学位論文要旨



No 212636
著者(漢字) 鄒,広天
著者(英字)
著者(カナ) スー,コーテン
標題(和) 住宅高齢者の住空間に関する環境行動的研究 : 日中比較住文化的考察
標題(洋)
報告番号 212636
報告番号 乙12636
学位授与日 1996.01.25
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第12636号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,鷹志
 東京大学 教授 安岡,正人
 東京大学 教授 長澤,泰
 東京大学 助教授 藤森,照信
 東京大学 助教授 松村,秀一
内容要旨 序章○研究背景と研究課題

 日本では高齢化が急激に進行しているが、現在高齢者人口の絶対数は中国が世界一であり、今世紀の末には一億ほどに達する。高齢化社会に突入する時期としてはやや遅れるが、その進行のスピードは極端に速い。近い将来には人口における高齢者の割合は最高値に達し、日本を越えて世界一となる。以上のことが推定されているため、日中両国の建築界とも高齢化社会への対応を重要視しなければならない。このことが本研究を進めるにあたっての深刻な背景である。

 以上の中国の国勢に対して、本研究の課題は、以下のようにまとめられる。

 ・日中両国都市に於ける在宅高齢者を研究対象として、一般的生活行動と住空間における環境行動の実態を解明すること。

 ・比較住文化の視点から、日中両国の一般的生活行動と住空間における環境行動を比較して、それぞれの特徴を解明すること。

 ・中国都市の在宅高齢者の生活行動、環境行動及び環境移行の実態に応じて、その問題に対しての提言を行い、将来の在宅高齢者向け住宅のあり方を予測し、その設計指針などを提言すること。

○本研究の位置付けと研究目的

 高齢者問題の研究では、従来さまざまなアプローチがなされてきた。例えば、心身機能面からの研究・環境心理面の研究・住まい方の時間的変化の研究などからは、さまざまな研究成果が得られてきた。しかし現在は、「建築計画研究から人間-環境研究へ」の段階であり、高齢者住環境行動心理研究に対しても「環境移行」・「人間と環境との相互浸透」などの一連の重要な観点を計画理論の中に引き入れることが、方法論として非常に重要な意味があると考えられる。本研究の位置付けは、主に人間-環境系研究の領域における在宅高齢者の研究である。

 本論は、異なる国の文化背景の都市における在宅高齢者の生活行動、環境行動、住まい方などの実態から、住空間における環境行動と物的環境との相互関係を探求し、在宅高齢者の住生活の質の向上のための計画・設計・研究の基礎的根拠を得ることを研究目的としている。

○分析の視点と研究の方法

 分析の視点は主に以下の諸点である。

 ・人間-環境系研究の視点から、在宅高齢者の住空間における環境行動と物的環境との関係を見る。

 ・比較文化学の視点から、日中両国在宅高齢者の住文化を見る。

 ・生活構造論・生活領域論などの視点から在宅高齢者の生活行動・環境行動を見る。

 ・行動地理学・時間地理学の視点から、在宅高齢者の住空間に関する環境行動を見る。

 ・現象学、環境心理学、建築計画学のフィールド スタディ(field study)の視点から、住戸調査を通じて見られた事例の現象に対して、ケース・スタディを行なう。

 研究の方法として、アンケート調査の結果を分析することによって調査対象者の全体像を把握し、ヒアリング調査の図面・写真・ノートを分析することによって、具体的な現象を考察する。

○主な用語

 本研究では使う主な用語は、住空間、住環境、生活行動、環境行動、食寝行動、家事行動、余暇行動、コミュニケーション行動、外出行動、住まい方、物的環境、意味的物、所与環境、移行環境、行動域、居場所、食寝居の場所(食事場所、就寝場所、起居場所)、空間的使い分け、時間的使い分け、集散度、物的セッティング、行動的セッティングなどがある。

第1章調査の概要○調査の内容と目的

 本研究のための中国調査の主題は「在宅高齢者の居住生活実態及び環境行動に関するアンケート調査」である。調査内容は主に調査対象者の基本状況、住環境状況、日常の動作能力と行動能力、居・食・寝などの行動、家族関係と近隣関係、趣味、サービスの利用意向などの項目が含まれている。

 その後、一部の対象者に戸別訪問式のヒアリング調査をした。ヒアリング調査の主な内容は「一日生活の時間・環境・行動」である。また、ヒアリング調査の対象者宅で住居平面・住まい方・物品配置などの実態を採集し、写真撮影した(北京:10戸;哈爾浜:17戸)。

 調査の目的は、主に本研究のための基礎資料の収集、実態の把握である。

 比較対象としての日本調査は、メンバーとして参加した平成5年度日本住宅・都市整備公団の高齢者向け住宅の居住者調査である。

○中国調査の方法

 まず哈爾浜市における親戚及び友人の世帯で予備調査を行なった。その後本調査を北京と哈爾浜でを行なった。

 アンケート用紙の配布・回収は街道居民委員会・家属委員会・友達・親戚等に委託し、許可してくれた27戸(北京10戸・哈爾浜17戸)を対象として戸別訪問式のヒアリング調査を行なった。その際、許可を得た住戸において平面図、家具、品物の採集調査及び写真撮影調査を行った。

 アンケート・ヒアリング調査の実施数は表1の通りである。

○調査の期間

 日本調査 1993年9月

 中国調査 1994年2月中旬〜4月8日

○調査都市と調査対象

 日本調査の対象は、光が丘(18戸)・希望ヶ丘(19戸)の日本住宅・都市整備公団の高齢者住宅の居住者である。

 中国調査の対象都市は、首都の北京市及び黒竜江省の省政府所在地の哈爾浜市である。両都市の調査対象はいずれも65歳以上、普通の住宅に住む在宅高齢者である。有効回収数の調査対象者の属性は、表2のようになる。

図表表1 アンケート・ヒアリング調査の実施数 / 表2 調査対象者の属性
第2章日常生活と住環境の基本状況

 本章では、主に中国調査対象者の日常生活能力(日常生活動作能力と日常生活行動能力)、健康状態と運動機能、就労状況、男女役割、家族のケアーの状況、社会福祉及びサービスへの利用意向、住環境状況と住環境心理(住居の所有状況、家賃状況、居住年数、定住に関わる心理)などについて考察し、なるべく日本の状況と比較した。

第3章在宅高齢者の一般的生活行動

 本章では、食寝行動・家事行動・余暇行動・コミュニケーション行動・外出行動を五つの主な構造要素として、日中都市における在宅高齢者の調査対象者達の一般的生活行動を比較住文化的考察し、その結果として各々のタイプと特徴が示された。

 ○ 食寝行動の考察からは、以下のことが分かった。

 主な食事行動のスタイルは、日本は「床座型」、「椅子座型」であり、中国は「椅子座型」、「橙子座型」である。

 主な就寝行動のスタイルは、日本は「床兼用型」であり、中国は「ベッド型」である。

 ○ 家事行動の考察からは、中国在宅高齢者の家事能力の有無、家事をしているか、家事をしない原因などが示された。

 主な「家事分担の型」は、北京では「夫婦分担型」であり、哈爾浜では「親子分担型」・「夫婦分担型」であるが、東京都では、「妻担当型」・「嫁担当型」・「妻嫁分担型」であるという相違点が分かった。

 ○ 余暇行動の考察からは、主に余暇行動の種類、余暇行動の時間、余暇行動の環境という三つの面から、日中比較を行ない、その結果各々のタイプ及び特徴が分かった。

 ○ コミュニケーション行動の考察は、主に日常コミュニケーション行動、近隣コミュニケーション行動の面から日中比較し、その結果各々の特徴が分かった。

 また、中国の家族コミュニケーション行動の面から考察した。

 ○ 外出行動の考察からは、日中両国の外出行動の頻度、場所、時間、類型の各々の特徴が分かった。

第4章住まいにおける環境行動

 本章では、環境形成に関わる環境行動を着目し、住まい方からみた環境行動、物的環境からみた環境行動(行動域と居場所の形成)、意味的物からみた環境行動という三つの側面から、日中両国の59世帯(日本:32世帯、中国:27世帯)のヒアリング調査対象者に対して事例のケース・スタディを行ない、それぞれの住まい方からみた環境行動を考察した。

 ○ 住まい方からみた環境行動:日中両国のヒアリング調査対象者に対して、それぞれの住まい方・移行環境形成のための環境行動について、ケース・スタディを行なった。特に、中国の調査対象者の住まいにおける生活行動及び物的セッティングの現状に対して、普段食・寝・居の場所の分離、「公室」と「個室」、祝日などの特別な日には家族全員一緒の食事と団樂の場所、接客の場所などの視点から、各事例を評価した。これを通して、中国では、複数世帯同居、夫婦の家事分担、来客の多さなどは、住まい手の食・寝・居及び接客の場所への影響が明らかとなった。また、各世帯タイプの在宅高齢者が、住み手の住まい方による移行環境を形成する際の環境行動、所与環境と移行環境との関係を解明し、日中のそれぞれの特徴が明らかとなった。

 ○ 物的環境からみた環境行動:「行動域」の概念及び表示方法、「食・寝・居の場所の空間・時間的集散度」座標を導入し、住戸内部における人の行動域・居場所の形成に注目することによって、在宅高齢者の物的環境と住まい方について考察した。主に、1)物的セッティングによる行動域の形成、2)行動域における居場所の形成、3)居場所における「居」「食」「寝」「団欒」「接客」などの場所の空間的使い分け・時間的使い分けの集散度という三つの側面から考察しに注目し、それを図示に表現する方法によって、各住戸の実態が明らかとなった。また、考察しながら、日中比較をした。

 ○ 意味的物からみた環境行動:環境移行の視点と生活領域論の「生活領域性」(「識別性」・「定位性」・「領有性」)の視点から、中国及び日本のヒアリング調査対象者の移行環境に置かれた意味的物を考察し、具体的事例現象についてケース・スタディと日中比較を行なった。主に住まいの中の身の周りの物の意味・個人と物の関係・環境移行時の対応の状況に注目し、その環境をどうのように自分のものとして領有していくかが明らかとなった。

第5章まとめ・提言及び今後の課題

 本章では、第2章から第4章までの分析と考察を基に、それをまとめたものである。

 また、中国都市における在宅高齢者の生活行動・環境行動の問題、将来の中国都市における在宅高齢者の住環境、在宅高齢者向け住宅の設計指針などについて提言をした。

 最後では、本研究に及ばなかった今後の課題について述べた。

附章

 本章では、考察の結果と中国の国勢にしたがって、中国都市における在宅高齢者の環境移行様態を予測し、中国の将来の都市高齢者住まい向けのモデル提案を提出した。

審査要旨

 本論文は、世界一の高齢社会の到来を間近に控えている中国都市に於ける在宅高齢者の生活実態、居住状況を質問紙、デブス・インタビューによって明らかにし、それに基づいた実態把握の結果と日本の高齢者住宅に対する同様の調査結果とを比較住文化の視点から考察し、将来の在宅高齢者の住宅計画に対する基礎的指針を導いたものである。日本の建築計画の分野では高齢者を含めた「住まい方研究」の膨大な蓄積があるが、本調査は中国における初の試みであり、同国の住宅計画研究、住宅計画立案の何れに対しても示唆に富む成果が具体的にまとめられている。

 本論文は、序章に続く5章、並びに附章からなる。

 序章では、中国における本調査の意義について述べ、日本における建築計画・環境心理学の成果を整理した上で、研究の視点と分析の方法を明らかにしている。

 第1章では、中国(北京、哈爾浜)、東京(光が丘、希望ケ丘)における質問紙による調査とそれに続くデブス・インタビュー、住宅平面採集、写真記録の概要を、目的、方法、時期、対象に関して詳細にわたって記述している。中国の高齢者を含む家族の特性として(1)就労率が高い(30%)、(2)共働き世帯が一般的であり、男女が家事を平等に分担している、(3)多世代同居が多く、家族による老人ケアーが一般的である等の結果を得ている。

 第2章では、主に中国調査の結果の中から日常生活動作・行動能力、健康状態・運動機能、社会福祉及びサービスの利用動向、住まい方(住居の所有状況、家賃、居住年数、定住意識)などについて考察し、日本の状況との比較を具体的に記述している。

 第3章では、食寝・家事・余暇・コミュニケーション・外出などの行動について、日中両都市における在宅高齢者の比較を行い、以下の結果を明らかにしている。

 (1)食事の様式は、日本では「床座型」・「椅子座型」、中国では「椅子座型」・「橙子座型」であり、就寝の様式は、日本は「ユカ型」、中国では「ベット型」であり、中国のイス座、日本のイス座・ユカ座の混在の状況を示している。(2)家事について、「家事分担の型」は、北京では「夫婦分担型」、哈爾浜では「親子分担型」・「夫婦分担型」であるが、日本では、「妻担当型」・「嫁担当型」・「妻嫁分担型」の女性依存の傾向が強いという、両国の相違点を明らかにしている。(3)余暇行動については、その種類・時間・環境という三つの面から、日中比較を行い、各々のタイプ及び特徴を見出している。(4)コミュニケーションは日常コミュニケーション、近隣コミュニケーションの両面から分析し、中国における親戚、友人の相互訪問の傾向が極めて根強いことを指摘している。(5)外出行動についてはその頻度、場所、時間、類型について比較を行い、中国においては老人のための公共施設(図書館、区民センター等)の不足を問題点にあげている。

 第4章は本論の中心をなす、住まい方調査に基づいた日中両国の高齢者の住まいにおける部屋の使い方、家具の置き方、具体的な行為の状況等の分析に当てられており、住まいの今日的状態をリアルに描き出した貴重な資料にまとめあげている。

 調査は東京の2ケ所の高齢単身・夫婦用集合住宅に住む計27戸、北京・哈爾浜の高齢者住宅(中国では現在、高齢者専用住宅は建設されていないため、一般の集合住宅の居住者を調査対象としている)計22戸に対する住み方平面採取、ヒアリングからなっている。例数こそ多くはないが、高齢者の住まい方の実態を知る極めて貴重なデータを収集することに成功し、特に中国ではこの種の試みの魁となるものとして評価できる。

 この基礎データから、家族各人の食事および就寝、日中の主な居場所(それぞれ食・寝・居と略称する)についての分析・考察を行っている。その結果、日本については、(1)単身高齢者については食・居あるいは食・居・寝が同一場所であるという高齢化に伴う居場所の縮小傾向があること、(2)夫婦世帯では、二人の3つの場所のとり方に種々の型があること、特に寝・居については別室就寝、主人の個室確保など夫婦の生活領域を分離したいという欲求があることを見出している。

 中国については、(1)食の場所が固定していないこと、(2)接客の場所の重視、客間(客丁)がない場合、寝室(ソファーや寝台に客を座らせること)が使われることなどを、固有の特性としてあげている。更に両国の住まい方の相違点として(1)中国における各場所(室)の転用性の強いこと、(2)家族における男女の自立・平等が普遍化していること(家事の分担など)をあげ、住まい方が社会・文化的な規定を受けていることを実証している。

 第5章では、各章の結論を要約し両国の類似点、相違点を述べ、それらの結論を基に、中国における将来の高齢者住宅の計画目標、指針の提案を行っている。

 附章では、5章で示した計画指針を満たす標準設計についてのモデルプランをまとめ、同居型、隣居型、中間型の3つの多世代同居の住まいの型を示している。中国における初めての高齢者モデル住宅の平面計画として注目される。

 以上、要するに本論文は、世界のトップレベルの高齢社会を迎えるという重要課題を共に抱えている中国と日本とがそれぞれ国情・文化を異にするなかで、高齢者住宅計画をどのように進めていけばよいか、それを具体化するための基礎的研究として位置付けられる。両国における高齢者の住まい方の実態調査結果と分析は、高齢者住宅計画の指針を定める貴重な情報を提供するものであり、特に中国ではこれまで極めて研究の遅れていた部分に光を当てたものとして評価できる。

 この成果は日中両国の高齢者住宅計画の質の向上に寄与するところが大きく、更には一般の住宅計画あるいは建築計画研究にも貢献するところが大きい。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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