ワイドアスペクトでかつ高精細な映像を提供する新しいテレビジョン放送方式の検討が世界中で進められている。この中で現行TVと両立性を保つテレビジョン方式を、EDTV(EnhanceDTV)と呼ぶ。日本おいてはNTSC方式と両立性のあるEDTV-IIが、欧州においてはPAL方式と両立性のあるPALplusの検討が進められてきた。EDTVでは、現在の受信者にもサービスを続けることができ、対応受像機ではワイドで高精細な画像が再生できるという特徴を持つ。 日本のEDTVは、1983年に吹抜氏によりNTSC信号の3次元周波数の隙間(以下、「ホール」と呼ぶ)を使った高精細化の提案がなされて以来、1985年より郵政省のもとBTA(放送技術開発協議会,現在は電波産業会)にて審議が始められた。審議開始当初より、筆者は吹抜氏を中心とするグループに所属し、EDTVの研究・開発に参画してきた。EDTVは、その後の審議により2世代に分けて実施されることになった。第1世代(EDTV-I)では、大きな変更を伴うことをせず、ゴーストキャンセル基準信号の多重、ガンマ補正の補償、暗部のディテール強調が行なわれ、1989年8月よよりクリアビジョンとして放送が開始された。引き続き、第2世代(EDTV-II)では、ワイドアスペクト化及び本格的な高画質化を図り、1995年1月に規格が決定し、1995年7月からワイドクリアビジョンとして本放送が開始されている。 この間、筆者は様々な提案をBTAにて行なうとともに、規格化作業に貢献してきた。また、EDTVでは必須となる3次元信号処理及び3次元周波数解析の体系化も行なってきた。本論文では、これらについて述べる。 まず、第2章では、次章以降の議論の基礎として水平、垂直、時間周波数の3次元周波数を定義し、NTSCカラーテレビジョン信号の3次元周波数スペクトルについて説明を行なう。また、上記議論に基づき、以下の2つの解析を行なった。 動画に関する基本定理に、速度と3次元周波数の関係式、及び、勾配法がある。両者は、各々、TV方式の分野、画像処理・認識の分野で良く知られている。ここでは、両者は式の形は異なっているが、実は等価であることを証明した。 3次元周波数を実験的に検証するのに適したチャートに、円形ゾーンプレート(CZP)がある。従来、CZPの現行受像機での見え方について現象記述はなされているが、現象解析はなされていなかった。ここでは、3次元周波数領域において現象を解析し、直感的に理解できるようにした。 第3章では、NTSC信号の3次元周波数スペクトルをもとに、Y/C分離(Y:輝度信号,C:色信号)、[飛越-順次]走査変換について検討する。 Y/C分離については、送信側において3次元周波数領域で混じった信号を、受信側で完全に分離することは不可能であった。そこで、送信側でY,C両信号に3次元プリコーミングを行なうことにより、受信側にて完全分離が可能であることを実験的に確認した。プリコーミングは、EDTV-I,IIでは推奨技術とされている。 走査変換については、飛越走査による[時間-垂直]領域での縮退により検出不能な動きが、変換特性を劣化させていた。そこで、送信側にて疑似動き信号を多重することを提案した。送信側で順次走査カメラで撮像し、受像機側では検出不能な動きを検出し、その部分に疑似的な動き信号を多重して伝送する。これにより、受像機側での動きの誤検出を減らすことができた。また、疑似動き信号の多重による妨害もほとんど無いことがわかった。 疑似動き信号多重は、EDTVの要素技術として提案した。EDTV-Iでは、補強信号を多重する余地がないために非常に有効な方式であったが、EDTV-IIではレターボックス形式の採用により補強信号を伝送できる無画部ができた。ここに走査変換のための補強信号が多重されることになり、疑似動き信号多重は採用されなかった。 第4章では、NTSC方式における空き領域について検討を行った。 3次元周波数領域での隙間として、FOS(Field Offset Sub-samlpling)とホールについて検討した。FOSは、水平解像度の拡大は可能であるが、静止斜め解像度と動解像度の劣化という欠点を有していた。一方、ホールは、斜め解像度の劣化なく、水平解像度の改善が可能であることがわかった。 RF帯での空きチャネルであるRF-QAMについても検討を行なった。その結果、ディジタル音声を多重するのが適当であるという結論が得られた。 また、輝度信号とともにQ信号の帯域拡大を行なう方式(Y1c)を吹抜氏と考案した。本方式では、ホール多重と同一副搬送波を使ってQ信号の帯域拡大を図る。Q高域信号の3次元スペクトルはFOSの位置となる。本提案方式のハードウェアを試作して効果を確認したが、Q帯域拡大による画質改善効果は僅かであった。 第1世代EDTV審議では、Y1c方式と、(FOSによる輝度帯域拡大+フィールド順次伝送によるQ信号帯域拡大)方式との間で検討が進められ、試作ハードウェアにてBTA供覧を行うなど規格化に寄与した。しかし、帯域拡大については第1世代では行なわれず、第2世代に持ち越された。Q帯域拡大については第1世代の審議では重要視されたが、第2世代の審議では検討されなかった。 第5章では、ワイド化手法について検討した。レターボックス形式、サイドパネル形式、中間形式の3つのワイド化手法の技術的な得失を比較検討し、レターボックス形式の優位性を示した。3形式の評価実験は1991年7月にBTAにてTV技術者,一般視聴者によって行われ、レターボックス形式の優位性が確認された。これにより、レターボックス形式の採用が決定した。欧州のPALplus方式においても、レターボックス形式が採用されている。 次に、レターボックス形式における走査線変換を[垂直-時間]周波数領域で解析した。この結果をもとに、順次走査信号を信号源とすることの優位性を示し、[垂直-時間]高域信号の伝送の重要性を示した。 第6章では、垂直高域(VH)信号、[垂直-時間]高域(VT)信号の生成手法について検討した。レターボックス形式では上下に無画部が生じるため、ここに上記補強信号を多重することができる。 両補強信号一括生成手法として、影山らによりマトリクス法が提案されたが、現行受像機で歪みが生じる欠点があった。そこで、歪みを低減する拡張マトリクス法を新たに提案した。ハードウェアによる基礎実験により低減効果を確認した。 欧州のPALplusでは、QMF(Quadrature Mirror Filter)手法と本提案の拡張マトリクス法等が候補に挙がって検討された。最終的には、QMFによるVH信号生成が選択された。なお、EDTV-IIでは、通常の垂直フィルタによる生成手法が選択された。 一括生成手法による補強信号(VH,VT)を無画部でそのまま伝送した場合、補強信号伝送帯域が狭くなる。伝送帯域を広げるため、VT信号のみを送ることとした。そこで、各種VT信号について方式比較を行なった。その結果、SSKF(Symmetric Short Kemel Filter)手法と動き適応LD/FD(LD:ライン差,FD:フレーム差)方式が望ましいことが明らかとなった。 EDTV-IIの審議では、SSKF手法と、川井ら提案のフレーム完結変形FD方式にて議論が進められ、最終的にSSKF方式が採用された。 SSKFによるVT信号処理についても[垂直-時間]周波数領域で解析を行なった。 第7章では、VH,VT信号の無画部多重方式の検討を行なった。多重においては、受信側で両信号を分離可能であり、多重信号の無画部妨害が見えにくいことが要求される。VH,VT信号を分離可能とするために両信号を[時間-垂直]周波数領域で異なる位置に多重する手法が、吹抜,木俣,影山らにより考案された。この提案に基づき、筆者は無画部妨害の主観評価実験を行なうとともに、詳細検討を行なった。これにより、VH,VT信号の最適多重位置及び水平変調の最適変調軸を明らかにした。この方式は、多重配置も含めて、EDTV-II規格として採用された。 上記提案方式のハードウェアを試作し、性能確認を行なった。その結果、受像機側でVHとVT信号を完全分離できることが確認された。 第8章では、以上の内容をまとめて結論を述べるとともに、今後の放送分野における展望を述べた。 以上のように、EDTV-I,IIを通じて、方式提案およびハードウェアによる実証により規格化に貢献するとともに、TV信号に関わる3次元信号処理及び3次元周波数解析の体系化も行なった。昨今、多次元信号処理が各方面で研究されているが、EDTVは多次元信号処理の研究成果が実用化された数少ない例と言える。今後はワイドクリアビジョンが普及し、各家庭にて高画質の映像が見られることを期待する。 |