学位論文要旨



No 212653
著者(漢字) 阿部,恭久
著者(英字)
著者(カナ) アベ,ヤスヒサ
標題(和) シイタケ栽培上の害菌クロコブタケの生理・生態学的研究
標題(洋)
報告番号 212653
報告番号 乙12653
学位授与日 1996.02.05
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第12653号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,和夫
 東京大学 教授 佐々木,恵彦
 東京大学 教授 日比,忠明
 東京大学 教授 寳月,岱造
 東京大学 助教授 井出,雄二
内容要旨

 「クロコブタケ(Hypoxylon truncatum(Schw.:Fr.)Miller)」はシイタケ(Lentinulaedodes(Berk.)Pegler)の原木栽培のほだ木上にしばしば発生し、シイタケ菌糸が材内に蔓延することを妨げる害菌である。この「クロコブタケ」の生理・生態的性質、特に子のう胞子や菌糸の生理的性質、材内における菌糸の行動、木材腐朽力や腐朽様式、及びほだ木内のシイタケ菌糸に与える影響については未解明の部分が多く残されていた。そこでこれらの点を明らかにし、本菌によるシイタケほだ木被害を軽減する技術を開発するため本研究を行った。

 一般に「クロコブタケ」と呼ばれている菌類は形態的な変異が大きく、種の概念があいまいであったため、はじめに「クロコブタケ」と総称されている菌類及びその近縁種について、世界各地及び国内各地から標本を収集するとともに、主に国内の標本から菌株を分離培養し、それらに分類学的検討を加えた。その結果、それらの菌類を子座の形態及び子のう胞子の大きさ等から1新変種を含む以下の5変種に分けることとした。

 1.H.truncatum var.truncatum(ツヤクロコブタケ)

 2.H.truncatum var.chalybeum(ツブクロコブタケ、新組合わせ)

 3.H.truncatum var.vernicosum((狭義の)クロコブタケ、新組合わせ)

 4.H.truncatum var.pouceanum(オオクロコブタケ)

 5.H.truncatum var.austro-orientalis(ネッタイクロコブタケ、新変種)

 このうち、わが国にはツヤクロコブタケ、ツブクロコブタケ、及び狭義のクロコブタケの3変種が分布し、3変種ともシイタケほだ木上に発生する。これらの3変種の世界及びわが国における分布を調査したところ、ツヤクロコブタケの分布域は3変種の中で最も広く、世界的には欧州を除く暖温帯から熱帯までの広い地域に分布し、わが国には東北地方から沖縄まで分布することが明らかになった。わが国に分布するクロコブタケ3変種の中では、ツヤクロコブタケがほだ木上に発生する頻度がもっとも高いため、ツヤクロコブタケを中心にその生理・生態的性質を検討した。

 ツヤクロコブタケの子のう胞子の放出は湿度90%以上、温度は5〜30℃で起こり、ピークは25℃であった。子のう胞子は5〜35℃で発芽し、25〜35℃で発芽率がもっとも高く、コナラやクヌギの樹皮浸出液中では発芽が促進された。子のう胞子は水ポテンシャルの低い培地上でも時間は要したが発芽は可能であった。子のう胞子を異なった温・湿度条件で保存し一定期間ごとに発芽率を調査すると、10℃以下・60%以下の温湿度条件で保存された胞子の発芽率は2年後においても高く維持されていた。野外のほだ木に発生したツヤクロコブタケの子実体を調査すると、当年秋から翌年の8月まで子のう胞子の放出能力があり、放出された胞子は発芽力を維持していた。分生胞子の形成には光が必要であり、培地上に形成された分生胞子、自然条件下で形成された分生胞子とも供試した培地上では発芽がみられなかった。培地上で分生胞子と菌糸が融合することが観察されたことから、ツヤクロコブタケの分生胞子はそれ自身が発芽して菌糸になるのではなく、小精子としての役目を果たしていると考えられた。

 次にクロコブタケ3変種の菌糸の性質を調査した結果、菌糸の生育可能温度は4〜35℃、適温は25〜31℃であり、19℃以下ではシイタケの菌糸生長に比べて遅く、逆に22℃以上ではシイタケの菌糸生長を上回り、その生長速度の差は31℃で最大となった。ツヤクロコブタケとシイタケの菌糸の乾燥耐性を調査するため、水ポテンシャルを調節した培地上で、ツヤクロコブタケとシイタケの菌糸を培養した。その結果、シイタケの菌糸の生育限界水ポテンシャル値は-5〜-6MPa付近であり、担子菌類としては比較的高い値であったが、ツヤクロコブタケの菌糸の生育限界値は-10MPa以下と極めて低く、ツヤクロコブタケの菌糸はシイタケよりも乾燥した環境に耐性が高いことが明らかになった。さらに、シイタケとツヤクロコブタケの菌糸を寒天培地上で培養し、それぞれの酸素消費量を測定すると、培養温度や菌株により酸素消費量は異なるものの、単位面積当たりのツヤクロコブタケの菌そうの酸素消費量はシイタケの約3倍と高かった。一方、ツヤクロコブタケとシイタケの培養菌糸を酸素欠乏状態で密封して保存すると、シイタケの菌糸は3〜4ヶ月の間生存したのに対し、ツヤクロコブタケの菌糸は1ヶ月以内に死滅していた。このことから、ツヤクロコブタケはシイタケに比べ酸素欠乏状態における耐性が低いことが明らかになった。

 ほだ木材内におけるツヤクロコブタケとシイタケの菌糸の拮抗を再現して調査するため、無菌的条件下で原木に対する接種試験を行った。クヌギ原木を短く切断して材の含水率を3段階に調節し、シイタケ菌糸とツヤクロコブタケ菌糸を接種して培養し、一定期間後に小ほだ木を割材して各部分から菌糸を分離した。1年後に調査した結果、乾燥処理を行った材からはツヤクロコブタケの菌糸が多く分離され、逆に加湿処理を行った材からはシイタケの菌糸が多く分離された。同時に小ほだ木の表面、縦断面、横断面のそれぞれにおいてシイタケ菌糸の面積占有率を調査すると、分離試験の結果と同様に乾燥処理区ではツヤクロコブタケの菌糸の面積占有率が高く、加湿処理区ではシイタケの菌糸の面積占有率が高かった。2年後に同様の調査を行うと、両菌を接種した小ほだ木からはツヤクロコブタケの菌糸は全く分離されず、ツヤクロコブタケが一旦は定着したと考えられる黒い帯線部分からはシイタケの菌糸だけが分離された。また、ツヤクロコブタケの発生した野外のほだ木から菌糸の分離を行うと、ツヤクロコブタケによって形成されたと考えられる黒い帯線部分や変色部分からはトリコデルマ属菌類やシイタケ等の菌類が多く分離された。

 ツヤクロコブタケの木材腐朽力を調べるため、含水率を8段階に調節したブナ木片の腐朽試験を行った。その結果、ツヤクロコブタケをはじめとするクロコブタケ3変種は含水率が最も低い木片(22%)で最大の重量減少を起こし、木片の含水率が高くなると重量減少率は低下する傾向がみられた。一方、シイタケ等の担子菌類はクロコブタケ3変種よりも含水率の高い(44、68%)木片で最大の重量減少を起こし、木片の含水率が低くなると重量減少率は低下する傾向がみられた。ツヤクロコブタケによって腐朽したコナラ木片の成分分析を行った結果、木材の構成要素であるセルロース、ヘミセルロース、リグニンが分解されていることが明らかになった。また、ツヤクロコブタケはセルロースの構成糖であるグルコースをシイタケに比べ多く消費していた。ツヤクロコブタケのリグニン分解力は褐色腐朽菌類や軟腐朽菌類よりも高く、シイタケ等の白色腐朽を起こす担子菌類よりも低かったが、その腐朽型は白色腐朽に近いと考えられた。

 以上の結果から、ツヤクロコブタケの子のう胞子は耐久性が高く、特に低温では発芽力が長期間維持されることが明らかになり、本菌のほだ木や原木への感染は年間を通して起こりうることが示唆された。しかし、本菌の子のう胞子の速やかな発芽や菌糸の生長にはある程度高い温度が必要であり、特に25℃以上ではシイタケの菌糸の生長を上回るため、春〜夏季のほだ木の管理が重要となると考えられた。また、ツヤクロコブタケはシイタケに比べ乾燥した環境に適応しているため、原木やほだ木が乾燥するとツヤクロコブタケの菌糸が材内に繁殖しやすくなり、本菌による被害が大きくなると考えられた。一方、ツヤクロコブタケは乾燥した木材では大きな腐朽力を発揮するが木材の最終的な分解者ではなく、腐朽が進行して材の含水率が高くなると材から駆逐される先駆的定着者と考えられた。その原因としては、ツヤクロコブタケの菌糸の酸素要求性と木材の腐朽過程における栄養要求性があげられる。ツヤクロコブタケはいずれは材から駆逐される存在であるが、本菌が一旦侵入した部分には必ずしもシイタケ菌糸が定着するとは限らず、実際にはトリコデルマ等の菌寄生菌類が侵入することが多い。従って、ツヤクロコブタケの被害を軽減するためには本菌の原木やほだ木へ侵入を防ぐことが重要である。生態的手法による害軽減技術としては、感染源となる本菌の子実体をほだ場の周囲から取り除くこと、気温が低いうちにシイタケの植菌を行い材内にシイタケの菌糸を早めに蔓延させること、原木やほだ木が乾燥しないように水分管理を適切に行うことが考えられた。

審査要旨

 クロコブタケHypoxylon truncatum、はシイタケの原木栽培のほだ木上にしばしば発生し、シイタケ菌糸が材内に蔓延することを妨げる害菌である。このクロコブタケの生理生態学的性質、特に子のう胞子や菌糸の生理的性質、ほだ木内における菌糸の行動、木材腐朽力や腐朽様式、およびほだ木内のシイタケ菌糸に与える影響については未解明の問題が多く残されている。

 本論文は、シイタケ栽培上の害菌であるクロコプタケの生理生態的性質を明らかにし、シイタケほだ木の被害を軽減する方法について検討したもので、4章よりなっている。

 第1章は、序論にあてられ、わが国におけるシイタケ栽培の現状と、シイタケ栽培上の害菌に関する既往の研究について考察し、本論文の目的について述べている。

 第2章では、クロコブタケの分類学的再検討を行い、従来曖昧であった種の概念について明らかにした。クロマブタケと総称されている菌類は形態的な変異が大きく、近縁種を含めて世界各地の標本を収集し、培養菌株の性質について検討した結果、これらの菌類を子座の形態および子のう胞子の大きさ等から、以下のように1新変種を含む5変種に分けることを提案した。

 1.H.truncatum var.truncatumツヤクロコブタケ

 2.H.truncatum var.chalybeumツブクロコブタケ(新組合わせ)

 3.H.truncatum var.vernicosum(狭義の)クロコブタケ(新組合わせ)

 4.H.truncatum var.pouceanumオオクロコブタケ

 5.H.truncatum var.austro-orientalisネツタイクロコブタケ(新変種)

 このうち、わが国にはツヤクロコブタケ、ツブクロコブタケ、および狭義のクロコブタケの3変種が分布し、3変種ともシイタケほだ木上に発生する。これらの3変種の分布は、ツヤクロコブタケの分布域が最も広く、世界的には欧州を除く暖温帯から熱帯までの広い地域に分布し、わが国では東北地方から沖縄まで分布する。また、わが国に分布するクロコブタケ3変種の中では、ツヤクロコブタケがほだ木上に最も頻繁に発生することが明らかにされた。

 第3章では、クロコブタケの生理生態学的性質について検討した結果、ツヤクロコブタケの子のう胞子は耐久性が高く、特に低温では発芽力が長期間維持されることが明らかにされ、本菌のほだ本や原木への感染は年間を通して起こりうることが示唆された。しかし、本菌の子のう胞子・菌糸の速やかな発芽・成長にはある程度の温度が必要であり、本菌の被害を防ぐためには春〜夏季における原木やほだ本の温度管理が重要であると考えられる。また、ツヤクロコブタケはシイタケに比べより乾燥した環境に適応しているため、原木やほだ木が乾燥するとツヤクロコブタケの菌糸がほだ木内に繁殖しやすくなり、本菌の被害が大きくなる。一方、ツヤクロコブタケは、乾燥したほだ木では大きな腐朽力を発揮するものの、腐朽が進行するとほだ木から消滅することから、本菌は木材の最終的分解者ではなく先駆的定着者と考えられた。すなわち、ツヤクロコブタケの菌糸の酸素要求性と木材腐朽の過程における栄養要求性の差異が、その原因と考えられる。ツヤクロコブタケは原木やほだ木に侵入していずれは材から駆逐される存在であるが、本菌が一旦定着した部分に必ずしも再びシイタケ菌糸が侵入・定着するとは限らず、トリコデルマ等の菌寄生菌類が侵入する場合が多いものと考えられる。

 第4章は、総合考察にあてられ、シイタケ原木栽培においてツヤクロコブタケの被害を軽減する生態的防除手段について述べている。

 以上要するに、本論文はシイタケの原木栽培の害菌であるクロコブタケについて、分類学的、生理生態学的性質について検討し、生態的防除法について明らかにしたもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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