本論文『日本近世国家史の研究』は、実証的で論争的な12の論考から構成されている。それらは何れも、史料編纂所における近世初頭を対象とする『大日本史料』第12編の長年の編纂業務の過程での資料収集・分析を踏まえた、史料の深い読み込みと鋭利な分析に立脚して、通説的理解を覆す論考である。諸論考を内容的に概括すれば、次のような四つの論点にまとめることが出来る。 1 幕藩制形成における国家的枠組み。従来の幕藩制の理解においては、専ら封建的土地所有の論理或いは主従制の論理によってその本質を論じるのが、研究の主流であった。それに対して本論文は、17世紀初頭に畿内・近国に置かれ、個々の領主の支配領域を含む一国の「国務」を統括した国奉行の存在、本来は領主を越えて全国土的に賦課されるものであった「小物成」の存在など、封建的土地所有や主従制では説明し難い事象を摘出している。また近世的身分も、「国役」など国家レベルの役の体系との対応関係の中で規定されたものであることを指摘している。そのような実証を踏まえ、全国土に平和をもたらすとする「惣無事」令を画期として、国家的枠組みが秀吉によって寧ろ先行的に設定され、それを支えに全国土的に封建的土地所有原則が貫徹されていったと主張する。 2 幕藩制形成における近世的軍隊の創出。戦国期の軍団の実態を後北条氏などに即して解明し、戦国大名の軍団は、兵糧自弁の原則を根幹としていたのに対して、前橋藩や加賀藩などの近世大名では、所領の数分の一の直轄地(蔵入地)の存在を前提に兵糧米・馬糧を大名が支給する。このような近世軍団は、領国内の人的・物的資源を合理的に戦力として組織するものであり、機動性に優れ長期戦を戦いうる点で、戦国軍団を圧倒し得たのであった。この近世軍団は、太閤検地・兵農分離・石高制の導入によって、全人民をそれぞれの身分に対応した役によって動員することで成り立っており、朝鮮出兵(唐入り)を理由とする動員体制の強化の中で、「兵営国家」が確立されたと主張している。 3 集団の自律性の抑圧と反抗。上記のような「近世」の強要は、中世の社会諸集団の自律性を抑圧し、それぞれを一定の規律の中に封じ込むものであった。農民の「刀狩り」と土地緊縛は勿論であるが、支配身分の武士についても、「惣無事」令は、武士間の自力救済という従来の紛争解決手段を禁じ、武士集団の自律性を抑圧するものであった。しかし自律性は抑圧されつつもそれへの反抗として生き続けた。近世前期における「歌舞伎者」の横行や、喧嘩の当事者を屋敷に囲う「駆込慣行」の存在、百姓による統制のとれた集団的暴力の発動、などがそれである。 4 初期幕府政治の実態と転換。主君の意を受けた取り次ぎであった「出頭人」の分析や、初期藩政改革への幕府の強力な介入の実態を解明することを通じて、秀吉・初期幕府政治の特質の一面を解明している。次いで、諸藩のお家騒動や藩政改革、寛永の軍役令の再検討などを通じて、三代将軍家光以降の政治的価値の伝統化、「正当性」の転換を主張している。 以上のような、極めて新鮮で刺激的な議論は、国家論・身分制論・社会的集団論・都市論など、広い分野で学界に大きな影響をもたらし、近世史のみならず中世史をも含めた論争を引き起こすことになった。 一方、近世国家論としては、天皇の位置づけや国家イデオロギーの分析が、やや手薄であるという問題を含んでいる。 しかしこれらの諸点は本論文刊行後の論考で検討が深められつつあり、本審査委員会は、上記の諸点の成果から、本論文は博士(文学)に十二分に値すると判断する。 |