学位論文要旨



No 212614
著者(漢字) 木村,真
著者(英字)
著者(カナ) キムラ,マコト
標題(和) Aspergillus terreus由来ブラストサイジンSデアミナーゼに関する研究
標題(洋)
報告番号 212614
報告番号 乙12614
学位授与日 1995.12.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第12614号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 瀬戸,治男
 東京大学 教授 山崎,眞狩
 東京大学 教授 高木,正道
 東京大学 教授 堀之内,末治
 東京大学 助教授 早川,洋一
内容要旨

 Aspergillus terreusは農業用抗生物質blasticidin S(BS)およびその類縁体のみに作用する極めてユニークな酵素BSデアミナーゼ(EC3.5.4.23)を生産する。本学位論文ではこのBSデアミナーゼ遺伝子(BSD遺伝子)の構造解析(第二章)、BSD遺伝子の薬剤選択マーカーとしての応用(第三章)、BSデアミナーゼの酵素学的緒性質(第四章)について実験を行なった。

 まず第二章でBSD遺伝子はイントロンを含まない遺伝子で130のアミノ酸をコードしていることを明らかにした。そのコーディング領域および5’末端側の非コーディング領域ともに、Bacillus cereus由来のBSデアミナーゼをコードするbsr遺伝子と塩基配列レベルでの相同性が全くなかった。アミノ酸配列レベルでも両デアミナーゼの相同性は低く、27.2%に過ぎないが、A.terreus由来BSデアミナーゼの85残基目から95残基目にかけての配列は、局所的領域ながらB.cereus由来BSデアミナーゼやB.subtilis由来シチジンデアミナーゼとの間でも高い保存性が認められた。

 BSD遺伝子の開始コドン周辺は典型的なAspergillus属におけるコンセンサス配列([C/T]CANNATGC)と一致し、推定上のイニシエーター、TATAボックス、およびCAATボックス配列が、翻訳開始点よりそれぞれ146bp,221bp,352bp上流に存在した。さらにこれらの転写因子の認識する配列周辺には多数の繰り返し配列が見られたが、これらの配列は何らかの転写制御に関与すると考えられた。

 BSD遺伝子ではbsr遺伝子で見られたいくつかのコドンの第三文字の極端なA+Uへの偏りがない。このためBSD遺伝子の方がより多くの生物種で発現させる上で都合がよいと考えられた。そこで第三章ではBSD遺伝子の真核生物における薬剤選択マーカーとしての有用性について検討した。その結果分裂酵母Schizosaccharomyces pombe、マウス乳癌細胞FM3A、イネいもち病菌Pyricularia oryzaeのいずれにおいてもBSD遺伝子が優れたマーカー遺伝子として適用できることが示された。

 これまでFM3A細胞においてはbsr遺伝子をマーカー遺伝子としたトランスフェクション効率が極めて低いために、G418耐性のneo遺伝子が用いられていた。BSD遺伝子を新たにトランスフェクション系に用いることによって、FM3A細胞における効率はneo遺伝子をマーカー遺伝子として用いた場合とほぼ同程度であることが示された。選択薬剤としてG418と比較すると、BSは細胞増殖に対する即効性や環境中での安全性などの点からより優れていると言える。今後、数多くの長所をもつBSを選択薬剤としたトランスフェクション系が、動物培養細胞における遺伝子導入系としてより一層汎用性のあるものとして受け入れられることが期待される。

 またP.oryzaeにおいてもBSD遺伝子は非常に効率よく発現することが示された。ただし選択圧をかけた寒天培地中で遺伝子導入を行なったプロトプラストを再生させながら選択する従来の方法では真の形質転換体を取得することは不可能であり、偽の形質転換体しか得ることができなかった。これはP.oryzae中でBSD遺伝子の一過的な高発現が起こり、寒天培地中のBSを不活性型へと変換して培地の選択圧を著しく低下させたためであると考えられた。そこで糸状菌プロトプラストがコラーゲンでコートしたディシュに付着することを利用し、液体培地中で絶えず選択圧を加え続けてベクターの安定な組み込みが起こったコロニーのみを選択する効率的な選択法を確立した。このコラーゲンコートディシュを用いた選択法とBSD遺伝子とを組み合わせ、P.oryzae北1株で1gベクター当たり1,000の高効率で形質転換体を得ることに成功した。

 次に第四章ではA.terreus由来BSデアミナーゼの酵素学的緒性質について研究を展開した。本研究の進行中にも他の多くの種からシトシン核を脱アミノ化する酵素の配列が明らかにされ、第二章で指摘したA.terreusおよびB.cereusのBSデアミナーゼ間で見られた局所的に極めて相同性の高い領域(-[Ser/Thr]-Pro-Cys-Xaa-Xaa-Cys-)がこれらのシチジンデアミナーゼファミリーでも保存されていることが明らかとなった。またさらにこれより約30アミノ酸程N末端側にある-[His/Cys]-Ala-Glu-を含む配列はアデノシンデアミナーゼでも保存されている配列であった。極く最近行なわれた大腸菌由来シチジンデアミナーゼのX線結晶解析の結果から、上述の配列の下線で示した3つのアミノ酸残基がZnを配位してダイマーの境界面に形成される活性中心に位置し、Glu残基がそのZnの正四面体の位置に配位した水酸基からのプロトンの授受に関わっていることが明らかにされている。

 そこでまずこれらの知見を基にBSデアミナーゼの高次構造について解析した。まず大腸菌における効率的な発現系を構築し、BSをリガンドとした大量精製系を確立した。シークエンスの結果BSデアミナーゼは2残基目のProより始まっており、アミノ酸分析より計算したタンパク質濃度からモル吸光係数は280=9100と算出された。これらの知見を基にBSデアミナーゼのモル数を計算しZnの定量を行なったところ、1サブユニット当たり1原子のZnを含むことが明かとなった。さらに再構成実験によってZn以外の金属イオンでは活性や構造を戻すことができないことから、Znが活性発現に必須であることが示された。BSデアミナーゼの分子量に関しては4種類の異なった方法で測定した結果からテトラマーを形成していることが実証された。また興味深いことに、Znがダイマーのダイマーを形成させてBSデアミナーゼを活性のあるテトラマーにする上で必須の役割を担っていることが示された。BSデアミナーゼのダイマーはPMPS処理によって配位しているZnがはずされると生成するが、これはNative-PAGE解析によってのみ検出することができ、ゲル濾過ではピークとして認められなかった。このことからZnのない状態でのダイマーの構造は非常に不安定なものであると推定されるが、このダイマーは大腸菌シチジンデアミナーゼのモノマーに相当すると考えることができる。実際サブユニット分子量がBSデアミナーゼのほぼ2倍の大きさの大腸菌シチジンデアミナーゼは、N末端側とC末端側とで2つの相同性をもつ配列からなっており、擬222対称構造をとることが示されている。以上のように、BSデアミナーゼのZnは活性中心の触媒を担う原子としてだけではなく、酵素全体の高次構造を保つ上でも欠かせないものであることを明らかとした。

 次に活性中心を構成していると予想されるアミノ酸残基について部位特異的変異導入によるアミノ酸置換を施し、活性におよぼす影響を測定した。シチジンデアミナーゼファミリーで保存されているGlu56をAspやGlnに変換したものでは活性が検出されなかったことから大腸菌シチジンデアミナーゼと同様、Gluが活性中心でプロトンの授受に関わっていることが示唆された。またZnの配位に関与するCys91をAlaやSerに変換したものでは予想通り活性が失われていたが、意外なことにZnを配位することができるもう一つのアミノ酸残基であるHisでは活性が認められなかった。さらに山口らよって活性への関与が示唆されていたHisについて調べたところ、His48をGlnに変換したもので活性が失われた。これらのアミノ酸残基の酵素反応に関わる役割については、今後のさらなる解析で明らかになることが期待される。

審査要旨

 プラストサイジンS(BS)は、抗イネいもち病剤として実用化されたわが国初の微生物源農薬で、多くの生物種に対してタンパク合成阻害活性を有している。その環境中における代謝分解研究中に、Aspergillus terreusよりBSのシトシン核の部分を脱アミノ化して不活化する酵素BSデアミナーゼが発見され、その後Bacillus cereusも同様の酵素を生産することが見い出された。近年、様々な生物種より、シチジンデアミナーゼやアポリポタンパク質B mRNAエディティングデアミナーゼ等、生体内て重要な機能を担うシトシン核脱アミノ化酵素をコードする遺伝子が次々とクローン化され、これらの核酸デアミナーゼ(シチジンデアミナーゼファミリー)の分子レベルでの反応機構や立体構造について、酵素学的、構造生物学的見地から大きな関心が持たれるに至っている。

 本論文はこのような背景に基づきA.terreus由来のBSデアミナーゼ遺伝子(BSD)の構造解析を行い、真核生物の形質転換系におけるマーカーとして応用上非常に有用であることを実証するとともに、シチジンデアミナーゼファミリーに属する本酵素のユニークな性質を、Znと酵素活性および立体構造との関連を中心に明らかにしており、5章よりなる。

 第1章は、本研究の意義を説明したもので、わが国初の微生物源農薬であるBSの環境中における代謝研究、BSデアミナーゼのA.terreusおよびB.cereusからの発見とその遺伝子クローニングの経緯について述べている。

 第2章は、A.terreus由来BSデアミナーゼのcDNAの一次構造解析およびBSD遺伝子を含むゲノムDNAクローンの取得とその一次構造解析に関するものである。BSDはイントロンを持たず、130アミノ酸をコードするコンパクトなサイズの遺伝子であり、B.cereus由来BSデアミナーゼ遺伝子(bsr遺伝子)と比較して、アミノ酸配列レベルで27.2%の相同性が認められるに過ぎなかった。

 第3章は、BSD遺伝子の様々な真核生物における形質転換マーカー遺伝子としての応用に関するものである。まず、分裂酵母Schizosaccharomyces pombeにおいて、BSDをマーカー遺伝子として用いた形質転換効率が、URA3遺伝子を用いた栄養要求性相補の場合と同等以上であることを示した。次に、より優勢選択系の有用性が高い動物培養細胞と糸状菌について、BSD遺伝子を用いた形質転換を検討した。マウス乳癌FM3A細胞においては、bsr遺伝子を用いた場合の約80倍であり、neo遺伝子を用いた場合とほぼ同等の頻度でトランスフェクタントを取得することができた。イネいもち病菌Pyricularia oryzaeにおいては、BSD遺伝子が効率的に発現してBSが不活化されてしまう為に、寒天培地中で真の形質転換体のみを効率的に取得することは極めて困難であった。そこで糸状菌プロトプラストがコラーゲンコートディッシュに付着しながら再生することを利用し、液体培地中で常に適正な選択圧をかけ続けながら形質転換体を取得することを試みた。その結果、これまでP.oryzaeで報告された値よりも遥かに高い効率で遺伝子導入を行うことに成功した。

 第4章は、BSデアミナーゼの酵素学的諸性質について述べたものである。大腸菌由来シチジンデアミナーゼと同様、BSデアミナーゼはZn配位モチーフ中の3つのCys残基によって1サブユニット当り1原子のZnを配位することを明らかにした。さらにこのZnは、活性中心に位置してシトシン核の脱アミノ化を担うという触媒反応に関わっているのみならず、不安定なBSデアミナーゼのダイマーが会合して安定なテトラマーを形成する上で重要な役割を果たしていることを各種生化学的解析によって示した。また、部位特異的変異導入の手法を用いることによって、His48およびCys91が酵素の反応機構上もしくは高次構造上、重要な残基であることを示した。

 第5章では、総合考察として、BSデアミナーゼの発現誘導現象の解明や分子生物学的手法を適用した酵素の構造解析の問題等、本研究が今後さらに様々な方向に発展していく可能性について述べている。

 以上本論文は、BSD遺伝子のcDNAの構造解析およびゲノムDNAの取得と構造解析を行い、そのコードする酵素の特徴について明らかにし、また形質転換マーカーとしての有用性を示したもので、学術上、応用上寄与するところが少なくない。よって、審査員一同は、申請者に博士(農学)の学位を授与してしかるべきものと判断した。

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