Aspergillus terreusは農業用抗生物質blasticidin S(BS)およびその類縁体のみに作用する極めてユニークな酵素BSデアミナーゼ(EC3.5.4.23)を生産する。本学位論文ではこのBSデアミナーゼ遺伝子(BSD遺伝子)の構造解析(第二章)、BSD遺伝子の薬剤選択マーカーとしての応用(第三章)、BSデアミナーゼの酵素学的緒性質(第四章)について実験を行なった。 まず第二章でBSD遺伝子はイントロンを含まない遺伝子で130のアミノ酸をコードしていることを明らかにした。そのコーディング領域および5’末端側の非コーディング領域ともに、Bacillus cereus由来のBSデアミナーゼをコードするbsr遺伝子と塩基配列レベルでの相同性が全くなかった。アミノ酸配列レベルでも両デアミナーゼの相同性は低く、27.2%に過ぎないが、A.terreus由来BSデアミナーゼの85残基目から95残基目にかけての配列は、局所的領域ながらB.cereus由来BSデアミナーゼやB.subtilis由来シチジンデアミナーゼとの間でも高い保存性が認められた。 BSD遺伝子の開始コドン周辺は典型的なAspergillus属におけるコンセンサス配列([C/T]CANNATGC)と一致し、推定上のイニシエーター、TATAボックス、およびCAATボックス配列が、翻訳開始点よりそれぞれ146bp,221bp,352bp上流に存在した。さらにこれらの転写因子の認識する配列周辺には多数の繰り返し配列が見られたが、これらの配列は何らかの転写制御に関与すると考えられた。 BSD遺伝子ではbsr遺伝子で見られたいくつかのコドンの第三文字の極端なA+Uへの偏りがない。このためBSD遺伝子の方がより多くの生物種で発現させる上で都合がよいと考えられた。そこで第三章ではBSD遺伝子の真核生物における薬剤選択マーカーとしての有用性について検討した。その結果分裂酵母Schizosaccharomyces pombe、マウス乳癌細胞FM3A、イネいもち病菌Pyricularia oryzaeのいずれにおいてもBSD遺伝子が優れたマーカー遺伝子として適用できることが示された。 これまでFM3A細胞においてはbsr遺伝子をマーカー遺伝子としたトランスフェクション効率が極めて低いために、G418耐性のneo遺伝子が用いられていた。BSD遺伝子を新たにトランスフェクション系に用いることによって、FM3A細胞における効率はneo遺伝子をマーカー遺伝子として用いた場合とほぼ同程度であることが示された。選択薬剤としてG418と比較すると、BSは細胞増殖に対する即効性や環境中での安全性などの点からより優れていると言える。今後、数多くの長所をもつBSを選択薬剤としたトランスフェクション系が、動物培養細胞における遺伝子導入系としてより一層汎用性のあるものとして受け入れられることが期待される。 またP.oryzaeにおいてもBSD遺伝子は非常に効率よく発現することが示された。ただし選択圧をかけた寒天培地中で遺伝子導入を行なったプロトプラストを再生させながら選択する従来の方法では真の形質転換体を取得することは不可能であり、偽の形質転換体しか得ることができなかった。これはP.oryzae中でBSD遺伝子の一過的な高発現が起こり、寒天培地中のBSを不活性型へと変換して培地の選択圧を著しく低下させたためであると考えられた。そこで糸状菌プロトプラストがコラーゲンでコートしたディシュに付着することを利用し、液体培地中で絶えず選択圧を加え続けてベクターの安定な組み込みが起こったコロニーのみを選択する効率的な選択法を確立した。このコラーゲンコートディシュを用いた選択法とBSD遺伝子とを組み合わせ、P.oryzae北1株で1gベクター当たり1,000の高効率で形質転換体を得ることに成功した。 次に第四章ではA.terreus由来BSデアミナーゼの酵素学的緒性質について研究を展開した。本研究の進行中にも他の多くの種からシトシン核を脱アミノ化する酵素の配列が明らかにされ、第二章で指摘したA.terreusおよびB.cereusのBSデアミナーゼ間で見られた局所的に極めて相同性の高い領域(-[Ser/Thr]-Pro-Cys-Xaa-Xaa-Cys-)がこれらのシチジンデアミナーゼファミリーでも保存されていることが明らかとなった。またさらにこれより約30アミノ酸程N末端側にある-[His/Cys]-Ala-Glu-を含む配列はアデノシンデアミナーゼでも保存されている配列であった。極く最近行なわれた大腸菌由来シチジンデアミナーゼのX線結晶解析の結果から、上述の配列の下線で示した3つのアミノ酸残基がZnを配位してダイマーの境界面に形成される活性中心に位置し、Glu残基がそのZnの正四面体の位置に配位した水酸基からのプロトンの授受に関わっていることが明らかにされている。 そこでまずこれらの知見を基にBSデアミナーゼの高次構造について解析した。まず大腸菌における効率的な発現系を構築し、BSをリガンドとした大量精製系を確立した。シークエンスの結果BSデアミナーゼは2残基目のProより始まっており、アミノ酸分析より計算したタンパク質濃度からモル吸光係数は280=9100と算出された。これらの知見を基にBSデアミナーゼのモル数を計算しZnの定量を行なったところ、1サブユニット当たり1原子のZnを含むことが明かとなった。さらに再構成実験によってZn以外の金属イオンでは活性や構造を戻すことができないことから、Znが活性発現に必須であることが示された。BSデアミナーゼの分子量に関しては4種類の異なった方法で測定した結果からテトラマーを形成していることが実証された。また興味深いことに、Znがダイマーのダイマーを形成させてBSデアミナーゼを活性のあるテトラマーにする上で必須の役割を担っていることが示された。BSデアミナーゼのダイマーはPMPS処理によって配位しているZnがはずされると生成するが、これはNative-PAGE解析によってのみ検出することができ、ゲル濾過ではピークとして認められなかった。このことからZnのない状態でのダイマーの構造は非常に不安定なものであると推定されるが、このダイマーは大腸菌シチジンデアミナーゼのモノマーに相当すると考えることができる。実際サブユニット分子量がBSデアミナーゼのほぼ2倍の大きさの大腸菌シチジンデアミナーゼは、N末端側とC末端側とで2つの相同性をもつ配列からなっており、擬222対称構造をとることが示されている。以上のように、BSデアミナーゼのZnは活性中心の触媒を担う原子としてだけではなく、酵素全体の高次構造を保つ上でも欠かせないものであることを明らかとした。 次に活性中心を構成していると予想されるアミノ酸残基について部位特異的変異導入によるアミノ酸置換を施し、活性におよぼす影響を測定した。シチジンデアミナーゼファミリーで保存されているGlu56をAspやGlnに変換したものでは活性が検出されなかったことから大腸菌シチジンデアミナーゼと同様、Gluが活性中心でプロトンの授受に関わっていることが示唆された。またZnの配位に関与するCys91をAlaやSerに変換したものでは予想通り活性が失われていたが、意外なことにZnを配位することができるもう一つのアミノ酸残基であるHisでは活性が認められなかった。さらに山口らよって活性への関与が示唆されていたHisについて調べたところ、His48をGlnに変換したもので活性が失われた。これらのアミノ酸残基の酵素反応に関わる役割については、今後のさらなる解析で明らかになることが期待される。 |