学位論文要旨



No 212629
著者(漢字) 中野,純一
著者(英字)
著者(カナ) ナカノ,ジュンイチ
標題(和) rC5aおよびブレオマイシンで誘導される肺の実験的炎症過程における単核食細胞の動態に関する研究
標題(洋)
報告番号 212629
報告番号 乙12629
学位授与日 1996.01.24
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第12629号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 金ヶ崎,士朗
 東京大学 助教授 福地,義之助
 東京大学 助教授 坂本,穆彦
 東京大学 講師 四元,秀毅
 東京大学 講師 東原,正明
内容要旨 研究の背景

 単球・マクロファージ(単核食細胞)は肺線維症など肺の炎症の成立に重要な役割を果たしていることが知られている。古く、L eibovitchらは末梢血液中の単球や組織マクロファージを減少させると、皮膚の炎症における修復過程が障害されることを実験的に示し、その線維化にこれらの細胞がかかわっていることを報告している。また単核食細胞は、線維化を促進するサイトカインを産生し、肺の線維化の過程において働いていることが報告されている。しかし、肺の炎症過程のなかで単核食細胞がどのような動態を示して、炎症の成立あるいは修復に関わっているのかについては不明の部分が多く、これらを研究することは、その病態の解明に役立つものと考えられる。

 単核食細胞の動態に関する研究においては、正常あるいは炎症を起こした肺へ、単球が遊走することがすでに明らかにされている。しかし、それら肺へ遊走してきた細胞が局所に留まったり、局所から消失する機序については、解析が進んでいない。特に急性炎症の過程と、慢性炎症の過程における動態の相違に関しては興味のもたれるところである。

 さて、recombinant C5a(rC5a)による家兎を使った肺の炎症モデルでは、投与後4時間までを頂点として単球の遊走など、肺の炎症が認められるが、その後、炎症は終焉に向かい1週間後には正常の組織像に戻ることが報告されている。これに対し、同じく家兎を使った実験で、ブレオマイシンにより誘導される肺の炎症においては1週間目を頂点とする単球の遊走が観察され、しかもその後も長期にわたり肺胞、肺間質における単球、マクロファージの増加が認められる。そして、最終的には肺の線維化を生じることが報告されている。以上の所見はブレオマイシンによる慢性の肺炎症においては、単核食細胞の長期にわたる肺への滞留(retention)が存在し、それが肺の線維化にとって重要な機序である可能性を示唆している。

 最初に述べたように、単核食細胞の肺局所への遊走、滞留、あるいはクリアランスを含めた動態についての研究は、肺炎症の病態の解明、特に肺線維症の病態の解明にとって重要である。本論文においては、急性の肺炎症としてrC5aを、慢性の肺炎症としてはブレオマイシンをマウスの気管支に直視下で投与し、これら肺の炎症過程における単核食細胞の動態を明らかにし、肺炎症の成立する機序について考察することを目的に実験を行った。

材料と方法

 C3H/HeJマウスの雄、第6-8週齢を実験に供した。マウスの骨髄から単核食細胞の前駆細胞を採取し、単球およびマクロファージへと分化させた細胞を使用した。C 3H/HeJマウスはLPS非感受性の系統であり、骨髄から得られた細胞はLPSによる非特異的な細胞の活性化を受けにくいため、この種の研究に適した系統と考えた。まず最初に、C5aおよび、ブレオマイシンによる肺の炎症での、単球の炎症局所への遊走を調べるために、放射性ヨウ素 125l(lodine-125)で標識した単球を尾静脈より経静脈的にマウスに投与し、肺への遊走が最大となる時点を調べた。その後、炎症によって肺胞内に遊走した滲出性マクロファージ(exudative macrophage)がどのようにして肺に滞留、あるいは除去されるかを明らかにするために、肺胞内への単球の移行が最大となる時点に、経気管支的に125l-標識マクロファージを肺内に投与し、その動態を調べた。

結果

 肺への単球の遊走に関しては、C5aではその投与後二時間目、ブレオマイシンでは七日目に単球の肺胞・末梢肺区画への遊走が最大となることが判明した。

 次に、急性及び慢性の肺炎症において単球の肺胞・末梢肺区画への遊走が最大となる時点で125lで標識したマクロファージを経気管支的に肺内に投与してその動態を観察した。すなわちC5aでは同時に(C5a群)、ブレオマイシンではその投与後七日目に(ブレオマイシン群)、125l-標識マクロファージを気管内に投与した。対照群としては、上記のC5aとブレオマイシを入れ替えて投与したC5a投与後7日目群とブレオマイシン同時投与群、あるいは炎症を伴わない対照群としてC5a、ブレオマイシに換え生食を投与した生食同時投与群、生食投与後7日目群を作製した。

 まず125l-標識マクロファージの肺での滞留について検討した。対照とした生食投与群(生食同時投与群及び生食投与後7日目群)に比較し、ブレオマイシン、C5a各々の炎症極期に肺内に投与されたマクロファージは、両群とも高い滞留を認め、さらにブレオマイシン群ではこれが長期に渡ることが明らかとなった。なおこの時期は単球・マクロファージの肺胞・末梢肺区画への遊走活性が最大の時期である。

 次にマクロファージの肺からのクリアランスについて検討した。まず予備実験て、マウスの飼育床中の放射能の95%以上が糞便から回収されること、尿排泄はほとんどなく、また胆汁への排出もほとんどないことを確認した。そこで、実験終了時に飼育床の放射能を測定すると共に、マウスの肺、肝臓・脾臓、その他の臓器の放射能もあわあせて測定した。その結果、肺胞・末梢肺区画のマクロファージは主に気管支線毛上皮により、気管支から気管へと上行し、さらに嚥下により消化管に排除されること、炎症の極期ではこの活性が低下していることが明らかとなった。一方、炎症の極期には、マクロファージは肺から肝臓・脾臓へ遊走し、これらの臓器に集積することも判明した。

 さらに肺の炎症過程での気管支肺胞洗浄液(BALF)中の単球・マクロファージの回収について検討した。125l-標識マクロファージを経気管支的に投与したのち三日目の時点では両群間で摘出肺の放射能量に差はなかったが、BALF中の放射能量はC5a群ではC5a投与後7日目群に比して、ブレオマイシン群はブレオマイシン同時投与群に比して有意に低値を示し、炎症極期に肺胞内に投与されたマクロファージが、洗浄されにくい状態にあると考えられた。BALF中のマクロファージ総数についても検討した。BALF中のマクロファージの97%以上はマウス自身に由来した細胞である。ブレオマイシン投与後十日目にBALF中のマクロファージの一過性の減少が観察された。このブレオマイシン投与後十日目とは、ブレオマイシン群における125l-標識マクロファージ投与後三日目と一致している。従って移入された125l-標識マクロファージのみならず、マウス自身のマクロファージも、肺炎症の極期においては洗浄されにくい状態にあることが明らかとなった。これらの結果より、炎症の極期においてはマクロファージは少ない割合ではあるが有意に肝臓・脾臓へと集積し、同時に気管支肺胞洗浄されにくい状態にあり、その機序として炎症部位へマクロファージが接着し、少なくともその一部は血流中に入っていくものと推定された。

 そこで、このような肺での滞留、接着あるいは肝臓・脾臓への遊走における、マクロファージ自体の能動的な機能を検討するために、グルタールアルデヒドで固定したマクロファージと、固定していないマクロファージと比較し研究した。その結果、125l-標識マクロファージ投与後二十一日目の時点では、マクロファージは固定マクロファージと比較して有意に高い肺での滞留を示し、さらにはるかに高い肝臓・脾臓への集積を示した。これらの結果は、炎症過程におけるマクロファージの肺への長期の滞留、あるいは肝臓・脾臓への集積にはマクロファージ自体の能動的な機能が働いていることを示している。

考案

 本研究においてはまず、rC5aあるいはブレオマイシン投与による肺の炎症では、単球が肺へ遊走し、滲出性マクロファージとなることを示した。これらの滲出性マクロファージの肺からの除去や肺での滞留を調べるためには、実際に肺胞内・末梢肺区画に遊走してきた単核食細胞をさらにその後も引き続き観察する方法が理想的と考えられる。しかし、経静脈的に投与した125l-標識単球は24時間後には、わずかその2-3%のみしか肺には集積していない。従って、そのように細胞数も少なく低レベルの放射能の変動を追跡することは、測定誤差等が生じやすく、詳細な細胞の動態の研究は困難である。さらに経静脈的に投与した125l-標識単球の多くが静注直後よりすでに肝臓・脾臓に集積しており、静注後に肺内に遊走した単核食細胞の肝臓・脾臓への集積を解析することは困難と考えられた。そこで、肺炎症の過程で肺胞内・末梢肺区画への単球の遊走が最大となり、最も多くの滲出性マクロファージとなる時点で、125l-標識マクロファージを経気管支的に肺内に投与しその動態をモニターすることにより、より正確にマクロファージの肺からの除去や肺での滞留の解明の手がかりを得ることができると考えた。

 実際この方法により、rC5a、ブレオマイシンいずれの肺炎症においても、その極期にはマクロファージが肺に滞留し、とくにブレオマイシンによる慢性炎症ではそのマクロファージの滞留が長期にわたることが判明した。一方、肺内に投与したマクロファージはおもに気道を上行し、消化管を介して除去されるが、炎症時にはこの過程が働きにくいことが明らかとなった。そしてこの時期には、肺から肝臓・脾臓への有意なマクロファージの集積を認めた。一方、炎症の極期においては、マクロファージが気管支肺胞洗浄されにくい状態にあることも示された。すなわち、炎症が成立している時期にはマクロファージは肺胞上皮や末梢肺の気道上皮に強く接着しており、場合によりそこから組織内に侵入していると考えられる。

 グルタールアルデヒドで固定したマクロファージを使って検討した結果、マクロファージの長期の肺への滞留、あるいは肝臓・脾臓への集積にはマクロファージが生存して、能動的に慟くことが重要であることが明らかとなった。

結語

 本研究では、以下の2点を明らかにした。(1)炎症の極期には、肺でのマクロファージの滞留があり、特に慢性の炎症においては、その滞留は長期にわたり、(2)長期の滞留にはマクロファージ自体が生存して機能を発揮してることが必要である。これらのことから、ブレオマイシンによる慢性の肺炎症では、マクロファージが活性化し、長期にわたり肺で滞留することが、肺線維症を起こす一つの重要な要因であると考えられる。

審査要旨

 本研究は肺線維症において重要な役割を演じていると考えられる単球・マクロファージの急性の炎症と、慢性の炎症での動態の相違を解明するために、急性炎症としてrC5aを、慢性炎症としてブレオマイシンを使用し、肺に実験的に炎症を作製し、ラジオアイソトープで標識した単球・マクロファージの肺への遊走、肺での滞留、あるいは肺からの除去を解析したものであり、下記の結果を得ている。

 1.rC5aおよびブレオマイシンを経気管支的にマウスに投与し、125l-標識単球を経静脈的に投与した解析の結果、rC5aによる急性の肺炎症では、その投与後2時間の時点で単球の肺胞・末梢肺区画への遊走が最大となり、ブレオマイシンによる慢性の肺炎症ではその投与後7日目に肺胞・末梢肺区画への遊走が最大となることが判明した。

 2.上記で判明した単球の肺胞・末梢肺区画への遊走が最大となる時点で、125l-標識マクロファージを経気管支的に肺内に投与して、肺の炎症過程でのマクロファージの動態を解析したところ、rC5aおよびブレオマイシンいずれの肺炎症においても、その極期にマクロファージが肺に滞留し、特にブレオマイシンによる慢性炎症ではそのマクロファージの滞留が長期にわたることが判明した。

 3.一方、肺内に投与されたマクロファージはおもに気道を上行し、消化管を介して除去されるが、炎症の極期においてはこの過程が働きにくいことも明らかとなった。そして、この時期には肺から肝臓・脾臓への有意なマクロファージの集積を認めた。さらに気管支洗浄液の解析により、炎症の極期においてはマクロファージが洗浄されにくい状態にあることも示された。すなわち、炎症が成立している時期にはマクロファージが肺胞上皮や末梢肺の気道上皮に強く接着しており、場合によりそこから組織内に侵入していることが示唆された。

 4.グルタールアルデヒドで固定したマクロファージを使用してさらに検討した結果、マクロファージの長期の肺への滞留、あるいは肝臓・脾臓への集積にはマクロファージが生存して、能動的に働くことが重要であることが明らかとなった。

 以上,本諭文はマウスの系を用いて、炎症の極期には肺でのマクロファージの滞留があり、特に慢性の炎症では、その滞留が長期にわたり、その長期の滞留にはマクロファージ自体が生有して機能を発揮していることが必要であることを示した。本研究で用いられたラジオアイソトープで標識した単球・マクロファージを経静脈的にあるいは経気管支的にマウスに投与する方法は、細胞の肺炎症過程での動態を研究するためにすぐれた方法である。かつ本研究の結果は、マクロファージの活性化、長期の肺での滞留が肺線維症を起こす一つの重要な要因であることを示しており、未だにその成立機序が不明の肺線維症の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/53933