学位論文要旨



No 212599
著者(漢字) 丹生,健一
著者(英字)
著者(カナ) ニブ,ケンイチ
標題(和) 下咽頭扁平上皮癌における予後因子の検討 : とくにp53遺伝子とp21遺伝子の発現との関係について
標題(洋)
報告番号 212599
報告番号 乙12599
学位授与日 1995.12.20
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第12599号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 波利井,清紀
 東京大学 教授 町並,陸生
 東京大学 教授 土田,嘉昭
 東京大学 教授 山本,雅
 東京大学 助教授 名川,弘一
内容要旨 はじめに

 下咽頭扁平上皮癌は頭頸部領域の悪性腫瘍の中で最も予後が悪いものの一つとされている。その理由として,1)解剖学的に原発巣および所属リンパ節の制御が困難である,2)初診時,既に所属リンパ節である頸部リンパ節への転移を認める進行癌が多い,3)原発巣および所属リンパ節が制御可能であった症例においても遠隔転移が多い,ことなどが挙げられる。幸い,近年の再建外科の進歩により,原発巣切除後の再建の心配なく,拡大切除が可能となり,局所の制御率は格段に向上したものの,ほとんどの症例において,隣接する喉頭の合併切除を要し,失声を余儀なくされ,いまなお遠隔転移により死亡する症例は後を絶たない。このような予後不良な悪性腫瘍の治療にあたるに際し,治療前に予後を予知できれば,予後不良な症例に対し,不必要な拡大手術を避けて,保存的な治療を行うこともできるであろうし,逆に再発予防として,積極的な術後の維持化学療法を行う根拠ともなり,予後因子を調べることは,治療の選択にあたり,非常に重要な意味を持つ。

 一方,p53遺伝子は各種のヒトの悪性腫瘍において,その変異が認められ,癌化や,癌の増殖,転移へ関与する他,細胞周期や分化,アポトーシスの制御など幅広い働きが報告されており,いくつかの癌では,その発現の有無が予後を左右する因子として報告されている。また,最近,p53遺伝子により転写促進され,細胞周期のG1期からS期への移行を促すcyclin-dependent kinaseを阻害する蛋白としてp21(WAF1/CIP1)が発見され、p53遺伝子の機能解明の糸口として注目されている。本研究では,梨状陥凹型の下咽頭扁平上皮癌を対象とし,p53遺伝子の機能をP53蛋白ならびにP21蛋白を免疫組織学的に観察することにより調べ,従来の臨床的および病理組織学的な事項と比較検討して,予後因子としての可能性とその意義を検討した。

対象と方法

 1978年から1989年までの12年間に癌研究会附属病院頭頸科において,原則として40Gyの術前放射線治療を行ったのち,下咽頭喉頭頸部食道全摘術ならびに頸部郭清術をおこない,初診時より5年以上または死亡時まで経過を観察し得た下咽頭扁平上皮癌未治療新鮮例は70例であった。これら70例に対し,臨床的ならびに病理組織学的な因子として初診時の分化度,TNM分類,初診時に認められた頸部リンパ節転移数,頸部郭清術の摘出標本における頸部リンパ而転移数について検討した。70例中,初診時治療前の生検標本が入手可能であった57例に対しp53蛋白ならびにp21蛋白の免疫組織染色を施行した。免疫組織染色にはSAB法を用い、いずれも、マイクロウエーブ処理して抗原の賦活化をおこなった。抗p53蛋白抗体としてウサギ抗p53蛋白ポリクローナル抗体(RSP53,ニチレイ)を,抗p21(WAF1/Cip1)蛋白抗体としてマウス抗p21モノクローナル抗体(WAF-1(Ab-1),Oncogene Science)を使用した。

結果と考察

 対象とした70例全体の5年生存率は43%であった。T分類、Stage分類、分化度は予後を左右する因子とはならなかった。N分類による5年生存率は,それぞれ,N0(17例):59%,N1(18例):37%,N2a(7例):64%,N2b(20例):39%,N2c(6例):0%,N3(2例):50%,と両側頸部リンパ節にリンパ節転移が認められた症例の予後は有意に不良であった(p<0.03)。初診時に触診およびCTによる画像診断で認められた頸部リンパ節転移の個数(臨床的頸部リンパ節転移数:LN)を,0個,1〜3個,4個以上の3群に分類して検討した。5年生存率は,それぞれ,LN=0(18例):56%,1≦LN≦3(43例):47%,4≦LN(9例):0%であった。臨床的頸部リンパ節転移数が0個の群と1〜3個の群の間には有意差はみられなかったが,3個以下の群と4個以上の群とでは,はっきりとした差が認められた(p<0.007)。同じく頸部郭清術の標本に含まれたリンパ節のうちリンパ節転移が認められた数を病理組織学的頸部リンパ節転移数とし,0個1〜3個,4個以上の3群に分けて検討した。5年生存率はそれぞれ,PLN=0(15例):64%,1≦PLN≦3(37例):56%,4≦PLN(18例):0%と,病理組織学的頸部リンパ節転移が4個以上認められた症例の予後は有意に不良であった(p<0.0001)。

 p53蛋白の免疫染色をおこなった57例中,p53陽性群は21例,p53陰性群は36例であった。5年生存率はp53陽性群で59%,p53陰性群では28%,とp53陽性群の予後は有意に良好であった(p-0.01)。p53の過剰発現の有無と,分化度,T分類,N分類,Stage分類との相関は認められなかったが,病理組織学的頸部リンパ節転移数と有意な相関が認められ(p<0.02)、p53F&性腫瘍は多発リンパ節転移を起こしにくいと考えられた。Coxの比例ハザードモデルを用いて、各因子の多変量解析を行ったところ、p53の過剰発現の有無と病理組織学的頸部リンパ節転移数だけが、有為な予後因子であった。

 p53陽性群に対してp21蛋白の免疫染色をおこなった21例中6例において腫瘍細胞の核に明らかな濃染が認められた。p53陽性例中p21陽性の6例と,陰性の15例の5年生存率はそれぞれ100%,44%と,有意差は認められなかったが(p=0.068),p21陽性群の予後が良好な傾向が認められた。p53蛋白陽性かつp21蛋白陽性の症例の予後が極めて良好であったことを,p53蛋白およびp21蛋白のもつ機能に照らし合わせて考えると,1)既に癌化は起こってしまっているものの,p53蛋白は正常の機能を保っており,飲酒・喫煙などの外界からの遺伝子障害因子によりおこされた遺伝子異常に対し,細胞周期を抑制して,遺伝子の修復をおこなう目的で過剰発現している,2)それにより転写促進されたp21蛋白がcyclin dependent kinaseを阻害し,細胞の増殖を抑制している,3)細胞は既に癌化しており,転移能をも有しているため頸部リンパ節への転移をきたす症例もあるが、その増殖速度はp21蛋白により抑制されており,多発リンパ節転移や遠隔転移を来しておらず,手術的に原発巣および転移リンパ節を摘出することにより,根治可能となっている,というシナリオが考えられた。

 放射線の感受性をみる方法として,初診時に触診および画像診断にて頸部リンパ節転移が認められた症例のうち,病理組織学的にリンパ節転移が認められなかった症例の割合をみてみた。p53陽性p21陽性の症例では5例中3例であったのに対し,p53陽性かつp21陰性では10例わずか2例であり,p53陽性かつp21陽性の群のほうが放射線感受性が高いという傾向がみられた。放射線によるapoptosisにはp53の関与が必要とされており、本研究におけるp53陽性p21陽性の腫瘍ではp53の機能が保たれているため、放射線感受性が高かったのではないかと考えられた臨床応用として、生検標本に対し、p53およびp21の免疫組織染色を行うことにより、放射線治療の効果が予想できる可能性が期待された。

 切片内に含まれた上皮内癌、異型上皮、正常扁平上皮におけるp53蛋白とp21蛋白の発現部位を観察すると、基底層やその近傍の核にp53が認められ,p21陽性の核はその上方の層に認められた。p53遺伝子ならびにp21遺伝子の扁平上皮における分化すなわち角化への関与が示唆され、興味深い所見であった。

審査要旨

 本研究は,下咽頭扁平上皮癌において,癌化や進行,転移などに重要な役割を演じていると考えられるp53遺伝子とp21WAF1/CIP1遺伝子の発現を免疫組織学的に観察し,従来の臨床的および病理組織学的な事項と比較検討して,予後因子としての可能性とその意義を検討したものであり,下記の結果を得ている。

 1 頸部郭清術の標本に含まれたリンパ節のうち病理組織学的にリンパ節転移が認められた数を病理組織学的頸部リンパ節転移数(PLN)とし,0個,1〜3個,4個以上の3群に分けて検討した。5年生存率はそれそれ,PLN=0(15例):64%,1≦PLN≦3(37例):56%,4≦PLN(18例):0%と,PLNが4個以上認められた症例の予後は有意に不良であった(p<0.0001)。

 2 p53蛋白の免疫染色をおこなった57例中,p53陽性群は21例,p53陰性群は36例であった。5年生存率はp53陽性群で59%,p53陰性群では28%,とp53陽性群の予後は有意に良好であった(p=0.01)。

 3 p53の過剰発現の有無と,分化度,T分類,N分類,Stage分類との相関は認められなかったが,PLNと有意な相関が認められ(p<0.02)、p53陽性腫瘍は多発リンパ節転移を起こしにくいと考えられた。

 4 p21蛋白の免疫染色を行った57例中.p53陽性群は17例,陰性群は40例であった.5年生存率はp53陽性群で59%,p53陰性群では31%で,統計学的に有意差は認められなかった.

 5 p53の発現とP21の発現との間には,統計学的に相関は認められなかった.下咽頭扁平上皮癌においては,P21はP53非依存性の経路で発現している可能性が示唆された.

 以上,本論文は下咽頭扁平上皮癌において,P53遺伝子およびP21遺伝子の発現を免疫組織学的に検討することにより,P53の発現が下咽頭癌の予後と密接に関係すること,ならびに下咽頭扁平上皮癌においてはP21の発現がP53を介さずに行われている可能性を明らかにした.本研究は,扁平上皮癌におけるP53遺伝子ならびにP21遺伝子の働きの解明に重要な貢献をなすと考えられ,学位の授与に値するものと考えられる.

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