食品は、人間の健康を根本的に左右する因子の一つである。生体恒常性の維持にも、その変調の結果である疾病にも、疾病からの回復にも、多かれ少なかれ食品が関係している。このことは、古くから広く認識されている一つの原理、「医食同源」とも言うべきものである。食品の生体調節機能に関する研究と、それに基づく機能性食品の開発は、この原理を出発点としている。当然のことながら、本研究もこの考え方に立脚している。具体的には、高Fischer比のペプチドによって、肝不全患者の脳症の予防と、肝性脳症患者の治療が可能であり、高グルタミンペプチドを侵襲時に補給することで、腸管に効果的にグルタミンを補給でき、アレルゲン構造を破壊した小麦粉であれば、小麦アレルギー患者も小麦粉を食べられる、といった思想のもとに本研究は行われた。 それぞれの機能性食品の作製工程の確立に際しては、実用化が可能な工程であること、および嗜好性が高く、加熱に安定で、加工特性をもっているなど食品として受け入れられ得ることを考慮した。 第1章では、ゼインの酵素的水解と、トランスグルタミナーゼによる脱アミド化によって、苦味のない高Fischer比ペプチド混合物が収率56%で得ることができた。 第2章では、グルテンの酵素的水解によって、グルタミン含量50%のペプチド混合物が収率33%で得ることができた。この製品は、経腸輸液に添加することを意図して作製されたが、遊離態のグルタミンと異なり、製品中のグルタミンの79%は、ペプチド鎖のN末端以外に位置にあって、輸液を加熱滅菌しても安定であると考えられた。 第3章では、低アレルゲン化小麦粉を作製した。小麦粉に食品加工用酵素であるブロメラインを反応させることで、低アレルゲン化が可能であったことから、この工程は極めて実用的なものであった。この低アレルゲン化小麦粉を原料として製パンしたところ、色、香り、比容積、内層のきめの良さなど嗜好感覚的に受け入れられるものが作製できた。 作製工程の根幹をなす部分は、各章とも、原料として最適な食品素材を、方法的には酵素修飾によって水解および脱アミド化したところである。 第1章では、分岐鎖アミノ酸含量が高いことが第一に要求されたので、食品タンパク質の中で最も分岐鎖アミノ酸を豊富に含むゼインを原料に選んだ。ゼインは、アルカリ条件下でよく分散したので、加水分解酵素としてアルカリプロテアーゼを選んだ。さらに、芳香族アミノ酸含量を低くという第二の要求に応えるため、ペプチド鎖中から効果的に芳香族アミノ酸を遊離させる酵素としてアクチナーゼを用いた。水解物は苦味を呈していたので、トランスグルタミナーゼにより脱アミド化することで親水性を獲得させ、苦味を消失させた。好ましくない芳香族アミノ酸は、吸着クロマトで除いた。 第2章では、グルタミン含量の高いペプチド作製のため、グルタミンを豊富に含むグルテンを原料に選んだ。グルタミンのN末端環化反応はアルカリ条件下で起こると考えられるので、加水分解酵素として、酸性プロテアーゼを検索し、モルシンを選んだ。さらに、低分子化させると同時に、グルタミン以外のアミノ酸を選択的に遊離させるためにアクチナーゼを作用させた。遊離グルタミンは殺菌工程で失効するので、他の遊離アミノ酸とともにゲル濾過で除いた。 第3章では、大多数の小麦アレルギー患者が抗原とするグルテンのエピトープ構造をQQQ(Q)PPと決定し、抗原性発現に必要なアミノ酸残基はN末端のQと、C末端に存在する2つのPであることを解明した。相同性から、この構造をもつ成分は低分子量グルテニンであった。この配列はパン酵母のタンパク質と高い相同性があり、製パン時にパン酵母が使用できないことがわかった。抗原性の発現にプロリンが必須であることから、コラゲナーゼ様活性をもち、アミラーゼ活性の低い酵素として、ブロメラインを選んで小麦粉を低アレルゲン化した。低アレルゲン化の条件は、対粉0.6加水、対粉1/100の酵素使用、37℃、8時間と決定した。 作製した食品の機能は、動物モデルあるいはin vitro系で評価した。第1章ではD-ガラクトサミン誘導肝障害ラット、第2章では低栄養ラットおよびメトトレキセート誘導小腸障害ラット、第3章では小麦アレルギー患者血清のIgEを用いた。 第1章では、D-ガラクトサミン投与ラットの血漿Fischer比、血清GPT活性が、正常値と比べ、有意に変化したことから、このモデルは肝性脳症患者用食品素材を評価するのに適切であると判断された。作製した高Fischer比ペプチドの投与は、同アミノ酸組成のアミノ酸混合物投与と同程度に、血中、脳内Fischer比を上昇させた。アミノ酸の吸収パターンはペプチド投与の方が優れていた。昏睡の誘発因子とされる脳内セロトニンの濃度は、投与により有意に減少したが、正常の神経伝達物質であるドーパミン、ノルエピネフリンの濃度は変化しなかった。以上の結果から、本ペプチドは、肝性脳症患者用の医療食素材として有効であると結論した。 第2章では、低栄養ラットにおいて、高グルタミンペプチド添加によって、小腸重量、空腸タンパク質量が有意に増加したが、同アミノ酸組成のアミノ酸混合物では対照群と有意な差が見られなかった。メトトレキセート誘導小腸障害ラットの小腸重量、空腸タンパク質量、粘膜スクラーゼ活性およびアミノペプチダーゼ活性はいずれも有意に低下したことから、このモデルは小腸障害時の経腸栄養剤の評価に適切であると判定した。小腸障害ラットに高グルタミンペプチドを投与したところ、小腸重量および空腸タンパク質量は対照群と有意差は見られなかったが、スクラーゼ活性およびアミノペプチダーゼ活性は5%有意で上昇した。アミノ酸混合物にはこのような障害改善効果は見られなかった。以上の結果から、小腸障害時のアミノ酸補給には、ペプチド態がより好ましいと結論した。 これらの結果は、タンパク質源として遊離アミノ酸態ではなくペプチド態で摂取する方が生体にとって好ましいとするペプチド栄養学の基本的思想を支持するデータであり、このデータはペプチド栄養学の応用に具体的に寄与するものと考えられる。 第3章では、低アレルゲン化小麦粉の作製工程の確立のために、小麦アレルギー患者血清IgEとの結合性を指標に、試料の抗原性を測定した。前述のブロメライン処理によって、小麦粉の抗原性を検出限界以下にまで低減化できることが明らかとなった。来年度には、横浜市立大学の池澤善朗助教授を中心とした全国ネットで、低アレルゲン化小麦粉で作製したパンの有効性を小麦アレルギー患者の協力を得て検証する予定である。 以上のように、本研究は、実用化可能な工程で食品として受け入れられ得る製品を提供することを基本的目標にし、効果的に食品タンパク質を酵素的に修飾することにより目標とする機能をもった食品を作製して、その機能を適切な評価系によって確認したものである。 |