学位論文要旨



No 212643
著者(漢字) 貝原,巳樹雄
著者(英字)
著者(カナ) カイハラ,ミキオ
標題(和) 難測定試料の赤外分光分析
標題(洋)
報告番号 212643
報告番号 乙12643
学位授与日 1996.01.25
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第12643号
研究科 工学系研究科
専攻 応用化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 合志,陽一
 東京大学 教授 御園生,誠
 東京大学 教授 澤田,嗣郎
 東京大学 教授 二瓶,好正
 東京大学 助教授 樋口,精一郎
内容要旨

 本論文では、赤外分光分析における全く対象的な二種類の難測定試料の分析法及び解析について検討した。一方は、充分な、前処理を施せるが、容易に良質なスペクトルが得られない、光学的に不均一な強散乱試料について検討し、新しい測定法として、"散乱希釈法"を提案した。従来、ピッチや石炭など、強散乱性試料の透過スペクトルを測定すると、極めて大きなバックグラウンドが現れ、吸収バンドがバックグラウンドに埋もれてしまい、その分析精度は著しく低かった。従って、むしろ散乱を利用した測定法として、その測定の簡便さから、拡散反射法が普及している。ただし、拡散反射法では、定性的には正反射の混入や効果によるスペクトルの歪み、また、定量的には、再現性が充分でない点に課題があった。"散乱希釈法"では、従来のKBrペレット法や、拡散反射法と比較して、極めてシャープな吸収バンドが得られ、ベースラインの歪みも小さく、また、再現性や検量線の直線性も優れている。この方法の提案により、透過スペクトルのバックグラウンド、拡散反射法の再現性といった古くからの課題を解決する糸口を見出すことができた。

 もう一方は、前処理の施しようが無く、複雑に絡み合った混合スペクトルがどんどん時間変化してしまうが、光学的に均一な触媒挙動を解析した。化学反応や触媒反応の途中で、短時間しか存在しない化学種の同定は、標準スペクトルが存在しない場合があったり、複雑に絡み合った個々の成分を分離できないために、その分析は容易ではない。この触媒挙動解析では、In-Situ測定器具や、先験的な物理情報、非負拘束付きの多変量解析、斬新なスペクトルの一意的推定法などを駆使して、FT-IRの特徴を充分に発揮することができた。その結果、従来、ブラックボックスとなっていた触媒挙動について、反応開始後、どの時点に何がどれだけ存在しているのかといった詳細な挙動を解明することができた。本論文は、以上の二種の難測定試料の赤外分光分析から構成した。

散乱希釈法

 図1Aに、強散乱性試料のピッチのKBr透過法によるスペクトルを示す。微細な特徴を持つ吸収バンドが、バックグラウンドに埋もれて、はっきり見えないし、スペクトルの定量的な検討の精度も著しく低い。従来、図1Aに示すようなペースラインを引いてバックグラウンドを差し引くか、試料の散乱によるスペクトルの精度低下を回避する為に試料を徹底的に粉砕し、散乱を軽減する方法が採られていた。しかし、容易に良好なスペクトルが得られないため、むしろ、近年では、散乱を利用した拡散反射法が普及しているが、この方法にも、前述したような種々の問題点があった。

 報告者らは散乱の基礎、および測定の原点に戻って種々の方法を検討した。

 従来の散乱を利用した拡散反射法では、微粒子による散乱効果を利用しており、その形状、粒径、充填率などによってその散乱係数が変動するから再現性や定量性には限界があった。即ち、再現性を改善しようとして充填率を一定にしようとすると、散乱効果が低減し、散乱効果を充分に出そうとすると再現性が疎かになる傾向にあった。

 そこで、ミー散乱の領域では、散乱といえども反射、屈折、回折の総和として近似できることに着目し、粉末の充填率を100%とし、なおかつ完全散乱の理想的な状態を実現するために、屈折率の異なる異種の赤外線透過材料の粉末(好ましくは粒径20m以下)を希釈剤として充分混合し、試料ペレットを作製する方法を試みた。さらに、そのペレットから一旦散乱された光を集光する回転楕円面鏡とを組み合わせ、"散乱希釈法"として提案した。その結果図1Bのように、著しくシャープで、吸収強度が強く、信号対雑音比の高いスペクトルが得られた。さらに、散乱希釈法は、微分法的式により、理論的にもよりクリアーな説明ができる。散乱希釈法を、マクロ的、ミクロ的な二つの側面から、理論的に考察する。巨視的な理論を検討すれば、散乱希釈法は全積分減光度を測定している事になろう。

 

 微視的な理論を検討すれば、散乱希釈法は微分方程式を用いた解析により、説明できる。即ち、散乱希釈法では、拡散透過Tと拡散反射Rの両方を検出していると考える事が出来る。従って、吸光度をk,とすると、

 

 と表される。ここで、この変換式を散乱希釈変換と呼ぶ。

 図2には、散乱希釈変換によるピッチのスペクトルの検量線を示す。白丸が、2920cm-1、三角が750cm-1の吸収バンドを表している。これらの検量線は、高濃度領域まで、高い直線性を示している。この結果から、散乱希釈変換の妥当性が確認された。また、散乱希釈法では、完全拡散や、正反射が存在しないといった、微分方程式の仮定が高いレベルで実現されているものと推定される。

 以上から、散乱希釈法は、透過法や拡散反射法に比べて優れた特徴をもっており、試料の散乱性の有無に関わらない高感度分析法としての可能性も秘めていることがわかる。

図表図1 測定法による石炭系ピッチのスペクトルの比較 / 図2 散乱希釈変換による石油系ピッチの2種の吸収バンドの検量線
触媒挙動のIn-Situ解析

 鉄鋼業では製鉄所より大量の副生ガスCO,H2などが発生する。これらの有効利用としてCOをCl化学の原料とするポリウレタン原料の合成に着手した。従来、このポリウレタンは、ジイソシアネートとジオールを反応させることによりウレタン結合を生成させて製造されていた。

 しかし、従来の合成では、有毒ガスのホスゲンを用いるプロセスが一般的であり、

 また、腐食性の塩化水素が大量に発生するといった問題点があった。そこで、これらの問題点を克服するために、種々の方法が提案された。例えば、PdやSe触媒が用いられていたが、Seには毒性があり、また、Pdは高価であった。そこで、有毒ガスを用いない、しかも安価なプロセスとして、Ruを用いる方法が注目されることになった。この反応では、芳香族第一アミンと、芳香族ニトロ化合物と一酸化炭素の反応に、Ru触媒を作用させて、カルボニル化反応が進行し、MDIが生成する。さらに、MDIと水酸基を反応させて、芳香族ウレタンを製造する。これらを、化学式で表わすと次の反応となる。

 PhNO2+3CO+ROHPhNH(C=O)OR+2CO2

 さて、この合成では、触媒制御、重合反応、分離精製が大きな課題であり、中でも最大の難関は、触媒制御である。すなわち、Ru3(CO)12を用いた触媒反応の挙動を解明して高効率かつ寿命の長い触媒反応制御方法を確立することが最大の課題となる。従来から、Ru触媒は高温高圧の環境で、その形態がめまぐるしく変化することが知られており、その挙動の解析とその制御が最も重要な課題であった。従って、従来の分析方法、即ち試料をサンプリングして分析する方法では、充分な解析ができず、Ru触媒の挙動は、言わばブラックボックスの状態であり、どの形態の成分が活性で、あるいは、これらの触媒をいかに制御すれば良いのかといった方針が十分立てられなかった。そこで、高温高圧用反応容器で、触媒(Ru触媒)挙動のIn-Situ赤外分光計測を行ない、いわば"ダイナミックな反応"をそのまま追跡した。さらに、得られた時系列の赤外スペクトルの解析から、主成分分析と、先験的にわかっている条件を用いて、各独立成分のスペクトルの形状を一意的に推定した。この結果、反応開始後、どの時点にどの形状のスペクトルがどれだけ存在するかがクリアーになり、触媒挙動の解析法を確立する事ができた。図3では、触媒のスペクトルの経時変化を、図4では、個別に単離された推定スペクトルの形状を示す。本測定と解析によりRu3(CO)9(NPh)2や、HRu3(CO)10NHPhが一時的に生成、消滅している様子などが解明され、触媒制御への重要な知見を得ることができた。

図表図3 Ru触媒の赤外吸収スペクトルの経時変化 / 図4 Ru触媒の各推定成分スペクトル
審査要旨

 本論文は、赤外分光分析における難測定試料の分析法及び解析について検討したもので6章よりなる。

 第1章は序論で赤外分光分析法を粉体試料に適用する場合様々な問題点について背景と現状をまとめ、課題を述べている。従来、ピッチや石炭など、強散乱性試料の透過スペクトルを測定すると、極めて大きなバックグラウンドが現れ、吸収バンドがバックグラウンドに埋もれてしまい、その分析精度は著しく低かった。これを解決するため試料を微粉化したり屈折率の近いマトリックスに混入成形する方法などで散乱を減少させる方式が試みられてきたが、技術的に極めて困離で実用性に乏しかった。従って、むしろ散乱を利用した測定法として、その測定の簡便さから、拡散反射法が普及している。ただし、拡散反射法では、定性的には正反射の混入や平均光路長効果によるスペクトルの歪み、また、定量的には、再現性が充分でない点に課題があることをあきらかにしている。

 第2章は以下の研究を進めるにあたって理論的解析に必要となる光の散乱およびバックグラウンドについて詳しく述べている。粒子サイズと散乱回折現象の関係、粒子散乱の近似理論、バックグラウンド生成の理論的解析などを可能な限り基礎的な原理から出発して整理している。

 第3章は赤外分光計測の分析精度改善についてよく行われる方式を検討している。散乱の除去法、集光法などオーソドックスな方法について、また散乱を積極的に利用する拡散反射法およびオパールグラス法について検討し可能性を考察している。拡散反射法は再現性に難点があり適用に限界がある。オパールグラス法は赤外領域では試みられていないが可能性をもっと考えられた。

 第4章は散乱稀釈法の提案である。オパールグラス法は赤外領域でも効果ははみとめられたが、充分ではないことを実験的にあきらかにし、その本質が散乱を大きくすることを考察して屈折率の異なる2種のアルカリハライドを試料の稀釈剤とする散乱稀釈法を提案している。"散乱希釈法"では、従来のKBrペレット法や、拡散反射法と比較して、極めてシャープな吸収バンドが得られ、ベースラインの歪みも小さく、また、再現性や検量線の直線性も優れていることを明らかにした。この方法の提案により、透過スペクトルのパックグラウンド、拡散反射法の再現性といった古くからの課題を解決する糸口を見出している。さらにこの方法の理論的検討を行い、散乱のある場合の定量的取扱いを一般化し、その特定のケースとして拡散反射法と散乱稀釈法を位置づけている。

 第5章は散乱稀釈法の課題とその解決法について述べている。散乱稀釈法は散乱が大きく損失の少ない稀釈剤を必要とするが、実験的にCsIとKBrの混合物が最適であることを示し、その混合物の粒径、混合比などを検討し、実用への指針を明らかにしている。この方法では正反射の混入があるが、その影響を低減する方法も考察している。このような実用上の課題を解決し、石炭、ピッチなど工業的には重要でありながら今まで定量的測定が困難であった試料の分光測定を顕著に改善することに成功し、多数の応用例を示している。

 第6章はカルボニル化反応のIn-Situ触媒挙動の解析を扱っている。反応中の各種化学種の測定は時問変化と中間体を純粋に取り出すことができないため、困難が多い。鉄鋼業の副生ガスはCO2H2などが発生するがこれらの有効利用としてCOをCl化学の原料とするポリウレタン原料の合成を検討することとなった。

 しかし、従来の合成では、有毒ガスのホスゲンを用いるプロセスが一般的であり、また、腐食性の酸化水素が大量に発生するといった問題点があった。そこで、有毒ガスを用いない、しかも安価なプロセスとして、Ruを用いる方法が注目されることになった。この反応では、芳香族第一アミンと芳香族ニトロ化合物と一酸化炭素の反応に、Ru触媒を作用させるとカルボニル化反応が進行し、メチレンジフェニールジイソシアネートが生成する。さらに、メチレンジフェニールジイソシアネートと水酸基を反応させて、芳香族ウレタンを製造する。

 この合成では触媒制御、重合反応、分離精製が大きな問題であり、中でも最大の難関は、触媒制御である。従来の分析方法、即ち試料をサンプリングして分析する方法では、触媒の形態変化の充分な解析が出来ず、ブラックボックスの状態であった。そこで、高温高圧用反応器で、触媒挙動のIn-Situ赤外分光計測を行い、ダイナミックな反応をそのまま追跡した。さらに、得られた時系列の赤外スペクトルの解析から、主成分分析と、先験的にわかっている条件を用いて、各独立成分のスペクトルの形状を一意的に推定する方法を提案し実施した。これにより各成分を分離することなくまた純品がなくても時間変化を追跡することができた。この結果、反応開始後、どの時点にどの形状のスペクトルがどれだけ存在するかがクリアーになり、触媒挙動の解析法を確立する事ができた。

 以上の成果をまとめ結言として今後の課題をまとめている。これらの成果は工業分析化学の基礎及び応用に関し有効有用なものである。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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