本論文は、光学活性昆虫フェロモンの合成に関するもので三章よりなる。 第一章では、南アメリカのカメムシ(Euschistus heros)の雄が生産する性フェロモンである2,6,10-トリメチルトリデカン酸メチル(1)の合成について述べる。この天然フェロモンは立体化学も含めた最終構造決定が未だなされていない。 まず、第一節では、ラセミジアステレオマー混合物(1)の合成について述べる。シクロプロピルメチルケトン2を出発物質とし、グリニャール反応、Juliaのシクロプロパンの開裂反応を利用してブロモ体3とした後、更に、 同様の反応を経由して増炭を行ないブロモ体4へと導いた。4はマロン酸エステル合成、次いで脱メトキシカルボニル化、水素添加反応を行なって、目的とするラセミジアステレオマー混合物(1)を得ることに成功した。全収率は2より7工程で30%であった。天然フェロモンと合成品のマススペクトルの比較や、ガスクロマトグラフィー分析の結果より、天然物はAldrichらが提出した構造であると確認できた。 第二節では天然フェロモンの絶対立体配置を決定するために、入手容易な光学活性化合物を出発原料として8種の光学異性体すべての合成を行なった結果について述べる。 すなわち、(R)-及び(S)-シトロネロール5を出発物質とし6工程を経て光学活性なビルディングブロック(S)-及び(R)-6をそれぞれ合成した。また、(S)-及び(R)-ヒドロキシ-2-メチルプロパン酸メチル7を出発物質とし、3工程を経て(S)-及び(R)-8へと変換した後、グリニャールカップリングを行なって増炭し、更に3工程を経て光学活性なビルディングブロック(R)-及び(S)-9をそれぞれ合成した。(S)-及び(R)-8からは3つめのビルディングブロックである(S)-及び(R)-10を2工程で合成した。6と9をスルホンアルキル化反応によるカップリングを行ない、更に数工程を経て4種の光学異性体11を合成した。11と10もまたスルホンアルキル化反応によるカップリングを行なった。次いで脱スルホン化、官能基変換を行なって目的とする8種の光学異性体すべての合成を達成した。全収率は6より33-42%(10工程)、10より64-84%(5工程)であった。ガスクロマトグラフィー分析では天然物の絶対立体配置を決定するまでには至らず、現在のところ生物活性試験を依頼している。この結果より、天然フェロモンの絶対立体配置が決定できるものと期待される。 第二章では、シュロゾウムシ(Rhynchophorus cruentatus)の雄が生産する集合フェロモン、(4S,5S)-5-メチル-4-オクタノール(cruentol,12)の合成について述べる。この化合物の高光学純度の合成は未だ達成されておらず、比旋光度の報告もない。 ブタすい臓リパーゼ(PPL)による不斉加水分解により得られる光学活性なビルディングブロックであるエポキシアルコール15を出発原料とし、エポキシドの開環反応、有機銅試薬による増炭反応を鍵段階として目的とするcruentol12を光学純度99.3%e.e.で合成した。全収率は15より8工程、26%であった。また、比旋光度も明らかにできた。 第三章では、ファラオアリ(Monomorium pharaonis)の道しるべフェロモンである(3S,4R,6E,10Z)-3,4,7,11-テトラメチル-6,10-トリデカジエナール(faranal,18)の新規合成について述べる。既報の合成法は、全収率や光学純度が低い。 ジエン部分合成の出発物質であるプロピン19より数工程で20とした後、トリメチルアルミニウム、水、及びジルコニウム試薬を用いて末端アルキンをビニルアルミニウムに変換、ヨウ素で処理して立体選択的にヨードジエン21を得た。キラル部分はメソ体酸無水物22を出発物質として調製した。22を数工程でtrans-エポキシド23とした後、キラルなリチウムアミドを用いる不斉開裂を行なって24とした。24は数工程で、ヨウ化物25に変換した。21と25をt-ブチルリチウムを用いてカップリングを行なった後、更に2工程で目的のfaranal18を得ることができた。全収率は19より8工程12.5%、22より13工程8.3%であった。本合成法は既報の合成法より全収率、光学純度の面で優れている。 以上のように本論文は、光学活性昆虫フェロモンを扱ったものである。第一章では光学活性化合物を不斉源とし、全立体異性体の合成を達成した。第二章では生化学的方法で光学活性なエポキシアルコールを調製し、エポキシドの開環反応、有機銅試薬による増炭反応を鍵反応として目的物を光学純度よく得ることができた。第三章では、有機金属試薬による高立体選択的三置換オレフィンの構築とキラルなアミンを用いる化学的不斉合成を行ない目的物の合成を達成した。このように、目的物の立体化学に応じ、的確な不斉導入のアプローチによって3種類の光学活性フェロモンの合成を達成した。 |