スピン系の問題は昔から調べられているが、最近になって特にスピン・ギャップに関する問題が様々な局面で重要な問題になってきている。通常スピンに関して等方的なモデルでは、スピン波的な励起が生じてスピン励起にギャップは生じないと思われてきた。ところが最近、現実の物質においてギャップが生じる場合が数多く見つかってきており、この現象が自然界に普遍的に現れるものであることを示している。更に、スピン・ギャップが開く場合は、いずれも非常に面白い問題につながっている。その1つとして一次元整数スピンの場合のハルデイン・ギャップの問題がある。 1983年ハルデインは一次元反強磁性スピン系で、スピンの大きさが整数ならばギャップが開き、半整数ならばギャップがないという大胆な予想をした。この問題に関してはその後多くの研究がなされ、予想が正しいということが明らかになってきている。本論文はその延長線上にあり、整数スピンの場合のハルデイン・ギャップに関するいくつかの問題を取り上げて調べている。とくに、厳密に解けるモデル・隠れた対称性とその破れといった最近の理論的な進展を踏まえた上で、それらの拡張という点に主眼をおいている。 本論文では、第一章が一般的な序、第二章がハルデイン・ギャップに関して今までわかっていることをまとめた章である。第三章では、前章で解説されたハルデインギャップの問題を、スピン1(S=1)より大きい場合に拡張している。その結果として、相図中に新しい相が出現する可能性があることを議論した。次の第四章で具体的にS=2のモデルを取り上げ、この相を数値シミュレーションによって検出しようという試みを行なっている。第五章はまとめに当てられている。 ハルデインギャップについて議論される場合に、よく用いられる1次元スピン系のモデル をこの論文でも用いる。パラメータ,Dを変化させたときに、このモデルの基底状態がどうなるかという相図については、S=1の場合に詳しくわかっている。S=1のときには、(1)ハルデインギャップの相、(2)パラメータDが大きい領域での、スピンのz成分が抑えられるような相(large-D相と呼んでいる)と、(3)パラメータが大きい領域での、イジング的な相の3つが知られている。本論文では、スピンが1より大きい場合に以下のようなことが議論された。 ・スピンが1より大きい整数の場合には、中途半端な大きさのDの領域で(1)と(2)の相の間に新しい相が生ずる可能性がある。 ・いくつかの相が絶対零度での逐次相転移として現れる可能性がある。 ・隠れた対称性が破れている相と、破れていない相が交互に現れる。 ・各相ではスピン・ギャップが存在するが、相境界上ではスピン・ギャップが0になる。などが議論されている。 まず、第二章ではスピン1の場合のvalence bond solid(VBS)状態が詳しく紹介されている。VBS状態とは、隣り合った2つのS=1/2スピンから作られたシングレット対(valence bond)が一次元の各ボンド上に存在し、各サイト上では両側からきたボンドのスピンを使ってS=1のスピンを作った状態である。式(1)のハイゼンベルグモデルに類似した特殊なハミルトニアンを考えると、VBS状態が基底状態となっており、スピン・ギャップが開くことが厳密に示されている。(この部分はAffleck-Kennedy-Lieb-Tasakiの論文の紹介である。)次に、隠れた対称性(ハミルトニアンからは明らさまにわからないが、ある変換をすると現れる対称性、この場合はZ2×Z2対称性)というものがあって、その対称性が破れた状態がハルデイン・ギャップを持つ状態であるというKennedy-Tasakiの論文を紹介してある。 第三章からが、本論文のオリジナルな所である。まず、第二章で説明された隠れた対称性というものを一般の整数スピンの場合に拡張した。つまり、ハイゼンベルグ・ハミルトニアンに対するある変換を見出し、この変換によって隠れたZ2×Z2対称性が現れることを示した。さらに、S=1の場合の"ストリング秩序変数"というものを拡張して、Z2×Z2対称性が破れた時に現れる秩序変数を考えた。 又、何らかのモデルハミルトニアンの基底状態がVBS型の波動関数だと仮定して、この秩序変数の期待値を計算する簡便な方法(シュヴィンガーボゾンで表示する)を見出し実際に計算を行なった。その結果スピンの大きさSが奇数なら長距離秩序が存在するが、Sが偶数だと秩序変数が0になるということが明らかになった。このことは、Sが偶数のときには、今まで考えられている隠れた対称性以外の隠れた対称性があることを示している。しかし現在のところ、この新しい対称性が何であるかは明らかではない。 さらにこの手法をいくつか別の形のVBS状態に応用してストリング秩序変数を計算している。例えば(a)部分的にdimerizeしたスピン系の基底状態として期待されるものや、(b)VBS状態に自由なスピンが付け加わっているもの、(c)VBS状態に強磁性的な大きなスピンがついたものなどについて同様に秩序変数を計算することができた。 本論文の残りの部分では、特に(b)の状態の可能性について議論している。(1)式のモデルで、スピンが1より大きい整数の場合、とDを変化させたときの相図中に(b)の状態が実現する可能性があることを議論した。[(b)の状態は秩序変数の長距離秩序を持つという意味で興味がある。]D=0では、Affleck-Kennedy-Lieb-Tasakiの論文で求められたようなハルデインギャップを持つVBS状態が実現しているが、少しDが大きくなると上記の(b)の状態が生じる可能性がある。さらに大きなDの領域では、large-D相が実現する。現実的な(1)式のモデルで、本当にハルデインギャップの相とlarge-D相の間に新しい相が存在するかどうかという点、および、新しい相が存在するとして、その相が上記の(b)の状態であるかどうかという点については数値的に調べるしか方法がない。そこで次の第四章では、量子モンテカルロシミュレーションの方法を用いて、S=2でかつ=1の場合に限って詳しく調べている。 量子モンテカルロ法は通常のチェッカーボード分解を用いるものである。まず調べているのは第三章で導入したストリング秩序変数である。前の章の予想ではD=0の時にはVBS状態が実現するのでS=2(偶数)であるために、長距離秩序は現れない。しかし適当な大きさのDの時に(b)の状態が実現すれば、長距離秩序があらわれ、さらにDを大きくするとlarge-D相となって再び長距離秩序が0になる可能性がある。これを実空間の相関関数の長距離のところの振舞を調べることによって議論した。一般にこの秩序変数は非常に小さく、長距離での振舞は微妙になるので長時間のシミュレーションが必要であるが、十分長く計算時間をかけて誤差を極力小さくした。とくにD=1.2の場合を詳しく調べている。100サイトぐらいまでの相関関数は、1次元で予想される巾乗的減衰が見られるが、それ以降かろうじて巾乗からはずれて長距離秩序が残るように見える。但しその値は0.001と非常に小さく、シミュレーションによる誤差と比べて本当に0でないかは微妙である。この疑問を解消するためにD=0の時を比較のために調べている。この場合には逆に10サイトより長距離のところで、巾乗より明らかに小さい値になるようである。 さらにこの主張を裏付けるために、スピン・ギャップの大きさを、モンテカルロの虚時間方向の相関関数から評価した。サイズ依存性を丁寧に解析した結果、D=0の時には0.7程度のギャップが開いているが、Dが少し入っただけでそのギャップは消滅し(この結果はすでに他の論文で知られている)、D=1.2のところでは非常に小さいが(0.01程度±0.01)再びギャップが開くようにも見えるということがわかった。このようにして得られたギャップの大きさは非常に小さく本物かどうか微妙であるが、第三章で予想していたようなD依存性が見られるようである。以上二つの根拠をもって途中のDの大きさの領域で彼の主張する(b)の状態があらわれることを示唆しているようである。 以上のように本研究では、ハルデインギャップの問題について、VBS状態とストリング秩序変数という点から、スピンの大きさが一般の整数の場合について詳しく調べている。とくにS=2の場合、異方性Dの関数として今まで知られているVBS状態の他に、新しい相(b)の出現が可能であり、それを示唆するシミュレーションの結果を得ている。量子モンテカルロのデータから得られる秩序変数とスピンギャップは非常に小さいものであり、彼のいう(b)相がどれほど確実なものであるか疑問な点もあるが、何らかの新しい相が出現している可能性は大いにある。VBS状態というものが、いろいろな方向に拡張可能なものであることを示し、具体的なモデルで絶対震度での逐似相転移という形で現れる可能性があることを示したことは大いに評価できると思う。 本研究は一部、宮下精二助教授と山中雅則氏との共同研究であるが、論文提出者は精密な量子モンテカルロ法の数値計算、結果の解釈、解析的な方法との比較など本質的な寄与をしていると認められる。よって審査員一同は本論文が博士論文にふさわしいものであると認定した。 |