アミノ酸の一つグルタミン酸ソーダ(MSG)は、世界各地で年間100万トン生産されており、製法は、グルタミン産生産菌を用いた発酵法である。主原料はケインモラセスが多くの地で用いられており、もっとも多量に使われている。ケインモラセスを原料とするグルタミン酸発酵の工業化には、さまざまな生産技術上のブレイクスルーがあった。いったん工業化された後にも、さらなる製法の効率化、コストダウンそれに環境保全適応に役立つ改良を目指した絶え間無い技術開発の取り組みがなされてきており、現在も進行している。 著者は、この取り組みのなかで、原料からグルタミン酸への転換率を向上させることを目的として-連の研究を実施してきた。この一環として、ケインモラセスを用いた場合の培養液中に著量のトレハロースが蓄積していることに気付いた事を契機に、この生成を抑制しグルタミン酸への転換率の向上を計る方法の開発とその工業的製法の確立を目指す本研究を実施した。 本研究において、グルタミン酸発酵の糖源が蔗糖の場合は、他の種類の糖を糖源とした時と比べトレハロースを著量蓄積し、グルタミン酸の生成収率が低いことを見いだし、その事実を基に、ケインモラセスをインベルターゼもしくは硫酸を用いて処理をし含有する蔗糖を転化して使用すると、いずれもトレハロースの副生が抑制され、グルタミン酸の収率の向上が実現することを示した。 次に、この知見の実用化を目的に開発研究を行い、安価なインベルターゼ源の開発によるインベルターゼ転化法の工業化および、別に硫酸転化法の工業化のそれぞれのプロセスを完成させた。グルタミン酸発酵工場の立地の条件によってそれぞれが実用的に有用である事を考察した。さらに、インベルターゼを固定化酵素化し、固定化酵素法によるケインモラセスの転化処理の工業化プロセスを確立し、各地に存在する工場での転化処理法の採用を容易化した。以下に本研究の要旨を述べる。 I:グルタミン酸発酵におけるトレハロースの生成抑制による生産収率の向上 (1)糖源の種類を変えてグルタミン酸発酵を実施したところ、表1に示すように、蔗糖を糖源とした場合は、トレハロースの副生がグルコース、フラクトースまたはその混合物を糖源とする場合と比べ多く、それに見合ってグルタミン酸の蓄積が低いことが認められた。 (2)グルタミン酸発酵途上のトレハロースは、菌の対数増殖期には生成せず、生育停止と共にグルタミン酸の生成蓄積にほぼ伴って比例的に蓄積した。 (3)蔗糖を糖源としてグルタミン酸発酵を行い、資化性糖を消費尽くして発酵が停止した時点で、トレハロースをグルコースに分解するトレハラーゼを培養液に添加すると、発酵が再開し、蓄積していたトレハロースが約33g/l消失し、それに見合ったグルタミン酸の蓄積量約17g/lの増加がみられた(表2)。 (4)以上より、蔗糖を糖源とすると、グルタミン酸生産菌が資化しないトレハロースに転換する割合が、グルコースやフラクトースを糖源とする場合と比べ大きく、丁度その分だけグルタミン酸の生成割合が低下する事が示唆された。 (5)ケインモラセス中の蔗糖をあらかじめ硫酸またはインベルターゼで転化処理を行い、グルコースとフラクトースに分解(表3)をして発酵の糖源とすると、何れもグルタミン酸の蓄積は約85g/lと無処理のケインモラセスを用いた場合の約80g/lと比べ向上が認められた(表4)。トレハロースの副生量は約7g/lであり無処理の17g/lと比べ、前処理した方が少なかった。 図表表1 各種糖源によるトレハロースの副生とグルタミン酸の蓄積 / 表2 トレハラーゼ添加による副生トレハロースからグルタミン酸への転換 / 表3 ケインモラセス転化処理前後の糖組成 / 表4 ケインモラセスの前処理によるグルタミン酸生産収率の向上II:蔗糖転化処理ケインモラセスを原料としたグルタミン酸発酵の工業的実施 (1)ケインモラセスの転化処理によってグルタミン酸発酵収率が向上する知見を工業的に実現するべく検討を行った。ケインモラセスの酵素処理による転化に、安価なインベルターゼ源を検索し、酵母エキス製造残渣を見つけ、これを用いて転化してもグルタミン酸発酵の成績は市販インベルターゼを用いた場合と比べ同等であった。 (2)工業的規模の発酵槽で酵母を培養し、得られた培養液55klからから酵母菌体3600kgを分離し自己消化させ酵母エキスを製造した。酵母エキス画分を取得後に残渣を含んだ液12klを得た。この残渣液には1280kgの残渣が含まれ、合計2×1010ユニットのインベルターゼ活性が存在し、酵母培養で生成するインベルターゼ活性の約60%が残渣画分に回収された。ケインモラセスを工業的規模の反応槽でこの酵母エキス製造残渣を添加し反応させたところ50℃,10hで転化率95%以上に達した。この転化処理ケインモラセスを、60KL発酵槽にて発酵試験を実施し、無処理の場合と比べグルタミン酸の蓄積で約5g/l、対糖収率で約3%向上する結果を得た。これにより実用化プロセスを完成させた。 (3)酸による転化の実用化を図った。ケインモラセスを硫酸、塩酸、硝酸または燐酸によるpH2.5の条件で処理をして蔗糖を転化後発酵の糖源としたところ、トレハロースはいずれも減少しているものの、グルタミン酸発酵収率が向上したのは硫酸の場合のみであった。石膏として系外に除去される部分の多い硫酸に比べ、他の酸の場合は塩類の発酵阻害が現れたものと考察した。 (4)工業的規模における硫酸によるケインモラセスの転化工程を開発し、装置を組み諸条件を検討し、蔗糖の転化率95%の結果を得た。工業的規模の発酵槽にてこの転化処理ケインモラセスを用いグルタミン酸発酵を実施した。前述酵素転化処理同様に対糖収率で約3%程無処理よりも向上し実用化プロセスを完成させた。この硫酸によるケインモラセス転化処理工程は、脱石膏を伴う。立地条件によってはグルタミン酸ソーダの製造に、脱石膏を必須とする工場があり、これらの工場では本プロセスの実施効果は大きい。 III:酵母エキス製造残渣の固定化酵素化とそれを用いた転化プロセスの開発 (1)グルタミン酸発酵原料のケインモラセスの転化において、酵母エキス製造残渣インベルターゼ(粗インベルターゼ)を固定化酵素化したプロセスを実用化し、経済的な効率化を図った。固定化酵素作成のため粗インベルターゼをアルギン酸、カラギーナン、アクリルアミドなどの各種坦体に固定化した。固定化収率が最も高かったのはアルギン酸であり34%であった(表5)。またこれら固定化酵素の活性の長期安定性を調べたところ、アルギン酸が60日経過しても最初の活性の60%が保持されており、最も安定であった。アルギン酸は酵素活性の漏出性も他に比較して低かった。アルギン酸により固定化した粗インベルターゼは、反応条件として50℃pH5.5の条件が実用的な観点から最適と判断した。 (2)固定化酵素粒子を大量に調製する実用的方法を開発するために、酵素を含むアルギン酸ゲルを80l/hで調製できる押し出し切断横を新規に作成し(図1)、ゲルの押し出し流量、切断回転刃の回転数を定め一定形状の粒子を得る安定な製造条件を定めた。転化反応基質であるケインモラセスが適度のカルシュームイオンを含むのでアルギン酸のゲル化剤としてそのまま利用できる利点を持っていた。製造した固定化粗インベルターゼの酵素活性は実験室で調製した物と差が無かった。この方式は実用的観点で、従来のドロップ方式に比べ有用性を示した。 (3)固定化酵素を用いたケインモラセスの連続転化反応のプロセス構築を行った。反応器形式は充填型と撹拌型を検討し、充填型を実用の観点から選択した。固定化酵素ゲル粒子を30%充填した撹拌型反応器2段連続による方式により滞留時間7hで糖濃度550g/l(始発転化率35%)のケインモラセスの転化率95%を得る事が出来た。図2に示す中間工業段階の反応装置を用い、反応を行ったが転化率95%を得る滞留時間は実験室と同じ7hとなりスケールアップしても変化はなかった。本装置で反応pH5.5、温度50℃、糖濃度550g/l、滞留時間7hの条件で連続運転を実施した。図3に示すように70日問でも転化率の低下がなく、雑菌数もこの間増加がなく長期間運転の可能性を示した。 図表表5 各担体による固定化収率 / 図1 固定化酵素大量製造用押出し切断器 / 図2 中間工業段階規模の固定化酵素反応器の模式図図3 中間工業段階規模での長期連続運転の経時変化.(1段目,-○-;2段目,-●-) (4)ここで得られた転化率95%のケインモラセスを用いてグルタミン酸発酵を行ったところ、固定化しない粗インベルターゼによる転化処理と同じ効果を示し、固定化酵素化したプロセスの実用性を確認した。固定化する事により、粗インベルターゼの使用量を削減でき、長期保存と遠隔地運搬が容易になり、ケインモラセスのインベルターゼ転化の効果を各地の工場で実現する可能性を高めた。 IV:まとめ 本論文では、トレハロースの副生を抑えグルタミン酸の生成増をなすことを目的に主原料のケインモラセスを工業的に転化処理する実用的なプロセスの開発について報告した。副生物を抑え主生成物を増やすことは本研究のレベルの改善でも、全体の生産量の大きさから経済性の改善が大きい。しかし単にそれのみでなく使命である地球環境への寄与にも貢献するものである。本研究のなかで不要物であった酵母エキス製造残渣をグルタミン酸発酵の改善の資材に用いることが出来たのもこの観点からの成果といえる。本研究成果であるケインモラセスの転化処理すなはち硫酸処理とインベルターゼ処理プロセスは既に国内外のグルタミン酸発酵工場で実施されている。さらに、酵母エキス製造残渣を固定化して用いる固定化酵素法プロセスについても今後の展開が期待される。 また、グルタミン酸発酵においてトレハロースがこの様に着量に蓄積すること、糖源の種類により量が変化することおよび生育が停止してから生成する事は本研究で始めて明らかしたが、その生理的意味を今後解明することによりグルタミン酸発酵工業のさらなる改善に寄与するものと考える。 |