筆者は、新規な植物生長調節物質を得る目的で放線菌培養ブロスをソースとしたスクリーニングを行い、その過程で発見された新規微生物二次代謝産物ピロネチンについて、生産菌の菌学的性状および培養条件、単離精製、構造決定、生合成、植物に対する生長抑制活性および除草活性、作用機作、毒性などに関する研究を行った。以下にその内容を要約する。 多数の放線菌培養液を効率的に検定するために、小型のプラスチックカップを容器とし、容器中のソルガムおよびカイワレダイコンの芽生えの生育に対する阻害活性を指標とするスクリーニング方法を考案した。スクリーニングにかけた約11,000菌株のうち、78菌株が生長抑制を示し、二次試験として温室内でのポット試験を行った結果、NK10958株の培養ブロスのみが生長抑制を示し候補株として選抜された。 NK10958株を菌学的同定により、Streptomyces sp.NK10958と命名し、工業技術院生命工学工業技術研究所に寄託した。 本菌株培養ブロス中の生長抑制物質の生産性を検討した結果、生産培地の組成としては、グリセリン4.0%、ソイビーンミール2.0%、食塩0.3%が適していた。 本生長抑制物質の単離精製は、200l容のジャーファーメンター2基で前記生産培地を用いて培養したブロスから行った。培養後、200lの培養液を菌体と濾液に分け、濾液はダイヤイオンHP-20カラム、シリカゲルカラム、セファデックスLH-20カラムで精製し、精製濃縮物より本生長抑制物質をノルマルヘキサンより晶出させ、無色の結晶を5g得た。一方、菌体をメタノールで抽出した後酢酸エチルに転溶し、濃縮して得られた粗物質を濾液と同様にシリカゲルカラム、セファデックスLH-20カラムで精製し、本生長抑制物質の結晶3gを得た。 単離された物質の物理化学的性状は、融点が78〜79℃、比旋光度は-136.6度であり、有機溶媒に可溶、水に難溶であった。UVスペクトルは末端吸収以外の特徴的な吸収が無く、また、IRスペクトルは3511cm-1に水酸基、1728cm-1にカルボニル基による吸収を示した。FAB-MSより分子量は324と決定され、さらに高分解能FAB-MSより分子式はC19H32O4と決定した。 構造決定は、二次元NMRを含む各種13Cおよび1H-NMRを測定、解析して行った。すなわち、一次元13Cおよび1H-NMR、DEPT、13C-1H COSYにより19個の炭素の帰属を明らかにし、次いで1H-1H COSYにより部分構造を組み立てた。ついでCOLOC法でロングレンジカップリングを測定し、部分構造のつながりを解明して全体の平面構造を決定した。さらに、単結晶を用いてX線結晶解析を行い、相対立体配置を決定した。絶対配置は、MTPAエステル化した試料を用い、改良Mosher法により決定した。その結果、本生長抑制物質の構造は(5R,6R)-5-ethyl-5,6-dihydro-6-[(E)-(2R,3S,4R,5S)-2-hydroxy-4-methoxy-3,5-dimethyl-7-aonenyl]-2H-pyran-2-oneと決定した。種々の文献検索の結果、本物質は新規な物質であることが判明し、ピロネチン(pironetin)と命名した。 ピロネチンは構造的にはポリケチド抗生物質に分類され、その生合成経路は大部分が酢酸などの脂肪酸由来であると推定された。そこで、13Cラベルした前駆体を培養中に添加することで得られた13Cラベルされたピロネチンを単離し、その13CNMRを測定することにより各々の炭素の由来を明らかにすることにした。はじめに500ml容三角フラスコ中でのピロネチンの培養経過を検討し、ピロネチンの生産量が培養開始48時間後より立ち上がり144時間後まで増加すること、生産菌の菌体量が48時間後以降ほぼ一定であることなどを明らかにした。この結果より、13Cラベルした前駆体の添加時期は培養開始より48時間後とし、添加後さらに48時間培養を継続することが好ましいと判断した。次に、このタイムスケジュールに従って、[1-13C]酢酸ナトリウム、[2-13C]酢酸ナトリウム、[1,2-13C2]酢酸ナトリウムをそれぞれ培養液に添加して培養し、生成したピロネチンを単離して13CNMRを測定した。その結果得られたNMRチャートの13Cによりピーク強度が増強された炭素を判読し、また13C-13Cスピンカップリング定数を読みとることにより、6分子の酢酸のピロネチンへの取り込み、およびそれぞれの酢酸の取り込まれる位置と方向を決定した。次に、[1-13C]プロピオン酸ナトリウムおよびL-[Methyl-13C]メチオニンをそれぞれ添加した実験を行った結果、2分子のプロピオン酸がピロネチンに取り込まれる位置と方向が判明し、またメトキシ基のメチルがメチオニンに由来することが明らかになった。さらに、詳細にNMRを検討した結果、ピロネチンのピロン環4位のエチル基は直接酢酸として取り込まれるよりは酪酸の一部として取り込まれる可能性が高いことが示唆されたため、[1-13C]酪酸ナトリウムの添加実験を実施した。その結果、ピロネチンの3位の炭素が特に強く13Cラベルされ、この位置に酪酸1分子が取り込まれることが判明した。以上の結果を総合し、ピロネチンは4分子の酢酸、2分子のプロピオン階、1分子の酪酸、および1分子のメチオニンに由来するメチル基から生合成されることを明らかにした。 ピロネチンは生長抑制を指標として単離された物質であるが、生長抑制剤の農業的に重要な用途は、イネやコムギの草丈を抑制して、収穫時期に品質や収量に影響を及ぼす雨や風による倒伏を防止することである。日本においてはコシヒカリやササニシキなどの優良品種が耐倒伏性に劣るので、水田での利用が重要視され、また、ヨーロッパにおいてはコムギの栽培に盛んに用いられている。現在使用されている倒伏防止剤は全て合成化合物であるが、倒伏防止剤の性質上処理時期が収穫時期に近く、残留毒性などの懸念が拭いきれない。このため易分解性の天然物由来の倒伏防止剤が求められている。 風雨に対する倒伏防止効果を測定することは困難であるので、倒伏防止剤の試験は草丈の抑制率とその時の収穫に対する影響でもって評価される。 ピロネチンの倒伏防止効果を水田および畑作条件での草丈の抑制率と、収穫量への影響を試験することで検討した。イネに対するポット試験では10アール当たり100gを施用した場合に18%〜23%の生長抑制が認められ、しかも処理時斯が出穂前9日と5日の場合には、収穫量に対する影響はほとんど認められなかった。また、水田セミフィールド試験においても10アール当たり100gを施用した場合には12〜19%の生長抑制が認められた。この場合、出穂前16日および8日に薬剤処理したときはやや収量の低減が認められたが、出穂前5日処理では収量に対してほとんど影響が認められなかった。一方、畑作条件での試験はコムギに対して行った。ピロネチンのコムギに対する作用は、1000ppmから125ppmの濃度段階において20%前後の生長抑制を示した。収量に対する有意な影響は認められなかった。一般に倒伏軽減剤として利用される生長抑制剤の効果は、10%の生長抑制が認められれば実用的であるとされるので、ピロネチンの効力は優れているといえる。 水田や畑での作物栽培の初期には雑草防除が重要な仕事であるが、この時期には雑草も芽生えたばかりである。ピロネチンは濃度によっては幼植物に対して枯殺的に作用することが見出されていたので、初期雑草防除剤としての適用も検討した。 ピロネチンの水田除草効果は、雑草のノビエ、ホタルイに対して強い除草活性を示したが、イネに対する薬害が強く、イネと雑草間での選択性は認められなかった。また、畑作除草効果試験では、雑草に対しては完全枯殺にいたらず、作物に対しての薬害が顕著だった。このように幼植物に対しては作物の場合にも阻害的な作用がみられたので、ピロネチンの水田および畑作除草剤としての適用性はないものと判断した。しかしながら、芝草用除草効果試験においては、対照薬剤のシマジンと同薬量で雑草を完全枯殺し、薬害も認められないことから適用性の可能性があるものと判断した。 ピロネチンの作用機作については、まずジベレリンとの関係を検討した。ピロネチンとジベレリンをイネの芽生えに対して同時処理を行い、生育阻害の回復試験を行ったところ、ジベレリンはピロネチンの阻害作用を回復しなかった。他方、対照薬剤として使用したジベレリンの生合成系の阻害作用を持つ生長抑制剤は、ジベレリンの添加によって阻害作用が回復された。この結果よりピロネチンの作用はジベレリン生合成阻害によるものでないことが明らかになった。 エンドウの芽生えを材料とし、ピロネチンの植物細胞への作用を直接顕微鏡下で観察したところ、根部および茎葉部の両方で植物の伸長が抑制されているにもかかわらず細胞の肥大が観察され、整然とした細胞の配列が認められなかった。このことは無処理の植物に比べてピロネチン処理された植物は全細胞数が少ないことを表しており、細胞分裂が阻害された結果の反映であると判断され、ピロネチンの作用性は細胞分裂の阻害であると推定された。この際に細胞が肥大していたのは、ピロネチンが細胞分裂は阻害するが、細胞の生命活動自体には致命的な影響を与えないためであり、草丈は抑制しても収量に影響を与えてはいけない倒伏防止剤にとって適した生理作用だと思われた。次に、レタスのプロトプラストを用い、細胞増殖に対するピロネチンの影響を調べたところ、プロトプラストの増殖はピロネチンによって強く抑制された。 動物培養細胞を用い、セルソーターを用い細胞分裂周期の阻害実験を行ったところ、ピロネチンの処理により細胞分裂がM期で停止することが明らかになり、ピロネチンの動物細胞への作用は細胞分裂の阻害であることが明らかとなった。この結果および上記の植物に対する種々の実験結果より、ピロネチンの作用機作は植物においても細胞分裂の阻害作用であると結論した。 一方、アミノ酸の同時添加によるアミノ酸生合成の阻害回復を検討した結果、ピロネチンの作用はアミノ酸欠乏によるものでないことが明らかとなった。また、アベナ伸長テストで検討した結果、ピロネチンには除草剤2,4-Dのようなオーキシン作用もないことが判明した。 ピロネチンの急性毒性は、マウスに対してLD50値は325mgであり、比較的弱かった。一方、ヒメダカに対する魚毒性は48時間LC50値は0.1〜0.05ppmであった。エームス試験は陰性であり、変異原性はないものと考えられた。 本研究を以下に要約した。 筆者は放線菌の培養液より新規な植物生長抑制物質ピロネチンを発見し、その化学構造式を解明し、構造式中の全炭素の生合成的由来を証明した。また、農業分野においてコムギおよびイネの倒伏軽減剤としてのピロネチンの有用性を明らかにするとともに、その作用機作は細胞分裂阻害であることを明らかにし、ピロネチンが従来にない新しいタイプの植物生長調節剤に成り得ることを見出した。 |