学位論文要旨



No 212593
著者(漢字) 顧,旭平
著者(英字)
著者(カナ) グウ,シイビン
標題(和) 橈骨動脈脈波によるRA患者の左室収縮の各時相に関する研究
標題(洋)
報告番号 212593
報告番号 乙12593
学位授与日 1995.12.20
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第12593号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 井街,宏
 東京大学 助教授 内田,康美
 東京大学 講師 須甲,松信
 東京大学 講師 重松,宏
 東京大学 講師 後藤,淳郎
内容要旨

 慢性関節リウマチ(RA)の死因の第1位に心病変を挙げる報告は数多い。RAの心病変の合併頻度は、剖検例では30〜50%と高いが、生前臨床的に認められるのは2〜10%と少ない。この大きな差異が生じる原因は、RAの心病変の自覚症状を欠くことが多いということ以外に、心機能異常になるには長い羅病期間を積み重ねる慢性的な経緯と関連していると考えられる。そのために、RAの心機能の監視が重視されないままに、主な一つの死因となっているのであろう。この現実的な臨床問題のため、心病変を伴うあるいは臨床所見があるRAの患者のみならず、RAの全員に対する心機能を評価することが必要となっている。

 一つの典型としては頚動脈脈波での左室収縮時間(STI)の測定がある。左室収縮時間としては、左室駆出時間(ET)、前駆出時間(PEP)、前駆出時間/左室駆出時間比(PEP/ET)、心拍周期(RR)などが主に取り上げられている。しかし、この方法はノイズが大きく時間の測定上誤差が生じ易い。本研究に使われたEPG-1橈骨動脈脈波計測装置は、橈骨動脈脈波を測定するものであるが、交流(AC)’型3連圧力センサーで自動的に計算と出力ができるので、頚動脈脈波の測定に比べノイズの影響が排除されるため、測定値が安定しており、且つ頚動脈脈波とほぼ一致した左室収縮時間の測定値が得られる。本研究では、この計算装置を用いてRAの左室収縮時間変化を臨床所見との関連を含めて検討した。

 72例のRA患者について、左室収縮期の諸時相(ET’、PEP’、RR、PEP’/ET’)*を測定した。すべての対象(control群を含む)は女性、血圧が正常範囲である25±1℃の室温下で15±5分間の安定状態を保持させた後、臥位にて、右腕と左腕で連続して計測した。control群も同じ測定条件下で計測した。年齢、性がほぼ一致した34例の健常人(control群)の測定値と比較する上で、同時に、RAの炎症活動性を示すパラメーターとして、血沈値、血清C反応性蛋白、血清総蛋白量、血清蛋白比例、-グロブリン、2-グロプリン、ヘモグロビン値、白血球数、血小板数、血清鉄値を調べた。左室収縮期の諸時相の変化はRAの炎症活動度、RA病期分類(stage)、RAの機能障害度(class)、リウマトイド因子(RAtest)検査値、心電図の異常所見有無、年齢、罹病期間、ステロイド剤投与量、ステロイド剤投与期間の臨床諸因子との関係を多重回帰分析方法で検討した。以下のような結果が得られた。

 (1)RAの全体例(72名)は健常人(control群、34名)に比して、駆出時間における有意差が見られなかったが、心拍周期(RR)が健常人より有意に短縮され、(control群:903±121、RA群:843±144、p<0.05)、前駆出時間(PEP’)が健常人より有意に延長され、(control群:102±23、RA群:122±44、p<0.05)、RA群の前駆出時間/駆出時間(PEP’/ET’)が有意に高値を呈していた(control群:0.34±0.06、RA群:0.38±0.07、p<0.05)。この結果は、RA患者の心機能は健常人より全体的に有意に低下していることを示すものと考えられた。また、各測定値における心電図の異常所見有無の間での有意差はなかった。

 (2)RAの前駆出時間/駆出時閏(PEP’/ET’)は患者の年齢、RAの病期分類(stage)、機能障害度(class)、心電図の異常所見の有無などの因子との有為な相関が見られなかった。しかし、RAに羅患している年数(r=.373,P<0.05)、steroid剤の投与量(r=.354,p<0.05)、steroid剤の投与期間(r=.476,p<0.01)、RAtestの陽性値(r=.252,p<0.05)、CRP(r=.337,p<0.05)の五つの説明変量が上昇するにつれて、前駆出時間/駆出時間(PEP’/ET’)が増加する傾向が見られ、心機能がしだいに低下されてくることを示唆した。この五つの有意な相関因子による多重回帰分析した結果によると、いずれも有意の重相関関係(r=0.582,p<.0001)が認められ、それぞれの説明変量に対する偏回帰係数は羅病期間とsteroid剤の投与期間の二つの因子のみが有意となった(羅病期間:r=.240,p=.025,steroid剤の投与期間:r=.337,p=.0287)。しかし、steroid剤の投与期間との有意相関因子は羅病期間、RAの機能障害度(class)、炎症活動度及CRP値であった(羅病期間:r=.282,Class:r=.344、炎症活動度:r=.273、CRP値:r=.337,p<.005)。その中には、炎症活動度とCRPWとは強い相関関係であるので(r=.610,p<.0001)、炎症活動度とCRP値をほぼ一致の因子として考えれば、RAの心機能がsteroid剤の投与期間という因子からの影響を受けることには、長い羅病期間にわたってRAの炎症活動が続き、患者の不自由度が増悪という因子も含まれていた。つまりRAの心機能が次第に低下されることは、steroid剤の投与期間とRAの羅病期間とRAの炎症活動という三つの因子が交錯され、総合的に関与していることは明らかとなった。

 今回の対象の中には、steroid剤の使用者が34例であった。この34例のsteroid剤使用者に対して調べた結果によると、PEP’/ET’がsteroid剤の投与期間と正の相関(r=.557,p<.001)、年齢と逆相関(r=.392,p<0.05)を示していた。また、steroid剤の投与期間は年齢との有為な逆相関の以外に、RAの機能障害度とも有意な正の相関がみられた(r=.332,p<0.05)。steroid剤の投与による骨粗鬆症に関する多く報告があり、RAの機能障害度の増悪はsteroid剤の長期間投与による一つの副作用であることが排除できない。

 (3)心拍周期(RR)は年齢、羅病期問、stage,classなどの諸因子との有意な相関はなかったが、steroid剤の投与量(r=-.398,p<.001)、steroid剤の投与期間(r=-.377,p<.005)、RAの炎症活動度(r=-.333,p<.005)、CRP値(r=-.438,p<.0001)との有意な逆相関が見られた。この四つの有意相関因子に対して多重回帰分析法で主因子を検出した。結果では、有意な重相関係数が認められ(r=.525,p<.001)、それぞれの説明変量に対する偏回帰係数によると、CRP値が主因子となっていた(r=-.295,p<.005)、CRP値の増加すなわち炎症の強さと共に心拍周期(RR)が短縮された。なお、CRP値で分群による心拍周期(RR)の短縮が次の通りに有意な段差が見られた。:

 CRP値の正常群(CRP値0.6以下)と比較する場合、CRP値0.7〜4.9群が正常群より160.3短縮され(CRP値0.6以下群:973.9±144.9、CRP値0.7〜4.9群:813.6±105.2、p=.0006)、CRP値5.0〜10群が193.1短縮され(CRP値0.6以下群:973.9±144.9、CRP値5.0〜10群:780.8±123.8、p=.0002)、CRP値10以上群が224.3短縮された(CRP値0.6以下群:973.9±144.9、CRP値10以上群:749.6±132.3、p=.0071)。

 (4)駆出時間(ET’)とRAの諸因子との有意な相関はなかった。

 (5)前駆出時間(PEP’)と羅病期間のみとの正の相関が示された(r=.404,p<.001)。RAの羅病期間が長期になると、前駆出時間(PEP’)がしだいに延長された。しかし、前駆出時間(PEP’)とRAの炎症活動度、CRP値、steroid剤の投与などのほかの諸因子との有意な相関は示されなかった。

 以上の結果により、(i)RAの心機能は健常人より低下され、羅病期間と炎症活動の強さにつれて増悪する傾向が明らかとなった。しかも、これは心電図の異常所見としては現われずに持続していくことも明らかになった。この結果はRAの慢性的に積み重なる経過と関連していると推測されるが、いままで数多い報告による心臓死因が主な一つの死因である原因についても解釈できるようになった。(ii)PEP’/ET’の上昇とsteroid剤の投与期間は正の相関を示していた。すなわちsteroid剤の1日投与は少量でも長期間にわたれば、その副作用が積み重なって心機能にも影響する可能性があることを示唆している。ステロイド剤の少量長期間投与の副作用について再検討する必要があると思われる。方、PEP’/ET’値と血液検査との関連性については、白血球のみとの偏相関は有意であった。また、ステロイド剤の投与と白血球の増加には強い正の相関が見られ、且つ白血球の増加とCRP値との相関も示されていた。RAの心臓剖検時の病理所見でリンパ球などの炎症細胞が浸潤していることはRAの心臓の主な組織像であるので、steroid剤の長期投与と炎症活動性は白血球の増加という因子を通して心臓の組織像に影響し、それによって心機能低下に関与するかという可能性についても今後とも検討したい。(iii)RAの心機能低下の増悪化は臨床所見を欠くため、長期間炎症活動性が高いRA患者に対しては心臓の特別な臨床所見はなくても心機能を監視することは必要であることを示唆していた。この場合、まず簡便な方法である橈骨動脈脈波による左室収縮期時間を測定して、もしPEP’/ET’が高値を呈している場合、心カテーテル法などでさらに心機能をチェックすることは、RAの予後の改善に役立つ臨床意義を持つと思われる。羅病期間で分けて検討した結果によると、5年以下の群と5年以上の群との有意差が見られたので、RAの羅患年数は5年を超え、炎症活動が寛解に達しない場合、このスクリーニングの方法などにより心機能を監視することは特に必要であると考えられる。

 (1)測定値の単位:msec (2)頚動脈脈波で得られた左室収縮期の諸時相(ET,PEP,RR,PEP/ET)と区別するため、本文のパラメーターの記号をET’,PEP’,PEP’/ET’にする。

審査要旨

 本研究はEPG-1橈骨動脈脈波計総合装置を用いて、年齢、性をほぼ一致させた34例の健常群と72例の慢性関節リウマチ(RA)群の左室収縮時間の時相変化と臨床諸因子との関連を検討したものである。この装置は橈骨動脈脈波から左室駆出時間(ET)と前駆出時間(PEP)及びそれらの心拍数による修正値(ET’,PEP’)を簡便に計測できるものである。RAにおいて心機能不全があることは以前から疑われており、剖検のよる報告もあったが、この心機能不全は心電図等の臨床検査に現れ難い。本研究はこの脈波計による計測とRA患者の臨床諸検査の結果を分析し、RA患者における心機能不全の存在を立証し、それがどのような検査所見と相関するか、明らかにしたものである。成績の概要は次の通りである。

 1. RAの罹病期間、Steroid剤の投与量と投与期間、RATestの陽性値、CRP値が上昇するにつれて、PEP’/ET’が有意に増加する傾向が見られ、心機能が次第に低下していくことを示した。これらの有意な相関因子による多重回帰分析をした結果によると、いずれも有意な相関関係が認められ、特に罹病期間とSteroid剤の投与期間との相関が顕著に有意であった。一方38名のSteroid非投与例の心機能に影響する主因子は炎症活動を示すCRP値であった。

 2. 心拍周期とSteroid剤の投与量、RAの炎症活動度、CRP値との間に有意な逆相関が認められた。すなわち炎症の程度が強い程、心拍周期は短縮する。これは以前から認められていたことの再確認である。

 3. PEP’は罹病期間のみと正の相関が認められた。すなわち羅病期間が長くなる程、心機能が低下している。罹病期間を5年以内と5年以上に分けると有意差があり、5年以上にわたって炎症活動が寛解しない場合は、心機能を監視することが特に必要であることが指摘された。

 以上、本論文は橈骨動脈脈波計によってRA患者の左室収縮の各時相の計測を行い、他のRA諸検査との相関を明らかにし、この検査がRA患者の心機能低下発見のためのスクリーニング検査として有用であることを立証した。これはRA診療の臨床に役立つとともに、今後のRA患者の心機能異常の研究に対して一つの方向を与えるものと思われ、学位授与に値すると判断される。

UTokyo Repositoryリンク