学位論文要旨



No 212594
著者(漢字) 中込,和幸
著者(英字)
著者(カナ) ナカゴメ,カズユキ
標題(和) 精神分裂病患者及び健常者における事象関連電位に伴う頭皮上電流分布の解析 : 聴覚オドボール課題及び選択的注意課題を用いて
標題(洋)
報告番号 212594
報告番号 乙12594
学位授与日 1995.12.20
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第12594号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 加我,君孝
 東京大学 教授 宮下,保司
 東京大学 教授 上野,照剛
 東京大学 助教授 関根,義夫
 東京大学 助教授 今泉,敏
内容要旨

 精神分裂病(以下分裂病と略す)の生物学的基盤についてさまざまな知見が得られているが、必ずしも一致した見解が得られているわけではなく、さらに検討を重ねる必要があると思われる。分裂病におけるさまざまな臨床症状のうちで、認知障害は古くから基本症状の1つとしてとらえられ、臨床上も患者の生活障害に大きな影響を及ぼすという点で重視されている。認知障害を脳機能の見地から見直し、治療上の指針を得ることは重要な課題と考えられる。

 近年、脳波を用いた生理学的手法の1つとして事象関連電位(ERP)がこのような認知障害を客観的に計測する方法として注目されており、コンピュータの進歩とともにさまざまな解析法が開発され、汎用されるようになってきた。これまでERPを用いて分裂病について得られた知見をまとめると、ERP成分のうちN1及びP3振幅の減衰、P3潜時の遅延が報告されているが、健常群との間に群間差は認められるものの、両群を判別できるほど鋭敏でないことが知られている。

 従来、ERPを用いて、情報処理過程の時間的側面に焦点をあてた研究が多かったのに対して、本研究で用いたscalp current density analysis(SCD)は通常の脳電位分布図に比して、(1)基準電極の影響を受けない、(2)発生源近傍の電位が強調され、遠隔電位の影響を受けにくいため、発生源の電気的活動をより鋭敏に反映する、(3)したがって、深部の発生源における電気的活動は検出しにくい、といった特徴を有し、空間的鋭敏性に優れている(Pernierら(1988))。そこで、本研究ではSCDの頭皮上分布を用いて分裂病患者の情報処理と脳皮質活動との関連性から健常者との違いについて検討を試みた。

 対象はDSM-III-Rにて精神分裂性障害と診断された外来通院患者24名と年齢、性を-ほぼ一致させた健常対照群16名である。ERP計測に用いた課題は、一般的に用いられる聴覚オドボール課題と選択的注意機能についての検討が可能な選択的注意課題の2種類である。聴覚オドボール課題では、被検者は安静閉眼座位でヘッドホンを通じて両耳に提示される周波数及び提示確率が異なる2種類の音を聞き分けて、提示確率が低い高音を目標音としてできるだけ正確に早くボタン押しを行う。選択的注意課題では同様の音刺激が左右の耳にランダムに等確率で提示され、被検者は一方の耳に提示される低頻度高音を目標音としてできるだけ正確に早くボタン押しを行う。被検者は一方の耳に選択的に注意を向けることになるため、選択的注意機能を検討する際に有用である。脳波は国際10-20法に基づいて帯域フィルタ0.16〜30HzにてFz,Cz,Pz,Oz,Fp1,Fp2,F3,F4,T3,T4,C3,C4,T5,T6,P3,P4の計16部位より導出してデータレコーダに記録し、オフライン処理を行った。検査時にアーチファクトの混入が疑われたデータは解析に際して除外した。さらに、得られたデータにspherical spline interpolationを用いて頭皮上1079ポイントの振幅値を各時間点について算出した後、scalp current density analysis1を行い、各ポイントについて頭蓋面に対して垂直方向の電流密度を求めた。さらにN1、P3潜時帯(各成分頂点±20msec)での頭皮上電流値の統計解析のために、SAS統計パッケージのVARCLUSプロシージャを施行した。

 オドボール課題では継時的なSCD mappingの視察から健常群に比して分裂病群でP3成分に伴う吹き出し口がより頭頂後頭部に限局している傾向が伺われたが、N1、P3潜時帯で、頭皮上各部位のSCD値について有意な群間差は認められなかった。一方、選択的注意課題では継時的なSCD mappingの視察から、N1成分の吸い込み口が分裂病群でより前方に位置し、さらに健常群で左側に偏位しているのに対して分裂病群ではその偏位のしかたが不明瞭であった。また、N1からN2潜時帯にかけても健常群では左側頭部から左中心部にかけて吸い込み口が持続するのに対して、分裂病群では主として両側前頭部に吸い込み口が分布し、異なるバターンが認められた。この潜時帯で出現する成分としてMMN(mismatch negativity)2、処理陰性電位の側頭葉成分が知られており、それぞれ左側半球で減衰していると推測された。非注意耳側低頻度刺激に対する継時的SCD mappingの視察からも右側半球におけるMMNの減衰が伺われた。低頻度刺激から高頻度刺激を引いた差波形及びそのSCD mappingからもとくに左側半球におけるMMNが分裂病群で不明瞭であることが示唆された。また、P3潜時帯ではやはり健常群で左側前頭極部に吸い込み口が認められるのに対して、分裂病群では右前頭極部で吸い込み口が認められた。なお、N1潜時帯で左前頭中心部のSCD値に有意な群間差が認められ、上記N1潜時帯における両群の吸い込み口の分布バターンの違いを支持する解析結果が得られた。さらに、P3潜時帯では右前頭極部のSCD値について両群間で有意差が認められ、同様にP3潜時帯における吸い込み口の分布パターンの違いを支持する結果が得られた。

 各頭皮上領域におけるSCD値の間の継時的変化に伴う負の相関、すなわち電流の吹き出し口と吸い込み口の関連性が示唆される部位間関連性について検討を試みた。興味深いことに、N1潜時帯では刺激同側で負の相関を示す吸い込み口と吹き出し口が多く認められ、これまで磁気脳波(MEG)で認められた上側頭平面由来のN1成分に伴う電流ほぼ一致する電流パターンが同定された。両群間で有意差が認められた左前頭中心部の吸い込み口については吹き出し口との間に認められる負の相関は比較的弱く、これまでの知見から明瞭な吹き出し口を伴わない成分として知られる処理陰性電位の側頭葉成分の影響が強いものと考えられた。すなわち、分裂病群では処理陰性電位の側頭葉成分が刺激対側である左側半球で減衰している可能性が示唆された。同様にP3潜時帯で認められた右前頭極部の吸い込み口についても明瞭な吹き出し口を伴わず、P3成分とは独立の陰性成分に伴う電流パターンの影響と考えられ、処理陰性電位の前頭葉成分の右側への偏位による可能性が示唆された。

 1scalp current density analysisの基本的な原理は下記式で表される。

 

 2低頻度刺激に対する自動的処理を反映する成分で本研究の条件のように両刺激が明らかに異なる物理的特性を有する場合N1成分にほとんど重量して出現する。

 上記N1、P3潜時帯における吸い込み口の偏位についてまとめると、分裂病群では健常群に比していずれの潜時帯においても右側への偏位が認められた。N1潜時帯で吸い込み口が右側(前頭中心部)への偏位を示した者は分裂病群で19名中11名であり、健常群では13名中わずか2名であった(Fisher’s exact test;p=0.028)。一方、P3潜時帯で吸い込み口が右側(前頭極部)への偏位を示した者は分裂病群で19名中11名であり、健常群では13名中4名のみであったが、両群間でパターンに有意差は認められなかった(Fisher’s exact test;p=0.17)。次に両成分潜時帯における吸い込み口の左右分布パターンが相互関連性を有するが否かを検討したところ、N1、P3潜時帯における吸い込み口の左右分布パターンは一貫した傾向を示した。すなわち、分裂病群でN1潜時帯で吸い込み口が右側半球優位に分布していた者はP3潜時帯でも右側半球優位に吸い込み口が分布している傾向を示した。その解釈として、N1からP3潜時帯にかけて持続的に左側半球における吸い込み口の電流値が減衰している可能性が挙げられる。継時的SCD mappingの視察からもN1からN2潜時帯にかけて健常群では左側頭部から左中心部にわたって吸い込み口が分布しているのに対して、分裂病群ではそのような吸い込み口は不明瞭であり、おそらく処理陰性電位の側頭葉成分が左側半球において減衰していたために、N1、P3のいずれの潜時帯においても吸い込み口の注意耳側対側(左側)優位性が認められなかったと考えられる。一方、N1潜時帯では処理陰性電位の影響を除外しても、一次聴覚野である上側頭平面由来のN1成分も刺激対側で増強されることが知られており、そのため左側半球優位にN1成分の吸い込み口が分布することが予想される。したがって、処理陰性電位の減衰以外の要因についても検討する必要がある。継時的SCD mappingの視察から、N1潜時帯で分裂病群の吸い込み口が健常群に比してより前方に分布することが観察された。N1成分の要素成分として運動及び前運動皮質由来の成分が比較的長い刺激間間隔で出現することが知られており、非特異的な定位反応に関連するとされている。分裂病群では、低頻度刺激についての記憶が十分保持されないために、定位反応がより強く生じ、そのために上側頭平面由来の成分による刺激対側優位性が不明瞭となった可能性が挙げられる。さらに、もう1つの可能性として、分裂病群について全般的な左側半球機能の低下が挙げられる。これまでに、分裂病群に左側半球機能低下を示唆する知見は多く認められ、ERPについても左側頭部のP3振幅の低下が認められたとする報告もある。本研究では、右耳を注意耳側とした場合のみ検討しており、左耳を注意耳側とした場合について検討していないため明確な結論は得られないが、とくにP3潜時帯で処理陰性電位の前頭葉成分が右側に偏位している点については、元来偏位が認められない成分であるため、その他の解釈は困難である。

 まとめると、分裂病群では左側半球において、MMN、処理陰性電位の側頭葉成分の減衰が示唆された。しかし、この所見が左側半球に特異的であるか否かについては今後の検討課題と考えられた。一方、SCD mappingを用いることによって、脳皮質活動をより鋭敏にとらえられることが期待される。

審査要旨

 本研究は精神分裂病患者の情報処理障害の脳内機構を明らかにする目的で、精神生理学的手法の1つである事象関連電位(以下ERPと略す)に伴う頭皮上電流分布(以下SCDと略する)を用いて検討したものであり、下記の結果が得られている。

 1.オドボール課題を用いた場合には、P3成分の吹き出し口が健常群に比して分裂病群ではより後頭優位に限局する傾向が認められたが、顕著な差異は認められなかった。

 2.選択的注意課題で、目標刺激に対するN1潜時帯で、分裂病群では刺激対側に相当する左前頭中心部におけるSCDが健常群に比して有意な減衰を認めた。電流吸い込み口の刺激対側優位性を認めた者は分裂病群で19名中わずか8名であり、健常群の13名中11名と比較して有意に少なかった。

 3.選択的注意課題で、非注意耳側低頻度刺激に対する総加算波形のSCD mappingの継時的変化の視察から、分裂病群は健常群に比してmismatch negativity(MMN)が減衰していることが推測された。

 4.選択的注意課題で、目標刺激に対するP3潜時帯で、分裂病群は刺激同側に相当する右前頭極部から前側頭部において吸い込み口が観察されるのに対して、健常群では刺激対側に相当する左前頭極部から前側頭部に吸い込み口が観察されており、分裂病群では左右逆のパターンが認められた。

 5.N1、P3潜時帯における吸い込み口の半球優位性については、個人毎に一貫した傾向が認められ、すなわちN1潜時帯で左前頭中心部優位であった者の多くはP3潜時帯においても左前頭極部から前側頭部優位であり、N1潜時帯で右前頭中心部優位であった者の多くはP3潜時帯においても右前頭極部から前側頭部優位であった。

 6.すなわち、N1、P3潜時帯における吸い込み口には聴覚刺激の処理中持続的に出現する処理陰性電位の側頭葉成分が関与しており、分裂病群では減衰しているか、少なくとも刺激対側(左側)優位には出現していない可能性が示唆された。

 7.以上より、分裂病群では一次聴覚野における自動的処理機能の低下、選択的注意機能の低下が示唆された。なお、これらの所見が左側半球機能に特異的である可能性も否定できず、今後、注意耳側を左耳とし、右半球機能についても検討することが重要であると思われた。

 以上、本論文は頭皮上電流分布の左右半球優位性の検討から、分裂病患者における自動的、意識的注意障害の両方が存在する可能性を明らかにした。本研究は分裂病患者の情報処理障害の脳内機構の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50969