学位論文要旨



No 212627
著者(漢字) 中岡,隆志
著者(英字)
著者(カナ) ナカオカ,タカシ
標題(和) Myristoylated,alanine-rich C-kinase substrate(MARCKS)とホスファチジルセリンとの相互作用に関する解析
標題(洋)
報告番号 212627
報告番号 乙12627
学位授与日 1996.01.24
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第12627号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 芳賀,達也
 東京大学 教授 脊山,洋右
 東京大学 教授 高井,克治
 東京大学 教授 竹縄,忠臣
 東京大学 助教授 多久和,陽
内容要旨 緒言

 細胞膜の裏打ちタンパク質が様々な細胞内情報伝達機構において重要な働きを担っている。それらのタンパク質の中でカルシウム存在下でリン脂質に結合するタンパク質が特に最近、注目を集めている。シナプトタグミンはシナプス小胞に特異的に発現しているタンパク質であるが、CキナーゼのC2ドメインに相同性のある反復配列を介してカルシウム存在下でホスファチジルセリン(PS)に結合する。このタンパク質と脂質との相互作用そのものが、カルシウム感知機構として神経伝達物質の放出機構に大きく携わっていると考えられている。また、他のカルシウム依存的リン脂質結合タンパク質であるカルパクチンはリセプター型チロシンキナーゼの基質タンパク質であることが知られており、エンドサイトーシスに関与していると考えられている。本研究者は、これらの性質を持ったタンパク質とは別に細胞内でカルシウム非依存的にPSに特異的に結合するタンパク質(PS-binding protein,PS-BP)の存在を想定し、PS-BPが存在することを明らかにし、解析を行なった。

研究方法1.PS-BPの精製

 [3H]-標識したPS-コレステロールリポソームでリポソームブロッテイング法を行ない、ラット脳でPS-BPの存在について検討した。膜画分(P2,P3画分)を可溶化後、DEAE-セファロースFast Flow、オクチルーセファロースCL-4B、TSKヘパリン-5PW、TSKG3000SWを用いた数段のクロマトグラフィー操作ででPS-BPを精製した。

2.PS-BPの同定

 精製したPS-BPをリジルエンドペプチダーゼで消化し、消化断片のアミノ酸配列を決定した。決定した部分アミノ酸配列の情報を基にラット脳のcDNAライブラリーからPS-BPに相当するクローンをスクリーニングしその推定アミノ酸配列を決定した。

3.PS-BPのリン脂質結合特異性

 リン脂質-タンパク質結合定量法(定量法1と定量法2)で検討した。定量法1では固相化リン脂質に対するタンパク質の最大結合量をタンパク質の抗体を用いて定量した。定量法2では固相化タンパク質に対するリン脂質を含んだリポソームの結合を[3H]-標識したリポソームを用いてシンチレーションシステムで定量した。

4.Cキナーゼ(PKC)でリン酸化されたタンパク質のPSへの結合

 ラット脳の細胞質画分からPKCsを調整し、タンパク質をリン酸化した。リン酸化タンパク質のPSへの結合をリン脂質-タンパク質結合定量法に従い定量した。

5.タンパク質の大腸菌での発現

 得られたcDNAクローンを大腸菌発現用ベクターpET-8cまたはpGEX-2Tにクローニングし、大腸菌株BL21(DE3)pLysSで発現させた。pGEX-2Tを用いて発現させたグルタチオンS-トランスフェラーゼ(GST)との融合タンパク質はグルタチオンーセファロース4Bカラムを用いて精製した。

5.変異タンパク質の作製

 欠失(deletion)変異及び点変異タンパク質をsite-directed mutagenesisに従い作製し、GSTとの融合タンパク質として大腸菌で発現させ、精製後PSとの結合を定量した。

結果1.MARCKS(myristoylated alanioe-rich C kinase substrate)は特異的にPSに結合する

 リポソームブロッテイング法を用いてラット脳からカルシウム非依存性PS結合タンパク質(PS-BP 70)を同定した。精製したタンパク質をリジルエンドペプチダーゼで消化し、D(A)E(F)EPAPGATADDAPSAAGPEQEAPAXXD-;DEAAAAAGGDAAAAPGEQAGXAXAEXAXGG-.を含むいくつかの部分アミノ酸配列を決定した。この情報を基ににcDNAクローニングを行なった。遺伝子配列を決定したクローンの推定アミノ酸配列は得られた部分アミノ酸配列全てを含み、PS-BP70はラットのMARCKS(myristoylated alanine-rich C kinase substrate)である事が明らかとなった。

 リン脂質-タンパク質結合定量法を用いてMARCKSのリン脂質への結合について検討した。MARCKSは特異的にPSに結合し、ホスファチジルコリン等他のリン脂質への結合は認められなかった。

2.リン酸化のMARCKSとPSとの結合に対する影響

 MARCKSをPKCでリン酸化し、MARCKSのPSへの結合を定量した。リン酸化されたMARCKSは結合が著明に減少していた。

3.MARCKSのPS結合領域

 大腸菌でMARCKSは可溶性タンパク質として発現した。GST融合タンパク質として大腸菌で発現させたMARCKS(GST-MARCKS)もラット脳から精製したMARCKSと同様、特異的にPSに結合した。更にGST-MARCKSの欠失変異体を発現させ、PS結合領域について解析した。GST-MARCKS6-180とGST-MARCKS127-160は全長のMARCKSとほぼ同様のPS結合性を有していたが、GST-MARCKS127-152のPS結合性は著明に減少していた。GST-MARCKS6-156はGST-MARCKS6-180の62%がPSに結合したのに対し、GST-MARCKS6-152はわずか8%、GST-MARCKS6-135にいたっては結合が認められなかった。これらの結果からアミノ酸残基127-156の領域そのものがPS結合性を有し、アミノ酸残基153-156(FKKS)が特に大きく関わっている事が明らかとなった。

4.Ser-152のリン酸化がPS結合を調節している

 MARCKSのPKCによるリン酸化部位はSer-152、-156、-163である事が知られている。PKCによるリン酸化の影響についてリン酸化部位のセリンをアラニンに変えた変異体を作成し検討した。PKCでリン酸化されたGST-MARCKS6-180[S156A,S163A]、GST-MARCKS6-180[S156A]及びGST-MARCKS6-180[S163A]のPS結合性は、PKCでリン酸化されたラット脳のMARCKSやGST-MARCKS6-180のそれとほぼ同レベルであった。一方、GST-MARCKS6-180[S152A]とGST-MARCKS6-180[S152A,S156A]はPKCでリン酸化を受けてもPS結合性を保持していた。

考案

 本研究でカルシウム非依存性PS結合タンパク質をラット脳から精製したところ、MARCKSである事が明らかとなった。MARCKSは、細胞内で大部分が細胞膜に局在した形で存在する。MARCKSのN末端のグリシンはミリスチル化を受けるが、大腸菌でGST融合タンパク質として発現したMARCKSも精製したMARCKSと同様PSに結合したので、ミリスチル化はPSとの相互作用には必須でないと考えられる。MARCKSと細胞膜の間の相互作用はミリスチル化とPS認識との双方が関与しており、細胞内局在を決めていると考えられる。MARCKSの細胞膜局在はPKCによるリン酸化の調節を受け、リン酸化されると膜局在MARCKSは細胞質へ移行することが報告されている。本研究でMARCKSのPSへの結合もPKCによるリン酸化の調節を受ける事が明らかになった。この事は、MARCKSの細胞内局在そのものがMARCKSとPSとの相互作用を介しており、更にこの作用はPKCによるリン酸化で制御されている可能性を示唆している。

 大腸菌発現系での結果から、アミノ酸残基127-156の領域そのものがPS結合性を持っており、アミノ酸残基152-156(FKKS)は特にPS結合に重要である事が明らかとなった。一方、アミノ酸残基145-169に相当するペプチドがPS結合性があるとの報告があり、今回の結果と合わせるとアミノ酸残基145-156(KKKKKRFSFKKS)の部分がPS結合領域である可能性が高い。MARCKSのこの領域と他のPS結合タンパク質で報告されている結合領域との間には相同生は認められないので、MARCKSは独特のカルシウム非依存性PS認識配列を持っていると考えられる。

 3個のPKCリン酸化部位のうち156と163番目の両方のセリンをアラニンに変えてもPS結合性のPKCリン酸化による制御に影響を与えなかったのに対し、152番目の1個のセリンのアラニンへの置換は大きく影響したので、152番目のセリンのPKCによるリン酸化が、MARCKSのPS結合を調節していると考えられる。故に、1つの可能性として152番目のセリンのPKCによるリン酸化そのものが、PS結合を介して細胞内局在そのものを調節しているという解釈も成立する。その一方で神経芽腫細胞NIE-115ではPKCリン酸化とMARCKSの細胞膜-細胞質間移行とが相関しないとの報告もあり細胞内局在には、未だ明らかでない更に複雑な機構が関与している可能性も否定できない。MARCKSとPSとの結合がカルモジュリンで阻害される事も報告されており、MARCKSのアクチン、カルモジュリン或いはその他のタンパク質との相互作用にPSが関与している事も考えうる。MARCKSの機能について細胞の形態或いは運動性に関係しているのではないかという報告や分泌や膜のリサイクリングに関与しているのではないかという報告の他に、MARCKSのタンパク質としての発現の減少そのものが細胞がcell cycleに入るのに必要なのではないかという報告もある。MARCKSとPSとの相互作用の意義並びに細胞内でのMARCKSの機能はこれからの問題である。

審査要旨

 プロテインキナーゼC(Cキナーゼ)は細胞内の情報伝達機構に密接に関与している事が知られている。本研究は、Cキナーゼの主要なリン酸化基質タンパク質であるMARCKS(myristoylated alanine-rich C kinase substrate)がホスファチジルセリン(PS)に結合する性質を持つことを明らかにし、更にMARCKSとPSとの相互作用の機作並びにその生体内での意義について解析を行ったものである。下記の結果を得ている。

 1. ラット脳破砕標品中に存在するカルシウム非依存性にPSに結合するタンパク質をリポソームブロッテイング法を用いて同定し、精製した。部分アミノ酸配列を用いた遺伝子クローニングにより、このタンパク質はラットのMARCKSである事が明らかとなった。MARCKSは特異的にPSに結合し、ホスファチジルコリン等他のリン脂質への結合は認められなかった。

 2. MARCKSは細胞内で大部分が形質膜に局在し、形質膜あるいは細胞骨格との相互作用が、その機能に関わっていると考えられている。MARCKSは、PKCによりリン酸化されると形質膜から細胞質へ移行することが報告されている。MARCKSをPKCでリン酸化し、MARCKSのリン脂質への結合を定量した結果、リン酸化されたMARCKSはPSへの結合が著明に減少する事が示された。この結果はMARCKSがPSとの相互作用を介して細胞膜に局在し、PKCによるリン酸化で調節を受けている可能性を示唆している。

 3. グルタチオン-S-トランスフェラーゼ(GST)融合タンパク質として大腸菌で発現させたMARCKS(GST-MARCKS)も、ラット脳から精製したMARCKSと同様、特異的にPSに結合した。この結果はミリスチル化はPSへの結合に必須ではないことを示している。

 4. GST-MARCKSの欠失ミュータントを発現させ、固相に結合させたPSへの結合量を調べた。ST-MARCKS6-180とGST-MARCKS127-160は全長のMARCKSとほぼ同様のPS結合性を有していたが、GST-MARCKS127-152のPS結合性は著明に減少していた。GST-MARCKS6-156の固相PS結合量ははGST-MARCKS6-180の62%、GST-MARCKS6-152は8%、GST-MARCKS6-135は結合0であった。これらの結果からアミノ酸残基127-160の領域がPS結合性を有し、アミノ酸残基153-156(FKKS)が特に結合に関わっている事が示唆された。

 5. PKCによるリン酸化の影響について、リン酸化部位のセリンをアラニンに変えたミュータントを作成し検討した。PKCでリン酸化されたGST-MARCKS6-180[S156A,S163A]、GST-MARCKS6-180[S156A]及びGST-MARCKS6-180[S163A]のPS結合性は、PKCでリン酸化されたラット脳のMARCKSやGST-MARCKS6-180のそれとほぼ同レベルであった。一方、GST-MARCKS6-180[S152A]とGST-MARCKS6-180[S152A,S156A]はPKCでリン酸化を受けてもPS結合性を保持していた。これらの結果から、Ser-152のリン酸化がPS結合を調節している事が示された。

 以上、本論文はCキナーゼの主要な基質タンパク質であるMARCKSがPSと結合する性質を明らかにし、結合に重要と考えられる領域を同定したものである。Cキナーゼを介した情報伝達機構の解明に重要な貢献をなすものであり、学位の授与に値するものである。

UTokyo Repositoryリンク