学位論文要旨



No 212646
著者(漢字) 神谷,浩夫
著者(英字)
著者(カナ) カミヤ,ヒロオ
標題(和) 都市における女性の日常活動に関する時空間分析
標題(洋)
報告番号 212646
報告番号 乙12646
学位授与日 1996.01.26
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第12646号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田邉,裕
 東京大学 教授 谷内,達
 東京大学 教授 平澤,澪
 東京大学 教授 大森,彌
 東京大学 助教授 荒井,良雄
内容要旨

 本研究の主要な目的は、現代の都市社会において繰り広げられている人々の日常活動が時空間の中でどのように組み立てられているのかを明らかにすることによって、現代の社会において重要な課題となっている労働や余暇、家事への活動参加の問題を考える糸口をさぐることにある。

 これからのわが国においてゆとりある生活を築くためには、人々が自分の価値観に応じてさまざまな活動に参加できることが保障されねばならない。こうした目的のためには、われわれの日常の活動がどのようになりたっているのかを実証的データに即して実態把握することが欠かすことができない。

 いわゆる職住の分離した都市形態のために、人々の生活が時間的にも空間的にも断片化された現代の都市生活は、1日の中で仕事と余暇、家事などさまざまな活動を遂行することをかなり困難にしている。こうした状況は、女性を対象とした調査・分析を行なうことによって、もっとも明確にその姿を浮かび上がらせることができるというのが、本研究の立場である。

 第I章では、本研究の基本的な問題意識を提示した。まず、現代の低成長時代における社会の重要な課題は、生活の豊かさを個人レベルで実現することであり、それにはわれわれの日常生活における活動の充実を図ることであるという認識を表明した。こうした問題を考えるためには、われわれの日常活動のなりたちを考察することが不可欠であり、その際とくに女性の日常活動を考察することが有益であるとの指摘を行なった。それは、男性の昼間の活動はその多くが仕事で単調なのに対して、女性の場合には活動の内容が多様であるという理由にあった。

 第II章では、本研究の研究枠組みと深い関連をもっている日常活動に関するさまざまなアプローチを概観した。それらは、時間収支研究や時間配分理論、生活時間研究など空間的次元を捨象した研究と、活動への参加のパターンを考察した活動パターン研究と活動の時間的スケジューリングを考慮した交通需要推計モデル化の研究、人間の活動の時間的・空間的連続性を強調した時間地理学的研究の三つに大別される。同時に、これらの研究の理論的発展の動向をたどることにより、各アプローチにおいて課題となっている問題を摘出したのち、本研究の分析枠組みの特徴を明らかにした。それは、長期間にわたる活動の連続を考察したこと、時間地理学における制約概念だけでなくプロジェクト概念を重視したこと、日常活動のなりたちを説明することを重視したことにある。

 第III章では、トリップ調査によく用いられている二つの調査方法を取り上げ、得られた結果を比較検討した。まず、調査方法について検討を行ない、とくにサンプリング方法とフォーマットの問題を詳しく論じた。次に、通常のPT調査と1日の活動全体についても尋ねる活動調査によって得られたトリップの諸指標を比較した結果、次の2点が明らかとなった。第1に、1人1日当りのサイクル数、トリップ数ともに活動調査の方がかなり多かった。第2に、外出時間の長さ、時間帯別外出率、移動距離を両調査で調べると、必ずしも明確な差は認められなかった。また女性のサンプルの場合には、就業状態の定義に留意することが必要であるとの指摘も行なった。

 第IV章と第V章は、大都市内部と郊外地域における主婦の日常活動の実証分析である。活動データを利用し、日常活動が時間的・空間的にどのように生起しているのかを、三つの時間スケールにおける分析から考察した。

 まず第IV章では、都市の内部地域に居住する主婦の日常活動の構造の把握を目的とした分析を行なった。名古屋市東区に居住する主婦を対象とした調査を実施し、主婦の1日の時間配分の類型化を行ない、各類型の特徴を明らかにした。つぎに、各類型ごとに1日の中で生じる外出行動の特徴を把握した。最後に、1日単位の時間配分のプロジェクトが、より長期にはどのような構成を示すのかを考察した。その結果、これらの3つのレベルの分析から次のような点が明らかとなった。第1に、1日の時間利用の類型ごとに外出行動の生起する状況がかなり異なることが明らかとなった。第2に、個人ごとの4週間の時間利用のプロジェクトの構成はかなり多様であることが明らかとなった。これらの2点から、第3の点として次のことを指摘した。すなわち、1日の時間利用の類型によって外出行動が生起する状況は多様であり、4週間における1日の時間利用のプロジェクトの構成はかなり多様であるため、下位のプロジェクト(外出行動)の生起する状況は、同一の主婦についてみればかなり多様であると考えられた。ただし、そうした4週間の中の1日の時間利用プロジェクトの出現には反復性も認められた。

 第V章では、名古屋市東区に隣接する尾張旭市を調査対象地域として取り上げた。大都市内部地域と郊外地域との比較という観点から第IV章とほぼ同様の手順で分析を行なった結果、1日の時間利用の類型として第IV章の結果に対応する6つの類型が抽出された。トリップ数について検討すると、1日当たりトリップ数やサイクル数については若干の数値の違いは認められたが、各類型ごとのトリップ数やサイクル数、多目的トリップの比率などの面では全般的にかなり似ていた。時間帯別にみた活動の推移は、大都市の内部地域に比べて内職のサンプルが多いこともあって、自宅での「労働」が相対的に多い結果となった。外出先の位置は、大都市の内部地域と郊外地域という差異を最も明瞭に反映し、尾張旭市では全般に都心や自地区で活動が行なわれる割合が低く、その他の地区で活動が行なわれる割合が高いという結果が得られた。これは、名古屋市東区の調査対象地域は都心の商業中心に隣接しているのに対して、尾張旭市の調査対象地域は都心商業地域からかなり離れていることの原因があると考えられた。4週間の時間利用類型の出現の曜日ごとの規則性をシミュレーションによって検討した結果、ここでも4週間を通じた時間利用に曜日ごとの規則性がみらた。

 第VI章では、第IV章と第V章での二つの地域における女性の日常活動の分析から得られた結果を整理し、長期的な動態の視点から再解釈を試みた。その結果、次のような点が明らかとなった。まず第1に、時間利用の6類型を模式図の中に位置付けて、次のような解釈を与えた。都市における女性の日常活動は、高度成長期以前には男性の日常活動のパターンに近いB型のプロジェクトを選ぶかそれとも在宅時間の長いプロジェクトを選ぶかという選択しかなかったものが、戦後の高度成長期に拡大した女子のパートタイム雇用によって、B型に近いD型のプロジェクトが社会に広く普及するようになった。このプロジェクトは、長期的に見れば他の時間利用類型と両立可能であり、これが都市における女子労働力率を高めることにつながったと考えられる。第2に、3年間を通じたトリップ数やサイクル数の変動は、もしその人に就業状態やライフサイクル上での変化がなければ、きわめて小さいことが明らかとなった。それゆえ、トリップの発生は長期的にはかなり安定していると言えよう。また、サイクル数やトリップ数に時系列的変動に対して、就業状態の変化よりもライフサイクル上の変化の方が大きな影響を及ぼしていることも指摘しておいた。第3に、既婚女性の就業経験をライフサイクルや居住歴と合わせて検討すると、ライフサイクルを経るにつれて女性の職場経験の回数は増えており、女性の労働市場への参入・退出がかなり頻繁であることを意味していた。その場合、結婚や出産を契機とする就業状態の変化に比べると、転居を契機とした就業状態の変化は小さいことが明らかとなった。

 第VII章では、都市における女性の日常活動の時空間構造の分析が、都市で生活する女性の現実に抱えている問題を検討する上で有効であることを示す事例として、郊外地域における保育サービスの問題を取り上げて考察した。調査の対象地域は名古屋市の東部に隣接する愛知県日進町である。日進町に居住する乳幼児を抱えた妻にとって就業にネックとなっている問題は、保育所の開園時間と送迎の問題であることを指摘した。これらのネックを解消する施策として、1)延長保育の拡充および保育所の駅前立地の促進による保育所サービスの利便性の向上、2)オフィスの郊外分散の推進による通勤時間の短縮、3)フレックスタイム制など柔軟な労働時間の推進による夫婦の活動時間の柔軟化、4)オフィスに保育施設を併設するリンケージ政策の推進を通じた土地利用の混在化、などの施策の有効性について、日常活動の考察に基づいて吟味した。

 第VIII章では、前章までの検討結果を要約し、今後に残された課題について若干の考察を行なった。

 また補論においては、わが国における女子労働の現況を地域レベルで把握するために、全国における女子労働力の趨勢を概観し、都道府県における女子労働力率の地域差の要因を多変量解析によって分析した。その結果、過去30年間に都市部では女子就業率は上昇傾向にあり、反対に農村部では低下傾向にあることがわかった。それゆえ、いわゆるM字型の年齢別女子就業率のプロフィールは都市部・農村部とも以前に比べてより明瞭になってきた。また、重回帰分析によって地域的変動の要因を分析すると、15〜24歳の年齢層では地域差を説明する要因が明確には認められなかったが、35〜44歳や45〜55歳の年齢層では都市であるか農村であるかが女子労働力の地域差を説明する最大の要因であった。けれども、20年前に比べると都市と農村の差は明確でなくなりつつある。次に、大都市における女子就業の状況を名古屋市を事例として取り上げて、その就業構造や通勤パターンについて検討した。女子の就業構造に大きな影響を及ぼしたのは製造業の郊外移転による都市内工業の衰退であり、その結果、女子の産業別就業分野にかなり大きな変動が生じた。女子の通勤は男子よりも短い距離であることが特徴である。これを詳しく検討すると、若年の女子の場合には通勤距離は男子とよく似ているが、中高年の女子は家族従業者として就業する割合が高いため、通勤距離が男子よりもかなり短いことが明らかとなった。

審査要旨

 都市地理学においては、都市構造を解明するというテーマに対して、居住地分化や土地利用など、機能地域分化の側面についてはかなりの研究成果を上げてきた。これに対して近年、人間社会の構造と都市構造の形成との関係を明らかにしようとする社会地理学的な研究も盛んとなりつつある。人間が都市環境をどのように認知し、その中でどのように行動し、都市環境を改変するのか、その様式を解明しようとする行動論的な研究は、こうした動向に対応するものである。

 本研究は、近年、ヨーロッパを中心に発展してきた時間地理学的なアプローチに依拠しつつ長期的な動態の視点も取り入れながら、都市における女性の日常活動のなりたちを時空間的に分析したものである。

 論文は全体で8章と補論から構成されている。

 第一章の前半では、労働と余暇の時間を時空間の中で有効に活用することが今後の日本社会において重要であり、そのためには日常においてさまざまな活動に従事している女性の日常活動を調査することが重要であるという筆者の認識が展開されている。後半では、日常活動を断片的に把握するのではなく総体として把握するために時間と空間を同時に分析する必要性があり、そのために時間地理学的手法が適切であるという認識が提示される。

 第二章では、日常活動に関するこれまでの研究を展望し、本研究の依拠する時間地理学的枠組みの概略を紹介した後、これまでの先行研究と比較すると長期的動態の視点も含んでいるという本研究の特色が明らかにされる。

 第三章は、調査方法を吟味することによって、本研究で使用する活動データが時間と空間の両側面の分析にも利用可能であり、既存の統計データにはみられない特色を持っていることが明らかにされる。既存のデータから得られる活動の量的指標と今回の活動データから得られる指標とを比較することによって、今回の活動データが女性の活動を分析するのに有効であることが示される。

 第四章と第五章は、大都市内部と郊外地域における主婦の日常活動の実証分析である。活動データを利用し、日常活動が時間的・空間的にどのように生起しているのかを、みっつの時間スケールにおける分析から考察する。第四章では、大都市内部地域の事例として名古屋市東区を取り上げて分析を行い、続く第五章では、名古屋市東区に隣接する尾張旭市を対象地域として取り上げる。大都市の内部地域と郊外地域という異なった地域を考察することにより、両地域に居住する女性の日常活動の時空間構造がかなりの程度の共通性を持っていることが明らかにされる。さらにまた、日常活動の分析のために活動データを利用して、三つの時間スケールにおいて活動を時空間的に分析する本研究の手法が、対象地域を問わず有効であることが示される。

 第六章は、第四章と第五章で考察した女性の日常活動パターンを、その長期的な動態という視点から整理し直したものである。第一に、戦後における社会変動という歴史的な視野から見た場合、現代の女性の日常では短時間雇用の普及によって、家事や余暇などの活動との両立がはかられ、それが女子の就業率を引き上げたこと、第二に、結婚や出産を契機として就業状況が変化するために、ライフサイクルの過程で観察される日常活動のパターンが数年間で変わることが明らかにされている。

 第七章では、都市における女性の日常活動の時空間構造の分析を、郊外地域における保育サービスの水準では子どもの送迎時間に問題を抱えている状況が日常活動の分析によって描かれ、この状況を改善するための政策オプションとして、保育サービス水準の向上と並んでオフィス立地の分散化やフレックスタイム制の導入など、都市のフィジカル・プランニングに対する提言が行われた。

 第八章は全体の結論にあたり、本論文の成果が従来の研究にはみられない独自性を持つ点として、移動に関する情報だけではなく時間に関する情報をも含んだデータを利用し、長期間にわたる活動の動態を明らかにした点にあることを示した。

 また補論において、わが国における女子労働力率は近年都市部において高まったため、農村部との地域差は減少しつつあることや、女子の通勤距離は男子と比べて短いという、女性の日常活動を理解するために不可欠な事実が明らかにされた。

 以上、本論文の提出者神谷浩夫は、都市地理学における行動論的研究の分野における日常活動の時空間的な構造とその長期的な動態に対して新たな知見をもたらし、本研究によって都市地理学における行動論的研究の深化に寄与するところが大である。よって神谷浩夫は、博士(学術)の学位を授与される資格があると認める。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50974