輸血後肝炎の約95%を占めるC型肝炎は慢性化しやすく(50-90%)、肝硬変や肝癌に移行する確率も極めて高いと言われている。日本において患者の多い肝臓病の原因は、アルコール、精神的、過労などが起因ではなく、感染症、特に(現在では)C型肝炎ウイルスを起因とする発症がほとんどであることが解明され、臨床上重大な問題となっている。この状況は日本に限らず、世界的な問題であり、一日も早い診断薬開発、予防対策が待ち望まれていた。 その中で、1988年アメリカのバイオベンチャーChiron社の研究グループが非A非B型肝炎の起因ウイルスをクローニング化した、というニュースが報道され、翌年に(塩基配列を伏せた形で)発表された。これはC型肝炎ウイルス(HCV)と命名され、このウイルスによって発症する肝炎をC型肝炎と呼ぶことが提唱された。遺伝子の配列は、特許の公開(優先権主張1997.11.18)という形で知られることになったが、化学論文での発表も3年間伏せられ、その後の飛躍的に進んでいくと思われたHCV研究の速度に大きく影響した。一方、カイロン社の発表の頃、いくつものグループが独立にクローニングに成功し、特に、1989年の5月に制限された条件ながらカイロン社と共同研究を開始し、初めて日本型HCVのクローニングを報告した国立予研の宮村・斉藤らのグループの貢献は大きい。この信頼ある発表を元に確信のある研究が加速的に進み、そのころ独立して日本型HCVクローニングをしていた大阪大微研、国立がんセンター、自治医大、金沢大、都臨床研/東燃らの報告が相次ぎ、世界でもトップクラスのHCV研究が日本で行われ始めた。 提出者のグループもその一つであり、1990年のカイロン社欧州特許公開(この時は、全遺伝子の約3分の2にあたる非構造領域)データを参考にして、限られた患者血清、即ち、なるべく少数の病態の似た患者血清からのクローニングを目指して、1990年6月より遺伝子取得を開始した。目標は、微量クローニング法によるPCRを用いた巨大遺伝子クローニングと全遺伝子連結であった。こうして、クローニングに必要な最小血清量を決めた後、迅速クローニングの戦略として、RT-PCRで検出されたDNA断片のダイレクトシークエンスとプラスミドへのクローニングを並行し、翌1991年7月には約9450bpの全遺伝子の取得を終了し、得たクローン数は90クローンであった。また、連結後の配列決定を合わせれば総じて10万4000塩基の配列決定という膨大な量の塩基配列決定を行ない、血清供与から完了までの期間は、わずか14カ月であった。 また、PCR法の新しい汎用性を追求し、連結にはPCRライゲーション法を用いた。提出者が慎重に条件設定したPCRライゲーション法では、PCRライゲーションによる塩基置換が驚くべきほど少なかった。定量的に算出すると総じて22Kbp分のPCRライゲーションを行い、最大2塩基の変異が入ったのみであった。これは大腸菌のトランスフォーメーションで起こる遣伝子変異よりはるかに確率が低くく、懸念されたPCRによる高変異出現は極めて改善されたと言える。 提出者は、独自に取得したHCV全長遺伝子を用いて、診断薬と抗HCV薬の開発のための基礎研究を行った。まず、HCV全長遺伝子をコンピューターを用いて相同性探査を行い、弱い相同性からプロテアーゼ推定領域を予測し、取得した遺伝子産物であるHCV蛋白の機能解明のためHCV蛋白発現成熟化機構を調べた。この解析中にクローニングしたHCV遺伝子にprotease-active,Inactive両方のクローンが存在することを見出し、protease-activeクローン(活性型プロテアーゼ)を用いたself-processingの解析に成功、続いて、このNS3プロテアーゼの性状を詳しく調べ、動物細胞発現系でのtrans-cleavage型も含めたプロテアーゼ活性評価系の確立に成功した。また、ウイルスプロテアーゼ活性に焦点をあて、HCVプロテアーゼの解析と活性クローニング法の確立、さらには、大腸菌を用いた簡便なプロテアーゼ活性評価系確立を行った。これらは、HCVプロテアーゼ阻害剤が特異性の高い優れたプロフィールを持った抗HCV薬に成り得ることを念頭に入れた研究である。また、1992年8月には、抗HCV剤として開発したアンチセンスDNAのスクリーニングに初めて成功し、特許申請をした。ここでは、HCVの翻訳メカニズムがIRES機能で働き、HCV特有なIRESの構造・機能を有するHCV蛋白翻訳を阻害することを標的にアンチセンスDNAを設計し、その特異的な阻害効果を示す領域・配列を同定した。この結果は、HCV特異的な創薬であるアンチセンス医薬開発を目指したものである。 また、診断薬開発の観点から、提出者はクローニングの終了後、すぐの1991年12月には特異抗原であるHCVコア蛋白の非融合型での大量発現と大量精製・取得に初めて成功した。カイロン社や他の研究論文に報告された第一、第二世代HCV抗体検出系やその他の報告では、コア蛋白質は融合蛋白として用いられており、検出感度、特異性などに改良の余地があると考えられていた。ここでは、コア蛋白質の抗原性領域を全て含む領域を、融合型でなく単独で大量発現させ、高度に精製することにより、安価で特異性、反応性が高いコア蛋白抗原を取得した。これにより、優れた特異性・反応性を持ち、操作性、経済性の良い迅速簡便診断システム用の診断試薬開発に貢献できた。 以上、本研究はPCRクローニング法の改良を礎として病原性ウイルスであるHCVの機能解析を行ない、抗HCV剤探索とC型肝炎診断試薬開発を目指したものであり、病原性ウイルスの基礎ならびに応用研究に資するところ大である。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。 |