学位論文要旨



No 212615
著者(漢字) 長島,直
著者(英字)
著者(カナ) ナガシマ,タダシ
標題(和) 酵母菌における麹菌遺伝子の発現・生産に関する研究
標題(洋)
報告番号 212615
報告番号 乙12615
学位授与日 1995.12.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第12615号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山崎,眞狩
 東京大学 教授 児玉,徹
 東京大学 教授 魚住,武司
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 助教授 北本,勝ひこ
内容要旨

 麹菌Aspergillus oryzaeは日本の伝統的な発酵食品の製造に欠かすことのできない種麹として使用されてきた。また、麹菌が-アミラーゼ、グルコアミラーゼなどの糖質加水分解酵素やプロテアーゼなどを大量に細胞外に生産するために、近代発酵工業において重要な菌株として位置付けられている。さらに、近年の遺伝子組換え技術の発展と相まって麹菌A.oryzaeは異種タンパク質生産の安全性の高い宿主としても重要になってきている。一方、酵母による異種タンパク質の発現において、細胞外に大量に異種タンパク質が分泌生産させれば、連続的培養による効率的生産、生産されたタンパク質の精製の容易さ等の工業的な利用だけでなく、タンパク質工学的手法によりタンパク質の構造と機能を解明するための変異タンパク質生産にも利用することができる。このような利点より、各種の検討がなされてきた。たとえば、異種タンパク質を高生産する株の育種、強力なプロモーターの利用したベクターの開発、効率よく細胞外にタンパク質を分泌するためのシグナルペプチドの利用、培養条件の改良などがあげられる。

 本研究では以上を背景にして、酵母Saccharomyces cerevisiaeにおける麹菌遺伝子の発現と高生産方法を確立し、この方法を用いて部位特異的に変異を導入した麹菌遺伝子を発現し、変異タンパク質を解析すること、さらに新しい酵母宿主ベクター系を開発し、これを酵母実用株に応用し、この株での麹菌遺伝子の発現を目的として行ったものである。

 麹菌Aspergillus oryzaeの-アミラーゼcDNAまたはヒトリゾチーム合成DNAを導入した酵母形質転換株を選択培地で30℃full growthまで前培養した。集菌した菌体を栄養培地に移植し、15℃で2日間、さらに30℃で2日間振とう培養した。このような低温培養法により培養された酵母形質転換株は-アミラーゼ、ヒトリゾチームをそれぞれ28.6mg/l、6.1mg/lの高い生産性を示した。これは通常の30℃で培養した場合の約2倍の生産量であった。このように酵母形質転換株を15℃の低温で培養することで異種タンパク質が高生産されることを見出し、新しい培養法を設定した。

 低温培養法による異種タンパク質の生産において、ADH1あるいはGAPDHプロモーターをもつYEp、YCpあるいはYIpの酵母発現ベクターの何れを用いても30℃一定の通常培養法に比べて約2倍の高生産性を示した。この低温培養法による異種タンパク質の高生産性は今回、主に使用した酵母S.cerevisiae YPH250株に特異的な現象ではなかった。また、異種タンパク質として麹菌グルコアミラーゼおよびフィターゼ(ミオイノシトール-6リン酸 ホスフォヒドロラーゼ)を生産させたところ、30℃一定の通常培養法に比べて約2倍の高生産性を示したことより種々の異種タンパク質の生産に本低温培養が有効と示唆された。

 アルギナーゼをコードするCAR1遺伝子を選択マーカーとし、multi-cloning siteをもつYCp型およびYEp型のベクターを作製した。これらのプラスミドによる形質転換頻度は実験室株では約900/gDNA、約100/gDNAであった。清酒酵母協会9号、10号のcar1変異株に麹菌-アミラーゼcDNAを形質転換により導入し-アミラーゼを生産する清酒酵母を造成した。また、car1変異株を親株としてura3変異株を取得し、得られた2重変異株に-アミラーゼcDNA(マーカーとしてCAR1遺伝子)とヒトリゾチーム合成DNA(マーカーとしてURA3)を含む2種類のプラスミドを同時に導入し、形質転換株でそれぞれの発現を示すハローを確認した。これらの2種類のプラスミドを持つ形質転換株から、CAO培地あるいはFOA培地を用いてそれぞれ選択的にCAR1またはURA3プラスミドを脱落させることが可能であるかを検討したところ、ハロー形成性および栄養要求性から、目的とするプラスミドを効率よく除去することが可能であった。

 パン品質の多様化と米などのデンプン質を利用できる等の観点より新しいパン用酵母を育種した。宿主としては、マルトース発酵能は通常のパン酵母より若干おとるものの、香味の良いパンを製造することが確認されたOC-2(ワイン酵母)を用い、麹菌グルコアミラーゼを生産する株を造成した。OC-2株は原栄養株であり選択マーカーをもたないので、形質転換のための栄養要求マーカーとして遺伝子破壊によりトリプトファン要求を付与した株、OC-2T、を造成した。このOC-2T株にYEpタイプおよびYIpタイプの発現プラスミドによりグルコアミラーゼcDNAを導入し、形質転換株を作製した。これらの形質転換株はそれぞれプラスミド安定性の欠如のためと、低コピー数のために、グルコアミラーゼ生産性が十分ではなかった。そこで、酵母レトロトランスポゾンTy1のデルタ配列を利用した組込み型ベクターにグルコアミラーゼcDNAを連結し、これをOC-2T株に導入することにより、安定にグルコアミラーゼを高生産する株を造成することができた。さらに、OC-2がホモタリズム株であることを利用して、胞子形成後の自動的に2倍体化させることにより、一方の染色体に組込まれたグルコアミラーゼcDNAをホモにもつ株を単離することによりそのコピー数を倍化することをこころみたところ、ほぼコピー数に比例し高生産する株を取得することが可能であった。

 麹菌A.oryzaeのグルコアミラーゼのC末端領域の機能解析をするために部位特異的変異法によりグルコアミラーゼcDNAにストップコドンを挿入し、変異cDNAを作製した。野生型とC末端ドメインを欠失した変異型のグルコアミラーゼcDNAを酵母Sacchromyces cerevisiae YPH250に導入した後、両酵素を生産した。生産されたグルコアミラーゼをアカボースをリガンドとするアフィニティカラムクロマトグラフィーにより精製した。両酵素ともマルトオリゴ糖に対するKmはほとんど同じであったが、可溶性デンプンに対するKmは変異型の方が大きかった。また、変異型グルコアミラーゼは生デンプンをほとんど分解しなかったが、野生型はよく分解した。麹菌A.oryzaeのグルコアミラーゼのC末端領域も生デンプン吸着の機能を持つと考えられた。

 タンパク質工学により、タカアミラーゼAのアミノ酸残基の機能を解析するために本酵素のcDNAを単離した。X線構造解析により推定されている触媒活性部位および基質結合部位のアミノ酸残基を部位特異的変異法により改変した。Asp206、Glu230、Asp297およびLys209をそれぞれAsnとGlu、GlnとAsp、AsnとGlu、およびPheとArgに置換した。改変したcDNAをADH1プロモーターをもつ酵母発現ベクターに連結し、酵母Sacchromyces cerevisiae YPH250に導入した。得られた全ての形質転換株がタカアミラーゼA抗体と交差反応する変異タカアミラーゼAを生産した。Asp206、Glu230およびAsp297を改変した変異タカアミラーゼAの-アミラーゼ活性は低温培養によるプレートアッセイでも検出できず、これらのアミノ酸が活性触媒残基であることが示唆された。また、Lys209をArgに改変した変異タカアミラーゼAは割合強い-アミラーゼ活性を示し、Phcに改変したタカアミラーゼAの-アミラーゼ活性は検出出来なかったことより、本残基は塩基性のアミノ酸であることが必須と推測された。

審査要旨

 麹菌は日本の伝統的な発酵食品の製造に欠かすことのできない重要な微生物であり、-アミラーゼ、グルコアミラーゼなどの糖質加水分解酵素やプロテアーゼなどを大量に細胞外に生産するために、酵素剤製造などにおいても重要な菌株として位置づけられており、その分子生物学的研究も進みつつある。一方、酵母による異種タンパク質の分泌生産に関する研究も多数なされているが、分泌生産量の向上が望まれている。本研究はこれらを背景にして、酵母S.cerevisiaeにおける麹菌遺伝子の発現とその遺伝子産物の高生産法を確立し、この方法を用いて部位特異的変異による麹菌酵素変異タンパク質の解析、さらに新しい酵母宿主ベクター系を構築し、これを実用酵母の育種に応用したもので、4章よりなっている。

 第1章では、酵母により異種タンパク質の高生産法として、通常行われる30℃ではなく、15℃で培養する低温培養法について述べている。Aspergillus oryzaeの-アミラーゼcDNAを導入した酵母形質転換株を栄養培地で15℃で2日間、さらに30℃で2日間振とう培養することにより、-アミラーゼ生産量は28.6mg/lと通常の30℃で4日間の培養によるもの(12.7mg/l)よりも、高い生産性を示した。異種タンパク質としてA.oryzaeグルコアミラーゼ、Aspergillus ficuumフィターゼ、ヒトリゾチームについても同様の実験を行ったところ、低温培養ではいずれも通常の約2倍程度の高生産性を示した。この低温培養法による高生産は、YEp、YCp、YIpのいずれのタイプの酵母発現ベクターにおいても認められた。これらの結果から異種タンパク質を効率よく生産するための低温培養法を確立した。

 第2章では、実用酵母にも適用可能なCAR1遺伝子を選択マーカーとする酵母の宿主・ベクター系の構築について述べている。まず、マルチクローニングサイトをもつYCp型およびYEp型のベクターを構築した。また、宿主として実験室株および清酒酵母からcar1変異株を取得した。これらの清酒酵母に麹菌-アミラーゼcDNAを導入することにより-アミラーゼを生産する清酒酵母を造成した。また、car1変異株を親株としてura3変異株を取得し、得られた2重変異株に-アミラーゼcDNA(マーカーとしてCAR1遺伝子)とヒトリゾチーム合成DNA(マーカーとしてURA3遺伝子)を含む2種類のプラスミドを同時に導入した形質転換株をアルギニンを単独N源とする最小培地により取得した。得られた形質転換株が両酵素を発現していることをハローにより確認した。また、これらの2つのプラスミドをもつ形質転換株からCAO培地、あるいはFOA培地で培養することにより目的とするプラスミドを選択的に脱落させることが可能であることを示した。

 第3章では、パン品質の多様化を目的として、麹菌グルコアミラーゼを安定かつ多量に生産するパン酵母の育種について検討している。宿主としては、マルトース発酵能は通常のパン酵母より若干劣るものの、香味の良いパンを製造することが認められたOC-2株(ワイン酵母)由来のトリプトファン要求株OC-2Tを用いてグルコアミラーゼcDNAを導入した。通常のYIp型、YEp型ベクターによる形質転換株では生産量は少量であったが、酵母レトロトランスポゾンTyIのデルタ配列を利用した染色体組込み型発現プラスミドを作製し、OC-2T株に導入したものでは、グルコアミラーゼを多量に生産することが確認された。さらに、OC-2株がホモタリズム株であることを利用して胞子形成後の自動的な2倍体化を利用することにより、最終的に約16コピーのグルコアミラーゼcDNAが染色体に組み込まれた株を取得することができた。本形質転換株はデンプンを単一の炭素源とする培地でも良好な生育が認められた。

 第4章では、麹菌A.oryzae由来のグルコアミラーゼおよび-アミラーゼのcDNAを用いて、部位特異的変異法によりドメイン等の機能解析した結果について述べている。まず、生デンプン分解活性についての機能部位を特定するため、グルコアミラーゼのC末端領域を欠いた変異酵素を酵母S.cerevisiaeにより生産した。変異酵素はマルトオリゴ糖に対するKmはほとんど同じであったが、可溶性デンプンに対するKmは大きくなった。また、変異グルコアミラーゼは生デンプンをほとんど分解しなかった。このことから、A.oryzaeのグルコアミラーゼのC末端ドメインは生デンプン吸着機能をもつことが示された。次に、-アミラーゼの触媒活性部位および基質結合部位と推定されているアミノ酸残基(Asp206、Glu230、Asp297およびLys209)を部位特異的変異法により改変し、それぞれの触媒活性に対する寄与について検討した。

 以上、本研究は酵母による異種タンパク質の効率的な生産法の確立と、麹菌遺伝子の酵母での発現による実用酵母の育種、および麹菌アミラーゼの機能解析に関するものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク