたのにすぎない。また、従来、生体内の誘導電流に伴う電力の最小値も、検出感度の限界も、明らかにされていなかった。

 このような背景のもとに、本研究では、種々の原子核のプロトンに対する相対雑音強度の重要性に着目し、それぞれの信号強度と雑音強度の比から相対的な検出感度を導き、検出感度の理論的限界や誘導電流に伴う生体消費電力の理論値を明らかにした。これによって、種々の核種の磁気共鳴スペクトロスコピーと磁気共鳴イメージングの検出感度が、比例定数を含まない数値として与えられることを見い出した。本研究は最後に、生体組織の多核種イメージングに関する検証実験を行い、従来実現されていなかった人体の13C及び31P等の画像化が、撮像条件によっては取得することが可能であることを数値的に予測して、それらを実験的に証明して供覧したものである。

 磁気共鳴の信号強度Sは、次の式で表されることが知られている。

 

 ここで、0は共鳴角周波数、は原子核固有の磁気回転比、lはスピン量子数である。この式は、原子核の数、絶対温度等が与えられれば等式となる。本研究においては、従来のプロトンに対する相対検出感度表は、単にこの信号強度の式を表にしたものであったと考える。

 磁気共鳴の検出に用いられるプローブ(共振コイル)は抵抗をもっており、その電子の熱運動に伴う雑音の実効値はJ.B.Johnsonの式によって表されるが、生体組織のように試料が導電性を有するとき、試料には磁場の変化に伴って渦電流が発生し、コイルには誘導損失等価抵抗が惹起されて直列に加わる。揺乱電流は、周囲に揺乱磁束を発生し、それは本来の磁気共鳴信号と同時にプローブによって雑音として検出される。そこで、試料の中に微小なリングを想定するとき、リングを貫く磁束B1によって誘導される起電力は0B1に比例し、B1は単位電流に対応する高周波磁場強度であることから、試料の体積について積分して得られる誘導損失等価抵抗は02に比例することがわかる。一方、コイルの抵抗は、高周波における表皮効果によって01/2に比例するので、雑音強度Nは、0及び0を定数として次式で表される。

 

 この式は、多核種のプロトンに対する相対雑音強度という本研究の新しい概念を表す。

 本研究は、上記二つの式から、様々な原子核に対して、相対信号強度と相対雑音強度の比である信号雑音比(SNR,signal-to-noise ratio)としての相対検出感度の表を提供したものである。

 

 磁気共鳴のある実験系について検出感度を正確に予測することは、その実験の達成の可能性を予測する上で極めて重要である。多核種の実験には確かに高磁場が必要であるが、多くの共振コイルの自己共振周波数は低く、プロトンの共鳴周波数に同調させるために数pFの可変容量が使用されるなどしばしば実験上の困難が伴う。スロット円筒型共振器(STR,slotted-tube resonator)は、本研究の試作実験の過程で高磁場のプロトン共鳴周波数に対して同調させることが可能であった。STRの電気的等価回路自体は既に知られており、その共振周波数は構成材料の物性定数と寸法から算定可能であることは知られていた。本研究では、STRを用いて多核種のNMR実験を行うとき達成され得る検出感度(信号雑音比)を算定する理論式を提供した。その算定の理論的過程は、鞍型コイルやソレノイド等の他のコイルに対しても適用可能である。それは、雑音強度の前記比例式が、コイルのある周波数における抵抗値、及び試料の導電率が知られるとき、等式として表されるからである。そして、本研究は、静磁場強度と試料と検出コイルが特定されるとき、多核種のスベクトロスコピーの検出感度(信号雑音比)が比例定数を含まない数値として与えられることを見い出したものである。たとえば、外径2a=250mmのアクリル管に厚さ0.1mmの銅板からなる環状リボン導体および直線状リボン導体を施したあるSTRは、85.2MHzにおける抵抗がRc=440mであることから、そのSTRを用いて得られる検出感度SNRは、次式で表される。

 

 ここに、T2は試料の横緩和時間、は試料の導電率、cは原子核スピンのモル濃度、vは検出対象体積である。この式は、原子核の任意の種類、静磁場の任意の強度、STRと試料の任意の寸法に対して適用することが可能である。たとえば、ある球形の試料(半径b=0.08m、導電率=1.18S/m、T2=0.1sとする)の中のv=1mlの検出体積に対する検出感度は、=7.98×103と算定される。

 更に、本研究では、多核種のイメージング実験で達成され得る検出感度も、比例定数を含まない数値として与えられることを見い出した。たとえば上記のSTRを用いた場合に、スビンエコー(SE)イメージの信号雑音比SEは次式で表される。

 

 ここでT2*は巨視的横緩和時間、tsは信号取得時間でありtsf-1、npは位相エンコードのステップ数、Nacはデータの加算回数である。したがって、何らかの理由で実施が困難な系、たとえば人体を対象として想定された特殊な核種の磁気共鳴実験等について、イメージングの検出感度を予測することが可能となった。たとえば、人体の31P画像も13C画像も、撮像条件によっては取得することが可能であると数値的に予測された。

 本研究ではまた、生体等の導電率が既知の試料の多核種磁気共鳴実験に関して、不可避的に定まる検出感度の上限値と、導電性を有する試料に対して不可避的に伴う消費電力の下限値を、いずれも未知定数を含まない等式で提供した。

 本研究は最後に、生体組織の多核種イメージングに関する検証実験として、1H、19F、31P、13C、等に関する一連の画像取得実験を行った。その過程で、人体の31Pの画像化は、ヒト前腕の31Pの画像として実現した。それは解剖学的に信号の分布を議論できる人体の31Pイメージとして最初のものと考えられた。生体の13Cの画像化の可能性についても、ヒト上腕の天然存在13Cの画像化で最初に実現して供覧した。

審査要旨

 本論文は、『生体組織の多核種磁気共鳴映像法ならびに分光法の検出感度に関する研究』と題し、磁気共鳴イメージング(MRl,magnetic resonance imaging)装置を開発する過程で、プロトン(1H)、フッ素(19F)、鱗(31P)、炭素(13C)等の核種について、信号強度の由来と雑音強度の由来を検討して検出感度を理論的に導出し、実験的に検証したもので、これによりこれまで困難と考えられていた人体の31Pと13Cの画像化を実現しており、全8章よりなる。

 第1章は「序論」であり、磁気共鳴が実際に使えるかどうかを決定する要因として共鳴にあずかる核スピンの検出感度が重要であることを述べている。併せて、種々の原子核のプロトンに対する相対雑音強度の重要性に着目し、それぞれの信号強度と雑音強度の比から相対的な検出感度を導き、検出感度の理論的限界や誘導電流に伴う生体消費電力の理論値を論じる、本研究の立場を明らかにしている。

 第2章は「磁気共鳴イメージング/スペクトロスコピー装置の試作」であり、人体を対象とした2テスラ磁気共鳴装置の開発、ならびに生体組織を対象とした2-7テスラ磁気共鳴装置の開発を通して、31P、13C等、様々な核種のイメージング技術を実用化した経緯を述べている。

 第3章は「多核種の磁気共鳴検出感度表の作成」であり、様々な核種のプロトンに対する相対雑音強度という新しい概念を導入し、相対信号強度と相対雑音強度の比である信号雑音比(SNR,signal-to-noise ratio)としての相対検出感度の表を提供している。磁気共鳴の信号強度Sは、S02l(l+1)で表されることが知られている(0は共鳴角周波数、は原子核固有の磁気回転比、lはスピン量子数)が、本章においては、従来のプロトンに対する相対検出感度表は、単にこの信号強度の式を表にしたものであったと主張する。磁気共鳴の検出に用いられるプローブ(共振コイル)は抵抗をもっており、その電子の熱運動に伴う雑音の実効値はJ.B.Johnsonの式によって表されるが、生体組織のように試料が導電性を有するとき、試料には磁場の変化に伴って渦電流が発生し、コイルには誘導損失等価抵抗が惹起されて直列に加わる。揺乱電流は、周囲に揺乱磁束を発生し、それは本来の磁気共鳴信号と同時にプローブによって雑音として検出される。本章では、多核種のプロトンに対する相対雑音強度Nを、N∝(001/2+002)1/2と表わし(00は定数)、様々な原子核に対して、相対信号強度Sと相対雑音強度Nの比(S/N)であるSNRとしての相対検出感度の表を提供している。

 第4章は「磁気共鳴スペクトロスコピーの検出感度」であり、静磁場強度と試料と検出コイルが特定され、特にコイルのある周波数における抵抗値、及び試料の導電率が知られるとき、様々な核種のスペクトロスコピーの検出感度(SNR)が比例定数を含まない数値として与えられることを見い出している。

 第5章は「磁気共鳴イメージングの検出感度」であり、多核種のイメージングで達成され得る検出感度も、比例定数を含まない数値として与えられることを見い出している。したがって、何らかの理由で実施が困難な系、たとえば人体を対象として想定された特殊な核種について、イメージングの検出感度を予測することを可能としている。たとえば、人体の31P画像も13C画像も、撮像条件によっては取得することが可能であることを予測している。

 第6章は「検出感度の上限値と消費電力の下限値」であり、生体組織の磁気共鳴に伴う電力の最小値と、検出感度の限界を生体内の誘導電流に帰して明らかにしている。

 第7章は「生体組織の多核種イメージングに関する検証実験」であり、1H、19F、31P、13C、等に関する一連の画像取得実験を行い、検出感度の予測値と実験結果とを比較している。その過程で、ヒト前腕の31Pの画像、ヒト上腕の天然存在13Cの画像等を最初に実現して供覧している。

 第8章は「結論」であり、得られた成果がまとめられている。

 これを要するに、本論文は生体組織を対象とする様々な核種の磁気共鳴映像法ならびに分光法の検出感度に関し、信号強度の由来と雑音強度の由来を検討して検出感度を理論的に導出し、これによって、種々の核種の磁気共鳴スペクトロスコピーと磁気共鳴イメージングの検出感度が具体的な数値として与えられることを見い出したものであり、更にその予測に立ってこれまで困難と考えられていた人体の31Pと13Cの画像化を実現しており、電子工学上貢献するところ少なくない。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50967