学位論文要旨



No 212595
著者(漢字) 奥村,雄介
著者(英字) Okumura,Yusuke
著者(カナ) オクムラ,ユウスケ
標題(和) 拡大自殺を行った女性12例 : その疾病または症候群特異的な犯行動機についての研究
標題(洋) Zwölf weibliche Falle von erweitertem Suizid Untersuchung der nosologiespezifischen oder syndromspezifischen Tatmotivation
報告番号 212595
報告番号 乙12595
学位授与日 1995.12.20
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第12595号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 栗田,廣
 東京大学 教授 末松,弘行
 東京大学 助教授 中安,信夫
 東京大学 講師 天野,直二
 東京大学 講師 斎藤,正彦
内容要旨

 拡大自殺は、「他人をその同意なしに道連れに自殺すること」として理解されているが、その一連の行為において自殺の意図が第一義的かつ優勢でなければならない。また被害者と加害者の関係をみると、そのほとんどが母親による子殺しのように、被害者は愛する身近な者であることが多い。本研究ではHeidelberg大学病院(1954年から1992年まで)及びWiesloch州立病院(1959年から1992年まで)の入院患者の中で精神鑑定が施行された症例を病歴や鑑定書をもとに調査し、拡大自殺と認められた12症例(ただし自殺既遂のため鑑定が行われなかったものを1例追加した。)につき精神医学的・犯罪学的観点から比較検討し、疾病(または症候群)特異的な犯行動機について考察した。12例はすべて女性例であり、診断の内訳は分裂病圏4例、鬱病圏4例、人格障害圏4例(心因反応1例、人格障害3例)で三群に分かれた。

 第一群の分裂病と診断された4例のうち、症例1、2、4は幻覚妄想状態、症例3は欠陥状態であった。症例1の迫害妄想は体系化されており、具体性を帯びていた。犯行は、「夜な夜な暴行される子供の苦しみを和らげる。」という救済の目的でなされている。犯行の決意に関しては妄想が決定的な役割を演じており、犯行を遂行する動因としては命令幻聴が大きく作用していたと思われる。症例2の場合、患者を取り巻く世界が異様に変貌し、何か恐ろしいことが起きるのではないかという妄想気分の中で、雷鳴が誘発した際限のない精神病的恐怖が患者を突発的に犯行に駆り立てている。犯行は計画性がなく、衝動的、短絡的であることから命令幻聴は症例1以上に重要な役割を担っていたように思われる。症例1、2、4と比較し、症例3において主役を演じているのは幻覚や妄想ではなく、人格水準の低下による社会的不適応から生じた抑欝基底気分であると言える。愛人に失望したことが、犯行の直接の契機になっている。また残忍で猟奇的とも言える犯行の手口や後悔の念の欠如は、人格変化を裏付ける著明な情性欠如を示唆している。症例4は、症例1、2に類似しており、「このままだと自分も子供も無惨に殺される。」という迫害妄想下で「死ね。」という命令幻聴に支配され、突発的に犯行に及んでいる。ただし迫害妄想を形成するに至った背景としては、同居していた夫と義父に虐げられていたという慢性的な葛藤状況、イタリア出身のため言語や文化的な障壁があったこと、知能が境界領域であったことなどがある。第二群の欝病圏の症例5、6、7、8はすべて内因性欝病であった。症例5の性格特徴を見ると勤勉、正直、正確、綿密、徹底的で、秩序愛があり、対人関係は円満で、典型的なメランコリー親和型性格であった。またその妄想主題は、「破産して貧困に陥る。」、「自分のしたことはすべて間違っていた。」、「自分は病気だ。もう生きられない。」という三つの領域にまたがっており、それぞれ欝病によく見られる三大妄想すなわち貧困、罪業、心気妄想に対応していた。妄想に支配された彼女にとって自殺は社会的な価値を失った自己の最後の打開策であり、殺人は母親としての最後の役割遂行と言うべきものである。症例6は生気的抑欝症状、遺伝負因などから内因性欝病であったことは疑いないが、妻子あるトルコ人に付きまとわれ、脅迫されていたという状況因の関与は否めない。また性格特徴をみると、真面目、親切で思いやりがある反面、内気、神経質であり、意志薄弱、優柔不断なところがある。彼女の生活史を振り返って見ると、家庭が貧しく、学校で虐められ、幼い頃から劣等意識を持っていたことや、故郷を離れてからの7年間の苦渋に満ちた放浪生活と強制収容所での悲惨な体験が性格形成に大きな影響を及ぼしていたことが推定される。症例7は数年に亘る母親の看病に疲れ、母親の死後約4ヵ月目に遺書を残して犯行に至っている。彼女にとって母親は安心して頼ることのできる唯一の相談相手であった。犯行を決意するに至った心理的な布置としては母親の不幸な人生を見て育ったこと、自分の家系にガンや精神病が多く見られたこと、長男が身体障害を有していたことなどがある。また性格特徴を見ると真面目、几帳面、内気、引っ込み思案であり、対他配慮があり、責任感が強く、頑固なところがあり、ほぼメランコリー親和型性格とみなすことができる。症例8は産褥期の抑欝状態における道連れ自殺であり、医師のアドバイスを無視した無理解な夫による時期尚早の退院が原因の一端を担っている。心理的布置としては母親の自殺が重要な意味を持っていたと思われる。患者は、母親を父親から奪い自殺に追いやった後妻が今度は自分の家庭にまで侵入し、育児や家事が満足にできない自分から夫を奪おうとしていると感じていた。犯行後、患者は、「自分と同じような思いを子供にさせたくなかった。」と語っている。第三群の人格障害圏の症例9、10、11、12のうち心因反応と診断された症例9は性格特徴を見ても特に目立ったところはなく、対人関係は円満で社会適応もよい。心理的布置として考えられるのは、戦争中行方不明になった父親が警察官であったこと、再婚時3人の連れ子があり、夫に引け目を感じていたことてある。前夫の子供二人が窃盗の容疑で警察に事情聴取をされたことが契機となってパニック状態に陥り、突発的に犯行に及んでいる。症例10は家系的な性的放縦が見られ、自己中心的、意志薄弱、衝動的で気分変動があり、性格の変異が著しい。結婚当初から夫婦仲が悪く、妊娠7ヵ月の時夫の浮気を知り、自殺未遂をしている。患者の浮気に起因した夫婦喧嘩から衝動的、短絡的に犯行に及んでいる。犯行後の患者の申し立てでは、「離婚に際して子供から引き離されてしまうのではないか。」、「子供が他人に育てられ、ひどい扱いをうけるのではないか。」という二つの動機が述べられている。症例11は依存性がある一方では自己中心的で顕示欲の強い人格障害である。アルコールや薬物の乱用は既に10年以上も前から始まっており、薬物依存、抑欝状態、自殺未遂などで何度も精神科に入院している。離婚後経済的に行き詰まり、頼る人間もなく、人生に希望を失っていた時に娘が、「生きていても仕方がない。死ねば悩みもなく楽になる。」と言ったのをきっかけに犯行に至っている。ちなみに娘は睡眠障害、過剰な自慰行為などで児童精神科にかかっており、患者と共生関係にあった。症例12は未熟、依存的であり、自己不確実感が強く、強迫傾向が著しい。不安や抑欝感を和らげるために長期に亘り薬物乱用が行われていた。患者は対人緊張が強く、娘と共生関係にあった。両親との激しい口論の後、「死ねば学校に行く必要がなくなる。」と娘が言ったのをきっかけにして短絡的に犯行に及んでいる。

 拡大自殺について議論に入る前にまず自殺と殺人の動機を区別しなければならないが、両者はたいてい同一であるかまたは内容的にも時間・空間的にも密接に関連している。分裂病圏の4症例に関しては、症例3についてのみ事実的な動機について語ることができる。ただし症例3においても、分裂病欠陥状態にしばしば見られる情性欠如は犯行を成立させた前提条件として見逃すことはできない。症例1、2、4においては命令幻聴と妄想体験の影響が決定的であったと言える。これら4症例について共通して言えることは、重い自我障害のために自殺及び殺人の動機を同定することはほとんど不可能であるということである。人格障害圏の4症例のうち症例10、12では近親者との諍いが犯行の直接的なきっかけになっていた。また症例11、12では、加害者は被害者である娘と共生関係にあり、嗜癖傾向が見られた。心因反応と診断された症例9は自己愛感情がひどく傷つけられたことから短絡的に犯行に及んでいる。総じて人格障害圏の4症例について言えることは、一方では堪え難い現実からの逃避が自殺の中核的な動機になっており、他方では、犯行後に患者が申し立てる愛他的な動機とは対照的に、自己中心的な興味や欲求が殺人の中核的な動機になっていることである。内因性欝病の4症例についてはその病前性格に共通する特徴があり、特に症例5、7は典型的なメランコリー親和型性格であった。クラウスはメランコリー親和型性格者の過剰な義務感からなる行動様式の特徴を過剰規範性(Hypernomie)と名付けている。メランコリーの母親は、子供との関係において母親としての役割期待に過剰に同一化している。したがって欝病相においては役割期待に応えられないことから不全感や罪悪感を生々しく体験し、役割同一性の崩壊に至る。役割同一性によりかろうじて支えられている自我同一性は危機に瀕し、自分は無価値であり、生きていく権利がないかのように感じる。そこで、あたかも死刑囚を死刑執行人として処刑しなければならないかのように、自殺することが遂行義務であると認知するようになる。殺人については、被害者である子供との精神病性の同一化が重要な役割を担っている。つまり自殺を決意したメランコリーの母親は、子供と過剰に同一化しているために子供と離れ難く感じているとともに、低下した自己価値体験を子供に転移し、自分と同じように生きる価値がなく、人生を克服していくことができないと認知する。その結果、子供の殺害を母親としての最後の遂行義務とみなすようになるのである。しかしそこではメランコリー親和型性格者の病前性格の一つの指標である対他配慮とは裏腹に、被害者は個別的な同一性において他者として把握されておらず、被害者の実際の欲求は無視されていることから、もはや愛他的な殺人動機というものが存在していると言うことはできない。

審査要旨

 本研究はドイツのHeidelberg大学病院(1954年から1992年まで)及びWiesloch州立病院(1959年から1992年まで)の入院患者の中で精神鑑定が施行された症例を病歴や鑑定書をもとに調査し、拡大自殺と認められた12症例(ただし自殺既遂のため鑑定が行われなかったものを1例追加した。)につき精神医学的・犯罪学的観点から比較検討し、疾病(または症候群)特異的な犯行動機について考察したものであり、以下の結論を得ている。

 1.12例はすべて女性例であり、診断の内訳は分裂病圏4例、欝病圏4例、人格障害圏4例(心因反応1例、人格障害3例)で三群に分かれた。

 2.第一群の分裂病と診断された4例のうち、症例1、2、4は幻覚妄想状態、症例3は欠陥状態であった。前者では命令幻聴および妄想体験が犯行の主要な動因であり、後者では人格水準の低下による社会的不適応から生じた抑欝基底気分が犯行の主要な動因であると考えられた。尚、これら4症例について共通して言えることは、重度の自我障害のために自殺および殺人の実質的な動機を同定することはほとんど不可能であるということである。

 3.第二群の4例はすべて内因性欝病で、その病前性格に共通する特徴があり、特に症例5、7は典型的なメランコリー親和型性格であった。メランコリー者の過剰な義務感からなる行動様式の特徴は、クラウスによって過剰規範性(Hypernomie)と名付けられている。メランコリーの母親は、子供との関係において母親としての役割期待に過剰に同一化している。したがって欝病相においては役割期待に応えられないことから不全感や罪悪感を生々しく体験し、自殺を決意するに至る。殺人については被害者との精神病性の同一化が不可欠である。つまり自殺を決意したメランコリーの母親は 子供と過剰に同一化しているために離れがたく感じているとともに、低下した自己価値体験を子供に転移し、自分と同じように生きる価値がなく、人生を克服していくことができないと認知する。その結果、子供の殺害を母親としての最後の遂行義務とみなすようになるのである。この意味でメランコリー者の拡大自殺は、過剰規範性の一つの特殊な顕現様態であると言うことができる。

 4.第三群の人格障害圏の4症例について共通しているのは、一方では堪え難い現実からの逃避が自殺の中核的な動機になっており、他方では、犯行後に患者が申し立てる愛他的な動機とは対照的に、自己中心的な興味や欲求が殺人の中核的な動機になっていることである。したがって、人格障害圏における拡大自殺は、その性格的偏倚に起因する社会的不適応から生じた葛藤状況を清算するための短絡的方便であると考えられる。

 以上、本論文は拡大自殺を類型化し、それぞれ疾病(または症候群)特異性と犯行動機との構造的連関について論じている。ちなみに拡大自殺は稀ではあるが、古今東西に見られる普遍的な現象である。尚、わが国では拡大自殺と近縁の概念である無理心中という言葉が日常語として流布しているように、その発生頻度はドイツと比較し、幾分多い印象がある。本研究はこれまで散発的な報告しか見られなかった拡大自殺の現象を多数の症例に基づき、網羅的に論じており、その解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50596