学位論文要旨



No 212604
著者(漢字) 西山,徹
著者(英字)
著者(カナ) ニシヤマ,トオル
標題(和) Bacillus subtilisの変異株によるアデノシンの生産に関する研究
標題(洋)
報告番号 212604
報告番号 乙12604
学位授与日 1995.12.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第12604号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 児玉,徹
 東京大学 教授 高木,正道
 東京大学 教授 魚住,武司
 東京大学 教授 高橋,秀夫
 東京大学 助教授 五十嵐,泰夫
内容要旨

 プリンヌクレオシドのうち、イノシン、グアノシンは調味料原料として大きな需要がある。アデノシンはこれらに続く需要があり、それ自体での心臓薬としての用途に加え、アデニン、AMP、ADP、ATP、FADなどの誘導体の原料として医薬品や生化学試薬として重要な位置を占めており、広範囲に使用されている。更に最近、アジドチミジンに続く抗エイズ薬として、非天然系プリンヌクレオシドの一種であるジデオキシイノシン(DDI)が認可され、世界中でDDI及びこの関連物質の製造方法が種々検討された結果、アデノシンを原料とする方法が実用的な製法として唯一工業化され、アデノシンの需要が急増している。

 アデノシンの従来の工業的製法としては、酵母RNAの分解による方法が実用化されてきたが、この方法は、RNAの分解物である4種の5’-ヌクレオチド(アデニル酸、グアニル酸、ウリジル酸、シチジル酸)が生成するため、これらの混合物より目的原料であるアデニル酸のみを単離しなければならないこと、更に、これら4種のヌクレオチドの需要量が大きく異なるため、工業的観点からの生産のバランスが難しいこと等の欠点があった。このような観点から、糖を原料としたアデノシンの新しい生産方法の研究開発が期待されていた。

 このような背景の下、工業的に実施されているイノシンおよびグアノシンの生産方法と同様に、アデノシンを直接発酵法で工業的に生産することを目的として、以下の考えでアデノシン生産菌の構築を目指した。

 (1)アデノシン生産菌の育種のための親株としては、プリンヌクレオチド生合成経路とその調節機構に関する基礎的な知見が判明しており、かつプリンヌクレオシドの共通の前駆体であるイノシンを著量に蓄積し、工業的なイノシン生産に用いられているBacillus subtilis AJ-11102を選定した。この親株より以下の育種戦略で研究を推進した。

 (2)アデノシンをアデニンに分解するnucleosidaseを欠損させること。

 (3)キサンチン要求を付与(IMP dehydrogenase欠損)すると共に、培地中のキサンチン(あるいはグアニン)濃度を制限することにより、イノシン酸生合成の主要制限因子であるグアニル酸による共通酵素の生成抑制を除くこと。

 (4)アデニル酸をイノシン酸に変換するAMP deaminaseを欠損させること。

 (5)プリンヌクレオシド共通系とアデニノレ酸固有系を調節するアデニル酸による生成抑制と活性阻害の解除が有効であると考えられた。

 一方、アデノシン生産菌を育種した例として、羽田らによるBacillus sp.を用いた報告がある。育種はプリン生合成能の強化と、グアニル酸への代謝経路の遮断が主な狙いで、育種された変異株は、8-アザキサンチン耐性、キサンチン要求、ヒスチジン要求、スレオニン要求、AMP deaminase欠損、GMP reductase欠損を有しており、100g/lのグルコースより最高16g/lのアデノシンを蓄積した。しかしながら、この菌株の蓄積安定性は極めて悪く、工業化を達成するためには大きな障害となっていた。この蓄積不安定性の原因は、キサンチン要求の復帰によるものと考察されている。

 以上のような観点から、アデノシンの工業的な生産方法の確立を目的として、アデノシンの高蓄積性と同時に高い蓄積安定性を示す菌株の育種を目指した。

第1章 イノシン生産菌Bacillus subtilis AJ-11102からのアデニン要求復帰変異株の誘導とそのアデノシン蓄積

 アデノシン生産菌育種の親株としてアデノシンの生合成上の前駆体であるイノシンを高蓄積する菌株Bacillus subtilis AJ-11102(アデニン要求、キサンチン要求、8-アザグアニン耐性、サルファグアニジン耐性)を選出し、この株よりのアデニン要求性復帰変異株を採取する事により、イノシン生産菌をアデノシン生産菌に発酵転換することを試みた。育種された菌株Bacillus subtilis A3-5(アデニン要求復帰、キサンチン要求、8-アザグアニン耐性、サルファグアニジン耐性)は培養104時間で9g/l(対糖収率12%)のアデノシンを蓄積した。

第2章 Bacillus subtilis A3-5のアデニンアナログ耐性株によるアデノシンの生産

 前章で得られたBacillus subtilis A3-5(アデニン要求復帰、キサンチン要求、8-アザグアニン耐性、サルファグアニジン耐性)にプリンアナログ耐性を付与したところ、フラスコ培養で親株の約2倍のアデノシンを蓄積する菌株が得られた。この菌株について培養条件を検討したところ、アデノシン生産に影響を及ぼす因子として、マグネシウム、グアニン、リン酸を見いだし、その最適濃度を明らかにした。その中で特に大きな影響を与えたのはマグネシウムであった。高濃度マグネシウム存在下で高いアデノシン蓄積が認められた。マグネシウムにはグアニンの最適濃度範囲を広げる効果も見いだされた。

 フラスコ培養72時間で5g/lのアデノシンを蓄積する親株A3-5株からアデニンアナログ耐性株として取得したNo.43-35株は、同条件で11g/lのアデノシンを蓄積した。この菌株について培養条件の検討を行った結果、アデノシン蓄積24g/l、対糖収率16%、培養時間80時間の成績が得られた。

第3章 Bacillus subtilisの生育改善変異株によるアデノシン生産

 本章では、工業化に問題となる課題の解決を試みた。前章で高蓄積なアデノシン生産菌Bacillus subtilis No.43-35が採取されたが、スケールアップした工業的な場においては、培養後半にキサンチン要求性の復帰変異株が出現する現象が観察された。この復帰変異株は本培養の後期のみに出現し、微生物の分裂回数の増加(培養のスケールアップ)とは連動していないことが確認された。この事より、復帰変異株が出現する時間以前に発酵が終了する変異株を用いれば復帰変異が防げるものと考え、復帰変異を起こさない株のを生育改善変異株の中に求めた。

 最少培地に各種アミノ酸を添加し、Bacillus subtilis No.43-35の生育レスポンスを検討したところ、ロイシンとセリンの添加で生育が抑制された。そこでこれらの生育抑制が解除された変異株の誘導を試み、Bacillus subtilis No.11-7株を取得した。本菌株は、親株よりも速い生育速度と糖消費速度に加え高いアデノシン収率を有し、また当初の目的に合うキサンチン要求復帰の無い変異株であった。

 培養条件の検討により、硫酸マグネシウムの添加量が親株であるBacillus subtilis No.43-35に比べ1/5以下に抑えられることが判明した。大型タンクを用いた工業規模での生産においては酸素分圧を高めるためと雑菌汚染防除のために通常内圧をかけて培養するが、本菌を用いた場合には、通常用いる内圧条件(0.4-0.5Kg/cm2)ではアデノシン生産収率が低下することが観察された。この原因が内圧そのものによるものではなく、内圧をかけることによる酸素供給の上昇であることを見いだし、この阻害を回避する最小限の内圧条件を設定した。以上、工業的な観点からの条件検討で満足な結果が得られたので、60Klの大型発酵槽を用いて、Bacillus subtilis No.11-7による至適条件下でのアデノシン生産を検討した。この結果、60Klの大型発酵槽を用いたアデノシン生産経過は小型ガラスジャーを用いた結果を良く再現し、ここにBacillus subtilis No.11-7を用いるアデノシンの工業的生産方法が確立された。

審査要旨

 プリンヌクレオチドのうち、イノシン、グアノシンは調味料原料として大量に用いられているが、アデノシンはそれに次いでそれ自体の心臓薬としての用途の他、アデニン、AMP,ADP,ATP,FADなどの誘導体の原料として医薬品、生化学試薬として重要な位置を占め、特に最近抗エイズ薬として認可されたジデオキシイノシンの原料として期待されている。本論文は、Bacillus subtilisによるアデノシンの発酵生産方法に関して、工業的に使用可能な生産菌を得るために、アデノシンの高蓄積性とその安定性に主眼をおいて生産菌の育種と生産性向上因子の発見を行ったほか、培養条件の最適化によって工業化を達成したものであり3章より成っている。

 第1章では、アデノシン生産菌育種の親株としてアデノシンの生合成経路の前駆体であるイノシンを高蓄積する菌株Bacillus subtilis AJ-11102(アデニン要求、キサンチン要求、8-アザグアニン耐性、サルファグアニジン耐性)を選出し、この株からのアデニン要求性復帰変異株を採取する事により、イノシン生産菌をアデノシン生産菌に転換することを試みている。その結果育種されたA3-5株(アデニン要求復帰、キサンテン要求、8-アザグアニン耐性、サルファグアニジン耐性)を104時間培養することにより9g/l(対糖収率12%)のアデノシン蓄積に成功している。

 第2章では、アデニル酸によるフィードバック調節機構を解除する目的で、前章で得られたBacillus subtilis A3-5株にアデニンアナログ耐性を付与し、フラスコ培養で親株の約2倍のアデノシンを蓄積する菌株を採取している。この菌株について培養条件を検討して、アデノシン生産に影響を及ぼす因子としてマグネシウム、グアニン、リン酸を見いだし、その最適濃度を明らかにしている。その中で特に大きな影響を与えたのはマグネシウムで、高濃度マグネシウム存在下で高いアデノシン蓄積を認めている。マグネシウムにはグアニンの最適濃度範囲を広げる効果も見いだされ、培養72時間で5g/lのアデノシンを蓄積する親株A3-5株からアデニンアナログ耐性株として取得したNo.43-35株は、同条件で11g/lのアデノシンを蓄積した。さらにこの菌株の培養条件の検討の結果、培養80時間でアデノシン蓄積24g/l、対糖収率16%の成績を収めている。

 第3章では、工業化で問題となる課題の解決を試みている。前章で育種したアデノシン高生産菌No.43-35株から培養後半にキサンチン要求性の復帰変異株が出現する現象を観察し、この復帰変異株は本培養の後期のみに出現し、微生物の分裂回数の増加(培養のスケールアップ)とは連動していないことを確認している。このことより、復帰変異株が出現する時間以前に発酵が終了する変異株を用いれば復帰変異が防げるものと考え、生育改善変異株の採取を試みている。最少培地に各種アミノ酸を添加し、No.43-35株の生育レスポンスを検討したところ、ロイシンとセリンの添加で生育か抑制されたので、これらの生育抑制が解除された変異株の誘導を試みNo.11-7株を取得している。本菌株は親株よりも速い生育速度と糖消費速度に加え高いアデノシン収率を示し、また当初の目的に合うキサンチン要求復帰の無い変異株であった。さらに培養条件の検討で、硫酸マグネシウムの添加量が親株であるNo.43-35株に比べ1/5以下に抑えられることを明らかにしている。大型タンクを用いた工業規模での生産においては酸素分圧を高め、かつ雑菌汚染を防ぐために通常内圧をかけて培養するが、本菌を用いた場合には通常用いる内圧条件(0.4-0.5kg/cm2)ではアデノシン生産収率が低下することが観察された。この原因が内圧そのものによるものではなく、内圧をかけることによる酸素供給の上昇であることを見いだし、この阻害を回避する最小限の内圧条件を設定している。工業的な観点からの条件検討で満足な結果が得られたので、60klの大型発酵槽を用いて、No.11-7株による至適条件下でのアデノシン生産を検討した結果、大型発酵槽を用いたアデノシン生産経過は小型ガラスジャーを用いた結果を良く再現し、ここにB.subtilis No.11-7株を用いるアデノシンの工業的生産方法が確立された。

 以上、本研究はイノシン生産菌Bacillus subtilis AJ-11102に計画的な変異処理を繰り返すことによってアデノシン生産菌を育種し、アデノシンへの発酵転換を成立せしめるとともに、復帰変異を防止し、高蓄積かつ安定なアデノシンの工業生産に成功したものであり学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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