学位論文要旨



No 212650
著者(漢字) 渡井口,清一郎
著者(英字)
著者(カナ) トイグチ,セイイチロウ
標題(和) 食品タンパク質の酵素修飾とその応用に関する研究
標題(洋)
報告番号 212650
報告番号 乙12650
学位授与日 1996.02.05
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第12650号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 荒井,綜一
 東京大学 教授 松澤,洋
 東京大学 教授 北原,武
 東京大学 助教授 宮脇,長人
 東京大学 助教授 清水,誠
内容要旨

 生体内で機能性を発現するタンパク質の多くは、基本骨格が生合成され、その後に、数段階のプロセッシングを経てようやくそれぞれの機能性を有するタンパク質に変換される場合が多い。すなわち生体内では未成熟なタンパク質が遺伝的に制御された修飾でその機能を効果的に発現する。一方、生体外で利用される食品タンパ質の場合、化学的・物理的修飾等で加工物性等の機能性の付与が検討されているが、機能発現が偶発的で、修飾反応の制御が難しいのが実際であろう。

 そこで本研究では温和な条件で選択的反応のしやすい酵素修飾で、新機能あるいは従来機能の向上をめざした。実際には食品タンパク質を基質にしてプロテアーゼ逆反応を用いて、親水性タンパク質に疎水性グループを共有付加させて、強力な界面活性を誘導する研究を行った。タンパク質としては構造既知であるs1-カゼインをまず用い、同様の酵素修飾を行い、より強い乳化機能を付与するとともに、その原因となる機能性構造の解明を試みた。

 プロテアーゼがタンパク質に対して『ハサミ』の機能を有するならば、『糊』の機能を有するトランスグルタミナーゼ(EC.2.3.2.13)(以下TGaseと略す)を次に用い食品タンパク質を分子内、間で架橋重合化することによってそのゲル形成能を改変し、弾力の向上、保水力の向上を行い、食品タンパク質の高付加価値化を試みた。

第1部食品タンパク質の酵素修飾による両親媒構造の設計1)s1-カゼイン修飾条件の最適化

 構造既知の食品タンパク質であるs1-カゼインを用いサクシニル化することによって親水性を増した。共有結合させる疎水グループとしてL-ロイシンn-ドデシルエステルを用い、特殊条件化でパパイン(EC.3.4.4.10)処理することによって20、000ダルトンのマクロペプチドを得ることができた。20、000ダルトンのマクロペプチドを効率よく得るにはアミノ酸エステルが求核試薬として働き、ペプチジル酵素をアミノ分解する方向に推し進め、ペプチジル酵素が加水分解する反応を抑える必要がある。最適条件は、高基質濃度(10%以上)、高アミノ酸エステル濃度、pH9、37℃、使用酵素パパイン、疎水性アミノ酸を用いることであった。

2)酵素修飾による機能性付与と構造との関係

 約25、000ダルトンのsuc-s1-カゼインは反応初期には限定分解を受け、20、000ダルトンのマクロペプチドを生成した。このマクロペプチドは、炭化水素との親和性が高く、コーン油を効率よく乳化することができた。この炭化水素との親和性の差を利用して、機能性マクロペプチドの単離を、水-石油エーテルの界面で検討し、5回の精製で電気泳動的に単一な20、000ダルトンマクロペプチドを得ることができた。このものは極めて優れた乳化機能を示し、水、油の分子の運動を束縛した。20、000ダルトンマクロペプチドはN末端にTyr残基が出現し、C末端付近の構造をCPaseAによって調べたところ、アミノ酸の遊離速度はLeu>Phe>Tyrの順でありN末端解析の結果とパパインの基質特異性、s1-カゼインの一次構造を総合して考察し、反応初期にはPhe145-Tyr148のペプチド結合がまず解裂し、そのC末端側にLeu-OC12が共有付加したものと結論した。その場合Arg1からPhe145までは概してイオン化しうるアミノ酸が多く親水性に富み、そこに局部的に疎水性の強いドデシル直鎖が付加したためにより明確な両親媒構造ができあがったと考えられる。

3)大豆グロブリンへの応用

 実際の産業レベルでの応用を目的にじて、代表的な植物性タンパク質である大豆タンパク質を基質としてパパイン修飾によって疎水性グループを共有結合状に導入することを検討した。大豆グロプリン画分を11Sグリシニン、7Sコングリシニンに分画し、さらに11Sを酸性サブユニット(AS)、塩基性サブユニット(BS)に常法により分画し、各画分によるアミノ酸導入の起こり易さ、導入タンパク質の乳化性の評価を行った。修飾タンパク質の乳化活性を調べたところ親水性サブユニットであゐASが最も良い乳化活性を示した。11S、BSの酵素修飾物は高い乳化活性を示さなかった。その原因はもとの基質の表面疎水性が強すぎるためと考える。プロテアーゼ逆反応によって、疎水性アミノ酸を導入しタンパク質に乳化性を付与するには、アミノ酸がよく導入され、導入する疎水領域に見合った親水領域を有する基質を選択することが重要と考える。

第2部食品タンパク質の酵素修飾(TGase反応)による高付加価値タンパク質の創出

 TGaseはペプチド鎖中のグルタミン残基の-カルボキシアミド基と各種一級アミン(R-NH2)のアシル転移反応を触媒する酵素である。アシル受容体としてタンパク質残基中のLys残基の-アミノ基が作用すると、タンパク質分子内・間に-(-Glu)Lys(GLと略す)の架橋結合が形成し、水がアシル受容体として機能するときはGln残基が脱アミド化されGlu残基にする反応が進行する。TGaseは、ほ乳類のほとんどすべての組織、そして鳥類、魚介類、植物などにも広範に存在することが知られているが、酵素を工業的に生産することは困難であった。そこで当社と天野制約の共同研究で量産化の容易な微生物界からTGaseを産生する菌株をスクリーニングしたところ、Streptoverticillium mobaraenseのvariantと同定された株に、非常に強いTG産生能があることがわかり、食品用酵素としての利用が可能となった。以下この微生物起源TGaseによる食品タンパク質の酸素修飾について述べる。

1)TGaseによる大豆タンパク質ゲルの物性改良

 大豆タンパク質(市販の分離タンパク質SPI、濃縮タンパク質SPC)に対し、水和系、乳化系のゲルで各種条件下でTGase反応を行った。TCaseを至適量添加すると、SPI、SPCともそれぞれの水和系、乳化系ゲルの破断強度が2倍以上、変形率が約20%増した。すなわち、タンパク質分子間、内にGL結合ができ、架橋重合化することによって、ゲルの硬さ、しなやかさが増し、粘弾性を高める方向でのゲル物性の改質が可能であった。但し酵素反応が進行しすぎると(酵素量多、反応時間長い)、物性的には破断強度、変形率とも低下し、食感的には脆いものになった。

 この物性改良機能を利用すればSPIやSPCのゲル形成能増強や、大豆タンパク質のゲル形成能を利用した食品である豆腐の物性改良や、レトルト豆腐、冷凍耐性豆腐の製造の可能性を示唆している。

2)TGaseによるすり身ゲルの物性改良

 代表的なゲル状食品である蒲鉾の系でTGaseの効果を検討した。魚肉すり身に外部からTGaseを加えた場合の効果を検討した。使用すり身は、スケトウのSA級、C級を用い、各種温度(すわり)条件でTGase反応を行った。

 各種のすわり条件でTGase反応を行うと、ゲルの破断強度、変形率が大きくなる事がわかった。TGaseを対すり身0.03%添加し40℃で30分反応すると破断強度は無添加の約2倍となり、変形率も約10%増加した。食感的には、弾力とコシの強化されたものとなった。TGaseを添加することによってG-L結合が増加しており、これが上記の物性変化の原因と考える。すり身のグレードについてはSA級でもC級でも効果は認められた。反応条件については高温反応(40℃)が最も効果が大きかったが、すり身特有の現象である高温戻り(55℃以上)の防止効果はなかった。

3)魚種の違いによるTGaseの機能

 市販の冷凍すり身8種(スケトウSA、C級、ホキSA級、ミナミダラSA級、パシフィックホワイティングSA級、ハモSA級、白グチ特A)におけるTGaseの効果を検討した。同時に各種魚種すり身の内在性TGase活性の強さ、鮮度をCa2+-ATPase活性によって測定し、微生物起源TGaseの添加効果と各種要因の関係の把握を検討した。各魚種すり身に対して、TGaseは効果を発現し、破断強度、変形率を増加させる機能を持っていた。但し、低温でTGase反応をさせたところほとんど機能を発現しない魚種も認められた。微生物起源TGaseの機能発現と各種要因の関係については、鮮度、内在性のTGase活性等よりも、その魚種の生息する温度との相関が最も大きかった。

結論

 プロテアーゼは通常タンパク質を分解するハサミの機能を有するが、特殊な条件で反応を行うとプロテアーゼ逆反応が生じ、親水性タンパク質に疎水グループを共有結合状に導入することにより、両親媒構造を形成させることができる。本プロセスは各種の動物性、植物性タンパク質から界面活性の高い機能性素材を調製する上に有効であろう。

 さらに生理活性タンパク質、ペプチドの構造を意図的に修飾し、その機能を増強させたり、新しい機能を発現させたりするために本プロセスを活用することも可能かもしれない。

 プロテアーゼがハサミであるのに対してタンパク質同士を架橋重合化するTGaseは糊の機能を持つといえる。微生物起源のTGaseは産業上十分に使用に耐えるだけの量が供給可能であり、各種食品タンパク質に使用するとゲル形成能の付与や弾力の付与が可能になる。この性質を大豆タンパク質に応用すると、豆腐の物性改良や、レトルト耐性や凍結耐性の付与が可能になる。水産練り製品に応用すれば、蒲鉾に対する弾力の付与、高付加価値化、すり身資源の有効活用が可能になる。本酵素を用いれば、食品タンパク質のゲル化のメカニズム解明等の学術上の意義があるばかりでなく、酵素の固定化手段、ハイブリッドタンパク質の調製等、タンパク質の意図的修飾の手段として大きな意義があると考える。

審査要旨

 生体内で機能を発現するタンパク質は、基本構造が生合成された後、数段階の修飾を経てようやく機能型に変換される場合が多い。食品タンパク質の場合、化学的・物理的修飾等で加工物性等の付与が検討されているが、機能発現が偶発的で、修飾反応の制御が難しい。

 本論文は、温和な条件で選択的反応のしやすい酵素を利用した修飾で、食品タンパク質への機能性の付与を検討した成果をまとめたもので、2部から成っている。

 第1部では、食品タンパク質を基質にしてプロテアーゼ逆反応を行い、親水性タンパク質に疎水性グループを共有付加させて、強力な界面活性を誘導する研究を行った。タンパク質としては構造既知であるs1-カゼインを用い、乳化機能発現とその原因となる機能性構造の解明を試みた。s1-カゼインはサクシニル化によって親水性を増してから使用した。共有結合させる疎水性グループとしてL-ロイシンn-ドデシルエステルを用い、特殊条件下でパパイン修飾することによって20,000ダルトンのマクロペプチドを得ることができた。このものを効率よく得るには、アミノ酸エステルが求核試薬として働き、ペプチジル酵素をアミノ分解する方向に反応を推し進め、加水分解反応を抑える必要があり、高基質濃度、高アミノ酸エステル濃度、pH9、37℃、という異常条件を必要とした。このマクロペプチドは、炭化水素との親和性が高く、コーン油を効率よく乳化することができた。乳化機能発現は水、油の分子の運動性の束縛であることがバルスNMR、ESRの測定から明らかになった。この機能性マクロペプチドを、水-炭化水素の界面で精製したところ、電気泳動的に単一な20,000ダルトンマクロペプチドを得ることができた。反応時にN末端Tyr残基が出現し、C末端付近の構造はTyr-Phe-Leuの順であったことから、反応初期にはPhe146-Tyr146のペプチド結合が解裂し、そのC末端側にL-ロイシンn-ドデシルエステルが共有付加したものと結論した。その場合、Arg1からPhe145までは親水性のアミノ酸が多く、そこに局部的に疎水性の強いドデシル直鎖が付加したために、より明確な両親媒性構造ができあがったと考えられる。

 第2部では、トランスグルタミナーゼ(TGase)はペプチド鎖中のグルタミン残基の-カルボキシアミド基と各種一級アミンのアシル転移反応を触媒する酵素であり、一級アミンの導入、脱アミド、架橋高分子化の3つの反応機作を持ち、架橋はタンパク質分子内・分子間に-(-Glu)Lys(G-Lと略す)の結合の形成を述べている。TGaseは、自然界に広範に存在することが知られているが、産業的に生産することは困難であった。量産化の容易な微生物界からTGaseを産生する菌株をスクリーニングしたところ、Streptoverticillium mobaraenseのvariantと同定された株に、強いTGase産生能があることがわかり、食品用酵素としての利用が可能となった。この微生物起源のTGaseを用い、大豆タンパク質に対し至適条件で反応を行うと各種ゲルの破断強度・変形率が増加した。タンパク質分子間にG-L結合ができ、架橋重合化することによってこのような物性の改質が可能であり、ゲル形成能増強、豆腐の物性改良などが可能となる。

 具体的には、スケトウダラ冷凍すり身に対するTGaseの効果を検討した。至適条件で反応を行ったところ、破断強度、変形率とも増加した。食感的には、弾力とコシの強化されたものとなった。これは、G-L結合の増加が原因であると考えられる。次に、市販冷凍すり身8種におけるTGase反応の効果を検討した。各魚種すり身の内在性TGase活性の強さ、鮮度をCa2+-ATPase活性によって測定し、TGaseの添加効果と各種要因の関係を検討した。各魚種すり身に対して、TGaseは、破断強度、変形率を増加させる機能を持っていた。

 以上本論文では、通常はタンパク質を分解する「ハサミ」の機能を有するプロテアーゼを用い、その逆反応を行うことにより親水性タンパク質に疎水性グループを共有結合状に導入した。その結果、両親媒性構造が形成し、強力な乳化機能が付与できた。またタンパク質同士を架橋重合化し、「ノリ」の機能を有するTGaseを各種食品タンパク質に応用することによりゲル形成能や弾力の付与が可能であり、ゲル状食品の高付加価値化、資源の有効活用が可能になった。また食品タンパク質のゲル化のメカニズム解明にも寄与するものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査員一同は、申請者に博士(農学)の学位を授与してしかるべきものと判断した。

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