学位論文要旨



No 212647
著者(漢字) 海野,文雄
著者(英字)
著者(カナ) ウンノ,フミオ
標題(和) 身分制社会における「支配権の資金化」過程に関する研究
標題(洋)
報告番号 212647
報告番号 乙12647
学位授与日 1996.01.31
学位種別 論文博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 第12647号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 馬場,哲
 東京大学 教授 石井,寛治
 東京大学 教授 廣田,功
 東京大学 教授 森,建資
 東京大学 助教授 大澤,眞理
内容要旨

 この研究は、ドイツにおける中世後期から近世初期にかけての騒乱を、身分制社会に固有な騒乱として位置づけ、騒乱が領主達による「支配権の資金化」過程と深くかかわっていたこと、ないし支配権の資金化が騒乱の誘因となりえたことを指摘しつつ、資金化過程を三形態に分け、これらの過程を特徴的にとらえようとするものである。

 1 中世後期から近世への移行期における宗教改革と農民戦争は、共同体の支配層への抵抗であり身分制社会に固有な騒乱であった(第1章)。

 第二次大戦後の農民戦争の研究は、G.Franz,Der deutsche Bauernkriegを基礎とし、その継続、また、その批判として展開された。農民戦争の原因、目的、理念、結果に関するフランツの理論を批判し、反論しつつ、研究は農民戦争を身分制社会に固有な騒乱としてとらえ、研究対象を身分制社会(1300-1800年)全般に拡めた。また宗教改革は教会の改革であり農民戦争は農民の戦争であったとするこれまでの見解を批判しつつ、Blickleを中心とする学派は宗教改革と農民戦争とを統一的に、身分制社会の支配層に対する共同体住民の抵抗として理解した。以上の研究状況の検討に関しては第I章を当てた。

 第II章以下の研究は身分制社会における騒乱と深くかかわる「支配権の資金化」を主題とする。ここで支配権の資金化とは、国王・皇帝あるいは世俗領主がその支配する都市・領地・権利ないしそれらからの収入を担保として借入れ、あるいは買戻権を留保しつつ譲渡して資金を調達すること、また教会領主が小十分一税収入を20-25倍に資金化して共同体に買い取らせ、以後の納税義務を免除させることを意味している。

 2 皇帝ルートヴィヒは、帝国都市モスバッハをライン・プァルツ伯に入質して都市に対する支配権を資金化した(第II章)。

 まづ、(1)ユリアナ聖堂と都市モスバッハの略史を記して、(2)帝国都市の本質について、それが自山な都市であったとする認識に対する批判を確かめる。Morawは従来の帝国都市概念について、その幻想性と平等意識から離脱すべきことを強調した。モラウは、中世における帝国の論理構造を明らかにし、帝国都市は結局王家都市として入質されたことを指摘した。

 (3)かつて国王・皇帝によって寄進された資産は再び王家経済のために取り戻された。やがて取り戻された都市は皇帝によって入質され資金化された。ラントヴェアは、皇帝による質入れを人的結合関係の物権化・資金化として捉えた。3.2においてKrimm,Urkundenbuchの史料によって都市入質の構造を明らかにする。帝国首長による帝国都市の質入れは多くの場合その売却と同じ結果に終わった。帝国都市ネルトリンゲンは皇帝に代わって債務を返済し、帝国都市に復帰したが、重なる入質によって債務を返済しえなかった都市モスバッハはライン・プァルツ伯家の所領となる。皇帝による都市支配権の資金化による帝国都市の消滅であった。

 3 都市モスバッハの領主プァルツ伯オットーは、定期金取引(ただし私は年賦金取引と呼ぶ)によって年税収入10グルデンを、買戻権を留保の上、譲渡して200グルデンを受け取った(第III章)。

 (1)プァルツ伯による都市収入の売却=年賦金取引の研究である。年賦金取引に関しては多くの研究が行われている。また最近において金融史的視点から再検討されている。とくに北部商業都市における年賦金取引に関する研究に注目する。ついで(2)中世における利息徴収禁止理念と年賦金取引について。

 (3)利息徴収を厳禁した教会聖職者が、年賦金取引に資金を提供して利息を受け取っていたことは当時の社会生活における教会の地位と役割を如実に示している。オットーに対しても同様に聖堂主任司祭が資金を提供した。

 (4)年賦金取引の法的性質についてStobbe,およびNeumannの見解など。

 (5)年賦金取引を北部・北西部型と西南部型に分類比較することはこんにちまで行われていない。北部・北西部都市での年賦金取引の研究を検討すると、自ずとこの地方での年賦金取引の投資・投機的特色が浮かび上がる。

 (6)これに対して西南部での年賦金取引は、領主の政策と消費のため、また中小商工業者・農民の取引と消費にかかわる取引であった。

 まず、西南ドイツ・グルントヘルシャフトに関する論争によって、この地方の経済的停滞性が確認される。Th.Ludwigの有名な一節「歴史は発展を求めたが、ここではただかたくなな停滞を示しているにすぎない」をめぐる論争、十分一税、エルザス農民経営の自立性、ホーエンローエのローカルアイゲンシャフト、ヴィリカチオン制分解の類型化などの諸説を検討する。とくにグルントヘルシャフトが人と土地に対する支配だけでなく、支配一般の特殊形態であることを指摘したSchreinerの見解、さらに古いグルントヘルシャフトから新しいグルントヘルシャフトおよびライプヘルシャフトへの分解を指摘し、また西南ドイツにおける再版農奴制をテーゼ化したBlickleの見解に注目したい。

 (7)さらに具体的にプァルツ・モスバッハの政治的・社会的状況を把握するために、中世後期のライン・プァルツにおける領邦政策の展開について考察した。ここでは領邦制への形成過程での領主間の抗争、土地領主と農民間の紛争などに関するヴァイストゥムの研究を通じて、領邦領主が土地領主と農民層を支配下に組み入れる過程が明らかにされる。

 (8)プァルツ伯と主任司祭間の年賦金取引の史料研究。

 (イ)まずKrimmの史料によって、1363年から1437年にいたるまでの、都市モスバッハにおける一般的環境、現物経済から貨幣経済への移行状況、領主間の紛争、十分一税に関する聖堂と共同体との争い、聖職者による年賦金取引などについて予備的に考察し、ついで(ロ)史料1原証書、GLA 43/151、Ur-kundenbuch Nr.334 S.214ff.を通じて西南ドイツにおいて行われた年賦金取引を実証的に研究する。

 (9)オットーは主任司祭から金貨200ライン・グルデンを受け取った。この金貨は当時西南ドイツにおいてほとんど基軸通貨の役割を果たしていた。移行期のドイツ通貨制度のなかで、金貨ライン・グルデンの役割をとらえてみた。

 4 農民戦争の渦中において教会領主権の一である小十分一税が20倍の価額で資金化された。共同体はその一部を年賦金取引によって買い取った(第IV章)。

 (1) この取引は共同体から見れば小十分一税の有償償却であった。償却にいたるまでの過程をたどる。領主の借り入れ金の増加、バイエルン継承戦争、教会改革の試み、さらに小十分一税の一般的償却状況について検討する。

 (2)史料2、3、原証書はGLA 67/732 B1.154’。この証書は筆者が中世書体から現代書体に解読し、第9回国際経済史学会(ベルン)において発表した。

 この証書によれば、小十分一税の売買=償却価額は320グルデンであり、そのうち35グルデンは現金にて支払われたが、残285グルデンは、14.25グルデンの年賦金取引によって支払われた。農民戦争期に各地で争われた小十分一税の償却の多くのケースが20倍、25倍によって償却されたというのは、それが年賦金売買方式によって行われたことを意味している。この取引では285グルデンがいわば約束証書で支払われたにもかかわらず、取引を完結させるために聖堂当事者は金銭不受領の抗弁権を放棄した。この証書を解読することによって、次の結論がえられる。

 (イ)都市共同体の従属からの解放は、中世の年賦金取引慣行を利用することによって可能とされた。

 (ロ)歴史の転換に対する聖堂主任司祭の賢明な判断なしには、この協定は成立しなかった。

 (ハ)都市モスバッハにおいて、多分、農民戦争は発生しなかった。

 以上

審査要旨

 本論文は,中世後期から近世初期にかけての身分制社会における「支配権の資金化」と呼ばれる過程を,西南ドイツ・ライン・プァルツの小都市モスバッハの事例を中心に考察したものである.「支配権の資金化」とは,「国王・皇帝あるいは世俗領主がその支配する都市・領地・権利ないしそれらからの収入を担保として借入れ,あるいは買戻権を留保しつつ譲渡して資金を調達すること,また教会領主が小十分一税を20〜25倍に資金化して共同体に買い取らせ,以後の納税義務を免除させること」であるが,本論文の大きな特徴は,この資金化過程を,「皇帝権の資金化」,「領主権の資金化」,「教会領主権の資金化」の三形態に分けて論じるとともに,この過程を多様な問題領域と関連させて考察しようと試みている点である.本論文の内容を要約すれば以下のようになる.

 第I章「身分制社会における騒乱の意義」では,G.フランツやB.メラーによって定礎されたドイツ農民戦争と宗教改革の研究史が迫られ,戦後のとりわけ旧西ドイツにおける研究の飛躍的発展のなかで,P.ブリックレらによって,両者がともに「身分制社会における騒乱」(=共同体住民の支配層への抵抗)の一環として捉えられるに至ったことがまず確認される.そして,こうした「騒乱」は本論文の主たる研究対象である「支配権の資金化」に対する抵抗運動でもあったという見通しが立てられ,その実証が第II章以下に委ねられる.

 第II章「中世後期における「皇帝権の資金化」過程-皇帝による帝国都市モスバッハの質入れ-」では,モスバッハとこの都市に対して教会領主権をもっていたユリアナ聖堂の沿革が述べられた後に,帝国都市とは何かという問題が検討され,それは中世的な意味での自由都市として理解されるべきではなく,帝国都市も国王を通して帝国と結びついており,国王によって質入れされることが多かったことがP.モラウらに依拠しつつ指摘される.次いで,モスバッハの事例に即して,シュタウフェン朝によって国王都市に復帰する過程,国王及び皇帝によってライン・プァルツ伯家に入質される過程,1363年に結局プァルツ伯領の領邦都市となり,帝国都市としては消滅する過程が検討される.

 第III章「中世後期における「領主権の資金化」過程-プァルツ伯オットーの年賦金取引-」は全体の約3分の2を占める本論文の中心部分であるが,九節よりなる構成はやや込み入っている.ここで問題となるのは,年賦金売買(定期金売買)と呼ばれる金銭貸借であるが,それがキリスト教の利息禁止教義の存在にもかかわらず,中世ヨーロッパに広く見られた金融取引慣行であり,しかもこの制度に教会が大きく関与していたことが最初の三節で確認される.次いで第4節で年賦金取引の法的性質がO.シュトッペやM.ノイマンに依拠して検討され,年賦金は地代や賃料ではなく利息であったこと,及び債務者からの受戻し・買戻し,買主・債権者からの解除が制度化されたことによって金銭消費貸借として完成したことが指摘される.

 第5節・第6節は,以上を前提として年賦金取引における類型化を試みたものであり,活発な商業活動を金融面から促進する制度であったドイツ北部・北西部型と,領主の軍備・家計支出あるいは商工業者・農民の消費活動のための制度であった西南部型を析出する.こうした類型化の根拠となっているのは,西南部が北部と比べて社会経済的に停滞していたという認識であり,このことは,西南ドイツ・グルントヘルシャフトに関する論争の検討を逼じて確認される.すなわち,著者の整理によれば,西南ドイツでは,14〜15世紀に領主の統一的支配が土地,人身及び裁判権の支配に分解されて領邦君主のもとに統合・再編され.その過程で東エルベを想起させるライブヘルシャフトが確立さえした.そして,農民や市民の状態は,宗教改革と農民戦争の後も領邦君主制のもとで基本的には停滞し続けた.

 第7節では,この問題をモスバッハの事例分析に繋げるために,「ヴァイストゥム」を素材として中世後期のライン・プァルツにおける領邦政策の展開過程が検討される.著者はヴァイストゥムを,農民の権利保護を規定したものとしてではなく,支配者のための「政策用具」として捉え,それが領邦君主への上級裁判権の集中と一体化しつつ,土地領主制と農民を領邦制に組み込む役割を果たしたと主張する.ライン・プァルツの領邦政策ではツェント制が領邦統治の中心組織となり,ツェント領主は領邦君主の支配に服しつつ自己の地位を確保し,この結果農民がいわば二重の支配に服することになったことが確認される.

 第8節は,モスバッハにおける「領主権の資金化」過程そのものを,市の公刊史料集を用いて分析したものである.まずモスバッハがプァルツの領邦都市となった1363年から1437年に至る時期の記録の検討を通じて,支配権の質入れ,譲渡,年賦金取引の存在を含む一般的状況が予備的に確認された後.1437年にプァルツ伯オットーが聖堂主任司祭から200グルデンを借りた際の証書が子細に検討され,それは買戻権つきの年賦金取引であったが,証書が残っていることから,買戻しは行なわれず,売買に終わったと結論される.なお,末尾の第9節は,当該期のドイツの通貨制度を西南ドイツの基準通貨であったライン・グルデン金貨の役割を中心に補論的に概観したものである.

 第IV章「騒乱の渦中における「教会領主権の資金化」過程」では,15世紀後半以降のライン・プァルツの混乱と窮状のなかで宗教改革・農民戦争に向けて社会的抵抗の気運が醸成されてくる過程が迪られた後,ユリアナ聖堂がモスバッハの都市共同体に課していた小十分一税が1525年に20倍で償却されたことの意味が,著者自身が解読した証書の検討を通じて解明される.そして,それが年賦金取引形態をとるものであったこと,償却協定が聖堂による「金銭不受領の抗弁権の放棄」によって成立したこと,この結果モスバッハではおそらく「農民戦争」は起きなかったこと,といった結論が導き出される.

 大略以上のような内容をもつ本論文の貢献としては,以下の点を挙げることができる.第一に,そスバッハに関するラテン語や中世ドイツ語の証書類を現地で収集して,未公刊史料の解読・転写,公刊史料の翻訳・整理といった困難な作業に取り組み,この都市における「支配権の資金化」過程を詳細かつ実証的に裏付けていること.こうした歴史研究の基本ともいうべき手続きを踏まえた上で新たな問題提起を試みている点は高く評価される.第二に,これまてわが国で必ずしも十分紹介・検討されてきたとは言いがたい「身分制社会における騒乱」,「帝国都市論」,「年賦金取引論」,「西南ドイツ・グルントヘルシャフト論」,「ヴァイストゥム論」,「ドイツ貨幣史」といった多様な問題領域に光を当てていること.このことから,本論文は中世後期〜近世初期のドイツ経済史研究の今後の進展に対する一里程標の役割をも担うものとなっている.第三に,「支配権の資金化」過程を,「皇帝権の資金化」,「領主権の資金化」,「教会領主権の資金化」の三形態に分けてそれぞれを特徴づけたこと.この点は著者も自認しているように本論文の最もオリジナルな論点と言える.第四に,「支配権の資金化」の一様式である年賦金取引を,商業的ないし投資・投機的なドイツ北部・北西部型と領主の軍備・家計支出あるいは商工業者・農民の消費活動を目的とするドイツ西南部型とに類型化したこと.この結果,年賦金取引の形態という問題に即して当時の西南ドイツにおける経済活動が北部ドイツと比べて停滞的であったことが確認された.

 しかし,これらの点はいずれも意欲的な試みであるだけに,なお限界や今後さらに詰められるべき問題点を数多く残している.第一に,政治的にも経済的にも重要とは言いがたい小都市モスバッハの事例がどこまで一般性をもちうるかについての配慮が十分でない.他の都市との比較の視点はもちろん存在するが,さらに多くの事例の探究が望まれる.第二に,問題の複雑な広がりに起因するとはいえ,内外の多様な問題領域の研究の摂取・紹介が,「支配権の資金化過程」を核として十分整理・体系化されているとは言いがたく,本論文の印象を全体として散漫なものとしている点が惜しまれる.第三に,「支配権の資金化」過程の三形態の関連が必ずしも明らかでなく単に並列されるにとどまっている.とりわけ分類の基準が資金化の主体なのか,資金化の手段なのか,またこの二つの基準は相互に関連しているのかといった点が不明である.第四に,年賦金取引を北部・北西部型と西南部型に類型化したことについても,主要な事例はすべて北部のハンザ都市のものであり,北部型に北西部を含めることが妥当と言えるのか,あるいは同時期のドイツ経済史を特徴づける南ドイツのフッガー家などの巨大商業資本の動向との関連はどうだったのかといった点が改めて検討されるべきであろう.また,そもそも年賦金取引が中世後期〜近世初期のドイツに固有のものだったのかということも,時間的・空間的により広い視野から再考されるべきである.

 とはいえ,以上のような問題点も,「支配権の資金化」過程という未開拓の分野に鍬を入れるとともに,ドイツにおける多様な研究動向を意欲的に摂取・紹介し,中世後期〜近世初期のドイツ経済史研究が新たな段階に入っていることを示す本論文の価値を損なうものではない.審査委員会は全員一致で本論文が博士(経済学)を授与されるに値するとの結論に達した.

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