学位論文要旨



No 212623
著者(漢字) 田邉,由幸
著者(英字)
著者(カナ) タナベ,ヨシユキ
標題(和) 腫瘍壊死因子産生の制御機構に関する研究
標題(洋)
報告番号 212623
報告番号 乙12623
学位授与日 1996.01.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第12623号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 名取,俊二
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 助教授 長野,哲雄
 東京大学 助教授 新井,洋由
内容要旨 第1章序論

 高等動物はその生涯を通じて、神経系・免疫系・内分泌系が相互に干渉し合って、恒常性維持を行っている。サイトカインと呼ばれる一群の生理活性蛋白質は、本来免疫系から発見されたものであるが、これら各系の中か、或いは相互の間の情報伝達分子群となっている。また、それらの産生と生理活性のクロストークは多種の生体応答を誘導し、生体恒常性維持に寄与しているものと考えられる。

 腫瘍壊死因子(TNF)は組織化されたサイトカインネットワークを統括すると考えられている分子である。これは、何らかの一次刺激により、リポ多糖(LPS)等に対する感受性が高まる段階(primed stage)と、実際にLPS等による二次刺激によりTNFが分泌される段階(triggered stage)との二つの活性化状態を経て、主にマクロファージ()から効率良く産生される。このうちprimed stageへの活性化は、健常時の個体においても観察され、この状態が生体恒常性維持に関与する事を示唆する報告もある。この場合、分泌型のTNFの存在がみられないが、それと同様な生物活性を示す膜結合型前駆体(proTNF)として作用している可能性が考えられる。

 しかし現在まで、primed stageでの膜結合型proTNFの存在についての分子レベルでの証明、及びproTNFの生物活性の意義を生体制御機構の問題として捉えた研究は、十分ではなかった。そこで本研究では、まず二段階の活性化状態を通じたTNF分子の産生過程を詳細に調べると共に、サイトカイン産生調節を通じた生体制御機構への関与のモデルとして、膜結合型proTNFが、自身の産生調節に与る役割を明らかにする事を目的とした。

 本論文は、膜結合型TNF前駆体を産生する細胞が、細胞間接触を介して、隣接細胞におけるTNF産生能を正負両様に制御する事を示し、膜結合型TNFが、その一般機能の二面性を通じて、生体恒常性維持に関与する可能性を示唆した報告である。

第2章マクロファージ様細胞株の二段階の活性化状態モデルにおける膜結合型TNF前駆体(proTNF)の発現:培養細胞のprimed,triggered stageでのTNF産生

 本研究の予備段階で、Oldらによる原報通りに個体レベルでpriming刺激を与えた実験動物から、primed を取り出し、TNFの存在状態を調べたところ、成熟TNFの分泌を伴わないproTNFの産生が認められた。この状態変化に伴うTNFの産生状態を分子レベルで更に詳細に検討する為、以下の実験は、ヒトの様の培養細胞であるTHP-1を用いた。本細胞におけるprimed stageは、インターフェロン(IFN)-,TNF-,或いはフォルボールエステル(PMA)で誘導したが、その測定には、誘導後に加えるLPS刺激(triggered stage)によって生ずる、成熟TNF分泌の増加量を指標とした(Fig.1)。

Fig.1 Kinetics of TNF accumulation in the culture supernatant during the triggered stage.THP-1 cells were treated with rIFN-(103U/ml),rTNF-(103 U/ml),or PMA(100ng/ml)for 24h.After extensive washing and resuspending,cells were challenged with 1g/ml of LPS for indicated periods of time.TNF amount in the culture supernatants was measured by radioimmunoassay system.Each value is the mean of duplicate assays.ND means"not detected"(less than 0.15ng/ml).(○)primed with rIFN-;(●)primed with rTNF-;(■)primed with PMA;(△)without priming.

 何れのprimerによっても、刺激後一過的にproTNF mRNAの発現が誘導され、膜結合型proTNFが産生された(Fig.2)。また、このprimed stageを経たTHP-1は、triggered stageでのproTNFの再生産量が増加する為、成熟TNFの分泌が一層増加するものと考えられた。即ち、primed及びtriggered stageの二段階の活性化過程で、proTNFが二相性に発現する事が明らかになった。

Fig.2 Detection of 26-kDa TNF precursor on the cell-surface of primed THP-1 cells.THP-1 cells were treated for 3h with or without various primers.Cell-surface labelling with Na125I was carried out using lactoperoxidase and glucose oxidase.After the labelling,cells were extensively washed,lysed,and subjected to immunoprecipitation analysis.Immunoprecipitated materials were subjected to SDS-PAGE followed by autoradiography.Following reagents were used to stimulate THP-1 cells:LPS(10g/ml);rIFN-(103 U/ml);rTNF-(103 U/ml);PMA(100ng/ml).
第3章膜結合型TNF前駆体(proTNF)による、THP-1細胞のLPS依存性TNF産生能のポジティブフィードバック制御:活性化マクロファージにおけるproTNFの意義

 第2章で示した様に、primed stageにおいてはその誘導剤の種類に関わらず一過的にproTNFが産生される。本章ではprimed stageで産生されるproTNFの意義を検討した。

 前述の様にTHP-1は、IFN-によりprimed stageにまで誘導される。この際産生されるproTNFの機能を、抗TNF抗体により阻害すると、LPS刺激後の成熟TNFの産生量はprimed stageを誘導されていない細胞によるものと同程度に留まった(Fig.3)。成熟TNFはそれ自身で、のTNF産生のprimerになり得るが、ここに得られた事実は、primed stageでのproTNFの存在自身こそが、LPS刺激に対するTHP-1の感受性増強に、関与している事を示すものと考えられる。

Fig.3 Suppression of priming activity of rIFN- by the presence of anti-TNF- monoclonal antibody at the primed stage.THP-1 cells were treated with rIFN-(103 U/ml)for 24 h with or without anti-hu-rTNF- monoclonal antibody F5H12(10 g/ml).A control experiment was run parallel using non-specific mouse IgG(10 g/ml). After extensive washing and resuspending,cells were challenged with LPS(1g/ml)for 5 h.TNF amount in the culture supernatant was measured by radioimmunoassay.Each value is the mean of triplicate assays.
第4章膜結合型TNF前駆体(proTNF)による、THP-1細胞のLPS依存性TNF産生能のネガティブフィードバック制御:TNF前駆体遺伝子を移入した細胞による、その新たな機能の発見

 ProTNFは成熟TNFに相当する部分を細胞外に露出している事から、細胞間接触を介して、隣接する細胞を連鎖反応的にprimed stageへと、誘導するものと考えられた。そこで実際に隣接した細胞間ではどうなるかを検討した。ProTNFを恒常的に発現する繊維芽細胞株(proTNF/3T3細胞)を人為的に作製し、これとTHP-1とを混合培養した。

 この場合はTHP-1のLPS依存性TNF産生能は、著しく低下した(Fig.4)。このLPSに対する低応答性は混合培養時に抗TNF抗体を加える事により正常に回復した事から、やはりproTNFにより誘導されたと考えられた。この事は、この混合培養の場合と先のprim ed THP-1自身がproTNFを産生する場合とでは、proTNFが異なる作用機序を介してTHP-1に働く可能性を示唆する。そこで、両方の場合について、介在するシグナル伝達機構の違いを検討した。

Fig.4 Suppression of LPS-dependent TNF prodection by THP-1 cells that was cocultivated with proTNF/3T3 cells.1.5×106 cells each of pMT2/3T3 cells,human proTNF/3T3 cells,and proTNF/3T3 cells were seeded onto gelatin coated plastic dishes(60)and were incubated to allow to form a confluent monolayer.5×106 cells of THP-1 cells were seeded at the density of 1×106 cells/ml onto monolayer of various 3T3 transfectants.IFN- primed THP-1 or unprimed THP-1 was prepared simultaneously as the controls.After 24 hours,THP-1 cells were washed and challenged with LPS.Five hours after the addition of LPS(0.1 g/ml),culture supernatants were subjected to radioimmunoassay for secreted mature TNF.

 IFN-等による、THP-1のprimed stageの誘導は、C-キナーゼ(PKC)の特異的阻害剤であるH7により抑制されたのに対して、proTNF/3T3細胞との接触により誘導されるTHP-1のLPS応答性の低下は、H7添加により解除されなかった(Fig.5)。TNFの遺伝子発現は、PKC活性化を通じて制御される事が既に報告されているが、この結果からTNF産生のポジティブフィードバック機構に、proTNFの作用がPKC活性化を伴って関与する一方、proTNF/3T3細胞との混合培養の場合は、PKC活性化が直接関与せず、寧ろ逆にTHP-1がLPS刺激に際して新たにTNFを産生する能力を低下させる働き、即ちネガティブフィードバック制御をするものと考えられる。

Fig.5 Differences in the signal transduction pathway between exogenous cytokine-induced hyper-respensive state and proTNF-induced hypo-responsive state of THP-1 cells against LPS.THP-1 cells were pretreated with either IFN-(103 U/ml)or various 3T3 transfectant in the presence or absence of 50M H7.After 24 h,cells were washed and challenged with LPS(0.1 g/ml)for 5h.TNF amount in the culture supernatant was measured by radioimmunoassay.

 以上の結果から、proTNFの存在はTHP-1のprimingには必要条件の一つではあるものの、寧ろその生物活性の発現は標的細胞側でのシグナル伝達の違いに依存して、TNFの発現制御にPKCの活性化が介入する場合は正、そうでない場合は負と、正負両様に自己再生産調節に関与するものと考えられる。

第5章まとめ

 以上本研究では、proTNFが標的細胞に対して、たとえ同一種の細胞であっても、介在するシグナル伝達経路の違いに応じて、自己再生産能を正負に制御し得る事を明らかにした。この事は、恒常性維持に関わると考えられる因子の機能が、状況に応じて正負両方向に揺らぐ可能性を分子レベルで示唆し、生体恒常性維持機構の分子基盤の理解に、新しい視点を与えたものと考える。

審査要旨

 腫瘍壊死因子(TNF)は、LPSの刺激などに応答してマクロファージが産生するサイトカインの一つで、多様な生理機能を担うことが知られている。この論文は、TNFの産生機構に関して、TNF前駆体(proTNF)による、正と負のフィードバック機構が存在することを明らかにした点で評価できる。TNFの産生過程は、産生細胞であるマクロファージが何等かの一次刺激によってLPSに対する感受性が高まる段階(primed stage)と、実際にLPSによってTNFが分泌されるようになる段階(triggered stage)、という二つの段階に分けられることが以前から指摘されていた。しかしながらprimed stageの細胞ががどのような状態にあるか殆ど分かっていなかった。

 この論文ではまず、ヒトのマクロファージ様株化細胞THP-1にINF-を作用させるとLPSに対する感受性が増した、primed stageに移行するが、この時この細胞の表面に膜結合型のTNF(proTNF)が発現することを確認した。このような細胞がLPSにさらされると、いわゆる分泌型のTNFを分泌するようになる。primed stageのTHP-1を抗TNF抗体で処理してからLPSで処理した場合には、分泌型のTNFの産生は増加しないことが分かった。この事実は、LPSの情報が何等かの形でproTNFを経由して細胞の中へ伝達されることを示唆している。すなわち、proTNFはTNFの産生をpositiveに制御していることになる。この膜結合型のproTNFの機能を更に検討するため、マウスの繊維芽細胞3T3にTNFのプラスミドを導入してproTNFを強制発現させた細胞とTHP-1細胞の相互作用を調べた。その結果、この混合培養系ではTHP-1細胞のLPS感受性が著しく低下することが分かった。この系に抗TNF抗体を加えて、3T3細胞のproTNFを阻害するとTHP-1細胞のLPS感受性は回復した。つまり、この場合にはTNF産生をproTNFがnegativeに制御していることになる。

 マクロファージがLPS刺激に応答してTNFを産生するようになるメカニズムはかなり複雑で、primed stageに出現するproTNFが重要な機能を担うが、この場合産生細胞であるマクロファージの表面にproTNFが発現することが肝要で、3T3などの無関係の細胞に強制発現させたproTNFはTNFの産生にかえってnegativeに働くことが明らかになった。これは、TNFの産生がproTNFの存在状態によって正負両用に制御を受ける可能性を示唆している。このように、この研究はサイトカインの産生の制御機構に新しい視点をあたえたもので、免疫学や細飽生物学の進展に寄与するものであり、博士(薬学)の学位に相当すると判断される。

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