現在、世界各国の中で最長寿国の日本であるが、死亡する人の約1/4は癌によるものであり、今後も食生活の向上、生活様式の欧米化および高齢化等による癌罹患者の増加が予想されるので、癌を制圧する対策を確立することは緊急の課題である。癌治療において抗癌剤による癌化学療法は外科的手術や放射線治療とともに重要な役割を担っている。しかし、臨床の場で用いられている癌化学療法剤は必ずしも癌細胞への充分な選択性を有しておらず、副作用が強く、Quality of Lifeという面において多くの問題を残している。 近年、細胞癌化のメカニズムの解明に関する基礎研究が著しく進歩し、癌細胞の増殖異常について分子レベルでの解析が進み、癌細胞は増殖因子による細胞にとって厳密に制御された増殖機構に変異が生じ、常に増殖へと向かう機構が活発に機能している状態の細胞と考えられている。さらに、その変異部位は一様でなく、癌の種類によって異なっていることが明らかにされてきた。従って、その変異が生じた部位をターゲットにした薬剤は一般的な細胞の増殖阻害、すなわちDNAを主たるターゲットにする化学療法剤よりも、特定の腫瘍に対し特異的に抗腫瘍効果を発揮する抗癌剤として開発可能と考えられる。 そこで、著者はホルモンが増殖因子として、癌細胞の増殖異常を惹起すると考えられているエストロジェン依存性乳癌に着目した。乳癌はわが国において急激に増加している癌で、女性においては罹患率は現在、胃癌に次いで第2位であり、2000年には第1位になると予想されている。乳癌治療には内分泌療法としていくつかの薬剤が臨床応用されているが、副作用などの問題点も指摘されており、新たな薬剤の開発が求められている分野である。特に、すでに治療に広く用いられている抗エストロジェン剤のTamoxifenとは阻害作用が異なり、アゴニスト作用のないアロマターゼ阻害剤が有望であると考えられる。 アロマターゼは、コレステロールの側鎖切断から始まる一連のステロイドホルモン生合成系の最終段階で働き、アンドロジェンからエストロジェンを生成する酵素である。特異性の高いアロマターゼ阻害剤はその作用部位がステロイドホルモン生合成系の最終段階であるため、他のステロイド生合成に影響せず、副作用の低減が期待でき、非ステロイド系のアロマターゼ阻害剤はアゴニスト(アンドロジェン)作用をもたない、などの利点がある。 著者は、十年以上にわたり微生物の生産する生理活性物質の探索に携わってきた経験を生かし、微生物生産物からのアロマターゼ阻害剤の探索を行った。また一方では、既存の合成品からのアロマターゼ阻害剤としてのプロトタイプ探索であるインテンショナル・ランダム・スクリーニングも行った。その結果、微生物生産物からアロマターゼ阻害として新規な構造を有するFR901537を得、既存合成品からのスクリーニングにおいてはアロマターゼ阻害剤として新規な骨格をもつFR077455を選択した。 第I章ではFR901537について詳細に検討した。まずスクリーニング開始にあたり、ヒトの胎盤由来のアロマターゼを用いたスクリーニング系を確立した。酵素活性は3H-アンドロステンジオンを基質として反応を行い、生成してくる3H-H2Oを未反応の基質と分離し、その生成量を指標として測定した。未反応基質の除去をTCA-活性炭処理で行うことにより、少量スケールで多数サンプルの測定可能な反応系が構築され、またラジオアイソトープを用いることにより感度よく、再現性の高いスクリーニング系が確立できた。 微生物培養液サンプル約20,000検体をスクリーニングした結果、Bacillus sp.No.3072が生産する、低分子で強い阻害活性を有するFR901537を取得した。当初、FR901537の生産力価は0.1g/ml以下と低いものであったが、生産菌および生産培地の改良検討の結果、6.5g/mlまで生産力価が向上した。この検討段階で、FR901537の生産期は通常のBacillus属の二次代謝産物産生期とは大きく異なり、胞子の発芽時に良好な生産性を示すことを見出した。 FR901537の分子式は元素分析、HRFABMSおよびX線マイクロアナライザーによるS原子の存在確認によって、C23H29N3O6S2、分子量507と導き出された。構造決定は、FR901537をピリジン中で無水酢酸と反応させたトリアセチル体(FR901537Ac)の13CNMRおよび1H NMRスペクトラムのシグナル分離が良好であったので、主にFR901537Acを用いて行った。13C NMR、1H NMR、COLOC、H-H COSYおよびC-H COSYスペクトラムを用いて、パントテン酸ユニットの帰属およびナフトール環ユニットの帰属を行い、さらにFR901537を還元してSの位置を決定した。また、(+)-パントテン酸からパントテン酸エチルアミドを合成し、その各種機器データがFR901537を還元し得られた分解物(パントテン酸エチルアミド)と完全に一致したことにより、2位の水酸基の付け根の立体構造はRであることが判明した。これらの結果より、FR901537をコエンザイムAの構成成分であるパンテテインを置換基としてもつ新規なナフトール誘導体と決定した(Fig.1)。 アロマターゼ阻害活性のIC50値はヒト胎盤由来およびラット卵巣由来の酵素に対してそれぞれ2.6×10-7Mおよび6.1×10-9Mであり、特にラットアロマターゼに対して強い阻害活性を有していた。また、ウシの副腎由来の11-水酸化酵素に対しては1.6×10-5でも阻害活性を示さず、アロマターゼに対して高い特異性を示した。また、阻害様式は拮抗阻害であった。幼若ラットの子宮重量増加抑制を指標にしたin vivoでのアロマターゼ阻害活性の実験において、皮下投与および経口投与で濃度依存的に顕著な阻害活性を示した。しかし、成熟ラットの系においては子宮重量抑制の有意な効果はみられなかった。この理由として成熟ラットにおける性サイクルのフィードバック機構が機能したためと考えられる。すなわち、FR901537のアロマターゼ阻害によるエストロジェン生合成阻害が、脳下垂体よりの性腺刺激ホルモンの分泌を促し卵巣でのアロマターゼ合成が促進され、FR901537の阻害分を補ったためであり、幼若ラットにおいてはこの性機能が未発達なためFR901537のアロマターゼ阻害効果を見出すことができたのである。この成熟ラットの系では薬剤投与が14日間連続投与となることから子宮と同様に卵巣、副腎、脳下垂体の重量も測定しその影響を調べた。その結果、薬剤投与による他臓器への影響は全くみられず、FR901537は安全性の高い薬剤であることが示唆された。 in vivoでの抗腫瘍作用を化学発癌物質DMBA(ジメチルベンズアントラセン)で誘発したラット乳癌に対して検討した。閉経後の乳癌を実験モデルとし、すべてのラットに卵巣摘出手術を施した。その結果、FR901537においては血液中のエストロジェン濃度の有意な低下はみられなかったが、癌腫瘤の縮小を指標とした場合に32mg/kgの経口投与で抗腫瘍作用を示し、その有効率は41%であった。 これらの結果より、FR901537はアロマターゼ阻害剤として、これまでに報告されている薬剤とは構造が異なり、アロマターゼ活性を特異的に強く阻害し、経口投与により抗腫瘍作用を有し、かつ副作用の少ない、閉経後の乳癌治療剤として有望であることが示された。今後、この物質をプロトタイプとした誘導体研究から新薬創出が期待できるものと考える。 第II章ではFRO77455についてアロマターゼ阻害作用を検討した。既存の合成品ファイルの中から構造および作用の異なる815個を選び出し、ランダムスクリーニングを行った。その中から強力なアロマターゼ阻害活性を示すFR077455を選択した。構造は側鎖にピリジン環をもつヒドロキシベンジルジヒドロピリミジン環誘導体である(Fig.2)。 図表Fig.1.Structure of FR901537. / Fig.2.Structure of FR077455. FR077455のアロマターゼ阻害活性のIC50値はヒト卵巣およびラット子宮由来の酵素に対してそれぞれ9.6x10-9Mおよび1.1×10-9Mであり、強い酵素阻害活性を示した。また、構造活性相関からピリジン環などの弱塩基性側鎖が阻害活性増強に関与している可能性が示された。ウシ副腎由来の11-水酸化酵素との選択性も十分認められた。さらに、幼若ラットを用いた子宮重量抑制のin vivoでの評価系において、FR077455は皮下投与およびで経口投与で濃度依存的な阻害活性を示した。しかしながら、in vitroにおけるアロマターゼ阻害活性に比較してin vivoにおける阻害活性が劣り、本物質の経口吸収性あるいは代謝安定性に問題があると考えられた。 FR077455はin vitroでの阻害活性は強いことから、新規な構造を有するプロトタイプ化合物になりうると考えられ、経口吸収性および代謝安定性の改善により、さらにin vivoでの強力な阻害活性および抗腫瘍活性を示す化合物の探索が期待される。 著者は今後、これらの物質を用いて、アロマターゼ阻害活性の増強、他のP-450系酵素との特異性の拡大および経口吸収性、代謝安定性の向上という観点から誘導体研究を進め、抗癌剤としてのアロマターゼ阻害剤の開発につなげたいと考えている。 |