学位論文要旨



No 212657
著者(漢字) 家藤,治幸
著者(英字)
著者(カナ) イエフジ,ハルユキ
標題(和) 排水処理用酵母の機能開発に資する基礎研究
標題(洋)
報告番号 212657
報告番号 乙12657
学位授与日 1996.02.05
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第12657号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山崎,眞狩
 東京大学 教授 児玉,徹
 東京大学 教授 高木,正道
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 助教授 北本,勝ひこ
内容要旨 はじめに

 食品工業排水には生デンプンを主成分とする洗米排水や、セルロース、ヘミセルロースを主成分とする焼酎蒸留排水など、難分解性多糖類を多量に含むものも多いが、今までの排水処理用酵母は難分解性多糖類を処理する能力が乏しく、それら排水の有効な処理が困難であった。そこで筆者は、2つの酵母を自然界より分離し、従来対応の難しかった難分解性多糖類含有排水の処理を可能とするための、排水処理用酵母の機能開発および新しい酵母処理法の開発に資するための基礎となる研究を行った。

 まず一つに、排水中の難分解性多糖類を分解することによって処理する方法の開発を念頭におき、生デンプンやヘミセルロースなどに対する分解酵素を生産分泌する新規酵母を自然界より分離した。さらにそれら酵素を精製し、その遺伝子を取得することで、酵素機能の解析を行うとともに、排水処理用酵母の機能開発へ利用するための将来的な遺伝子資源とした。

 二つ目に排水中の難分解性多糖類を固液分離除去することによって処理する方法の開発を念頭におき、芋焼酎蒸留排水中のセルロースを主体とした植物繊維固形物に強く吸着し、それを凝集沈殿させる新規酵母を分離した。さらに、本菌が植物繊維固形物に強く吸着し凝集沈殿させる現象の機構を調べるとともに、プラントレベルで芋焼酎蒸留排水の処理試験を行った。

1、難分解性多糖類分解酵素を分泌する新規酵母の分離と、その-アミラーゼ、キシラナーゼに関する研究(1)菌の分離と同定

 生デンプンなど難分解性多糖類の分解酵素を生産分泌する微生物を自然界より分離することを試み、生デンプンプレート上で大きなハローを形成する新規酵母を一株取得した。本酵母は生デンプンだけでなく、キシラン及びペクチンを唯一の炭素源とする培地においてもよく生育できることより、生デンプン、ヘミセルロース(キシラン)及びペクチン分解酵素など多様な難分解性多糖類分解酵素を生産分泌しているものと思われた。

 本菌の形態は、球形から楕円形で、多極出芽による増殖を示し、真性菌糸や仮性菌糸の形成は認められなかった。また、化学的生理的性質より、担子菌系不完全酵母のCryptococcus属に属する酵母であると同定され、本菌をCryptococcus sp.S-2(以下CS-2)と称することとした。

(2)CS-2菌の生産する-アミラーゼについて

 CS-2株は生デンプン分解力をもつ酵素を分泌生産することが予想され、酵母の生産する新規な生デンプン分解酵素として興味が持たれた。その精製アミラーゼは分子量約66,000であり、アミロースの分解パターンより、-アミラーゼであることが示された。また、豚膵臓-アミラーゼに匹敵する強い生デンプン分解力を持ち、同時に生デンプンに対する吸着性を有していた。また、高い温度安定性を有していた。

 CS-2-アミラーゼ(以下AMY-CS2)をコードする遺伝子の解析より、成熟蛋白は611アミノ酸よりなることが示された。そのN末端より496残基までの部分はAspergillus oryzaeの-アミラーゼ(タカアミラーゼ)の全領域と高い相同性(49.7%)が見られ、また酵母Saccharomycopsis fibligera及びSchwanniomyces occidentalisの-アミラーゼともそれぞれ47.4%、48.2%の相同性が見られた。

 一方、タカアミラーゼ相同部位以降にはAspergillus nigerのグルコアミラーゼIのC末端領域と相同性の高い部位が存在した。AMY-CS2のこのC末端側部位を欠失した変異アミラーゼは、生デンプン吸着力及び分解力の消失が観察され、AMY-CS2のC末端部位は、生デンプン吸着性及び分解性に関与していることが確認された。

(3)Cryptococcus sp.S-2の生産するキシラナーゼ

 CS-2株が生産分泌するキシラン分解酵素を精製した。分子量は22,000、等電点は7.4であり、キシランの分解様式よりエンド型キシラナーゼであることが示された。本CS-2キシラナーゼ(以下XYN-CS2)は、反応最適pHが2という、酸性領域で強い活性をもつ特徴的な性質を有していた。現在キシラナーゼは様々な起源のものが数多く知られているが、XYN-CS2のような強い酸性領域で活性をもつキシラナーゼはAspergillus kawachii由来のキシラナーゼCの報告があるだけで、酵素化学的にも、また実用的にも興味深いものであった。

 XYN-CS2をコードする遺伝子の解析より、XYN-CS2は209アミノ酸よりなり、その推定アミノ酸配列はAspergillus kawachii、Bacillus pumilus、B.subtilis、Clostridium acetobutylicum、Streptomyces lividans、Trichoderma reeseiなどのファミリーGグループに分類されるキシラナーゼと高い相同性が認められた。このことよりXYN-CS2も同ファミリーに属すると考えられる。

 このグループのキシラナーゼはアミノ酸残基の保存性が高く、どれも同じような分子構造をしているだろうと言われている。このようなファミリーGキシラナーゼにあって、酸性領域で強い活性を持つXYN-CS2とA.kawachiiのキシラナーゼCの活性部中央付近に、他には見られない特異な2つのシステイン残基が存在し、これら残基が、XYN-CS2が酸性領域で強い活性を持つ機構に関与している可能性を示唆した。

(4)CS-2 -アミラーゼ、キシラナーゼの生産誘導条件

 CS-2株はS.cerevisiaeなどと違って、様々な糖を資化する能力をもち、これらの糖が-アミラーゼ、キシラナーゼ生産の誘導抑制にどのような効果を持つのか興味がもたれた。さらにその制御がどのような仕組みで行われているかを知る手がかりとするために、両プロモーター配列の比較を行った。

 両酵素とも、培地pH5と7で菌体の増殖はほぼ同等であるのに関わらず、pH5での生産性は高く、pH7で低い生産性を示し、これら酵素生産が培地pHに大きく依存することを示した。

 キシラナーゼ生産に関しては、本来生産抑制的に働くD-キシロースが、CS-2株においては生産を抑制することなく誘導的に作用する特異な現象を示した。

 -アミラーゼプロモーターにはA.nidulansおよびS.cerevisiaeのカタボライト・リプレッションのリプレッサー蛋白であるCREAおよびMIG1が標的とし付着するとされている配列が4カ所存在し、グルコースをはじめとした多くの糖によりカタボライト・リプレッションを受ける現象を裏付けた。

 一方、Aspergillus tubigensisのキシラナーゼプロモーターなどに同じく存在しているCREAの標的となる配列が、XYN-CS2プロモーターにおいては見当たらなかった。

 両プロモーター部位に共通に存在する配列を比較検討したところ、A、B、C、D、E、Fの6つの相同性の高い配列が見い出された。

 さて、本酵母はグルコアミラーゼの生産が認められないことより、デンプン中での増殖性や分解利用効率があまり良くない。また、25℃以下を好む低温性の酵母であるため、発熱をともなう排水処理槽での定着性もよくないことが予想され、本菌を直接排水処理に使用することは難しそうである。しかし一方、本菌の生産分泌する難分解性多糖類分解酵素は、食品工業排水を処理する上で極めて魅力ある酵素群であると判断される。それゆえ、今回クローニングした酵素遺伝子を、新たな排水処理システムを開発していく際の有用な供与遺伝子資源として把握し、排水処理用酵母として現在実用されている酵母を宿主として、それに新しい能力を付加するための有力な道具として役立てることを今後検討してゆきたい。

2、セルロース系固形物に対し凝集促進性を有する酵母の分離とその芋焼酎蒸留排水処理への利用(1)菌の分離と同定

 焼酎蒸留排水の効果的な微生物処理方法の開発を目指し、芋焼酎蒸留排水を効果的に固液分離させる微生物を自然界より幅広く検索した結果、排水中の固形分に強く吸着しそれらを凝集させる性質を有する微生物M111株を分離することができた。分類学的検討から、本菌はGeotrichum属に帰属する酵母であると同定された。

 M111株は、芋焼酎蒸留排水に107個/ml程度添加し、軽く撹拌するだけで直ちに排水固形物を凝集させる効果を持つ。その凝集物は、Fig.2の右側のように、ガーゼ様の濾布で容易に濾別することができ、芋焼酎蒸留排水中の繊維質の固形物のほとんどが凝集塊として簡単に分離された。このことより、今まで有効な固液分離の処理法がなく、その多くを海洋へ投棄することで処分されてきた焼酎蒸留排水の処理に本菌が利用できる可能性が示された。

Fig.2.Filtration of the residue of sweet-potato shochu distilation with M111 cells(about 107 cells/ml)(right),or without them(left)
(2)吸着凝集機構の解明

 芋焼酎蒸留排水固形物に対する凝集促進性は、本菌が蒸留排水固形物に強く吸着し、菌体が架橋物として固形物同士を結合させることによることが観察された。

 本菌は芋焼酎蒸留排水の固形物だけでなく、アビセル(微結晶セルロース)セルロースパウダー、濾紙セルロース、パルプ排水、トマトジュース固形物などセルロース系固形物一般に対して、強い凝集促進性を示した。

 各種凝集阻害試験において、芋焼酎蒸留排水固形物とセルロース系固形物が全く同じパターンを示したことより、本菌の芋焼酎蒸留排水固形物への吸着凝集性は、排水固形物成分のセルロース繊維に対する吸着に由来することが推察された。

 また、本菌とセルロース系固形物との凝集には、SDSの存在および菌体のプロテアーゼ処理により凝集性が失われることより、菌体表層にあるタンパク質が関与している可能性が示唆された。なお、どのようなタンパク質が関与しているかについては、今後検討していきたい。

(3)芋焼酎蒸留排水実用試験

 本菌はプラントレベルでの処理試験においても芋焼酎蒸留排水の固液分離に著しい効果のあることがわかり、焼酎蒸留排水の固液分離処理に実用可能であることが示された。

 以上

審査要旨

 酒造工場や、その他の食品工業排水の処理法として、酵母による排水処理システムが実用化されている。このシステムは、排水中の少糖類、有機酸、脂肪酸など有機物を、主にHansenula属の酵母により好気的に処理するもので、高BOD値の排水を短時間に低負荷にする優れた特徴をもつ。ところが、食品工業排水には生デンプンを主成分とする洗米排水や、セルロース、ヘミセルロースを主成分とする焼酎蒸留排水など、難分解性多糖類を多量に含むものが多い。従来の排水処理用酵母は難分解性多糖類を分解する能力が乏しく、これらの点の改善が望まれている。本研究は、これらの問題の解決を目的としてなされたものであり、2編からなっている。

 第1編では、生デンプンやヘミセルロースなどの分解酵素を生産分泌する新規酵母の分離及びその分泌酵素について検討している。まず、生デンプンプレート上で大きなハローを形成する新規酵母を1株取得した。本酵母は生デンプンだけでなく、キシラン及びペクチン分解酵素など多様な難分解性多糖類分解酵素を生産するものであり、形態、化学的、生理的性質より担子菌系不完全酵母のCryptococcus属酵母であると同定された。次に、本酵母が生産する生デンプン分解酵素を精製し、分子量約66,000であり、アミロースの分解パターンから-アミラーゼであることを明らかにした。精製酵素を使用して調製した抗体を用いて、cDNAをクローニングし、続いて染色体DNAをクローニングした。本アミラーゼをコードする遺伝子の塩基配列の解析から、N末端に26アミノ酸からなるシグナル配列をもち、成熟蛋白は611アミノ酸よりなることが示された。成熟蛋白のN末端496残基まではAspergillus oryzaeの-アミラーゼと高い相同性(49.7%)が、それに続くC末端領域(約100アミノ酸)はAspergillus nigerのグルコアミラーゼIのC末端領域と相同性が認められた。本アミラーゼをコードしているcDNAを用いて作製したC末端領域欠失変異アミラーゼは、生デンプン吸着性及び分解力の消失が観察された。

 さらに、本酵母が生産するキシラン分解酵素を精製し、分子量22,000、等電点7.4のエンド型キシラナーゼであることを明らかにした。本酵素をコードしているcDNA及び染色体遺伝子をクローニングし、その塩基配列を決定した。推定されるアミノ酸からファミリーGグループに分類されるキシラナーゼと高い相同性が認められた。

 これら2つの酵素の生産誘導条件を調べ、また、これらの遺伝子のプロモーターの塩基配列の比較から転写レベルでの制御について考察している。

 第2編では、セルロース系固形物に対し凝集促進性を有する酵母の分類とその芋焼酎蒸留排水処理への利用について検討している。まず、焼酎蒸留排水を効果的に固液分離させる微生物を自然界より幅広く検索した結果、排水中の固形分に強く吸着しそれらを凝集させる性質を有する微生物M111株を分離することに成功した。分類学的検討から、本菌はGeotrichum属酵母と同定された。M111株は、芋焼酎蒸留排水に107個/ml程度添加し、軽く撹拌するだけで直ちに排水固形物を凝集させる効果を持つ。その凝集物はガーゼ様の濾布で容易に濾別することができ、芋焼酎蒸留排水中の繊維質の固形物のほとんどを凝集塊として簡単に分離させることが可能であった。このことから、今まで有効な固液分離の処理法がなく、その多くを海洋へ投棄することで処分されてきた芋焼酎蒸留排水の処理に本菌が利用できる可能性が示された。

 芋焼酎蒸留排水固形物に対する凝集促進性は、本菌が固形物に強く吸着し、菌体が架橋物として固形物同士を結合させることによることが顕微鏡による観察で推定された。本菌は芋焼酎蒸留排水固形物だけでなく、アビセル(微結晶セルロース)、セルロースパウダー、濾紙セルロース、パルプ排水、トマトジュース固形物などセルロース系固形物一般に対して、強い凝集促進性を示したことから、本菌の芋焼酎蒸留排水固形物への吸着凝集性はセルロース繊維に対する吸着によると推察している。本菌を用いた芋焼酎蒸留排水のプラントレベルでの処理試験においても顕著な効果が認められ、実用可能であることを示している。

 以上、本研究は食品工業、特に酒類製造における排水処理用酵母の機能開発に関するもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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